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魔法使いの燃え尽き1

春の訪れを告げる最初の花が咲き始めたある朝、白亜館に馬に乗った一人の男が訪れた。彼は軍服を着ていたが、その腕には一般的な軍の紋章ではなく、炎と稲妻を組み合わせた特別な刺繍が施されていた—帝国魔導軍団の象徴である。


「ヴァイス・フュリウス少佐が来館されています」エマがダニエルの診療室に報告に来た。「軍の魔導師の一員だそうです。かなり急いでいるようです」

ダニエルは少し驚いた。魔導軍団は王国軍の中でも特に名誉ある部隊で、戦場で魔法を操る精鋭たちだった。彼らは通常、王宮付きの専門治療師の診療を受けることになっており、白亜館を訪れることは珍しいことだった。


「お通ししてください」

入室してきたヴァイスは三十代半ばの男性で、鋭い目つきと引き締まった体格が印象的だった。しかし、同時に極度の疲労感が彼の表情に滲み出ていた。目の下の隈、やや青白い顔色、そして少し震える手—これらはダニエルの医師としての目に、すぐに健康状態の悪化を示すサインとして映った。

「シェパード医師」ヴァイスは軍人らしく簡潔に挨拶した。「お時間を頂き感謝します」


「どうぞお座りください」ダニエルは穏やかに声をかけた。「どのようなご用件でしょうか?」

ヴァイスは少し緊張した様子で椅子に腰掛けると、言葉を選ぶように間を置いてから口を開いた。

「私は...公式な診察を受けに来たのではありません」彼は小声で言った。「正直に申し上げると、これは非公式な相談です。軍の上層部や仲間たちには知られたくないのです」

「もちろん、患者様のプライバシーは厳守します」ダニエルは保証した。「どのような症状でお悩みですか?」


ヴァイスは深いため息をついた。「私は...魔法が使えなくなってしまいました」

この告白には重みがあった。魔導師にとって魔法の喪失は、単なる能力の問題ではなく、アイデンティティの危機を意味するからだ。

「どのような経緯で?」ダニエルは冷静に質問を続けた。

「西方国境での戦闘任務から戻った後です。約三ヶ月前のことです」ヴァイスは語り始めた。「あの戦いでは、私の火炎魔法が大きな戦果を挙げました。敵の大規模な攻撃を阻止したのです」

彼の声には誇りが混じっていたが、すぐに暗い調子に変わった。

「しかし、帰還してからしばらくして、魔法の使用に困難を感じ始めました。最初は単なる疲労だと思いました。魔力を大量に使用した後は、一時的に魔法を使いにくくなることがよくあります」

「その後どうなりましたか?」

「休息を取っても改善せず、むしろ悪化していきました。詠唱を始めても魔力が集まらない、集中力が続かない...そして一ヶ月前には、最も基本的な火炎術さえ使えなくなりました」


ヴァイスの表情は苦悩に満ちていた。

「軍の治療師たちに診てもらいましたが、原因は分からないと言われました。『魔力の枯渇』や『詠唱の乱れ』などの診断でしたが、具体的な治療法は示されませんでした。ただ休息を取れとしか...」

ダニエルは注意深く症状を聞き取りながら、魔法以外の健康状態についても質問した。ヴァイスの回答から、複数の重要な情報が明らかになった。


彼は常に疲労感を抱え、夜間の不眠と日中の過度の眠気に悩まされていた。食欲は減退し、以前は楽しめていた活動にも興味を失っていた。集中力の低下、記憶力の問題、そして何よりも「無価値感」—これらの症状は、ダニエルにとって既知のパターンを示していた。


「他に気になることはありますか?人間関係や、気分の変化などは?」

ヴァイスは少し言いにくそうに口を開いた。「以前は仲間との交流を楽しんでいましたが、最近は彼らを避けるようになりました。彼らの目に自分の弱さが映るのが...耐えられないのです」

彼は自嘲気味に笑った。「時々、怒りが爆発することもあります。些細なことで。そして...」

彼は言葉に詰まり、しばらく沈黙した後、静かに続けた。「戦場での記憶が、突然鮮明によみがえることがあります。特に、私の魔法で命を落とした敵兵士たちの...」


この最後の告白は、ダニエルの診断をさらに複雑にした。燃え尽き症候群に加えて、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の要素も認められたのだ。

「少佐、詳しくお話しいただき感謝します」ダニエルは丁寧に言った。「総合的に判断すると、あなたは『燃え尽き症候群』と呼ばれる状態にあると考えられます」

「燃え尽き...」ヴァイスはその言葉を反芻した。「燃料を使い果たした炎のように...」

「はい、まさにその通りです」ダニエルは頷いた。「これは精神的・肉体的エネルギーが極度に消耗した状態です。特に長期間のストレスや過度の責任感、高い理想への執着などが原因となることが多いです」

「そして、戦場での経験があなたのPTSDの要因となっている可能性もあります」ダニエルは慎重に付け加えた。「これらは別々の問題ではなく、相互に影響し合っています」


ヴァイスの表情に僅かな安堵の色が浮かんだ。彼の状態に名前が付いたこと、そしてそれが理解可能なものだという事実が、不確かさの中で苦しんでいた彼に小さな希望を与えたようだった。

「治療法はありますか?」彼は真剣な眼差しでダニエルを見つめた。

「あります」ダニエルは確信を持って答えた。「ただし、短期間で完全に回復するというわけではありません。段階的なアプローチが必要です」

ダニエルはエマを呼び、エルネにも来てもらうよう頼んだ。この症例には、彼女の魔法的知識が役立つと考えたからだ。


三人がそろった診察室で、ダニエルはヴァイスの治療計画について話し合い始めた。

「まず、あなたの状態をより詳しく理解するために、魔法使用に関する専門家の意見も聞きたいと思います」ダニエルは言った。「エルネは初級の治癒魔法を扱えますが、高位の魔道士との相談も必要でしょう」

「軍の魔導師団長に相談するということですか?」ヴァイスは不安そうに尋ねた。「私はこの件を公にしたくないのです...」

「いいえ、もっと中立的な立場の方に」ダニエルは穏やかに答えた。「王宮の首席呪術師ヴィルヘルム・ワイズはいかがでしょう?彼なら守秘義務を理解してくれるはずです」


ヴァイスは少し考え、同意した。ヴィルヘルムは確かに魔法界では尊敬される学者であるし、軍事的な利害関係からは比較的自由な立場にあった。


次の二日間は、徹底的な評価期間に充てられた。ダニエルとエルネはヴァイスの身体状態、精神状態、そして彼の言う「魔力の状態」について詳細な調査を行った。さらに、ヴィルヘルムも招かれ、専門的な魔法診断を行った。

「確かに深刻な魔力の枯渇状態です」診断を終えたヴィルヘルムは言った。「しかし、魔力の経路そのものに損傷はありません。絞り出そうとしても出てこない井戸のような状態です」


ヴィルヘルムの診断結果は、ダニエルの仮説を裏付けるものだった。魔力の問題は、器質的な損傷によるものではなく、全身の疲弊状態と精神的ストレスに起因すると考えられた。

総合的な評価の結果、ダニエルは多角的な治療アプローチを提案した。

「ヴァイス少佐、あなたの状態は複合的なものです」彼は説明した。「したがって、治療も様々な側面から行う必要があります」


ダニエルは具体的な治療計画を示した。

第一に、身体的な回復プログラム。適切な栄養摂取、規則正しい睡眠、そして緩やかな身体活動を含む。特に睡眠の質の改善は最優先項目だった。

第二に、心理的なサポート。認知行動療法的アプローチを用いて、ヴァイスの自己価値感の回復と、戦場のトラウマへの対処を図る。

第三に、魔力の回復プログラム。ヴィルヘルムとエルネの協力のもと、穏やかな魔法練習と瞑想を組み合わせた特別なプログラムを開発する。


「また、薬草療法も併用します」ダニエルは言った。「特にマグヌス・ドラゴンの治療で効果のあった『太陽の涙草』は、あなたの状態にも有効でしょう」

エルネが薬草について詳しく説明した。「太陽の涙草は気分の安定と活力回復を助ける特性があります。また、良質な睡眠を促す夜来香との組み合わせも効果的です」


ヴァイスはこの総合的なアプローチを受け入れたが、一つの懸念を表明した。「このような治療にはどれくらいの時間がかかるのでしょうか?私は部隊に早く戻りたいのです」

「理解できます」ダニエルは共感を示しながらも、現実的な見通しを伝えた。「しかし、急いで不完全な回復を目指すよりも、時間をかけて根本的な回復を目指す方が賢明です。少なくとも三ヶ月の集中治療が必要だと考えています」

「三ヶ月...」ヴァイスは深いため息をついた。「それだけの時間がかかるのですか」

「ヴァイス少佐」エルネが静かに言った。「あなたの魔力は長年かけて培われたものです。その回復にも相応の時間が必要です」


ヴィルヘルムも専門家としての意見を付け加えた。「過度に早い回復を目指せば、魔力の経路に恒久的な損傷を与える恐れがあります。それは魔導師としてのあなたのキャリアを永久に終わらせるかもしれません」

この言葉にヴァイスは重みを感じたようだった。「分かりました...時間がかかっても、確実な回復を目指します」

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