7.先輩
「っ、ごめんなさい。取り乱しました。」
ようやく泣き止んだ神奈子は、そう言ってぺこりと頭を下げた。
「お気になさらず。あんな事があったのですから、仕方のない反応ですよ。」
圭人は首を振り、神奈子を気遣うように微笑んだ。
少女はまだ目を赤く腫らしており、その表情には痛々しさが残っているが、ここで歩みを止めるわけには行かない。敵襲が来た以上、この場に長く止まるのは得策ではないだろう。
そういえば、後輩に任せた尋問の方はどうなっただろうか。
神奈子から少し距離を取り、後ろを振り返って確認すれば、ちょうど立ち上がったイオリと目があった。
「大体の情報は引き出せました。この方はやはり方代さんを攫っていた宗教組織、《五月雨の夜》のメンバーのようです。」
「やっぱりそうか。」
イオリはそのまま側までやってきて、圭人にだけ聞こえる声量で、尋問で聞き出したことを報告し始める。
「彼はどうやらこの地域を担当している中級幹部のようです。我々の居場所は、他のメンバーから連絡を受けて知ったようで、おそらく他に我々を捜索している追跡部隊がいるのでしょう。」
「なるほど。情報を得て、幹部自ら手柄をたてに出向いてきたってとこか。」
「はい。彼が使役していたカエルは戦闘能力こそありませんが、神の権能によって一時的に索敵能力を与えられていたらしく、転移後の私達の位置がすぐに発覚したのは、このカエルたちによる導きのようです。」
「なるほどな。流石にただの愉快な合唱団じゃなかったか。」
既に多くが生き絶え、潰れてしまっているカエルたちを、圭人はちらりと一瞥する。
生き残ったカエルたちは、既に知性を失っているようで、自由にゲコゲコ鳴いたり、ぴょんぴょん飛んだり、穏やかにその場で丸まっていたりして、神が与えた権能とやらは既に消えているようだった。
「その他に、仲間がいるかどうかや、花嫁のことも聞き出そうとしたのですが…。」
「自白しないように意識を飛ばす魔法でもかけられていた?」
「すみません。そのようです。途中で口から泡を吹いて、何も喋らなくなりました。息はまだあるのですが…。」
「大丈夫大丈夫。狂信者にはよくある事だよ。情報を吐かないように、奴らはお互いに自白防止の呪いをかけるんだ。」
そこまで言って、圭人は神奈子の身柄をイオリに託した。
尋問対象は意識を失ったといったが、それでもまだ他に調べられることはある。チコに押しつぶされたままの紳士に近づきしゃがむと、圭人は彼の衣服を脱がし始めた。
(うーん、服からは魔力的なものは感じられないな。気になってたのはこの手袋だが……うん、予想通りか)
手袋を外し、それをじっと観察する。
手袋は手の甲の部分に赤い不思議な紋章が刻まれており、すぐにとある邪神の力が込められていることを示す紋章だと気づいた。もちろんその邪神とは、方代神奈子を監禁していた教団《五月雨の夜》が崇拝している邪神である。
(確か天候を操る能力に長けた邪神だったな。雷の発生も、その能力の一部か)
とりあえずこれは危険なので、取り外したままにしておこう。
圭人は続いて、紳士の着ていたジャケットのポケットを漁り始める。
表のポケットには何も入っていなかったが、内ポケットには小さなブローチが入っていた。これも邪神教団のメンバーであることを示すものである。イオリが尋問で引き出した通り、そのブローチのデザインは彼が幹部級であることを表していた。
(幹部にしては弱かったが…まぁゴリゴリの戦闘班は多分、商会本部の殲滅部隊と交戦しているだろうしな。地域の幹部クラスだと、そこまで術に長けた人間じゃなくてもおかしくはない)
そのまま紳士の体や装備を物色したが、それ以上の物は出てこなかった。
圭人はこの幹部から引き出せる情報はすべて引き出せたと判断し、立ち上がる。
あとは気絶してしまった彼を、どのように処分するかだが。
(商会本部の取調室に送り込みたいけど、さっきは全然情報板が動いてなかったし…連絡取れるかな)
再びスマホを取り出し、社内アプリを開く。すると途端に大量の通知が溢れた。まるで機内モードにしていた後、つけた瞬間あらゆる通知が遅れて届いた時のようである。そしてその例えは、あながち間違いではないようだった。
(あれ?ここら辺の情報は、さっき見た時刻には投稿されてたことになってるな。もしかして、電波が狂ってたのか?)
いや、それだけとは考えにくいだろう。
あの不気味な沈黙の時間の後に、不気味なメールが届いたことから、何らかの超次元的な力が圭人たちの周りの電波を遮断していた可能性がある。
この気絶している老紳士には、そんなことできそうにも無いので、また違った誰かが圭人達に干渉していたのかもしれない。
(となると、なかなかヤバいな。まだ全然安心はできない)
じっとりと嫌な汗をかきつつ、精神を乱さないよう静かに息を吐く。
何はともあれ、今は電波が正常に動いているのだ。すぐに状況報告、それから襲撃者の移送を行いたいことを伝えなければ。
圭人は素早く商会本部の取調室に連絡を送った。即座に待機オペレーターから許可の連絡が届く。あとはもう手慣れたものだった。
「チコ、とりあえずこいつの処理は商会本部に任せることにした。もうどいてもいいぞ。」
そう言えば狼は素直に男の体の上から降りた。ちゃんと仕事をしたのだから褒めろというように頭を擦り寄せられ、仕方ないのでぽふぽふとその毛皮を撫でてやる。
そのまま反対の手を使い、男の体に触れると、圭人は即座に彼を商会本部の取調室に転送した。
ピロリーン
スマホに聞き慣れた転送完了を知らせる通知音が響く。
よし、これで問題の一つは解決した。
(じゃあ追加の手先が来る前に、さっさと安全な場所に移動しますか)
二人固まって、こちらの方を心配そうに見ている少女達のもとに、まとわりついてくる狼姿のチコと一緒に移動しようとした時。
テレレンテンテン
軽快な着信音がスマホから鳴り響いた。それは電話の着信音である。
(誰だ…?うぇ!?)
スマホの画面に表示されていたのは、新山理香という名前。圭人は瞬時に応答のボタンを押して構える。
「はい!瀬奈です!!」
着信は三コール以内に取れ。
銃口を突きつけられながら、そう指導されて以来、圭人は彼女の着信を反射で取るように癖がついている。
『うん、知ってるわ。瀬奈圭人。』
電話越しに聞こえてくる女の声は、相変わらず無機質で淡々としたものだった。
「な、なんのご用でしょうか理香先輩…。」
『違うでしょ。理香ねぇ、そう呼ぶようにって前言ったわよね。』
「ウッス、理香ねぇ。」
『よろしい。』
無機質な声の中に、少しだけ喜びが混じる。
優秀なあまり孤高の人として過ごしてきたこの先輩は、その反動なのか後輩たちに姉呼びを強制させてくるのだ。
無邪気なチコなんかは、気兼ねなく彼女を理香ねぇと呼んでいるが、彼女の強さや恐ろしさを身をもって知っている圭人は、本人に向かって直接姉呼びするのはいまだに緊張するし定期的に忘れる。そしてその度に冷たい顔で銃口を突きつけられ、指導されるのだ。今回は電話越しでまだ良かった。
「それで、本当にどうしたんですか?今は単独任務中でしょう。」
『それはもう終わらせた。帰ったら光子さんから、アンタ達の援護にまわって欲しいって言われて。』
「なるほど、理香ねぇが来てくれるなら助かります。」
百戦錬磨の天才スナイパーであり、対人外戦も手慣れたもの。特別顧客担当室の揺るぎないエースであり、社内でも別格の扱いを受けるエリート社員。それがこの新山理香という先輩だ。
彼女が手伝ってくれるなら、この仕事はこれから随分と楽になるだろう。
やった!手が抜ける!苦手な指揮官業務をやらなくて良い!!平社員最高!!!
だが、そんな圭人の喜びをあっさり無視して、理香は淡々と告げた。
『けど、それも無理になった。』
「えぇ…。」
思わず情けない落胆の声が漏れたが、気にせず理香は話を続けていく。
『安心して、間接的に援護はしてるから。別件で上から回ってきた案件だけど、多分これ、アンタ達に関係あるヤツ。』
「? どういうことです?」
『記憶を食う怪物が出たの。それをブチ抜くのが今のアタシの仕事。』
「記憶…もしかして。」
『そう、アンタ達の護衛対象の記憶を消したのは多分コイツ。』
ガチャっと、弾丸を装填する音が電話越しに聞こえた。もしかしたら既に彼女は戦場にいるのかもしれない。
だとしたらこんな風に悠長に電話などしている場合ではないはずだが。
(いや…それでも関係なく敵をヤれるのが、理香ねぇか)
電話しながらの片手間でも、人外を狩れる。
まったくぶっ飛んだ能力である。
彼女が人類側の存在で良かったとつくづく思った。
『コイツ、記憶を食うやつだから。腹の中捌いたら、まだ消化されてない記憶が出てくるかもしれない。』
「それって、つまり。」
『まぁ、それっぽいのが出てきたらそっちに持ってくって話。』
「!」
理香の言葉は、あまり期待しすぎるなといった温度感だったが、それでも期待せずには居られなかった。
方代神奈子の記憶が戻れば、彼女が狙われる理由が分かるかもしれない。理由が分かれば、対処もできる。この逃走劇の終点を見つけられるかもしれないのだ。
「先輩、ありがとうございます。」
『ん、まだ何もしてないけど。』
「期待させてもらいますから。」
『それは勝手にすれば良いんじゃない。アタシはアタシの仕事をするだけだから。』
ズカンッッ!!
電話越しに銃声が鳴り響く。重たいスナイパーライフルの音。理香の得意武器だ。どうやらもう、戦闘を始めてしまったらしい。
「それじゃあ、先輩のお仕事を邪魔しちゃいけないので、そろそろ切りますね。」
いくら理香が片手間に人外を狩れる天才だからといって、油断は禁物である。
自分との電話が邪魔にならないうちに、圭人は通話を切ろうとした。だけど、それは理香の『あ。言い忘れてた。』という声で止められる。
『そっちに、あの方が向かってるよ。』
「え?」と圭人が聞き返す前に、ブチっと通話が切られた。言うだけ言って、切る時は自分勝手。先輩のいつも通りである。
(あの方…あの方………まさか、いやいや。うぅん)
意味深な先輩の言い方に、心当たりがないわけではない。
一時的に狂っていた電波。意味深で不気味なメール。そういった現象を引き起こすことを好む存在を、圭人は「あの方」という言葉から思い出していた。
「………チコ。」
大人しく電話が終わるのを側で待っていた狼を見て、圭人は搾り出すような声で言った。
「今すぐ逃げるぞ。」
何を今更、というように狼は首を傾げる。
だけどこの「逃げ」は、邪神教団に狙われていただけの状況よりも、もっと悪くなってしまった状況からの「逃げ」だ。
より切実で、逼迫していて、可及的速やかな行動が求められる。
(あの方が出てきたら、本当に最悪だ。逃走なんて、していられなくなる)
圭人は焦りながら神奈子とイオリに近づき、ガシッととその肩を掴んだ。
「ごめん。説明してる暇ない。今すぐ飛んで逃げるから。」
「え、は、はい。」
「わ、わかりました…。」
「チコ、まだ狼の姿で居てくれ。このまま飛ぶ。」
狼はパタパタと尻尾を振って返事して、ギュッと前足を圭人の爪先に置いた。
即座に圭人は力を使う。
瞼を閉じ、意識を集中させ、転移先を頭に思い描く。どれだけ焦っていても、失敗はしない。
文字通り瞬く間に、圭人達は小さな倉庫から姿を消した。当初の目的だったシェルターに飛んだのだ。
倉庫内には、戦闘で蹴散らされたカエル達の残害が残っている。
コツコツと、高いヒールの音が響いた。
くるり、と夜には不釣り合いな黒色のフリル付き日傘を回して、ソレは倉庫に入ってくる。
そして誰もいない倉庫の惨状を見て、くすりと笑った。
「逃げられちゃった。」
幼い容姿とは真逆の妖艶な笑みを浮かべ、少女の形をしたソレは楽しげに呟く。
ソレにとって、全ては想定内のこと。いや、想定内どころか想定通りというのが正しいかもしれない。
「ウフフ、早く会いたいわ。ケイト。」
ソレは再びくるり、と日傘を回して倉庫を出ていく。
雨雲は晴れ、月が叢雲の合間で輝いている。
酷い雨が降った後、それよりもっと強い嵐が訪れることもある。
それを予測できたとして、対処できる人間はそう多くない。
「あぁ、しばらく楽しくなりそう!」
少女の形をしたソレは、心からの歓喜を声に乗せ、そう笑うのだった。