2話 そうだよな……足りないよね、実際
提示された額は、百二十万シェル……。
いや、確かに相場を知らないから、その辺はなんとも言えないところではあるんだけど……いくらなんでも、な。薬草だぞ?
とはいえ、アリエルも納得顔で頷いてる。これでいいのか……いやいや、本当にいいのかよ?
まあ、アリエルに利子を付けて返せる分には都合がいいと思うことにして、気持ちに折り合いをつけた。
了承する旨を伝える。
奥の部屋から運ばれてきた百二十枚もの金貨が、カウンターの上に積まれていく。
「どうぞ、ご確認を」
実のところ、【エルフの郷】では一度も貨幣の遣り取りを見かけなかった。やっとこの世界のお金をじっくりと拝むことができそうだ。
この金貨がどの程度の価値があるのかは不明だが、支払いとして、金貨を大量に渡されたということは、これが最高額通貨なのかも。
なんにしても、これで無一文からの脱却だ。よっしゃあ!
となれば、借りてたものを返さなければならない。
町に入る際に立て替えてもらった分はもちろんのこと、アリエルからこれまでに受けた恩義──ここまでの道案内、護衛、冒険の指南、料理など、諸々に対する謝礼をだ。
とはいえ、これまでと違って、町に滞在するとなると、なにかと物入りのはず。さすがに素寒貧に舞い戻るわけにもいかない。手元に少し残させてもらうとして、ここは切りよく金貨百枚で。
丼勘定なのは仕方がない。なにしろ、ここら辺の貨幣価値が全くわからないのだ。この世界で金銭を扱った経験が先ほどの二回のみ。判断材料としては、それしかないわけで。
しかも、薬草に関しては、前の世界では流通してない代物だけに、金額など想像だにできない。そもそも、こちらでもレア物の薬草だったようだし、知識のない俺には評価のしようも。
ただ、人頭税に関しては、記憶の片隅にあった住民税の均等割額と比較すると、シェルと円との間で、さほど差はないと判断した。
金貨一枚分の一万シェルを、日本円換算で一万円相当と仮定する。金貨百枚を謝礼として渡せば、ここまで二泊三日の旅だったから、日割りで一日当たり約三十三万円になる計算だ。
そして、この額が少ないということも重々承知している。
というのも、以前、イベントを検討中だった会社の同期と分煙ルームで一緒になった際、講演料の話を耳にしていたから。
「『誰でもいいから有名人で』だなんて、上は軽く言ってくれるけどね。こんな予算じゃ三流芸能人ですら呼ぶのは難しいのよ」なんて愚痴を散々聞かされていた。
余程のコネでもない限り、一回の講演料が三十万円程度では少し名の売れた人だと、なかなか来てもらえないらしい。
しかも、それもだいぶ前のことだ。今じゃ相場も当然違ってきてるだろう。アリエルに色を付けて返そうなんて思ってたのに、それどころの話ではなかった。
だって勇者というのは、この世界でも稀有な人材。地球であれば、それこそアメリカ大統領クラスのVIPなんじゃなかろうか? 歴代の大統領経験者を講演に呼ぶには、一回当たり数千万円から数億円の講演料が発生するという話も聞いたことがある。
そんなギャラのバカ高い重要人物を丸三日間も貸し切り状態だったわけだ。本来なら目ん玉が飛び出るくらいの額を請求されてもおかしくはない。
そう考えると、百万円ぽっちじゃ、まるで足りてないと思えてくる。とはいえ、今の手持ちでは、これが限界でもあった。
「今まで世話になったな。少ないけど、これ取っておいてくれ」
カウンターから金貨二十枚だけポケットにしまい、残りをアリエルに促した。
「な!? バカか? てめえ。ったく、こんな……」
まあ、そうだよな……足りないよね、実際。
元の世界ではマスメディアの影響で、ギャラがあのような膨大な額になっていたのだとしても、さすがにこの額では、こちらの世界でも通用しないのだろう。
なにせ勇者は人の命を救える存在なのだから。勇者の独占……あぁ、確かに。社会的損失も甚だしい。
「足りない分はいつか必ず」
今は口約束になってしまうところがなんとも申し訳ない。金が出来次第、追い追い返していくことを了承してもらうしか……。
「はん!? いつまでもバカ言ってんじゃねえぞ」
駄目か。まあ、アリエルのことだから、借金を返せないからといって、まさか「あんたが奴隷落ちして、身体で払えよ」なんてことは言わないはず。え……言わないよね?
うん、別の意味で身体で払うのなら、望むところなんだけど……いや、今はそっちの返済能力も不能なんだった。
「ほら、さっさと行くぞ。ちゃんと借り返せよな」
「じゃっ仕方ない。身体で払うしか……」
ベルトを緩める真似をし、冗談めかして言った瞬間、ズバッと蹴りが……いや、寸止めだったけど。危うく小便ちびるほどの勢いだった。
あ、危ねえ……急所を狙ってきやがった。仕留める気満々だった……。いや、『今度言ったら、殺る』という意思表示か。
と、冗談めいたことを考えていたら……。
「い、いいから早く飯にするぞっ! 『一杯奢る』って約束だったろ?」
金貨一枚だけ、ひょいと摘んで、颯爽と店の外に出て行くアリエルさん。なんて格好ゆす。
まあ、確かに、生活が今後どういったものになるか全然予想つかんからな。手元にできるだけ多く、資金を残せておけるというのは正直ありがたいんだが……。
あっ! アリエルを見失ったら大変だ。急いで残りの金貨をしまい、後を追った。
「ねえ、待っておくれよ。勇者さまん」
ん!? 飲み屋にでも入るのかと思っていたら、門前にあった宿屋へ入っていくアリエル。
後を追って中に入ると、受付で宿泊の手続きをしているようだ。
「あれ?! やっぱ身体で払わせる気になっダッファッ!」
……最後まで言い切る前に、ぶっ飛ばされていたようだ。気がつくと、通りへと舞い戻っていた。
途中、もんどり打って転がってきたのか、服が埃まみれに……。
うん、セクハラだめ、絶対!
やっぱり女の子の前で口にしていいことじゃなかった……考えるだけに留めなきゃ。異世界にやってきて、かわい子ちゃんと一緒で舞い上がってたせいだから、許してほしい。
いや、こういうのも駄目そうだな……。お口にチャック。
服に付いた埃を払い落とし、改めて宿の入口をくぐる。
「さっさとあんたも部屋に……別の部屋にっ! 泊まる手続き済ませろよ。ここは飯の割引きが利くからよ」
わかってますっての、そんなこと。
へえ、でも、宿泊者に対して飯の割引きがあるとはね。
アリエルは孤児院に仕送りしてるって言ってたくらいだものな。さすがに経済観念がしっかりしていらっしゃる。ふふふ、良い奥さんにもなれそうだ。
だったら、さっきのお金だって受け取ってくれたらいいのに……。
あぁ、なら代わりと言ってはなんだけど、これからは行く先々で修道院か孤児院に対して何かできることはないか検討してみよう。
「お客様。一泊で六千シェルです。連泊ならシーツの交換無しで、五百シェル割引きとなっております」
おっと、そうだった。
「では、二泊でお願いします」
「かしこまりました」
宿の受付で、二泊分として金貨二枚を支払うと、釣り銭として、硬貨五枚を手渡された。
小さめではあるが、白銀色に輝く穴の開いた硬貨が一枚。それより一回り大きめで僅かに黒ずんだ銀色の、穴の開いた硬貨一枚に、これと同じ大きさで同じ色の硬貨三枚だ。
薬草を換金した際も思ったが、硬貨ばっかでお金をしまうところに困ってしまう。
服にもポケットはあるのだが、あまり硬貨を入れすぎると、重さで縫い目が緩んできそう。隙間から抜け落ちてしまわないか心配になるほどだ。
とりあえず、釣り銭を別のポケットにしまって、食堂へ。アリエルの待つテーブルへと向かう。
アリエルは既に注文を済ませたようで、席に座って、頬杖をついていた。
対面の席につくと、給仕のおばちゃんがすかさず注文を取りに来た。
「料理は毎日日替わりで一種類のみだよ。でも、その分すぐ用意できるし、量も多くしてあるからね。ただ、部屋の鍵を見せてくれないと割引きは利かないから注意して」
「んじゃこれね。飯と、あと食前酒に良さそうな軽めの酒を二つお願い」
部屋の鍵を見せ、アリエルの分の酒も含め、注文した。
「昼食は六百シェルのところを割引きで三百シェル。お酒は割引対象外で一杯五百シェルね。全部で千三百シェルだよ」
先ほどの釣り銭を手に取り出し、さて、どれを出したものかと思案する。
そんな俺の様子をじれったいと思ったのか、おばちゃんは硬貨二枚をひょいと引っ摘むと、別の硬貨を二枚さっと返してきた。「まいどあり!」と言い放って厨房に戻っていく。
おやっ!? とは思ったのだが、アリエルに目をやっても、なんか問題あるのか? といった表情でこちらを見ている。釣り銭に間違いはなさそうだ。
給仕が持っていったのは、小さめの白銀色に輝く穴の開いた硬貨と、それより一回り大きめで僅かに黒ずんだ銀色の硬貨だった。
輝いている方のが高額貨幣だと勘違いしていたが、どうやらこっちの黒ずんでる方が高額だったらしい。
「あ、そっか! わりいわりい。あはは、もしかして、お金見たのって、今日が初めてだったか?」
アリエルは笑いながら、謝って……いや、からかってきた。
「はい、お待たせ」
「お、来た来た。まずは乾杯だな」
「おう、勇者の前途を祝して! 乾杯」
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃん。あんたもな。乾杯!」
一気に飲み干す。
改めてアリエルに金を確認してもらうと、残っている方の硬貨が五千シェル硬貨で間違ってないそうだ。
おっ……てことは、このくすんだ銀色って、銀が錆びた色ってことか。となると、白銀色に輝いてた方は、むしろ五十円玉や百円硬貨なんかと同じ白銅貨かな?
アリエルに訊いてみたが、そんなことは知らんらしい。
その代わり、五シェル、五十シェル、五百シェル、五千シェルと、五が付く硬貨は全て、穴開き硬貨だと教えてくれた。
「あと、大きさを見ればいいぞ。大きい方が価値が上だからな。こんなの一度見れば覚えるって……あっ、ごめん。計算の方ができなかったか?」
「いやいや、このくらいの計算は問題ないから。おまえこそ、計算できるんだな」
「あん!? それ、どういう意味だよ?」
剣呑な雰囲気を醸し出してきたので、殴られる前にアリエルに謝っておいた。怖いよぅ。
「こっちの世界の教育事情がわからなかっただけで、他意はないから」
と、言い逃れしておく。
「孤児院は、な。礼儀作法もしっかり教わるし、教育に関して、シスターたちがいっさい手を抜かないんだよ。孤児院で育てられた子ってのは、たいてい貴族や商家に勤めるんだぞ」
教会の教えを説いた聖典を読みこなす必要がある関係上、一定水準の教育を受け、道徳観念も高いとして、貴族や商家からの評価も好評。引き取り手数多とのことだ。
こうした優秀な子どもを優先的に引き取りたいという思惑から、どうしても教会を経ず、孤児院への直接的な寄付が増えるらしい。
「まあ、だからこそ、教会に予算を削減されても、なんとか孤児院の運営ができているんだけどな」
いや、もしかすると、逆なのかも。そうした寄付の存在を教会が察知しているからこそ、予算を削減してくるというわけだ。
教会の方にも金額の報告は上がってきてるんだろうけど、ちょろまかしてるとか邪推して、実際の寄付額をもっと多く見積もっているのかもしれないな。
まあなんにしろ、アリエルが計算できるのも、こうした宗教関係の教育の賜物というわけだ。
この世界では聖典を始め、全ての書物が手書きらしい。そのため、本は非常に高価で、普通の家庭では手が届かない。
それゆえ、子どもはなかなか教育の機会に恵まれず、教育水準はおしなべて低いようだ。
「そういうこともあってな。普通の家のおばちゃん辺りからの風当たりが、どこよりもきっついんだよ」
教会の下部組織で慈善事業を担当する修道院は、炊き出しなどを通して、貧しい人たちの頼みの綱になっている。物質面だけでなく、そこで働く修道女は、おしなべて穏やかで優しいため、心の拠り所にもなっているそうだ。
だが、修道院の世話になるほど貧しくはない家庭にとっては、自分たちよりも高い教育を受けられて、雇い先も安定している孤児へのやっかみが強いらしい。
治安が乱れ、景気が悪い情勢下だと、どうしてもな……。まあ、この町はどうやら平和みたいだけど。
食事が済んだ後、アリエルに残りの細かい硬貨を見せてもらった。
金額が一桁の1シェル、5シェル硬貨はどちらも、五円玉のような黄銅色で、真鍮製みたいな見た目だ。
金額二桁の10シェル、50シェル硬貨の方は、どちらも十円玉のような赤銅色をしている。
桁が同じ硬貨は素材が同じで、大きさも同じ。確かに金額の桁が大きくなるに従って、少しずつ大きな硬貨になっていた。
うん、これならもう大丈夫。貨幣の方は単純で判別しやすくて、助かったよ。
だけど、こっちの方は……。