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29話 大丈夫か? そんな方向音痴で

 翌朝、予定どおり、これまでお世話になっていた宿を引き払い、クリークビルを発つ。


 門衛にメダリオンを返そうとしたら、行き先を訊かれた。


「えっと……次の【エピスコ】という街に向かう予定なんですけど」


「いや、そこなら【ラチアモンド郡】だぞ?」


「んっ?」


「だからぁ。そこなら、その許可証が使えるんだよ。いいから、そのまま持ってなさい」


 メダリオンを突き返された。


「あ、そっか。同じ郡なんですね」


 つうか、そもそも、この町がどこの郡に属するかなんて初めて聞いたよ。いや、入郡許可を申請する時点で、本来確認してしかるべきだったな。うっかりしてた。


「それとな──」


 加えて、新しい街へ到着した際、門をそのまま素通りせず、どこの町から来たのかを門衛に伝えておくと、台帳漏れのトラブルを避けられることも教わった。


 各町で新規に登録された者の名簿は、どうやら郡内で定期的にやり取りされているらしい。ただ、不慮の事故によって、遅れたり、紛失することもあるのだとか。


 町を移る際、そうした台帳漏れに巻き込まれると、最悪軟禁されることもあるそうだ。


 親切に教えてくれた門衛さんに礼を告げ、町を後にする。


「おいおい、どこ行く気だ? そっちじゃないぞ。大丈夫か? そんな方向音痴で」


「あ……」


 振り向くと、怪訝な表情になった門衛さんが。


 やばっ! うっかりしてた。つい、【歩いてくボックス】を取りにいこうとしちまった。


「あはは、ちょっと用足ししたくなったもんで」


 と、苦し紛れの嘘を吐き、例の林へと急いだ。


 危ねえ。危うく怪しまれるところだった。いや、今まさに不審がられてるのかも。さっさと出発しなきゃ。


 あぁ、駄目だ。歩いてくボックスの中にユタンちゃんを入れちゃうと、今度は「一人迷子になっているぞっ!」と言われかねない。


 ここは、魔法で転がして出ていくしかない。見つからないよう掛けてあった隠蔽魔法【ステルス】にしても、このままでいい。


 それじゃあ、改めて、出発っ!


「って、ユ、ユタンちゃぁ〜ん。そんなに怒らないでぇ〜! もう少しだから、もう少しの辛抱だから。もうちょっとで中に入れてあげるから〜!! もうちょこっとだけ辛抱してて」


 機嫌を損ねたユタンちゃんをどうにか宥めつつ、歩くことしばし──


 北の街道へと出た。


 ここから先、北の方角には遙か遠く、高い山々が連なっているのが見える。


 この辺りは海辺に近く、海抜が低いということもあって、北へは僅かではあるが緩やかな上り坂になっているのを感じる。ほぼ平坦な交通路がずっと先まで続いていた。


 とはいえ、街道と言うだけあって、きれいに整備されていて、非常に歩きやすい。


 というか、これまで旅をしてきた経路が異常だったのだ。【エルフの郷】から【クリークビル】までの、あの道無き道が。


 行く手を阻むような巨木の根にしろ、斜面に張り付きながら進まなければならない渓谷にしろ……。


 冷静に思い返してみると、果たして普通の人間に、あの経路を行き来できるのだろうか、という疑問すら湧いてくる。


 アリエルの少女然とした見た目に騙され、引っ張られるような形で後を付いてきてしまったけど……。


 後から知ったが、クリークビルはなんと世界樹から百キロも離れた場所にあるらしい。あいにくと陸路で行き来したことがある者には会うことはできなかった。けど、海を知る者からは話を聞くことはできた。


 世界樹が聳え立つのは、海岸線にそこそこ近い場所──海上からなら結構近くまで近寄ることができるらしい。


 ただし、その海岸線はかなり切り立った崖になっていて、上陸することはできないそうだ。


 近くに相当良質な漁場があるようで、漁船は、一旦沖合に出た後、世界樹を目指して進んでいくという話だった。


 その漁場に通う漁師の感覚で、おおよそ百キロの距離にあるというのだ。まあ、これも又聞きだけどな。アリエルと行ったあの鉄板料理屋で、仕入れ担当から聞いた話だから。


 どう考えてもレンジャー部隊の訓練ぐらいでしか使用されないような、あんな密林の中、余裕で世間話を交わしながら、たったの三日で踏破してしまったアリエルって、いったい!?


 いや、それ以上に、大した苦労と感じることなく、傍らを追走していた俺も俺だ。我が事ながら、不思議でならない。


 こうやって、なにもない平坦な街道をのんびり進んでいると、どうにも過去にあったアリエルとの諸々が、頭に浮かんでは消えていく。


 はあ、赤い。この辺の土は、赤い。ただただ赤い。道の土も、畑なんかも、ずっと真っ赤だ……。


「赤はきらい。大っ嫌い」


 へっ!? そうなの? スプライトのやつ、赤が嫌いなんか? へえ〜。


「きらい」


「へっ!? 今度はユタンちゃん?」


 あ……忘れてた。物思いに耽っとる場合と違った。ユタンちゃんを歩いてくボックスに搭載してあげないと。


 そろそろ、町からそこそこ離れたし、もう平気かな?


 【ステルス】を解き、固定用の脚部を出して、地面にしっかりと安定させる。


 次は、外殻の緊急避難用ハッチを開けて、っと、のわぁ!? ──まるでこの瞬間を見計らってたかのように、俺の股間をすり抜け、ユタンちゃんが中へ飛び込んでいった。


 え!? そんなに? そんなにもか?


「あ、ちょっと待って! ユタンちゃん。まだまだ。まだだから。最後の仕上げがまだだから。すぐ済むから。早く済ますから」


 はやるユタンちゃんを抑える。


 このままだと、中は閉鎖空間だ。真っ暗闇の上、換気すらできていない。


 まずはユタンちゃんがいる位置を確認しつつ、土魔法で外殻を穿つ──極に二つ、赤道上に四つの小さな穴を空けた。


 通常であれば、採光や換気には全く足りていない。でも、ユタンちゃんが今か今かと待っていることだし、これでよし。当面は光魔法と風魔法で補助するつもりだから。


 風魔法による空気の循環と換気は、説明するまでもない単純なもの。だけど、光魔法に関しては、ちょっと手の込んだものにした。


 外の光を屈折させて、ユタンちゃんが歩く内壁面に、外の景色を投影させている。まあ、【光学迷彩】と原理は一緒だ。


 だから、室内の空間も外と全く同じ明るさだし、中に居たまま、外の景色を楽しめるはず。雨を凌げるから、むしろ、快適空間かもしれない。


「ばっちぐー」


 緊急ハッチから顔を出し、ご満悦といった感じで、こちらに微笑んでくれている。うん、よかった。


『ユタン、わざわざ外へ出てこなくてもいいのよ。こういうときにはこうやって魔法線で話せば』


「むり」


「「えっ!?」」


 ここで思わぬ事が発覚した……。そう、ユタンちゃんと魔法線でお話しすることができないことが判明したのだ。


 いや、幸いにして、こちらからの思念を読み取ってもらう分には、なんら問題はなかった。ただ、どういうわけだか、俺の魔法線にはユタンちゃんの思念を乗せることができないようなのだ。


「まあ、さほど問題にならないでしょ。普段からしてユタンは寡黙なんだから。あたしたちの思念は伝わるわけだし、中からでも外の様子が分かるのなら」


 スプライトはそう言うものの、外から中の様子を俺には知ることができないわけで……となると、なにかと不安で。


 なんて心配しているうちに、ユタンちゃんときたら、歩いてくボックスを転がし始めてしまった。それも、凄い勢いでもって。


『だめ駄目、ユタンちゃん。一人であんまり先に行ったら駄目だよ。ゆぅーっくり。みんなと一緒にね』


 猛烈な勢いのまま、今度はバックしてくるどでかい球体──のぉわっ、ど迫力!


 いや、違うか。中で向きを変えて、こっちに走ってきただけだ。しっかし、球体って、結構面白い動きするのな。


 まあ、なんにしろ、これでこちらの意図が通ずるのはわかった。とりあえずは、様子見か。


『あまり離れないようにね。他は、好きにして構わないから』


 緩やかであっても、気持ち上り坂がずっと続いている。早々に疲れるか、飽きてしまうだろう。


 と踏んでたのに……。


 あっちへころころ、こっちへゴロンゴロン。ずっと無駄な動きをしているにもかかわらず、動きに衰えがいっさい見えてこない。思ってた以上に、ユタンちゃんはタフみたいだ。


 見てるこっちの方が疲れちまったよ。く、首が……。


 そろそろ、どこかで休憩場所を。


 最近、普段使いするようになった望遠魔法【水反鏡】で、前方の様子を何度か窺っていた。


 もう、半狂乱ではない。なので、【反鏡乱】は使ってない……そもそも、レフ板とか魔力の無駄でしかないから。


 さっき、上から屈折させた鳥瞰視点で見たとき、良さそうな場所を見つけておいたのだ。


 街道からは少し離れたとこだったけど、そろそろ、その近辺に差し掛かるはず、と思っての確認だ。休憩がてら、お茶でもしたい。


 少し先を進んでいたユタンちゃんに、魔法線を介して声を掛け、ペースを落としてもらう。


 しばらく並んで進み、適当なところで街道を外れる。


 途中、きつい斜面に差し掛かる。歩いてくボックスは、一旦、ここに置いておこう。


 三人揃って歩いていき、斜面を駆け上がった先にある丘の上に出た。


「「わおぅ」」


 あまりの景色に、思わず声が……洩れた。


 無理もない。だって、澄み渡る青空に、見たこともない景色が広がっていたのだから。


 まるで、桜の終わる時季に、ひらひらと舞い落ちた花びらが川面いっぱいに漂い、ゆっくりと川下に流されていくような光景──そうした桜色とはまた違ったオレンジ色基調の花びらが……次から次へと流れていく。


 しばらく呆気に取られていた。けど、それがなんなのか、やっと理解できた。


 蝶だ……だいだい色、山吹色、そして、菜の花色の──数え切れないほどたくさんの蝶の群れが、南の方角から北へ向かって飛んでいっている。まったく途切れる様子もなく……。


 長い間、ぼーっと口を開けて眺めていたせいか、えらく喉が渇く。


 そうだった! そもそも、お茶休憩のために、ここに立ち寄ったんだ。


 あ、女性陣は、まだ風景に見蕩れたままか。ここは、そっとしといてあげよう。


 できるだけ邪魔をしないよう、土魔法を使って、背後で静かにお茶の支度を始める。


 おっと……まずはテーブルが必要だった。危うく、茶器を先に作るところだった。順番順番。


 テーブルと椅子二脚、ユタンちゃん用にはテーブルの上で使える、特別製の小テーブル付きの椅子を生成した。


 続いて、紅茶用のカップ&ソーサーを二客、ユタンちゃんサイズのも一客、そして、ティーポットなどの茶器を次々と生成していく。


 ……いや、精霊魔法で製造しているのだから、これは【精製】とでも呼ぶべきか? きちんと丁寧に作っていることだし、不純物を取り除くどころか、地中からその物ずばりを抽出して作っているわけだから、言葉の意味的にもさほど間違ってはないしな。


 さて、紅茶は、緑茶とは違って、熱湯を入れて蒸らす必要がある。ティーポットは保温性の高い構造にした。


 逆に、紅茶用のティーカップの方は、香りが立ちやすく、冷めやすいよう、口を広くし、素地も薄く作ってある。


 表面に薄くガラスを配した作りにしたのが、ちょっとしたこだわりだ。指で軽く弾くと、キーンという乾いた高い音がした。この磁器っぽい仕上がりに満足している。


 乾物屋で仕入れた茶葉をティーポットに入れ、熱々の湯を注いで、しばらく蒸らす。


 あっ、しまった。お茶菓子……忘れた。


 せっかく淹れた紅茶が冷めるのもなんだ。今日のところは我慢してもらおう。代わりと言ってはなんだけど、きび砂糖を加工して、即席で角砂糖を作ってみた。


 おっと、いけね。ティースプーンも作っとかないと。


「さあさあ、お嬢様方。お茶のご用意ができましたよ。そろそろ、あちらで一服なさいませんか?」


「えっ!? なに?」


「なんぞ」


 あれっ!? お茶休憩の文化って、この世界にないの? そんなことはないよな。妖精さんだからかな?


「ささ、こちらにお座りになってくださいませ。ただいま紅茶を御注おつぎしますので」


「うん、お願い」


「よきに」


 ほぅ! なかなかに香り立つ。カップに注いだ限り、良い感じだ。


 しばし適温になるまで待った。


「さあ、召し上がれ」


「ありがとね」


「あんがと」


 うん、熱すぎず、冷めすぎず、頃合いだ。これなら火傷せずに二人も飲みやすかろう。


「美味しいっ!」


「うま」


 うんうん、かなり歩いてきたからな。さもありなん。やはり水分不足だったな。


 ただ、紅茶だと、水分の補給には不向きだ。カフェインを含む飲料には利尿効果がある分、結局出ちまうから。後で【精霊水】を飲ませて、水分補給させとかないと。


 とはいえ、今は、この紅茶の香りと味を楽しんでくれればいい。それより、今の二人にはこっちかな?


「その角砂糖……えっと、そこの白いのを紅茶の中に入れて、このスプーンでかき混ぜると、もっと美味しくなるかもよ」


「……こう? こんな感じ?」


「うん、そうそう。さあ、ユタンちゃんも」


 どんな反応するんだろうな?


「「ッ!?」」


 おっ、いいリアクション頂きました。


 ふふっ、目をくりっ、くりっに見開いて、びっくりしてる。


「それが甘いという味覚な」


「「あま〜い」」


 ふふふ、幸せそうに甘い表情してる女の子って、ほんと最高。う〜ん、和む。やっぱ、疲れたときには甘いものがいいよね。

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