5話 あの染み、なんか顔みたいに見えるぅ
夕暮れの中、宿に戻ると、受付の人に声を掛けられた。
「お連れさんはもう部屋にお戻りですよ」
「あいつの部屋って、俺の向かいの部屋ですか?」
「いえ、お隣の、手前側のお部屋になります」
アリエルがどの部屋なのか知らなかったので、ついでに訊ねてみると、受付の人が機転を利かせて、部屋の配置で教えてくれた。
うん、俺が数字を認識できないことをちゃんとわかってるみたい。確かに部屋番号を聞いたとしてもわかるかどうか怪しいからね。頭の回転の速い人で助かった。
客の様子をしっかりと観察し、それにいつでも対応できるだなんて、プロフェッショナルの証だ。
階段を上って、教えてもらった部屋の前に立つと、中に人がいる気配がした。
で、ノックしようとしたのだが、その途端、急に扉が開いて、拳が空を切る。
「なにがしてぇんだよ? あんた……」
「いや、おまえがいきなり開けるもんだから」
呆れた感じで、俺の拳と顔を見つめてきたアリエルに対し、言い訳しつつ、話を切り出す。
「えっと……少し話がしたいんだけど」
「じゃあ、中に入れよ」
掴んだままだったドアノブから手を離し、アリエルが脇に退いてくれた。
「お、お邪魔します」
なんか緊張する。若い女の子の部屋って……いや、ただの宿屋の一室だけど。
あ、いい匂い。あはは、やっぱアリエルも女の子なんだな。
でもさぁ、ここ、結構狭い部屋だよ。ベッドに並んで腰掛けるの!? いいの? それって。
おじさん、どきどきしちゃう……あ、そうね、そうだよね。そっちに座るよね。
いや、つうか、なんでおまえの部屋だけ椅子あるんだよ?
椅子を反対向きに跨ぐような格好で座ったアリエル──背もたれに両肘をつき、両手のひらで顎を支えたまま、「それで?」と、こちらを見つめてくる。
な、なにその技!? おじさんの心臓を鷲掴みにするつもりか? 確かにベッドで横に並んでお話するのも良いけれど……うん、これはこれで良い、です。
いや、そんなに睨まなくても。話します。お話しますよ、今から。
「まず、これな。今まで、ありがと」
さっきのえせファンシーショップで買っておいたハンカチを取り出し、アリエルに差し出した。
「なんだよ、これ?」
「まあ、今までの礼だ。安物だけど、その色おまえに似合いそうだと思ってな……いや、なんていうか、その、おまえが金を受け取ってくれないから……」
「あ……ありがとぅ」
まぁ、なんとか受け取ってくれたな。よしよし。
おっと、そうだった! 忘れない内に、借りてたこれも返さないと。
自分の左手の指から共鳴鈴を取り外すと、ちょっとした悪戯心が。厳かにアリエルの左手を取って、薬指に填めてやった。
「ぎゃっ!? な、なにしやがるーーっ!!」
ゴキッと、人の顔からしちゃいけない音が聞こえたと思った途端、辺りが暗転した。
「──────────あれ!? ここ、どこだ? ……う〜ん、見慣れない天井? ……あ、あの染み、なんか顔みたいに見えるぅ」
「えっ!? どこだよ? こえーよ! あんたなぁ、そういう変なこと言うなよぅ。あたし、今晩ここで寝るんだかんな」
えっ、誰? 女の子!? なんで? え、一緒に寝てるの?!
辺りを見回すと、椅子に座ったまま、身体を仰け反らせ、天井に目を凝らす女の子が。
なんだ!? ……あぁ、アリエルかぁ。いや、それにしても、良い眺め──椅子を跨いだ格好で、艶めかしく上体を仰け反らせるもんだから、なんとも腰回りのお肉が……うん、すっごく柔らかそう。それに、不安そうに怯えた表情がたまらん。親指を軽く噛むように、わずかに開いたお口がまた。うん、傑作選入り!
あっ、いかん! さっきもこんな。
ゴォゥッ……って、おまえ!? 今、ものすげえ音が耳元通り過ぎてったぞっ!
なぜその体勢で、そこまでの拳が放てる? こいつ相当、体幹強いな。
世界を狙える右ストレートだぜ! とっつぁん。
「ごめん! アリエル、許しデプッ!!」
「あ……おぉ、そうだったな。共鳴鈴返してくれただけか!? あはは、忘れてたわ。わりーわりー。でも、あんたも悪い。あんま紛らわしいことすんなっての」
いや、わかってくれたのは、ありがたいんだけど、もう少し早く……せめて腹に蹴りが減り込む前に、気付いてくれ。
しっかし、なんで俺の考え、こいつに筒抜けなわけ!? 前はこんなじゃなかったろ?
人族は念話なんてできないはずだし……もしかしてそれも、勇者スキルだったりするん?
まあ、派手な音した割に大して痛くもないんだけど……。でも、以前の俺なら軽く三回は死んでたからね。
「それはそうと……あ、れ?! なんだっけ? 訊こうとしたこと忘れたぁ」
「なんだよ!? もう呆けたのか? 若いのは見た目だけかよぉ」
あんれーえ? ……まあ、思い出したらでいいか。
「ああ、そうだった。あたしも話があるんだ」
そう切り出された内容は、別れ話だった。
いや、ごめんなさい。うん、ごくごく当然の……呆気なく明日でさよならという話でした。
アリエルに教会本部から呼び出しがかかっているんだとさ。
そろそろ最前線に戻って、教会の用意した新たなメンツと共に活動を開始しなければならないようだ。
まあ、勇者さまだからな。
もう、これでお別れか……もう二度と会うこともないかもしれない。
なにせ、勇者さま、だからな。
元々、俺みたいなパンピーが気軽に話ができるような人じゃなかったんだよ……きっと。
勇者さまだから。
今後、なんらかの形で再び会うような機会があったとしても、こちらから声を掛けようものなら無視される……かもしれない。もし、そんなことになったら、軽く泣ける。
はあ、勇者さまかよ。
いや、ここは笑顔で送り出さないと。
「ごめんな。しんみりしちまって。なんか寂しくなるな。身体に気をつけろよ」
「おう! あんたも元気でな」
「絶対死ぬなよ。怪我も……いや、怪我はしょうがないのか……。大怪我だけはしないように気をつけてくれよな」
「ああ、あんたみたいに不死身ってわけじゃないからな。気をつけるよ。あたしだって自分の体は大事だしな」
「いろいろと世話になりっ放しで、すまなかったな」
「あはは、いいってことよ!」
「宿題忘れるなよ」
「あん!? なんだよ、宿題って?」
「歯を磨けよ!」
「は?!」
「ハンカチ持ったか?」
「……」
「ちり紙、持った?」
「あんたはシスターゲントか、っつうの!」
へえ、おまえにもお母さん的な存在がいたんだな。ふふふ、いいこと聞けた。偶にはふざけてみるもんだ。うん、なんか、ちょっと安心した。
せっかく最後の夜ということで、アリエルを豪華な晩餐に連れ出すことにした。
ただ、あくまでも、今の二人の服装でも入れる程度のお店で、ってことだけどね。
まあ、この町で評判の料理店を、宿の受付で訊いたのだ。
町の一般的な店のほとんどが、この大通り沿いと、それと交差する中通りにある中、目的のその店はちょっと違った。
この町は南東に近づくほど治安が良いらしく、そちらに高級店が軒を連ねているのだとか。
特に町の南東端には、厚い内壁に囲まれた貴族邸があって、その内壁近くにある店が最上位ランクなのだそうだ。
内壁に近いほど、高くて旨い料理店も多く、その中にあって比較的リーズナブルな鉄板料理の店を今回紹介してもらったというわけ。
どうやら、この地方には珍しい赤煉瓦造りの建物に入った洒落た店のようだ。
でも、ドレスコードなど無く、どんな服装であっても入店できるというのだから、ありがたい。
とはいえ、アリエルと相談し、一応、自分たちが持っている服の中で、一番まともな服を着ていくことにした。たたみ皺が少し気にはなるが、俺はスーツだ。
今回の食事はアリエルへのお礼も兼ねている。なので、店に赴くにあたって、密かに御者付きの馬車を用意してもらっていた。
「おまっ!?」
ふふふ、驚いた様子のアリエル。……緊張気味な表情で馬車へ乗り込んでいく。
それに、馬車の中でも終始笑顔だったアリエルを楽しむことができたので、もうこれで充分、元は取れた。
しばらくして、馬車が目的地らしき店の前に止まると、御者が馬車から降りるためのステップを用意してくれていた。
エスコートの真似事をするかのように、俺が先行して、アリエルに手を貸しながら、転ばないように気を配る。
とはいえ、これは演技だ。
だって、実際には、どんな不安定な体勢からでも立て直せる、そんな優れた体幹バランスを持つアリエルにとって、露ほども必要ないことだから。まあ、なにごとも雰囲気が大切ということで。
そもそもマナーとか、エチケットとかをきちんと学んだことなどないからね。適当に外面を取り繕ってるだけだし。
「足下にご注意ください。お嬢さん」
それでも紳士的な声も掛けつつ、雰囲気だけは貴婦人を護衛するナイトのごとく、店の入口まで案内していく。
扉を開けたまま、アリエル嬢が中へ入るのを待った。
「いらっしゃいませ」とボーイがお辞儀をしてきたので、「一番奥の良い部屋を」と伝えると、「うちにはカウンター席しかないので、こちらへどうぞ」と、すげなく案内された。
うん、ごめん。やりすぎた。
店員さんに貴族ごっこしてただけだからと謝っておく。……いや、そんな苦笑いすんなって。
とはいえ、ここまで来たら、椅子を引き、きちんとアリエルが座るまでサポートしてやった。
カウンター席のみ、とは言っても、場末感は微塵もない。目の前にある鉄板の上で、銘柄牛や伊勢海老なんかの高級食材を焼いてくれるスタイルのようだ。
『なんだよ!? カウンターしかねえのかよ?』と、一瞬、心の中で毒突いて、ごめんなさい。紹介してくれた宿の人にも。うん、君の仕事は素晴らしかった。
アリエルに好きなものを尋ねても、よくわからないというものだから、調理人にお任せすることに。
「本日のお勧めで美味しそうなものから順に」と、お願いしておいた。
さて、飲み物は何があるのかな?
メニューが読めないので、店員さんに訊いてみる。
「赤ワイン、白ワイン、ビール、焼酎、それに日本酒がありますが、いかが致しましょう?」
思わず、「日本酒!?」って、聞き返しちゃった。
「この辺では珍しいお酒ですけど、ご存じでしたか。ええ、米を発酵させたお酒ですね」と、丁寧に教えてくれた。まさに清酒のようだ。
ああ、言語翻訳のせいか……俺自身、普段は清酒と呼ぶより、日本酒って言うことの方が多かったからな。俺の思念に引っ張られてのことだろう。
しかし、米あんのかよ? と思って訊いてみたら、この店ではあいにく長粒種の米しか置いていないらしい。くぅ、残念だ。
いや、存在はするんだ。なら、後々のお楽しみということで。
それに今は俺の好みよりも、アリエルへのご奉仕が優先だし。
まずは飲み物の選定だ。
肉料理には、口の中に残った脂を流してリセットしてくれる炭酸系のビールか、焼酎なんかが合う。それに、ソース次第では、赤ワインなんかも。
海鮮料理には、海の香りと喧嘩しない清酒か、白ワイン辺りを合わせるのがいい。
今、目の前で焼き出したのがホタテみたいな貝だから、まずは清酒を注文した。アリエルの分の注文も任せてもらう。
おっ、来た来た。先に飲んじゃおうかね。
「「乾杯!」」
二人でグラスを合わせて、こっそり恋人気分を味わった。
おっ、料理のお出ましだ。新鮮な海の幸だけに、火入れもほどほどなのか、すぐ出てきた。
あぁ、なんていい匂い! 磯の香りと、それとはちょっと違ったどこかフルーティーな香り、その中にあって、焼き目の香ばしさによる薫香の、馥郁たるハーモニーとでも言うべきか……。
いや、無理だ。あはは、美食家でもない俺には言葉では表現しきれそうにない。
一口食べたら、もう大変。アリエルがね。
「ははは、おまえ。ほっぺたと目ん玉、落っこちそうだぞ。いや、俺のことはいいから、じっくり堪能おし。話は後でもできるんだから」
「ん、ぅんっ」
せっかく目の前で焼いてくれてるんだからね。素材の味を最高潮に引き出す温度も含め、堪能しようじゃ、あーりませんか! さて、俺もいただくとするか──
「──なあ、その高級肉にはこの焼酎の方が合うと思うぞ」
「いや、この酒もめっちゃ旨いぞ!」
まあ、いいか。好きなものを飲み食いすれば。
うん、幸せそうに味わってくれてるようだし。連れてきてよかったな。
「「また、来よう(来たい)な! ……あっ、ははははは」」
思わず出てしまった呟きに、アリエルのふとした呟きが重なった。
愉しい夜だ。酒が妙に旨い。