惨劇の瞬間
突然のことだった。彼は、わけもわからず、少年にナイフを突きつけられていた。彼は、坊やの狂気に満ちた瞳を見つめ、震えながらも優しい声を投げかけた。
「落ち着いて…まず、落ち着いて。俺が君に何をしたか、教えてくれないか?」
自分に殺意を向けている少年にも、彼は寄り添おうとした。
「お前には、何の罪もない。だが、お姉ちゃんを愛していたのは、ぼくが先だ。恨むなら、ぼくを傷付けてお前に靡いたお姉ちゃんを恨んで。ごめんね」
坊やは、子供が初めて殺人に手を染めているとは思えないほど落ち着いていた。これから罪もなく殺される彼に、謝罪をし、一礼をした。その所作は、坊やの礼儀正しさと、異常さを物語っている。
お姉ちゃんという呼び方。彼から「お姉ちゃん」を取り返そうという目的。少年が誰なのかを悟り、彼は罪悪感を覚えてしまった。
「そうか…君は、あの子が可愛がっていた、あの子だね。君は、本気でお姉ちゃんが好きだったんだ。俺は悪いことをしちゃったね。ねえ君、落ち着いて、俺と話そう。まだ、君はやりなおせる。俺、君にこんな罪を背負ってほしくないな。ちゃんとお話して、いい方向になれるように考えてみよう。な?」
彼は坊やを責めることは一切しなかった。こんな状況でありながら、坊やの心の叫びにしっかりと向き合い、対話をしようとした。ちゃんと決意を聞いて、場合によっては婚約を取り消すことも考えていた。
しかし、坊やは微動だにせず、一言だけ告げた。
「ごめん」
そして、素早く冷静に、彼の首を切りつけた。
(さあ、お姉ちゃん。次はお姉ちゃんが選択するんだ。)
狂気に包まれ眉一つ動かさずナイフを振った少年を見ながら、彼の意識は遠のいていった。
(坊や…ごめんな…)
殺されてなお、坊やに対し怨恨ではなく謝罪の感情を持つほど、彼は優しい男だった。だからこそ、彼女は彼に惚れたし、だからこそ、悲劇が起こった。
男は、最後の力を振り絞って、愛する人の名前を呼んだ。その彼女が、この後どんな選択をするかも知らずに。
坊やは、彼が意識を失ったことを確認し、首を、胸を、冷静に刺していった。確実に、死に至るように。その手つきは家畜を屠るかのように、手早かった。
坊やは、周到に脈を取り、死亡を確認すると、手早く偽装工作をし、鍵をかけ、お姉ちゃんの元へ向かった。お姉ちゃんに、選択肢を示すために。
坊やは、血のついたナイフを握りしめ、お姉ちゃんの元へと向かった。
後には、心優しき青年の、あまりにも惨い最期の姿が転がっていた。