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6.カエル


「くしゅんっ!」


小さなくしゃみが暗いガレージの中に響いた。


「大丈夫ですか?」

「あ、うん。大丈夫。ちょっと鼻がムズムズしただけ。」


くしゃみをした神奈子は照れくさそうにそう言って笑い、気を遣ってくれたイオリに手を振った。


外はまだ土砂降りである。

襲撃を受け、マンションから転移した先は、事前に計画されていた転移先のガレージだった。

ここからもう一回、別の場所に飛んで、更にその先のシェルターで一週間籠る。それがもともと想定していた予定である。

こうして想定外に一日早まってしまったが、来るべきところには来れた。さて、これからどうするか。


(とりあえず本部に報告はしたが…うーん、どうするかな。敵がどうして俺たちの潜伏先に気づいたのか、てんで理由が分からない。不安だ。)


この六日間。方代神奈子を外に出すことは一切なかった。外出したのは圭人一人だけである。それも瞬間移動を使っての、一瞬のことだ。部屋から出入りする姿は、誰からも見られていないはずである。

それにたとえ外でその姿を敵に見られていたとしても、圭人が滞在しているのがあのマンションの一室だということは、分かる訳がない。なのに敵は迷う事なく圭人達の居る一室を襲った。


(どんなからくりを使ったんだ?やはり雨の日がポイントか…?)


雨になった途端、敵は行動を起こしたというのがひっかかる。

カエルの大合唱を聞いてよぎった嫌な予感は、残念ながら当たってしまった。

だけどまだ、この予感の的中は偶然といえば偶然にすぎない。

そう、まだ何一つ確証がないのである。

だけどこの嫌な予感や不安を無視するのはよくないと、圭人の本能は言っているような気がしていた。


「圭人ー!圭人もチョコ食べる〜?」

「ん?うん?」


思考を巡らせ意識を飛ばしていたところに、チコが駆け寄ってきた。無邪気に手を差し出され、なんだ?と首を傾げてみれば、その手の中には一口包装のチョコがぎゅっと握られている。


「お前、こんなもの持ってきてたの?」

「ひじょーしょくの確保は大事なんだよ〜?お腹空いた時とか、悲しい気持ちになった時には、美味しいお菓子が一番だからね!理香ねぇが前に言ってた!」


そう言うとチコは圭人の手をグイッと引っ張って無理やり開かせ、その上にバラバラとチョコを乗せた。

ミルク、ビター、ナッツ、バナナ、ストロベリー。それぞれ可愛いデザインのパッケージで、おしゃれにフレーバーが表現されている。

ポップでキュートな小さなそれを見ると、なんだか緊張感がほぐれていった。


「ははっ、ありがとなチコ。ありがたく貰っておくよ。」

「ここにはゴミ箱が無いから、ちゃんと包み紙はポッケに入れて持って帰るんだよ?」

「それも理香ねぇからの受け売りか?」

「うん!ゴミをそこら辺に捨てるのはカンキョー破壊で、邪神くらいロクデナシって言ってた!」

「あははっ、そうだな。うん、理香ねぇならそう言いそうだ。」


頼りになる先輩社員の背中を思い描き、圭人は声をあげて笑う。冷徹無情なあの仕事人の先輩は、今ごろ単独任務を颯爽とこなしているのだろう。


「俺もしっかりやらんとなぁ…。」


自分にあそこまでバリバリ仕事がこなせるとは思えない。やる気だって、そんなにある訳じゃ無いし。

だけどあまり不甲斐ない姿を見せていると、あの恐ろしい先輩に、ライフルで後ろから撃ち抜かれそうだ。「アタシに不出来な後輩は要らない」とか言って。

そう思うと、不安で揺らぐ思考が段々すっきりと定まってきた。

日程はズレたが、想定通りに避難場所に行く。この方針は変えずにいこう。

圭人はチコがくれたチョコを一つ口に含み、小さく息を吐いた。





「瀬奈さん、そろそろ次の行動を。」

「あぁ、そうだな。方代さんにも説明しよう。」


気がつけば予定していた休憩時間が過ぎていた。イオリに促されるまま、圭人は少女達の前に立つ。途端に空気に緊張が走った。二人の少女は少し強張った顔で、真剣に圭人の方を見上げている。

マンションへの襲撃、予定外の突発瞬間移動。次に何が起こるのか、自分はどうすれば良いのか、彼女たちは今とても不安に思っていることだろう。現場の指揮官として、その不安を少しでも軽くしておかなければ。

圭人は彼女たちを怯えさせないよう、できる限りいつも通りの笑顔を作って、穏やかな声音で話し始めた。


「まぁ、色々とびっくりする事はありましたが、ひとまず無事逃げ切れたので万事ヨシということで。皆さん突然のことに対応して頂いて、ありがとうございました。」


まずは無事逃走できたことへの感謝を。

ペコリと頭を下げれば、イオリは静かに首を横に振った。


「いえ。私は瀬名さんの指示に従っただけですから、私への感謝はいりません。むしろ迅速な判断、ありがとうございました。」


本当に新入りとは思えないくらい良くできた子である。その返しには思わず感心してしまった。


「わ、私はただ抱きしめられてただけだし…。」


神奈子の方は気まずそうに頬を染め、俯く。

そういえば緊急事態とはいえ、女子の体を断りなく抱き寄せてしまった。謝らなければ。


「その件については、本当に失礼いたしました。緊急事態だったもので、お許しいただけると。」

「わ、分かってます!」


神奈子はパッと顔を上げた。圭人とばっちり目が合うと、彼女はピャッと悲鳴をあげるような顔をして再び顔を赤く染め、慌てて視線を逸らした。


「っ、えっと、要するに危ないところだったんでしょう?なんか、すごい音とか聞こえてきたし…その、助けてくれて、ありがとうございました。」

「いえ、貴女を守るのが我々の仕事ですから。」

「そう、ですか。そうですよね…。」


今度は何となく寂しそうな、複雑な顔をして神奈子は圭人を見上げた。コロコロとよく表情の変わる娘だ。そんな事を思いながら、圭人は気にせず話を次に進める。


「予定通り、ここから次のシェルターに向かいます。皆さん、体調の方に問題は?」

「チコはいつも通りだよー!」

「私も問題ありません。」

「私も大丈夫、です。」


ぐるぐると圭人の周りを走り回るチコ。凛とポニーテールを揺らし頷くイオリ。神奈子の方も、返事はぎこちないが顔色は良さそうだ。


「短い休憩での連続転移ですみませんが、あまり時間もかけられないので。良いですか?」


すっと腕を前に出せば、少女達はそれぞれ頷いてその腕に触った。

躊躇う必要はないと、圭人は力を使う。


…………。


次に辿り着いたのは、先ほどのガレージよりも更に狭い、小さな倉庫だった。商会が資材倉庫として使用している物件である。こういった小さな資材倉庫は各地に点々とあって、任務中の補給地点としてよく利用されていた。


「よし、みんな体調は?」


すぐに聞いたが、全員「何も問題ない」と答えた。良かった、これなら少し休んで、またすぐ転移できるだろう。

次の転移に備え、それぞれ体を休めてほしいと伝えると、少女達は各々倉庫の中を見て回ったりしながら休み始めた。

圭人は壁に背を預け、スマホを開く。社内アプリで情報を集め、方代神奈子を取り巻く環境に変化がなかったか探るのだ。


(不気味なほど静かだな…。)


情報のログを更新しようと画面をスワイプし、リロードしても通知が一切来ていない。日頃は、どこでどの部隊が交戦したとか、何かを保護したとか収容したとか、沢山の報告があげられている全体掲示板が、この数時間、まったく動いていないのだ。

本当に何も起こっていないのか、それとも起こりすぎていて、情報共有が追いついていないのか。


(不吉だ。)


人外と立ち会う際に最も大切なのが情報である。それが何を好み、何を嫌い、どんな力を使い、どんな力でなら対抗できるのか。知っているのと知らないのとでは、生存率が大きく変わる。


(初見殺しみたいな連中がデフォだからな…。)


だからこそ、商会では情報共有業務を何よりも大切にしている。どこで何が起こっているのか。誰がどんな対処をして、それは成功したのか失敗したのか。その全てが、人間界を守るために必要なデータな だからだ。だというのに情報がまったく流れてこないという今の状況は、ちょっとおかしな状態だった。


(とりあえず、光子さんに再度メールを送って…。)


こちらは二回目の転移を終わらせ、次の転移で予定していたシェルターへ移動するつもりだ。圭人が上司である光子にそう送ろうとした、その時。


ピローン。


無機質な通知音。それはメールが届いた時に鳴るように圭人が設定しているものだ。

画面の上部に出てきた通知を彼は反射的にクリックし、メールを開く。


「は?」


それは何とも不思議なメールだった。

本文にはカエルの絵文字だけが打ち込まれている。

件名は無く、差出人のアドレスはぐちゃぐちゃに文字化けしていた。


不気味で、嫌な予感がした。


「きゃっ!な、なに?」


ゲーコ!ゲーコ!ゲーコ!!!

突如として始まったのはカエルの鳴き声による大合唱。驚いた神奈子が声を上げたのも無理はない。

雨音すらも掻き消すほどのその声はどうやら、ぐるりとこの倉庫の周りを囲んでいるようだった。


「方代さん、こっちに。」


圭人は怯える神奈子の手を取り、引き寄せる。何が起こっても彼女だけは逃さなければ。いつでも転移ができるよう、彼女の体に触れている必要があった。


「あ、あぅ…えっと。」


有無を言わされず手を握られ、神奈子はカァッと頬を染めながら、弱々しく声をこぼした。

それを気にしている暇はなく、圭人はチコとイオリに指示を出す。


「敵襲かもしれない。二人ともこっちに、移動するぞ。」


常に逃げの一手というのは格好悪いかもしれないが、それがこの任務の肝である。二人ともそれを理解していて、圭人の誘導に応じ、すぐにこちらまで走ってこようとした。だが。


「っ!!」


バギィッ!!ガシャンッッ!!


倉庫の扉が、マンションの扉を吹き飛ばした時のように、ぶち壊された。

壊れた扉の破片が舞って部屋に散り、それを避けるため、チコとイオリは圭人達とは反対方向に動くしかなかった。

分断された四人を、今度の敵は待ってくれない。


ゲーコゲコゲコ!ゲーコゲコゲコ!


開けられたドアから、大量にカエルが入ってくる。手のひらと同じくらいの大きさのカエルは、泥のような色をしており、気が狂ったようにゲコゲコ鳴いている。

ピョンピョン飛びながらうるさく泣き喚き、部屋中に溢れかえったカエルたち。カエルが苦手な人が見れば、それだけで気絶してしまいそうな光景だ。

幸いにもうちの女性陣はカエルに耐性があったようで、その異様な光景に驚き、警戒はしているものの、叫んだり倒れたりということはなかった。


(さて、どうするか…。)


部屋はカエル達で埋まり、足の踏み場もない。

圭人一人ならチコ達の元へ飛んで、そこから転移を始められただろうが、今は神奈子がいる。

連続して転移を使えば、それだけ彼女に負荷がかかる。休憩を挟まない転移がどれくらい体に響くか圭人は知っていた。以前それで知人を気絶させたことがあるからだ。だからチコ達との合流のためだけに神奈子を連れた転移を使うというのは、できれば避けたいことだった。

そうなると、徒歩でなんとかこのカエル山を乗り越える必要がある。あるのだが。


「こっちに来られるか?」

「ちょっと、それは…。」

「だよなぁ…。」


足の踏み場もないからといって、カエルを踏み潰して歩くのは、道徳的に憚られる。いや、もし圭人一人でいるのならやったかもしれないが。

けど新入りはまだそこまで非道にはなれないだろうし、圭人のそばで青ざめている一般人の少女には、もっと無理だろう。

まさか単なるカエル如きで足止めされるとは。


ゲコ。


一際低いカエルの鳴き声が響く。それがやけに大きく部屋中に響き渡ったかと思うと、合わせたようにカエル達が一斉に外を向いた。

コツコツ、と革靴が地面を踏むような足音が聞こえて来る。


「ようやく逃げるのはやめてくれたかね。」


それは普通の人間の声だった。

カエルの鳴き声でもなく、魔術のための呪文でもない。むしろ、ちょっと耳に良いと感じるような低音だ。

仕立てのいいスーツを着て、革靴を鳴らし、中年の男が部屋に入って来る。中年といっても、腹の出たハゲオヤジなんかではない。まるでマフィア映画なんかに出てきそうな凄みのある、グレーヘアーの紳士である。

紳士は余裕そうな笑みを湛え、圭人達を見つめた。カエル達は彼を崇拝するように見上げている。いつの間にか忙しない鳴き声も、ピッタリと止んでいた。


「こんばんは、サルタヒコ商会の皆さん。あなた方が無害なカエルを踏み潰して歩くような人達じゃないことに、感謝を示すよ。」


どうやら紳士はこちらの事を知っているらしい。そしてこの口ぶりから察するに、このカエルを使役しているのは彼なのだろう。

彼はカエル達に道を開けられ、コツコツと革靴を鳴らしながら歩いて来る。


「そちらは、少女誘拐した方々の一員とみてよろしいですか?」


圭人は背中に神奈子を庇いながら、得意の営業スマイルを浮かべて尋ねた。


「あぁ、君たちの認識ではそうだね。」

「なるほど。奪ったものを取り返しに来ましたか。」

「我が主がそれを望むものでね。」


紳士は手袋を嵌めた手をスッと差し出した。

イオリは警戒して思わず刀に手を伸ばしたようだが、圭人はまだ動かない。相手がまだ、攻撃してこない事を雰囲気で察知していたからだ。


「彼女を渡してくれないか。彼女は我が主の花嫁なのだ。」


紳士はこちらと会話による交渉を試みている。差し出された手は、あくまで友好を示すためのもののようだ。

問答無用で武力行使するのではなく、まずは会話を試みる。今回の相手は、ただ言われた事を実行するのみの末端というわけではなさそうだ。引き出せる情報もあるかもしれない。ならば、この会話に乗ってやるのもアリか。


「やれやれ。双方合意でない婚姻は、この国では認められていませんよ。」


圭人は紳士の言葉に肩をすくめ、拒絶を示した。

ギュッと、繋いだ手に力が込められたのを感じる。後ろを振り返り確認するまでもない。神奈子は怯えて助けを求めていた。


「国が認めていなくとも、神が望んでいるのだ。」

「ここは神の作った国ではなく、人の作った国です。人は人のルールを守り、それに従うのが道理ですよ。」

「ははは、君たちはずいぶん窮屈な道理に縛られているようだね。」


紳士は相互理解は不可能と悟ったらしい。差し出していた手を下げ、大きく笑った。それはこちらを冷笑する笑いだ。


「やはり最初から人智を超えた力を手にしている者達には、分からないのだろうね。強大な存在に(かしず)き、その恩恵に預かることの幸福というものが。」

「異能の力のことを言っているなら、人智を越えた、などとは言い過ぎですよ。我々は所詮矮小(わいしょう)な人間です。貴方がたの信奉する神とやらには、足元にも及ばない。」

「そうだね、そうだろうとも。我が神の権能は計り知れぬほど強大だ。」


男は自分の信奉する者の強大さを思い出し、悦に浸る。虚空を見つめ、そこにない物を見る男の瞳は、やはり狂気に満ちていた。

会話ができたとしても、やはり狂信者は狂信者に違いない。マンションにやってきたあの不気味なドア女と大差ないのである。


「そんな強大な存在を相手に、君たちがいつまでも逃げ回っていられるとでも思っているのかね?」

「まさか。彼らは天網恢々(てんもうかいかい)。その気になれば、いつだってやりたいようにできます。」


神と呼ばれる存在は、いつだって見たいものを見られるし、欲しいものには手を伸ばせる。


「ですが、貴方の神は自分自身が動くのではなく、貴方を遣わせた。」

「……神の手を煩わせるほどではないと、我々が判断したまでだよ。」

「どうですかねぇ?彼女の存在が必要なのは、むしろ貴方がたの方なのでは?」


圭人は目を細め、挑発的に笑った。


「神々へ贄を捧げて、代償に恩恵を得る。よくあるお話です。」

「……あぁ。」

「一度捧げた贄が無くなれば、神はお怒りになるでしょうね。どうぞ、と言って差し出された皿の上のケーキが、いつの間にか無くなっていれば、カチンともきます。そのまま、皿を持ってきた人間にどういうつもりだと当たるかもしれません。」

「…言っただろう。彼女は花嫁だと。贄やケーキなどといった、低俗なものではない。」


苛立ちを少し露わに言った紳士に、圭人は柔らかく微笑みを返した。


(贄ではなく、花嫁…ね。)


紳士がイラついたということは、花嫁という言葉には何か深い意味が込められているらしい。それが本当に正しく花嫁という意味なのか、何かの隠語なのかはまだ分からない。だけど単なる生贄ではないというのは恐らく本当だ。

これに関してもう少し情報が欲しいが、あまりつつきすぎると、こちらが情報を引き出そうとしていることに勘づかれてしまうだろう。ひとまずそれは後回しだ。


「神々とのやり取りは危険なものです。我々のような専門家でないと、痛い目を見ますよ?まぁ、貴方がたは今まさに、痛い目を見ている最中なのかもしれませんが。」

「ふん、商売などといって神を縛りつける、傲慢で卑しい者たちめ。恥を知りたまえ。」

「いえいえ、むしろ契約で縛られる事を望むのはあの方々の本能ですよ。ほら、なんでもできちゃって退屈だから、一周回って縛りプレイしたくなる、みたいな。」

「ずいぶんと俗な例え方をするな。」


紳士の声がより一層低くなる。そこには静かな怒りが感じられた。

高尚なものだと自分が信じている存在に対し、圭人があまりにも敬いなく語るため、苛立ったのだろう。

慇懃無礼に煽り、相手のペースを乱す圭人のやり方に、まんまとハマってくれている。


「もし、貴方がたが神を怒らせてお困りなのでしたら、お力になりましょう。もちろん、やり方はこちらなりの方法で、料金もいただきますが。」

「それは無用な勧誘だよ、サルタヒコ商会。」


バチバチッと、紳士の手から閃光が走った。眩い雷の光である。それは圭人の足元を狙って放たれたものだった。


(呪文を口にしなかったな。無詠唱で使える力…魔導具か?)


足元の焦付きを眺めながら、圭人は冷静に観察する。

魔導具というのは、人外の知識と力を持って作られた特殊な道具のことである。それがあれば、誰でも人智を超えた力を使うことができるのだ。


(動きは…無かったな。ほぼ棒立ち、手だけをこちらに向けた。)


紳士はその場から全く動かず、あの閃光を放った。何か操作した気配も、取り出した動きもない。だとすると、魔導具は閃光を発したあの手袋自身かもしれない。圭人は即座に予想をつけた。


「危ないですねぇ。貴方がたの言う花嫁に当たったらどうするんですか。」

「安心したまえ、ちゃんとコントロールしているよ。」

「ずいぶんと自信がお有りのようで。あまりよくありませんよ、そういう過信は。」


圭人はツイッと足を動かし、近くにいたカエルに触れる。


バチィッ!!!!


再びの閃光。

やはりそれは紳士の手元から放たれていた。

紳士の手の上には、雷に打たれ黒焦げになった哀れなカエルが一匹乗っている。圭人が足で触れ、転移させたカエルだ。急に上から降ってきたカエルに、紳士は驚いて咄嗟に電撃を放ったのである。


「おやまぁ、カエルを大切にしているのでは無かったんですかね?」

「貴様…!」


煽られ、紳士は憤りを露わに手を振りかぶった。

バチバチと閃光が手に集められていく。


「良いんですか?それを放てば、花嫁も巻き込まれるでしょう?」

「っ…そうだな。ならば狙うのはお前ではなく、こちらにしよう!!」


狙われたのはチコとイオリだ。

大きな雷球は、周辺のカエルを失神させながら、バチバチッと二人の方へ進む。


「チコさんっっっ!!!」


イオリの悲鳴のような声があがった。

チコがイオリを突き飛ばし、雷球から庇ったのである。

小さな体躯は激しい電気を浴びて、バチバチと音を立て、ダメージを受ける。「きゃうん!」という小さな鳴き声をあげて、チコはその場に突っ伏した。

イオリが泣きそうになりながら駆け寄って、その体を必死に抱き寄せている。

神奈子の方もショックを受けたらしく、小さく息を飲んだのが背中で聞こえた。圭人と繋いでいる手が震え始め、何かを訴えるように力が込められる。


「ふっ、君が煽るようなことを言うから、幼子が一人倒れてしまったね。」

「貴方の方も、大切なカエルさんが今ので結構やられてしまったようですが。」

「私の方はいいんだよ。カエルは我が神の愛する生物の一つであるが、これらは一時的に知能を与えた、ただのカエルに過ぎない。」

「おや、あまりにも統率がなされているので、もっと人智を超えた力を宿している存在だと思いました。」

「ははは、私一人でそんなもの大量に使役できるわけがないだろう。」


紳士はカラッと笑って圭人を見つめた。

こちらの仲間を一人落としたので、余裕になっていると見られる。

最初に受けた凄みのある印象とは違って、どうやらこの紳士は思いの外、単純な人のようだ。


「では、戦えるのは貴方だけなのですね。」

「なんだね、今更戦うつもりか?こちらは君たちが逃走に特化した部隊で、戦闘力はそう無いことを知っているのだよ。」

「はい。実は、今倒れた幼子が一番強いまであります。」


圭人はニコリと笑う。

それはあの、いつもの営業スマイルだ。

相手を煽り、翻弄し、ペースをさんざん乱した上で最後、めちゃくちゃにする時のあの笑顔である。


「チコ、もう良いぞ。」


圭人は誰よりも耳のいい少女に向かって、そう言った。離れていてもその声は、ちゃんと彼女の大きな耳まで届く。


「大丈夫だ。カエルはどうやら本当に、ただのカエルみたいだからな。」


その言葉を聞いた少女は、地面に伏せたままニコリと笑った。そして元気よく「ワオーン!」と叫び、立ち上がったのである。


「何っ!?」


紳士は狼狽えた。だが、そんな暇はない。

ズオッ、と小さな少女の影が大きく膨らんだかと思うと、少女の体自体も大きく変化していた。

狭い倉庫を圧迫するような大質量の毛皮。


「チ、チコ…さん?」


一番近くにいたイオリが、一番驚いていただろう。

そこには燃えるような赤い毛並みをした、大きな大きな狼が立っていた。

狼は一瞬チラリと、圭人の方を見る。


「えーと、いつも通り。殺さない程度にやってくれ。」


狼は「ヴォウッ!」と犬のように犬ではない鳴き声をあげ、返事した。そして部屋中のカエルを邪魔だと言わんばかりに蹴散らし、紳士に向かって飛びかかる。


「ぐわぁっ!!くっ、この!!」


押し倒された紳士は両手で狼の毛皮を掴み、バチバチと閃光を放った。しかしその雷は一切毛皮を通らず、そのまま吸収されていく。

狼は無慈悲に紳士の体を押さえつけ、ベチンと肉球で一殴り。知っているだろうか?猫と違って犬の肉球は硬いのである。

硬い肉球で叩かれた紳士は、その痛みに悶絶し、すっかり闘う力を無くしたようだった。


「はい、お見事さん。」


圭人は満足だと笑い、狼は紳士の体の上に乗ったまま嬉しそうに尾を振った。その素直さは、人の姿をしていた時と変わらないものである。チコはどんな姿をしていてもチコだ。間違いない。


「御影さん、もう動けるよね?方代さんの事、すこし頼んでていい?」

「は、はい!」


イオリはまだ、自体を飲み込めていない、というような顔をしていた。だが、どんな時も上官の命令に従うよう、訓練で躾けられてきたのだろう。言われると即座に、飛び散ったカエルたちを器用に避けながら、こちらに走ってきた。


「方代さん、怖い思いをさせてすみませんでした。少しあのおじ様からお話を聞いてきますから、待っていてください。」

「………。」


振り返って声をかけたが、神奈子はいまだ呆然としていて、こちらの呼びかけに反応しない。

圭人は繋いだ手を一度離そうとしたが、神奈子の手は強張り、繋いだ形のまま動かせなくなっているようだった。

無理もない。一般人の少女にはあまりに刺激の強い出来事だった。

カエルに囲まれた異様な光景の中、自分を狙う謎の男が現れ、攻撃された。そんなの怖いに決まっている。

彼女はチコと仲良くなっていたから、目の前でチコが攻撃を受け倒れたのも、ショックが大きかっただろう。

彼女があれくらいの攻撃では何ともならないことを圭人は知っていたが、何も知らない少女たちには気の毒なことをしたかなと、少し反省した。


「……方代さん?」


再度呼び掛ければ、少女の目から涙がぼろっと溢れた。


「う、うぅ…ぅあーん!!」


圭人の手を握ったまま、ボロボロと涙をこぼし、子供のように泣きじゃくる神奈子。

それに驚いて、圭人は言葉を失って固まる。


「え、えぇと…。」

「ぅ、ひっぐ。ぐすっ、ぅあああ!」


流石にこのまま彼女を放って、別の事をしに行く訳にはいかないだろう。彼女が泣くような怖い目にあったのは、指揮官である自分のせいでもあるのだし。


「あー…呼んどいてごめん御影さん。やっぱ逆で。俺が方代さん見るから、アイツの尋問やってくれる?やり方は一応、訓練校で習ってるよね。」


側まで来ていたイオリに、圭人は自分がしようと思っていた仕事を任せることにした。


「はい!大丈夫です、やれます。」

「とりあえず所属と肩書きを聞き出して。それから方代さんを狙う目的と、何度も繰り返してた花嫁って言葉の意味とか、そういうのが引き出せられたら最高。」

「分かりました。やってみます。」


頼もしい後輩はコクンと頷き、狼姿のチコに押しつぶされている男の方へ走っていく。

チコが抑えている限り、男は暴れたりできないはずだ。多分任せても大丈夫。


「うっ、うっ、うぅ〜!」


再び手を繋いだままの少女の方に向き直れば、彼女は堪えるようにしながらもまだ涙をこぼしていた。


「よしよし、大丈夫大丈夫!もう怖いこと起こらないから!よしよーし。」


泣く女の子をあやす経験なんて全く無いため、とりあえず幼い子にやるように声をかけてみる。

当然ながら効果はない。

神奈子はボロボロ、ボロボロと大粒の涙を滴らせ、ひっくひっくと肩で息をした。


「あー、えっと……うん。本当にごめんな。もっと俺が上手くやれれば良かったな。」


圭人の方も、目の前で女の子に泣かれてだいぶ動転していた。敬語を取り繕う間もなく、口から謝罪の言葉がこぼれる。


「ち、違うっ!違いますっ…!わた、私のせいで……っ!」


圭人の言葉に、それは違うと神奈子は首をブンブン振った。


「私のせいで、っ!私が、狙われてるから…っ、チコちゃんが傷ついて……っ!ぅう。ぅあ!」


チコが倒れた場面を思い出してしまったのだろう。神奈子は再び嗚咽を漏らし、目から涙をこぼした。圭人は慌ててポケットからハンカチを取り出し、彼女の目元を拭う。


「大丈夫だって、チコはあのくらいじゃ何ともないし、今だってピンピンしてる。」

「けど、っけどぉ…っ!!」

「うん、ごめんな。そういう問題じゃないよな。誰も攻撃を受けることがないように立ち回るべきだった。」


正直、分断されて素直な逃走を封じられた段階で、戦闘は避けられないと思っていた。

だからこそ圭人は相手を煽り、余裕をなくさせた上で、相手の持つ手札を探っていたのである。


まず、向こうが自ら見せてくれた電撃攻撃は、瞬間移動させたカエルによる不意打ちで改めて威力を確認し、チコなら問題なく受けられるレベルのものだと確認した。


もう一つ、不安に思っていたのがカエル達の存在だった。

部屋中にいるこのカエル達が、もし攻撃にも使えるようなものならば、あまりにも危険である。なにせこの数だ。四人で立ち回るにはあまりにも多すぎた。

本当は、部屋にカエルが充満した段階でさっさとチコに一掃して貰うこともできたが、攻撃したら呪いがかかるタイプの魔物の可能性もあったため、圭人は念のために様子見を選んだのである。

結局、紳士がカエルを殺しても平気そうにしていたことと、その後自ら「ただのカエルだ」と自供してくれたお陰で、全て問題ないと判断でき、攻撃を決断した。

そして電撃を受け死んだフリをしているチコに指示を出して、無事制圧完了。

それは全て、圭人が頭の中で思い描いていた流れの通り問題なく行われたが、その絵図を正しく読み取って動く事ができたのは、圭人と共にたくさんの場数を踏んできたチコだけだっただろう。


(あー…やっぱ俺って指揮官向いてない…)


圭人は誰にも聞こえないよう、小さくため息を吐いた。それは己の未熟さを悔いるため息である。

きっとイオリにも、神奈子にも、今の一瞬でとてもとても怖い思いをさせたのだろう。きっと光子や尊敬する先輩方なら、もっと安全で的確な判断が下せたに違いない。

だけどそんな風に後悔しても、今は仕方がない。


圭人はつぎつぎ溢れて止まらない神奈子の涙を、優しく拭い続けることしかできなかった。




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