王女の涙(続き)
ダニエルは彼女の反応を注意深く観察しながら、さらに質問を続けた。
「そして最近、母上のペンダントを見つけた時のことを教えていただけますか?」
エレノアの表情が変わり、体が少し緊張した。「母上の部屋を整理していると...小さな箱の中に...」
突然、彼女の呼吸が速くなり、体が震え始めた。
「ペンダントが...光っている...開くと中に...私の赤ん坊の時の髪...と母上の手紙が...」
彼女は急に上半身を起こそうとしたが、エルネがそっと肩に手を置いて落ち着かせた。
「手紙には何が書かれていましたか?」ダニエルは優しく尋ねた。
「『愛しい娘へ、もし私があなたの成人を見ることができないなら、これを読んでください。あなたの感情は決して恥ずべきものではありません。強さとは感情を隠すことではなく、感情を持ちながらも前に進む勇気です』」
エレノアの顔から涙が止めどなく流れ落ちた。
「でも私は...泣くことを許されなかった...母上の言葉と、私が教えられてきたことが...矛盾して...」
突然、彼女の体が硬直し、表情が変わった。先ほどのような「別人格」の兆候だった。
「彼女を守らなければ」低く冷たい声が出てきた。「弱さを見せれば、壊されてしまう」
ダニエルは冷静に対応した。「あなたは、エレノアを守るために現れたのですね」
「そう...彼女が泣けないとき、私が彼女の悲しみを引き受けた。誰も彼女の涙を受け入れなかったから...」
「あなたは素晴らしい役割を果たしてきました」ダニエルは優しく言った。「エレノアを守るために。でも今、彼女は母親からのメッセージを受け取りました。感情を持つことは恥ではないと」
「でも...王家は...」
「エレノア様は王太女(将来の女王)であると同時に、一人の人間です」ダニエルは諭すように言った。「人間として感情を持つことは、王としての資質を損なうものではありません。むしろ、民の苦しみを理解する力になるのです」
エレノアの体がまた変化し、彼女は小さな子供のような声で泣き始めた。三つ目の人格、あるいは彼女の最も抑圧された部分かもしれない。
「お母様...会いたい...」幼い声で彼女は泣き続けた。
エルネが近づき、彼女の手をそっと握った。「泣いてもいいんですよ」彼女は優しく言った。「悲しいときは泣いていいんです」
ダニエルは、この瞬間が治療の重要な転機だと感じた。長年抑圧されてきた悲しみが、ようやく表現される瞬間だ。彼は静かに見守り、必要なサポートを提供し続けた。
エレノアはしばらく泣き続けた後、徐々に落ち着いていった。彼女の顔には、長年の重荷から解放されたような表情が浮かんでいた。
ヴァイスが新たな薬草を香炉に加え、部屋に清々しい香りが広がった。
「意識を現在に戻しましょう」ダニエルは静かに誘導した。「三つ数えて、目を開けてください...一、二、三」
エレノアはゆっくりと目を開けた。彼女の目は涙で濡れていたが、以前の虚ろさは消え、より明瞭な意識が戻っているようだった。
「どんな気分ですか?」ダニエルは静かに尋ねた。
「疲れています...でも、少し軽くなったような...」彼女は弱々しく答えた。「私...泣いていましたね」
「はい。とても勇敢でした」
「母上の言葉...本当に聞こえたような気がしました」彼女は静かに言った。「感情を持つことは...恥ではないのですね」
「決して恥ではありません」ダニエルは確信を持って言った。「感情は私たちの一部であり、それを認めることで、より強くなれるのです」
治療セッションの後、エレノアは深い睡眠に落ちた。ダニエルとエルネはヴァイスと共に、彼女の状態について話し合った。
「今日のセッションは重要な第一歩でした」ダニエルは説明した。「長年抑圧されてきた感情が解放され始めています。しかし、これは一度のセッションで完全に治るものではありません」
「次のステップは?」ヴァイスが尋ねた。
「安全な環境で感情を表現する練習」ダニエルは答えた。「特に悲しみや弱さといった、彼女が隠すように教えられてきた感情です。また、彼女の中に生まれた『別の人格』との対話も重要です」
エルネが付け加えた。「そして、母親からのメッセージを彼女の新たな信念として統合することも」
彼らは継続的な治療計画を立て、ヴァイスも協力を申し出た。魔術と医学の融合が、この複雑な症例には必要だと感じていたからだ。
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数日後、エレノアは目に見えて回復の兆しを見せ始めた。彼女は依然として疲れやすく、時に解離症状が現れることもあったが、以前のような激しい変化は減少していた。最も重要なのは、彼女が少しずつ自分の感情を表現できるようになってきたことだった。
ダニエルとエルネは一週間離宮に滞在し、毎日エレノアとのセッションを続けた。彼らは記憶の霧草を再び使うこともあったが、より低い用量で、安全に記憶を探索できるよう調整した。
徐々に、彼女の幼少期の記憶がより明確になってきた。母親の死の直後だけでなく、その後の数年間、彼女がどのように自分の感情を抑え込んできたかが明らかになった。
「父上は私を愛してくれていました...でも、常に『王家の者』としての振る舞いを期待していたのです」ある日のセッションで、彼女は静かに語った。「私は完璧な王太女であろうとするあまり、自分自身を失っていました」
ダニエルは彼女の洞察に感心した。「自分を見失うことなく、責任を果たす方法を見つけることが大切です」
「母上のペンダント...今は見ることができます」彼女は小さなペンダントを取り出した。「これは恐れるものではなく、母上からの贈り物だと分かりました」
彼女が徐々に統合へと向かっていることは明らかだった。解離していた人格部分も、少しずつ彼女の意識の中で対話できるようになってきていた。
離宮を去る前日、ダニエルとエルネはエレノアと最後のセッションを行った。
「私はまだ完全に回復したとは言えません」彼女は正直に認めた。「時々、まだ...別の自分が出てくることもあります。でも、それが何なのか理解できるようになりました」
「完全な回復には時間がかかります」ダニエルは言った。「大切なのは、自分の中のすべての部分を受け入れ、統合していくことです」
エレノアはうなずいた。「白亜館のようなもの...私も必要としています」
「どういう意味でしょう?」エルネが尋ねた。
「白亜館は体と心を癒す場所です」エレノアの目に決意の光が宿った。「人々が自分の感情を受け入れ、癒される場所。それを王国にも...」
彼女の発言にダニエルとエルネは驚きを隠せなかった。
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ロデリック王への最終報告の場で、エレノア自身も同席した。彼女は以前よりもはるかに落ち着いた様子で、時折微笑みさえ浮かべていた。
「陛下、エレノア様の状態は大きく改善しています」ダニエルは報告した。「解離症状は徐々に統合されつつあり、感情表現も健全になってきています」
「父上」エレノアが静かに口を開いた。「シェパード医師と白亜館の方法は、私を救ってくれました。そして...私は決断しました」
王は驚いたように娘を見つめた。「何を?」
「王国に『心の療院』を設立したいのです」彼女は力強く言った。「白亜館のような場所を。私のように心に傷を負った人々が、安心して癒される場所を」
ダニエルとエルネは驚きと感動を覚えた。彼らの治療がこのような形で実を結ぶとは予想していなかった。
王はしばらく黙考した後、ゆっくりとうなずいた。「それは価値ある提案だ。私自身、娘の苦しみを見て、こうした助けの重要性を痛感した。シェパード医師、王女の提案について、あなたの意見は?」
「素晴らしい考えだと思います」ダニエルは心から言った。「心の健康は体の健康と同じく重要です。そのような場所があれば、多くの人々が救われるでしょう」
エレノアの目が輝いた。「白亜館と連携して、より大きな施設を...」
「心の療院《白亜館》」王が静かに口にした。「良い響きだ」
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王都への帰路、馬車の中でダニエルとエルネは今回の経験について静かに話し合った。
「驚きました」エルネは感慨深げに言った。「エレノア様のような方でさえ、心の傷を抱えているのですね」
「地位や身分に関係なく、心の苦しみはあります」ダニエルは窓の外の景色を見ながら答えた。「そして、それを受け入れ、癒す場所が必要なのは、どの世界でも同じなのでしょう」
彼は医学ノートを取り出し、新たな章を書き始めた。
「解離性障害と記憶の探索—王太女の症例」
「強い感情の抑圧は、時に心を分断させる。エレノア王太女の場合、幼少期からの厳格な感情抑制の教育と、母親の死という喪失体験が複合的に作用し、解離性症状を引き起こした。母親の遺品のペンダントが、長年抑圧されていた感情と記憶の扉を開いたのだ。」
「この症例で注目すべきは、『記憶の霧草』を用いた治療法の効果である。この世界特有の薬草は、催眠状態と幻覚作用を安全に誘発し、抑圧された記憶へのアクセスを可能にした。現代医学で言えば、精神療法と薬理学的アプローチの融合に近い。」
「解離性障害の治療において重要なのは、単に統合を急ぐのではなく、分断された各部分の役割と意義を尊重することだ。エレノアの場合、泣けない彼女の代わりに悲しみを引き受けた『保護者』の人格部分は、彼女の生存戦略として重要な役割を果たしてきた。その貢献を認めた上で、緩やかな統合へと導くことが鍵となった。」
「王家という高い地位にある者でさえ、心の病に苦しむことがある。これは重要な教訓である。エレノア自身が『心の療院』の設立を志したことは、この体験から生まれた貴重な転換点となるだろう。個人的な苦しみが、社会的な変革へとつながる可能性を示している。」
ダニエルはペンを置き、馬車の揺れを感じながら、この異世界での医師としての役割について思いを巡らせた。当初は単に現代医学の知識を伝えることが自分の使命だと考えていたが、今では違う。この世界の独自の知恵や資源と現代医学の知識を融合させ、新たな治療法を生み出すこと。それこそが、本当の貢献なのかもしれない。
エルネも同様の思いを抱いているようだった。「先生、私たちの仕事は、単に病を治すだけではないのですね」
「そうだね」ダニエルは静かに答えた。「時には社会そのものを少しずつ変えていくことも、医療の一部なのかもしれない」
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白亜館に戻った彼らを待っていたのは、エマと新たな幾つかの依頼だった。その中には、戦場から戻った兵士たちの治療要請も含まれていた。
「彼らは身体的な傷は癒えているのに、心がまだ戦場に取り残されているようだと言います」エマは説明した。
ダニエルはうなずいた。「PTSD...心的外傷後ストレス障害の典型的な症状だ」
「王女様も似たような状態だったのでしょうか?」エマが尋ねた。
「違うタイプの心の傷だけど、根底には感情が適切に処理されていないという共通点がある」ダニエルは医学ノートを開きながら答えた。「エレノア様の治療で学んだことは、きっと彼らの助けにもなるだろう」
エルネは窓の外を見つめていた。「王城から使者が来ています」彼女が指摘した。
使者がもたらしたのは、正式な書状だった。エレノア王太女の名において、白亜館の拡張と「心の療院」の開設を支援する旨が記されていた。王都に新たな施設を建設し、白亜館の知見と方法を広く普及させる計画だという。
ダニエルとエマ、エルネは言葉を失った。彼らの小さな診療所から始まった試みが、王国全体に広がろうとしていた。
「これは...」エマが感動して言葉を詰まらせた。
「新たな始まりだね」ダニエルは書状を大事に持ちながら言った。「白亜館が本当の意味で、この世界の医療に貢献する始まりかもしれない」
窓の外では、日の光が白亜館の白い壁を明るく照らしていた。次の章が始まろうとしていた。