新しい命と母親の健康1
白亜館の診療録が王国内外に広まりつつあった秋も深まるころ、ダニエルのもとに一通の手紙が届いた。それは城下町から少し離れたタンネンヴァルト村の村長からのもので、急を要する医療相談があるという内容だった。
「タンネンヴァルト村では、過去半年で四人の産婦が命を落としたそうです」エマが手紙を読み上げた。「村の助産師たちも困惑しており、白亜館の助力を求めているとのこと」
ダニエルは眉をひそめた。高い産婦死亡率は彼の世界では19世紀ごろまで一般的だったが、その主な原因は産褥熱—出産後に起こる子宮や産道の感染症—だった。ゼンメルワイスという医師が手洗いの重要性を発見するまで、その原因は不明とされていた。
「すぐに行く必要がありますね」ダニエルは決断した。「エルネ、一緒に来てくれるかな。君の治癒魔法が役立つかもしれない」
エルネはうなずいた。「はい。必要な薬草も準備します」
「エマは留守を任せます」ダニエルは続けた。「白亜館での診療と、もう一つ重要な役割を」
「もう一つの役割とは?」エマが不思議そうに尋ねた。
「村からの帰り道、フィリア・ターナーという若い母親の家に立ち寄る予定です」ダニエルは説明した。「彼女は一ヶ月前に出産し、心の状態が不安定だという相談が家族から来ています。彼女が白亜館に来られる状態ではないので、エマには事前準備をお願いしたいのです」
「分かりました」エマは真剣にうなずいた。「産後の心の問題についての資料を集めておきます」
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タンネンヴァルト村は白亜館から半日の道のりだった。小高い丘の上に位置するこの村は、周囲の森から産出される木材で知られていた。
村長のトーマスが彼らを迎えた。彼は六十代の髭の豊かな男性で、疲れた表情を浮かべていた。
「シェパード医師、来ていただき感謝します」トーマスは深々と頭を下げた。「この異常な死は村全体を不安に陥れています」
ダニエルとエルネはまず状況を詳しく聞くことにした。村の広間に、三人の助産師と村の長老たちが集められていた。
「お話を伺いたいのですが」ダニエルは穏やかに言った。「特に、亡くなった産婦たちの状況について詳しく教えてください」
最年長の助産師マーサが口を開いた。彼女は三十年以上、村の出産を取り上げてきたという。
「最初に亡くなったのはリンダでした。彼女はこの春、初めての子を産みました。出産自体は順調でしたが、三日後に高熱が出始め...」マーサの声が詰まった。「五日目に亡くなりました」
「その後も同様のパターンでしょうか?」
「はい」別の助産師が答えた。「みな出産直後は問題なく、数日後に熱と激しい腹痛、そして...」
ダニエルは慎重に質問を続けた。出産の方法、使用される器具、産婦を取り巻く環境など、詳細な情報を集めていった。エルネも熱心にメモを取っていた。
「もう一つ伺いたいのですが」ダニエルは助産師たちを見回した。「出産の介助の前後に、手を洗う習慣はありますか?」
助産師たちは不思議そうな顔を見合わせた。
「手を洗う...?」マーサが首をかしげた。「もちろん、血など目に見える汚れがあれば洗いますが、特別な習慣として...」
「理解しました」ダニエルはうなずいた。「次に、実際の出産が行われる場所と使用する器具を見せていただけますか?」
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村の端にある小さな建物が、出産のための場所だった。内部は二部屋に分かれており、一方が待機室、もう一方が出産室となっていた。出産室には幅広の木製ベッドと、様々な道具が並ぶ棚があった。
「これらが私たちの道具です」マーサが棚を指した。そこには亜麻布の布、粘土の器、様々な形の金属製器具があった。
ダニエルは特に金属製の器具に注目した。それらは出産時の補助や異常時の対応に使われるものだったが、使用後の清浄方法について尋ねると、水で血を洗い流すだけだという回答だった。
さらに調査を進めると、一つの重大な問題点が明らかになった。亡くなった四人の産婦はすべて、何らかの理由で助産師の直接的な内診や器具の使用が必要な難産だったのだ。
「私たちの世界では、『産褥熱』と呼ばれる病気があります」ダニエルは村の広間に戻って説明を始めた。「出産後に起こる危険な感染症で、急速に進行し、命を奪うことがあります」
「それが村の産婦たちを殺しているのですか?」村長が恐れを持って尋ねた。
「可能性が高いと思います」ダニエルは慎重に答えた。「この病気は目に見えない小さな生物、細菌によって引き起こされます」
助産師たちの顔に疑念の色が浮かんだ。
「信じがたいかもしれませんが」エルネが静かに言葉を継いだ。「見えないからといって、存在しないわけではありません。私たちは白亜館で、水や空気中の目に見えない要素が健康に影響することを確認してきました」
「では、どうすれば?」マーサが不安げに尋ねた。
「予防法は主に三つあります」ダニエルは力強く言った。「第一に、出産に関わるすべての人の手洗いを徹底すること。第二に、使用する器具の消毒。第三に、出産環境の清潔さの維持です」
彼は詳細な手洗いの方法を説明し、エルネがデモンストレーションを行った。特に手のひら、指の間、爪の下まで丁寧に洗うことの重要性を強調した。
次に、器具の消毒方法として、火酒(高濃度アルコール)に浸す方法と、沸騰させる方法の二つを紹介した。
「これだけで違いが出るのでしょうか?」助産師の一人が半信半疑で尋ねた。
「驚くほどの違いがあります」ダニエルは確信を持って答えた。「私の世界では、この発見により産婦の死亡率が劇的に減少しました」
「病気を引き起こす目に見えない小さな生物...」マーサはゆっくりと言葉を噛みしめるように言った。「それが本当なら、私たち自身が知らず知らずのうちに病を運んでいたということでしょうか」
彼女の顔に深い悲しみの色が浮かんだ。理解が広がると同時に、自分たちの行為が意図せず死をもたらしていたかもしれないという認識が生まれたのだ。
「あなた方に過失はありません」ダニエルは優しく言った。「これは新しい知識です。大切なのは、今後の産婦の命を救うために、この知識を活用することです」
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翌日、ダニエルとエルネは助産師たちと共に、出産施設の改善計画を立てた。建物内部を清掃し、清潔な環境を維持するための仕組みを整えた。さらに、村の鍛冶屋と協力して、器具を煮沸消毒するための専用の金属製容器も作ることになった。
マーサと他の助産師たちは、初めは懐疑的だったものの、ダニエルとエルネの真摯な姿勢に次第に心を開いていった。特に、エルネの治癒魔法が従来の助産技術と補完的に機能することが分かると、彼女たちの協力姿勢は強まった。
「エルネさんの魔法は、難産時の母体の負担を軽減できます」マーサは感心したように言った。「これまで私たちは薬草だけに頼っていましたが、魔法と組み合わせることで...」
「そうですね」エルネは微笑んだ。「私の魔法も万能ではありませんが、適切なタイミングで使えば効果的です。特に出血の制御と痛みの緩和に」
「これこそ私たちが目指す医療の形です」ダニエルは二人の会話を聞きながら思った。「伝統的な知恵と新しい知識の融合」
三日目には、実際の訓練セッションが行われた。村の女性たちも数人参加し、清潔な出産環境の重要性について学んだ。
「出産は自然なプロセスですが、同時に母体にとって大きな負担でもあります」ダニエルは説明した。「清潔さを保つことで、自然の回復力を最大限に活かすことができるのです」
この訓練の中で、エルネは助産師たちに簡単な治癒魔法の基本も教えた。魔法の才能がない人でも、適切な言葉と集中によって小さな治癒効果を引き出せることを示したのだ。
「完全な治癒は望めませんが」エルネは言った。「これによって自然治癒力を活性化させることはできます」
マーサは感動したように目を輝かせた。「長年の助産経験の中で、時々不思議な回復を見ることがありました。それは私たちの言葉や触れ方が、知らず知らずのうちにこの力を引き出していたのかもしれませんね」
「その通りです」エルネはうなずいた。「魔法は特別な人だけのものではなく、程度の差こそあれ、すべての人が持つ可能性なのです」