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4.束の間の平穏


「よし、本日も異常なーし。」


マンションの屋上。出入り口のさらに上。

瀬奈圭人(せなけいと)はそこに立って、近隣の様子を一瞥し呟いた。


邪神に狙われた少女、方代神奈子(かたしろかなこ)を匿う生活が始まって今日で五日目。一週間の折り返し地点もとうに過ぎ、今日を過ぎれば残すはあと二日。週末だけである。

最初はどうなることやらと心配した閉鎖空間での生活も、女子同士が上手くやってくれているお陰で、今のところ問題はない。

むしろ一人男の圭人を除けて、女子三人がどんどん仲良くなっているので、一抹の寂しさを覚えるほどだ。

なんにせよ、保護対象の精神が安定しているのは良いことである。このまま事が終わるまで仲良く、和気藹々としていて欲しい。


「よし、戻りましたっと。」


屋上から瞬間移動し、リビングに降り立つ。

すぐにチコが駆け寄ってきて、「どうだった?」と聞いてくる。それには「何も問題なしだ」と言って頭を撫でておき、保護対象と護衛官はどうしているかな、と視線を動かした。

二人は仲良くキッチンに立っている。ジュウジュウと火を使い、何かを加熱している音も聞こえているため、どうやら料理をしているようだと遠くからでも分かった。


「ねぇ、これって結構美味しくない!?」

「そうですね!まさかここまで美味しくなるとは…。」

「これを応用したら、別のメニューも作れるんじゃないかしら。魚の缶詰は他にもあった筈だし、別の種類を使ってもいけそうよね。」

「はい、また試してみましょう!」


女子二人のはしゃぐ声。何かが上手くいったらしい。

ここにあるのは保存の効く食糧ばかりだが、どうやらその中でも工夫して、なんとか料理をしてみようと彼女たちはこの数日頑張っていた。他に娯楽もないので、料理することで時間を潰す側面もあるのだろう。

だが確かに、レトルト食品や缶詰をそのまま食べ続けるより、ひと工夫加えてもらった方が、飽きがこないし視覚的にも楽しいものである。

やはり女の子達は自分と違って芸が細か気が利くなぁ、なんて思いながら、圭人はそれを遠巻きに眺めた。


「チコ、俺は少し本部と連絡を取ってくるから、廊下に出るな。またなんかあれば呼んでくれ。」

「あいあい!」


いつまでもこうしてぼんやり女子の和気藹々を見守っているわけにもいかない。良い返事のチコの頭をもうひと撫でしてから、圭人は廊下に出てスマホを開いた。

キッチンにいる女子達の楽しげな話し声が、扉越しにまだ少し届いてくる。どうやらこの物件の遮音性はあまり高くないようだ。マンションとしては普通くらいだと思うが、シェルターとしてはそれはどうなんだろう。後で本部にそれとなく伝えておくことにするか。


(もともと長期滞在は想定されてないシェルターだもんな。ま、ある程度は仕方ないか。)


環境への疑問はひとまず置いておいて、今は仕事である。スマホから社内アプリを起動して、定期で届く本部からのメールとチャットにザッと目を通し、全体情報の把握をはじめた。


(保護対象を狙う理由は相変わらず不明。継続して調査中。信奉者集団の一部を制圧。邪神の眷属はカエル、ヘビの姿をしており、知能は低く戦闘能力も低い。彼らは恐らく斥候(せっこう)として放たれており、襲撃用の本隊は別に居る。…なるほどな。)


別働隊が掴んできた情報を頭に入れながら、今後の予定に変更がないことを改めて確認する。方代神奈子が狙われる理由が判明し、その対処方が確立されるまでは、逃亡生活を継続せよということになっているからだ。もちろん、逃亡生活の中で方代神奈子の記憶を呼び覚まし、詳細を聞き出せるなら聞き出せとも言われている。今のところ、彼女が記憶を思い出すそぶりは一切ないが…。


(しかし、やはりあのカエル人間はただの斥候だったか。やけに弱かったもんなぁ…。)


数日前の病院での出来事を思い出す。

圭人とチコにあっという間にコテンパンにされたあの怪物たちは、いくらチコが強いとは言えあまりにも弱かった。

きっと、重武装の本部隊が病院を離れたことを察知し、今なら斥候部隊の自分たちだけでも神奈子を奪えるかと乗り込んできてみたが、すでに到着していた圭人達にコテンパンにされた。ことの顛末はだいたいそんな感じだったのではないかと、圭人は結論づける。


(うーん、カエルにヘビ…ねぇ。どちらも人間に化けるのは下手くそそうだけど。)


病院のやつらが、わざわざ全身を覆い隠す黒装束を纏っていたことからも分かる。

日頃からあんなわかりやすく不審な姿でウロウロしてくれているなら、見つけやすくてこちらも助かるが、流石に斥候の最中だと、また違ったカモフラージュをしているか。


(やっぱり、気をつけるべきは人間の信者の方かもな。ここまで外界との接触は絶ってきたけど、これからもその方針は継続でいこう。)


手早く現状維持の報告と、今後の予定に変更は無いことを上司である光子に向かってメールで送る。

保護対象の状態は精神も肉体も健康そのもの。この五日間、彼女と共に過ごしたが、観察すれば観察するほど、方代神奈子はただの平凡な少女のように見えた。本当になぜあの少女が狙われているのか、圭人にはちっとも分からない。


スマホをポケットにしまい、廊下から戻ろうとドアを開けると、ドア前すぐのところに神奈子が立っていた。


「あ、えっと…お仕事の話は終わりました?」


耳の上で結んだ金色のツインテールを揺らし、気まずそうに身をかがめ、こちらの様子を伺い聞いてくる少女は、まるで職員室の前で教師を待っていた女生徒のようだ。緊張と期待の入り混じった、そんな感じの態度である。


「あぁ、もう大丈夫ですよ」


圭人はそれに笑顔で答えながら、「何かありましたか?」と首を傾げた。


「その、ご飯ができたので、一緒に食べましょう。御影さんと一緒に作ったんですけど、結構美味しくできたので…。」


神奈子は視線をちらちらと左右に忙しなく動かしながら、そう言った。

なるほど、どうやら先に食べずに自分のことを待ってくれていたらしい。チコやイオリではなく、神奈子が呼びに来たということに圭人は少し驚いたが、ひとまず素直に「ありがとうございます」と礼を言って、彼女と一緒にダイニングテーブルまで向かうことにした。


(だいぶ気まずそうだな…)


圭人は横目で少女の姿を追いかけながら、心の中で小さくため息を吐いた。

方代神奈子とは、まだ依然として距離がある。気を遣われているというか、緊張されているというか。いつの間にかチコやイオリに対して取れていた敬語が、圭人に対してはずっとそのままなのがその証拠だ。

まぁ、年齢の近い同性や人懐っこい幼女相手と、歳の離れた社会人男性相手とでは、距離感が変わるのは当たり前のことか。

彼女は大事な保護対象。つまり仕事相手だ。そのため圭人からも、一定の距離を置くようにしているし、神奈子の硬い態度は、そういうのも諸々感じ取っての態度かもしれない。





「んー!美味しーい!」

「良かったです。安心しました。」


いただきますをするなり素早く出来立ての料理を口に放り込んだチコは、パタパタと尻尾を振って喜んだ。それをみてイオリは嬉しそうに微笑み、安堵の言葉を口にする。

なるほど、どうやら缶詰の魚を冷凍保存してあった野菜とチーズを使って調理したらしい。限られた食材の中から見事な完成品だ。野菜嫌いのチコも、もぐもぐと美味しそうに食べている。


「チコちゃん、口元にチーズがついてる。拭いてあげるね。」

「んぅ、ありがと〜!」


圭人が気づいて指摘する前に、チコの隣に座っている神奈子がそれに気づいて口元を拭った。

チコの世話をするのはいつも自分の役目だったので、人にその役を奪われると、ちょっと拍子抜けしてしまう。代わりに世話をしてくれる人が増えるのはありがたいが、それに慣れてしまうと後が怖い。気をつけなくては。


「早食いせず、よく噛んで食べろよ。食糧には限りがあるんだから、よく噛んで、少しでも満腹感を稼ぐんだ。」

「むぐむぐ、わかったよ〜。」

「そう言いながら俺の皿から奪おうとしちゃいけません。」


さりげなく向かいから伸びてきていたチコの子供用フォークを払いのけ、食われぬうちにと圭人は料理を口に運んだ。うん、確かに美味い。見事なものだ。元が簡素な保存食だとは思えないほどの出来栄えである。


「美味しいなら良かった。また晩御飯も頑張るからね。」

「こんなに喜んでもらえると作り甲斐があります。」


少女たちはニコニコと嬉しそうに互いを見合う。


「神奈子おねーちゃんたち、お料理上手だね!圭人とは大違い!」

「え…。」

「そうなんですか?」


女子二人から急に視線を向けられ、圭人はウッと言葉に詰まらせた。チコめ、余計なことを…と思いつつも、話題を振られたからには説明せざるを得ない。


「えぇと…お恥ずかしながら自分が食にこだわりがないもので、料理はからっきしなんですよね。基本は外食か社食で、チコにどうしてもとねだられた時だけ作るくらいで。」

「圭人のオムライス、すごい下手くそだった。卵がパサパサしてて、ご飯はべちゃべちゃした。」

「悪かったな…。」

「でもチコ、あれも好き!圭人がチコのために、

おっきなハート描いてくれるの、嬉しいもん!」

「…そうか。」


我ながら酷い出来だったと思うのだが、チコはそれでも嬉しかったらしく、定期的に思い出しては作ってくれとねだってくる。嬉しいが、あまり酷い出来の物を幼子に食べさせ続けるのも可哀想なので、のらりくらりと躱して作らないことも多い。


「本当に、家族みたいな関係なんですね。」


イオリが話を聞いて微笑ましそうに言った。チコはその言葉に嬉しそうにニコニコと口を開く。


「うん!チコの家族はね〜、圭人と、光子と、理香ねぇ!」


その名前だけの説明では誰が誰のことか分からんだろう。思わず圭人は補足を挟んだ。


「えっと、光子はウチの上司で、理香ねぇというのもウチに所属する先輩社員のことです。」

「チコはおとーさんもおかーさんも居ないけど、圭人が居て、みんなが居るから幸せなんだ〜。」


ふふん、と得意げな顔をするチコ。

言いながらフォークをそろりとこちらに伸ばしてきていたので、圭人はその手をぺしんと叩き落としておいた。最近は他の話をして誤魔化しながら悪事を働こうとする悪知恵がついてきたので、ちょっと油断ならない。

悪知恵を見抜かれ、ぶーっと膨れるチコを見て、食卓に温かな笑いが起こった。これが逃亡劇の最中とはとても思えない、穏やかな一幕である。だが、こんな時間があってもいいだろう。常に緊張状態で待機しているというのは、守る方も守られる方もしんどい。


(チコ、ありがとな)


心の中でそう言って感謝を抱けば、なんとなく伝わったのか、向かいのチコがにししと笑った。

その後も食卓はチコを中心に和気藹々とし、平穏なひと時を過ごしたのだった。


◇◇◇◇◇


「大丈夫ですか?」


食後、何となく浮かない顔をしている神奈子のことが気になって、圭人はソファに腰掛ける彼女に声をかけた。


「えと、大丈夫ですよ?」


そう言いながらも神奈子の笑顔はぎこちない。

護衛対象の体調の変化に気を配るのも仕事の一環だ。圭人は神奈子の誤魔化しを見逃してやるわけにはいかなかった。なので再び口を開き、追求した。


「そうですか?どこか浮かない顔なので、体調でも優れないのかと思いました。」

「あー……。」


彼女は圭人の言葉に少し言い淀み、気まずそうに口を開く。


「チコちゃんが家族の話をしてくれて、そういえば私の家族ってどんな人達なんだろうって、気になっちゃって。」

「あぁ、なるほど。」


記憶を失った彼女には、家族の記憶もない。

自分の両親がどんな人達だったのか、兄妹は居たのか、彼女は何一つ分からないのだ。

商会でも、その身元については調査している。だけど進捗は依然ない。全国各地の行方不明者を洗い、特定に努めているが、あまりにも情報が出てこないため、何らかの目に見えない力が働いている可能性があった。

そう、たとえば神による記憶の操作、とか。

方代神奈子の記憶が全て奪われているように、彼女の家族の方も、彼女という存在を忘れている可能性がある。

人一人の存在を、はじめから無かったことにできる。それができてしまうのが、商会が日頃相手にしている存在達なのだ。


思い悩む神奈子を見て、圭人は少し考えた後、口を開いた。


「…方代さんは、凄く綺麗にお箸を使いますよね。」

「え…?そう、ですか?」


自覚がないようで、神奈子は圭人の言葉に首を傾げた。


「はい。背筋もいつもピンと伸ばしてらっしゃいますし、一つ一つの所作が丁寧です。」

「あ、ありがとうございます。」

「こうして褒められたらお礼を忘れない、謙虚で礼儀正しいところもある。」

「え、えぇと。」


怒涛の褒め言葉に、神奈子は困惑しているようだ。圭人は構わずニコリと微笑んで言う。


「きっと貴女はご家族の手によって、とても丁寧に育てられた方なんだと思います。記憶を失っても、体にはその結果が残っている。」


神奈子は目を大きく開いて、驚いた顔をした。

だけどすぐに照れくさそうに微笑み、ぺこりと頭を下げてくる。


「ありがとうございます。その、励ましてくださったんです…よね?」


どうやら、こちらの気持ちは正しく伝わったらしい。

方代神奈子の家族が実際にはどんな人物なのか、圭人は知らない。だから適当なことは言えず、ひとまず神奈子自身から感じたことを言ってみたのだが。それでも充分、彼女は慰められたようだった。


「瀬奈さんって、結構優しい人なんですね。」


ニコリと、ほのかに頬を赤くし笑った少女に、思わず少しドキリとした。こんな風にこの子は笑うんだな、と思う。新たな発見だ。

神奈子は満足そうに言うだけ言って、「それじゃ、その、っお風呂の掃除をしてきます」と慌ただしく去っていった。

圭人はその背中を見送り、一人思う。


(優しい人、か。そんなの久しぶりに言われたな。)


仕事柄、優しくは居られない場面も多くある。

職務のために非情な決断や行動を迫られることも多いし、それに惑うこともあまり無い性格だ。

自分が優しいとはこれまで思ったことがないし、言われることもあまり無かった。だから神奈子の発言は純粋に圭人に驚きをもたらした。


(護れって言われている間は、いくらでも優しくしてあげますよ。)


何となく素直に受け入れがたくて、わざとそんな捻くれた受け止め方をしてしまう。

自分のこうした振る舞いを、彼女が優しいと感じて喜ぶのならいくらでも演じてやろう。護られるものが護るもののことを、信頼している状態が一番やり易いのだ。

そんな言い訳めいたことを考え、圭人が自分の中にある優しさとやらを否定しているうちに、風呂の準備ができたらしく、いつの間にやら入る順番決めの話になっていた。

わいわいきゃあきゃあと、女子達がはしゃいでいる様子を、彼は少し遠くから見守る。本当に、ずいぶんと仲良くなったものである。


(何事もなく、このままあの子が日常に戻れたら良いんだけどな。)


無邪気にはしゃいでいる少女の姿を見れば、そう願ってしまうのも自然なことだ。

なんの力も持たない一般人は、穏やかに、平穏に、恐ろしい怪物の存在など知らず暮らしていればいい。そのために、圭人たち異能者は人生を捧げているのだから。

そんな思いが心に自然と浮かぶ事こそ、圭人に優しさがあることの証明にほかならないのだが、彼はそれには気づいていなかった。



結局その日は1日、夜を超えても何も起こることはなく、平穏そのものな1日だった。


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