15話 善良な妖精を意味する言葉
武器屋があるという裏通りへと向かった。
まだよく知らない町ということもあって、町の中央で交差する大通りと中通り以外の道を歩くのは、少し緊張する。
これまでも迷わないよう、できるだけ大きな道を移動するようにしてきたからね。それに、裏道というのは、とかく……。
とはいえ、ドルンだか、ゲルンだか、奴らが言うには、この町の治安は全く問題ないらしい。
いやいや、当てにならん。あんな奴ら、どこをほっつき歩いたところで、絶対安全に決まっとる。
連中のそば以上に危険な場所なんて、この世に存在するはずないのだから……あれっ!? そう思うと、裏通りに入るのも全然平気。怖くない。
くっ、リスク認定の基準からして狂っちまった。
ただ、奴らが言ってたとおり、柄の悪い連中に絡まれるということも、そんな事態に遭遇して巻き込まれたりすることも、ほんと無さそう。
しばらくすると、目的地である武器屋まで迷うこともなく、無事到着した。
わざわざフル装備で来ることもなかったか? いや、こういうのは結果だけで判断しちゃいかん。少しは牽制になったと思っておこう。
なにより、あのブティックから無事に出られたのも、この武器や防具のお陰かもしれんし。うん、感謝。
うっ、なんか寒気が……。もう考えるの、止そ。
ああ、早く用事を済ませて帰りたい。思ってた以上に服選びで気力を消耗しちまった。まだ予定は盛り沢山だってぇのに。
それにしても、こうして武器屋を前にすると、表通りの華やかな店構えとは雰囲気からしてだいぶ違う……変なオーラみたいなのを感じる。
そういや、前の世界でも、武器を扱ってる店に入ったことなんてなかったな。いや、それどころか、そうした店を見かけたことすらなかったか。
思えば、生まれて此の方、戦争を経験したことがないなんて、随分平和な時代を過ごせたもんだ。あれでも幸せだったか。
歴史を振り返ってみても、ずっと平和な地域って、ほんと世界中探しても、どこにも無さそうだもんな。運が良かったとしか言いようがない。
この世界での戦争区域とか知らんけど、生活環境に関しては、ずっと過酷そうだものな。
地球に現存する最大級の熊よりも遙かに巨大で獰猛そうな野生動物が、すぐそばに生息しているくらいだし。
更には、そんな強烈な野生動物すら軽くあしらっていたアリエルが、厄介だと評した魔物がいる世界だもの。
まだ魔物と遭遇していないのが幸運とも言えるけど、魔防士に登録した以上、いつかは相対しなければならない相手だ。
というか、でないと、いずれ干上がっちまう。
スプライトもユタンちゃんも妖精とはいえ、今や肉体を持つ身だけに、そうした魔物に襲われでもしたら大変だ。
野生動物のパワフルさを考えると、防具程度でどうこうできるとも思えないけど。それでも、ほんのちょっとしたことが、生と死の分岐点になるやもしれないから。
彼女たちを矢面に立たせるつもりなんてさらさらない。けど、危険に満ち溢れた世界で生きていく以上、リスクを想定し、事前に対処しておかないと。
ほんと……伝説の防具みたいなのが、あればいいんだけど。
そんな思いで、武器屋の重厚な扉を開け、店内に足を踏み入れる。
ただ、どういうわけか、扉の取っ手が随分低い位置に付いてて、少々開けにくかった。
おっ、ここの店主は至って普通だ──外見はちょっとむさい感じの、髭もじゃ親爺だが、雰囲気的な面では正常そうなのがいい。
この町では、結構、癖のある商人ばっか相手にしてきただけに、なんだかそれだけで、ほっとする。
カウンターの向こう、真剣な表情で、革製の鞘にワックスを塗り込んで、手入れをしている親爺に声をかけた。
「すみません。ちょっと防具を探しているんですけど……」
顔を上げ、こちらの方を向く親爺。その視線が俺の全身を舐め回す──なっ!?
一瞬、またゲイかと警戒したのだが、どうやら、そんな雰囲気でもなさそう。
「おお、そいつは! 祝福○△◇招きじゃな」
厚みがある重たい声の中に、高音が混ざったような妙な響きが耳につく。
ん?! なんだ? なんか変。ところどころ聞き取れなかった。言語翻訳の不調か?
「え、なんですか? 祝福?! 招き?!」
「祝福された招きと言ったんじゃ! 妖精の友という意味じゃな」
親爺が言い終えた途端、「祝福された招き」と聞こえていたはずの言葉が、瞬時に【シーリーコート】というフレーズに頭の中で切り替わった。
「シーリーコート……ですか?」
「そうじゃ。元々は善良な妖精を意味する言葉なんじゃがのぉ。妖精に招き入れてもらえた者のみが祝福される、つまり、人族には妖精の友と解釈されて、そう呼ばれるようになったみたいじゃのぉ」
「俺がって、ことですか?」
「あん?! いやいや、お主が身につけている防具がじゃよ。シーリーコートと呼ばれている稀少品だということじゃ。まあ、そんだけの品を与えられている時点で、よほど妖精に好かれておるのは間違いあるまい。じゃから、お主もシーリーコートに違いないがの。ふっふぉっほぉ」
あぁ、やっぱりか。頂いた装備って、特別製だったんだ。しっかし、なんでまたそんな高価なものを……あれ!? 違うのかな?
「えっと、このシーリーコートって、エルフにとってはごく当たり前の品だったりします?」
「そんなわけ……おぬし、それをどこで手に入れたのじゃ?」
「【妖精の森】の聖樹様と御縁があって、頂いた餞別の品なんですけど」
「なんじゃと!? じっくり見せてくれまいか」
ずいっと言い寄られた。
「うっ、別にかまいませんけど……ちょっと放して」
圧がすごいよぉ。
「本当か!? いやぁ、すまんの」
一応、なにか判明すれば、教えてもらうという約束で見てもらうことになった。無料鑑定というわけだ。
──今は、その鑑定待ち。
よほど珍しいものなのか、遠目に見ても、それは慎重かつ丁寧に、魔法陣が刻印された台の上に載せて、解析にかけてくれているようだ。
ふふっ、愉しそうでなにより。親爺のわくわく感がこちらにも伝わってくる。
ゲームに出てくる防具みたいに、スペックのかなり詳細なデータが得られるかもしれない。なんかこっちまでわくわくしてきたよ。
その間、俺たちは邪魔にならないよう、店に飾られている商品を拝見させてもらっている。だが、正直、違いが、ようわからん。
あらかた商品を見尽くした頃、大きな溜め息が聞こえてきた。どうやら、防具の鑑定が終了したようだ。
結果を聞きにカウンターの前まで戻ると、顔いっぱいに立派な髭を蓄えた温厚そうな顔が、にんまりと綻んだ──かなり満足のいく結果だったらしい。
「聞いて驚け! お前さんから預かった六つの防具とこの杖、なんとその全てがシーリーコートじゃった。それでの──」
なんでも、親爺さんによれば、シーリーコートの最大の特徴というのが、武器や防具に対して、所有者を設定する機能らしい。
つまり、使える者を制限できる。所有者本人、もしくは特定の親族のみが使用可能なのだとか。
「それを変更することはいくらドワーフの儂でも、専用の施設でなければできん。ましてや人族の武器屋には無理じゃろう」
いや、偉そうなこと言ってるけど、結局、ここでは使用者変更できないってことなんじゃ……。
って、あれっ!? 今、ドワーフって言った!
あぁ、カウンターの向こう側って、全体が小上がりになってたのか?
なんだよ。俺と同じくらいの背丈かと思ってたけど、実際には1mくらいやん。確かに、腕がぶっとい割に短くて、なんか違和感あったけど。
このごつい髭面に、背丈の低い武器職人って、まんまドワーフじゃん。錬金術的なものまで駆使していたようだし、ファンタジーのお約束がここでも。
よくよく見ると、身体のぶ厚さといい、その割に身長とのバランスがなんか絶妙に取れてるところといい、ちっせえくせに、なんか格好いいな。
それに、武器防具職人らしく、無骨な雰囲気なところも、また。
いやいや、そんなことよりも話の続きだ。
「ふふ、少し落ち着いたようじゃな。興奮する気持ちはわかるぞ。では、話を続けるでな。まずはこちらの頭の防具からじゃ。この月桂樹でできとる冠は、【ニケの冠】と名付けられとった。ニケとは勝利の女神様の名じゃ、それにあやかってつけられた物のようじゃのう」
えっ、ニケって、あのサモトラケの?! しかも、勝利の女神って……いや、偶々か?
「次は、体防具と腕具のセット品じゃ。アマルテイア種の山羊革を使っちょる胴鎧とガントレットの逸品で、銘が【アイギス】。うむ、こっちは最高神マルドゥク様の持ち物に因んで命名された品のようじゃ」
おいおい、アイギスって! えっ?! ギリシャ神話のゼウスとアテナの持ち物じゃなかったっけ?
それに、マルドゥクの方は、メソポタミア神話の最高神だろうに?
まあ確かに、ギリシャ神話の元になったのって、メソポタミアのシュメール神話からの流れだろうけど……。世界創世やら、子や孫の神に打倒される話からして、どう考えてもマルドゥクがゼウスの元になった神だろうからな。
いやいや、そもそも、なんで地球の神なん?
「次、いいかの。ふふふ。翼が付いとるこの足具が【イリスの翼靴】じゃ。イリスは虹の女神様で、へルメス様と同じ使者の神との謂われがあったのぉ」
おいおい、イリスにヘルメスって、もろギリシャの神じゃねえかよ。どうなってんだ? こりゃ。
いやまあ、どうせ単なる言語翻訳のせいだろうけどよ。
「マントの方は、【妖精女王の森】周辺の平原で最近討伐された獅子王──百頭以上の雌獅子を率いていた雄、その皮をなめした【獣王革のマント】じゃ。噂になっとったやつじゃな」
おっ! これだけ、ご当地産?
「この花のアクセサリーは正直よくわからん。花はアヤメかのぉ。銘だけは【セーフティービット】となっとった」
出所がわからんから、由来も知れないと……。
「そして、最後がこの短杖じゃ──ワンドと呼ばれるタイプの杖で、先端に松笠をあしらって葡萄の蔦を巻き付けた意匠になっとる。名を【テュルソス】──酒の神ニンカシ様が使っていたとされる杖と同じ銘じゃの。以上で全部かのぉ」
これもおかしい……テュルソスって、ディオニュソスが信者にも持たせていたっていうあの杖じゃないの!?
ディオニュソスも確かにローマ神話の酒の神バッカスの元になったギリシャ神話の神だけど。
確か、ニンカシも酒の神だったな。けど、それよりもずっと古いシュメール神話か、アッカド神話辺りの神だったはず……でも、そんな杖の謂われって、あったかな?
おいおい、俺がラノベ好きでなかったとしたら、一体どんなふうに翻訳されてたんだ? 小説に出てきたギリシャ神話とかメソポタミア神話関連の用語を芋づる式に片っ端から調べてたからよかったものの、そうでなかったら……。
ティアマトとか、イシュタル、ガイア、クロノスとかのゲームにもよく出てくる、誰もが気になって一度くらいは調べたりする神ならまだしも。結構マニアックなのもあったぞ。
「えっと、それで、それぞれの機能の方はどんな感じなんですか?」
「わからん」
「んっ!? ……今、なんて?」
「シーリーコートはのぉ。使用者制限がかかっとると言うたじゃろ。試そうにも儂じゃ試せんのじゃ。残念ながら、いろいろやってはみたものの、全く手が出んかったぁ。すまんのぉ」
えっ!? 結構待たされて、結局わかったのって、名前と由来だけ?
「スプライトに使わせようと思ってたんだけど……使用者の変更できないんですよねぇ。はあ、無理だったか」
「そんな顔するな。いや、すまんかった。ところで、そっちの嬢ちゃんたちは、あんたのこれか?」
親爺さんが小指を立てる。
「えっと、まあ確かに……二人とも俺の契約妖精ですけど、それが何か?」
「それなら、嬢ちゃんたちもシーリーコートを使えるはずじゃぞ。半妖精の嬢ちゃんにはアクセサリーぐらいしか無理じゃろうが、べっぴんさんの方ならサイズの自動調節機能の範囲内じゃ。そのまま使えるぞい」
「まじですか?」
「本当じゃよ。機能の方は自分で装備して試してみるしかないがのぉ。耳族なんじゃろ? 弱めの魔法でも放って試すといい。儂にはそれくらいしか言えん……すまんのぉ」
いや、無料の鑑定だしな……そもそも、文句を言う方がおかしかった。つうか、ただ働きさせちゃ悪い。なんか買ってくか?
「いえ、どうもありがとうございました。それだけわかれば、用は足りましたので……それと、この子に合う靴とマントを見繕ってもらえませんか?」
「ん、おお、気を使わせて悪いのぉ。少し待っておれ。お詫びに……といっても、シーリーコートほど大層なもんじゃないから、期待せんといてくれ」
親爺さんはそう言って、奥にある扉を開け、倉庫らしき部屋に入っていってしまった。




