1話 二本のストラップが服の中で絡まって
アリエルの案内の元、ようやく最南端の町【クリークビル】にたどり着くことができた。
ただ、どうやら町の裏手に出たようで、門は閉ざされたままだ。残念ながら、ここからは町の中へ入れそうにない。
考えてみれば、ここより南には集落どころか人家すら無かった。そもそも人の往来がないんだ。道と呼べる代物すらなかったし。使われることのない裏門に警備の人員を割くわけもないからな。
閉ざされた門だけでなく、外壁も町を取り囲むように連なっているため、中の様子が窺えない。
「この外壁って変だろ?」
「うん、まあ」
外壁は、上下二層の継ぎ接ぎ構造で、明らかに異なる時期に造られたのが見て取れる。アリエルの言ってるのは、おそらく、そこだろう。
土台に近い下層部分は、かなり歴史を感じさせる古い物のようで、未だ堅牢さを誇る頑強な造りを維持していた。
風化してなお、まだ深い引っかき傷やら、黒ずんでいるところがいくつも残っている。もはや焼け焦げた跡なのか、血が染みついた痕なのかは判別できないが。
「激戦の跡みたいだろ? この辺じゃ戦争とか、魔物の大規模な襲撃なんて聞いたことねえのによ」
「へえ……」
その佇まいだけが、どういうわけか、かつてここが激戦地であったことを確かに物語っていた。
反して、上層部分は比較的新しめだ。
防衛面よりも明らかに景観面を優先した造りになっている。きれいな見た目の割に、どこか見劣りする印象で、脆弱感が否めない。
用途に適していない材質だと、こうも安普請に見えてしまうのか? 適材適所の大切さを改めて教えられた気がする。
ただ、この辺の平和な雰囲気からすると、こちらの方が似つかわしいとも思えるけど……。
歴史と現代、双方を感じさせる外壁を眺めながら、陽の当たる明るい東側の壁伝いに回って、どうやら北側へと向かうようだ。
明るいと言えば、アリエルにしても、なんだか晴れやかな美少女振りに磨きがかかったように見える。いや、勇者然とした雰囲気が増したというべきか。昨日よりもどこかキリッとしていた。
ひとけのない裏側と違って、次第に町の中のざわめきが聞こえてくる。
北東の角を曲がると、視界が開け、少しばかり埃っぽさを感じた。
門の方に少しだけ行列ができている。入場待ちのようだ。
いや、なにかを提示した後、すぐ出入りしている人たちもいるか。列を成しているのも、どうも一列だけのようだし。
門へ近づく途中、やおらアリエルが胸元をまさぐり出す。なにをやってるのかと訝しげに見ていたら、襟元から革の紐を引っ張り出してきた。
どうやら二本のストラップが服の中で絡まってしまっているようだ。前に見せてくれたときも、存外無造作にしまってたからな。さもありなん。
「ふぅ、やっと解けた。こいつが【入郡許可証】だ」
しばらくすると、革製のストラップが付いたメダルを掲げ、こちらに見せてきた。
手に取って見せてもらうと、まだほんのりと温かみが。はだけた胸元もいやに色っぽい──ネックレスを考え出した人に、密かに感謝だ。
うん、メダルには細かな装飾があって、鋳造硬貨のようにも見えた。
「なんか簡単に偽造できそうだな」
「へへ、そう思うだろ? 違うんだなこれが。実はな──」
俺の呟きを聞き逃さず、アリエルが自慢げに種明かしをしてきた。
このメダルに使用されている金属は、型取り用の粘土に触れると、粘土を変質させ歪ませる性質を持っているらしい。ならばと、溶かした金属で型を取ろうとしても、その際の熱でメダル自体が崩れてしまう性質もあって、偽造防止に役立ってるとか。
「じゃあ、どうやって、このメダルを造ってるんだ?」
「知るかよ。そんなこと」
だよな。そもそも、そんな機密が一般に公開されてるわけもないか。
「それに通し番号が振られているからな。犯罪なんかが起きたときには、抜き打ちで台帳確認されたりするんだぞ」
ふ〜ん、でも、犯罪捜査には大して役に立ちそうもないな。
いや、異世界か。なにか魔術的な仕掛けが施してあったりして? ふふ、だったら面白い。
アリエル自身、その許可証を見せれば、すぐ門から出入りできるそうなのだが、俺が生まれて初めての申請ということもあって、一緒に入郡審査の列に並んでくれている。
いや、別に子どもじゃないのだから、こうした手続き自体は問題ないと思うのだけど……。ただ、この世界の文字やら、数字が読めないということもあって、ちょっと自信がね……うん、はっきり断れないところをアリエルの勢いに負けたんだ。
でも、結果的に付いてきてもらって助かった。町に入るのには、お金が必要だったのだ。
審査官曰く、別の郡に属する町へ入る際には、税金と共に供託金を納める義務があるのだとか。
郡が管轄する全ての町で、この入郡許可証【メダリオン】は共通しており、一定期間ごとに課される人頭税を支払って更新していれば、返却時に供託金の方は返還してもらえるらしい……のだが。
「あの、現金の持ち合わせが。物納ではダメですよね?」
「ああ、ここでは物納は受け付けておらん。門外で待機してるあの古物商にでも買い取ってもらうんだな」
「おいおい、金持ってなかったのかよ!? 止めとけ。どうせ足下を見られて買い叩かれるに決まってる。それくらい貸してやっから。ったくぅ、先に言えっての」
「あ、すまん、助かるよ。町で換金したらすぐ返すから。ありがとな、アリエル」
「ああ、一杯奢れよ」
とりあえず、人頭税三千シェルに加え、供託金七千シェルの合計一万シェルをアリエルに立て替えてもらうことに。
物品の売り先にしても当てがあるらしく、商店まで連れ立ってくれる気らしい。実際、ありがたい申し出だったので、少し色を付けて返すつもりだ。
へえ、これが異世界硬貨か。この国で使用されている貨幣単位は、【シェル】ということね。
アリエルから渡された金貨一枚をそのまま審査官に手渡すと、全くお釣りを返してくる様子が無かった。どうやら金貨一枚が一万シェルのようだ。アリエルも何も言ってこないところをみると、そうなのだろう。
「名前は?」
「タカシ、イトウです」
いくつか質問された後、入郡許可証を受け取り、観音開きになった重厚な門をくぐる。
下から門扉の構造を見上げ、観光気分でのんびりしていたら、門衛から「さっさと入れ!」と急かされてしまった。
周りの人たちもニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。よほどの田舎者とでも思われたかな。
先に門を通り抜けていたアリエルも呆れた顔だ。
「ごめん、待たせてしまって。あ……」
思わず、言葉に詰まった。
目の前に広がる世界は、なにもかもが目新しい。まるでおとぎの国の人が住んでいるかのよう──かわいらしい建物が続いていた。
白い漆喰が目に眩しく、それでいて茶色い木製の大きな扉が醸し出す柔らかな雰囲気。
「「キャーーッ!!」」
「!?」
「「ワァーーーッ!」」
突然、大きくてよく通る、高い声が響いた。かと思うと、目の前を子どもたちが元気よく駆け抜けていく。
ふふ、なんか平和だな。
再び、建物の方に目をやると、植え込みから伸びる蔓植物が壁伝いに伸び、鮮やかな緑が白い壁によく映える。その緑の中にあって、赤紫色に染まるひときわシックな花がアクセントを与え、全体のバランスを調えていた。
ただ、それにも増して、メルヘンチックなのは、とんがり屋根だ。ほんわかする。
しかも、無数の石を整然と積み上げたその屋根には、魔術の文字のような、一風変わった赤い模様も見える。それもなにやら建物ごとに違っているみたいなのだ。あの絵文字って、なんだろう?
アリエルの笑顔が目に入った。あ、いけね……まずは換金か!?
うん、観光するのは後回しだ。なにせ今や、借金ある身ゆえ。
この目抜き通りに面しているという道具屋まで、アリエルに案内してもらう。
すぐ近くだった。
濃いめなニスの利いた艶々な扉がいやに目立つ。その扉を開けると、カランコロンと、少し間の抜けた木と金属が当たるような鈴の音が店内に響いた。
中は雑多な匂いが漂う不思議な空間──現代日本では見たこともないような物が所狭しと並べられていた。
店の奥にカウンターが見える。人が立って──「ほらっ! 気をつけろよ。引っかけるぞ」
「おっ!?」
アリエルに言われなかったら、やばかった。意外と、屋内ではマントが邪魔になるようだ。おっと!? 危なっ、背負い袋もか。
誤って商品を引っかけてしまわないよう、店内の狭い通路を注意しながら、ゆっくりと歩いていく。
「すみません。買い取りをお願いしたいのですが」
「はいはい、いらっしゃい。どんな品物? 査定するから、こっちに出して」
カウンターの横を手で示される。目をやると、角が欠け、塗装がところどころ剥げた、でこぼこになった作業台が。
店員に勧められるまま、【エルフの郷】で頂いた薬草を一つずつ並べていく。
薬草を出す度に、店員がハッと息を飲むのがわかった。
俺が最後の一つを置くと、これで終わりかと確認するかのように空になった袋を覗き込む。その後、並べられた薬草類に熱い視線を注いでいた。
「おぅふっ」
なにやら手を震わせたまま、触るのを躊躇っているようだ。
「どうかしました?」
「ど、『どうかしました?』って!? いやいや、あんたがどうかしてるよ。こんなの、どうやって……ほんと、こんな貴重な薬草どうやって手に入れた?」
興奮覚めやらぬ面もちで、逆に問いつめられてしまった。
「エルフの郷でご厄介になった際、聖樹様のご配慮で頂いたものなんですけど」
「な、なにをバカな。あのエルフが人族を受け入れるはずがない。まさか……」
信じないどころか、不審者を見る目に変わっていた。
一般人だから信用に欠けるのかと思って、アリエルと少し相談する──
「まあ、公務の一環として、あそこへ訪れたわけだからな。別に勇者の名を出したって構わねえぞ」
そう言うアリエルの胸元には、いつの間にか勇者の証──【破魔のネックレス】が輝いていた。
「こちらの勇者様とご一緒だったからかもしれませんね」
了承を得たので、それらしく理由を付け足してみた。
俺の視線を追った店員がネックレスを見てハッとした後、アリエルの顔、俺の顔へと順繰りに視線を移し、見るからに「しまった!」という表情に変わった。
直後、一転して商売人の笑顔へと変化。揉み手をしながら、いかにも申し訳なさげにこちらのご機嫌を伺ってきた。
さすがは勇者様──その名声、確かなようだ。さりげないアシストもナイス。
それにしても、商人の質があまり高くないようだ。思うに、交易路の端にある町で競争が少ないせいかな?
商品の出所を疑うにしても、もっと売り手に悟らせないようにしないと商機を逃すだろうに……いや、盗品だと主張して買い叩くつもりだったのか?
こうした辺境の地だと、どうしても売り先が限られてくるからな。それを見越して客を侮ってるのかも。それでも売らざるを得ない境遇なのが、どうにも辛い。
「他にも買い取ってくれそうな当てってあったよな? なんならそっちに持ち込むか」
アリエルに訊ねるそぶりを見せておく。牽制のジャブくらいにはなるか?
あわあわと慌てだした店員。
「待ってください、お客さまぁ! 相応の色を付けさせていただきます。ですから、是非とも当方にお売り下さい!!」
んっ、買い取り額を決められるくらいだ。ここの店主だったか。
まあ、懇願されなくても、こちらは売るしかないんだけどね。それでも、渋るそぶりくらいは見せておこう。
つうか、まじで気に入らんし……。ああ、いかん。まただ。どうにも腹が立つ。なんか自分の仕事を全うする気概がない奴には。
なにより、この程度のことで、いちいち腹に据えかねてしまう自分の狭量さにこそ──もう何に対しての怒りなんだか……。
気持ちを少し落ち着けてから、「まあ、金額次第では考えなくもないけど」と告げた。まだ言葉の端に苛立ちが出てたかも。
色を付けると言った手前か、それとも、こちらが不満げに見えたせいなのか、なかなかの額を提示してきた。
へっ、そんなに!? いや、とんでもない額じゃね? たかが薬草、数本程度で……。