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3.逃亡生活の始まり


「よしっ、転移成功。」


病室から姿を消した四人が次に現れたのは、シンプルなマンションの一室だった。

家具は最低限のものしかなく、うっすら埃が積もっており、とても人が生活している感じではない。


「あの、ここは?」


イオリが不思議そうに辺りを見回している。


「あぁ、ここは商会のシェルターの一つ。この子をここに連れてきて、しばらく隠しておくってのが今回の俺たちの任務のはじまりってわけ。ちょっとトラブルはあったけど、まぁ最初の目的は完了だな。」

「くしゅんっ…圭人ここ埃っぽいよぅ。」


人よりも感覚が鋭敏なチコは、ホコリにくしゃみが止まらないようで、何度も小さなくしゃみをしている。その度にますますホコリが舞うので、ひどい悪循環を起こしていた。


「そうだな。ひとまず本部に病院で受けた襲撃の後始末を頼んだら、部屋の掃除からはじめるか。」


未だ眠っている保護対象をソファに降ろすと、圭人はスマホを取り出し、光子に電話をかけた。すぐに通話は繋がり、のほほんとした女の声が返ってくる。


『は〜い、なんだか大変だったみたいねぇ。』

「もう伝わっていましたか。流石の情報速度ですね。」


病院で襲撃があったことは、すでに商会本部も察知していたらしい。光子によると圭人が頼むまでもなく、すでに後始末がはじめられているようだった。元々商会の息のかかった病院である。現場調査や、騒動の揉み消しなんかはあっさり済むことだろう。


「悪者たちはどうなったー?」


電話している横で、ハタキを持ったチコが訊いてくる。チコの疑問をそのまま伝えれば、すぐに光子から返事が返ってきた。それをそのままチコに伝える。


「病院に常駐してる警備部隊が捕縛したって。アイツらから、少しは情報が出てくると良いんだけどな。」


圭人達が戦闘していた頃には、窓ガラスが破られたことに気づいた警備部隊が既に病室に向かってきてくれていたらしい。すでに捕縛されたというカエル達は、まだ目を覚ましていないらしいが、そもそも奴らは言葉を発せられるタイプの存在なのだろうか?…まぁ、言葉じゃなくとも、情報を引き出す方法は色々あるか。


「はい、はい。わかりました。こちらも上手くやりますよ。それじゃ。」


端的な業務連絡を終え、圭人は光子との通話を切った。

カエル人間が吐き出し、部屋に充満した霧の成分はまだ解析中だが、恐らく目眩し程度のもので警戒する必要はあまりないとのことである。

とりあえず現状で分かること全てを把握したので、先に始めてくれているイオリ達の掃除に加わろうとした。その時。


「ぅうん…。」


ソファに寝かせていた方代神奈子が微かにうめいたのが聞こえた。


「おっと、眠り姫がお目覚めかな?」


窓ガラスが割れたり、戦闘が起こったり、瞬間移動したりしても、彼女は変わらず眠ったままだった。ずいぶん神経の太いお嬢さんだと思っていたが、その眠りもいよいよ覚める時らしい。


(ひとまず覚醒したのを確認してからバイタルチェックして、本部へ報告かな。)


そんな段取りを考えながら、神奈子に近づく。


「っおわ!」


急に手が伸びてきて、こちらの手を掴んだので、圭人はひどく驚いた。

方代神奈子が掴んだのである。思わず手を引っ込めそうになったが、その反動で彼女がソファから落ちても困るため、圭人はグッと堪えた。

てっきり起きたのかと思い、じっと様子を伺ってみたが、彼女の瞼はまだ半開きの状態だった。


「むにゃ…お母さん…?」


どうやら寝ぼけているらしい。


「悪いが俺は君のお母さんじゃないよ。」

「ふぇ……?」


少女は圭人の言葉に反応し、ゆっくりと瞼を開ける。そして焦点のあっていない目で圭人を見つめた。

お互いが見つめ合う状況と、しばしの沈黙。

その沈黙を破ったのは方代神奈子の方だった。


「っ!だっ誰っ!?不審者!?不法侵入!?」


神奈子は錯乱し、圭人を掴んでいた手を離すとそのまま手足をバタバタ暴れさせる。


「わっ、ちょっコラっ!不審者じゃない、むしろ君を守るために居る!!」

「何それ意味わかんない!変態!妄想男!」

「おち、落ち着いてくれって!ひとまず話を…ふぐっ!」


神奈子のパンチがちょうど良く圭人の顎にクリーンヒットした。痛みに思わず声を漏らし、のけぞる。


「方代さん、落ち着いてください!この人は私の上司です。」


暴れる少女を落ち着かせたのは、慌ててそばに駆け寄ってきてくれたイオリの言葉だった。


「あれ…?御影さん…。」


どうやら彼女とイオリは面識があるようだ。

そういえばイオリは、6時間前から彼女の護衛についていたようだし、彼女の意識があるうちにある程度会話をかわしていたのかもしれない。


「申し訳ありませんが病院も襲撃され、このシェルターに貴方を匿う事になりました。以降私はこの方、瀬名さんの指示に従って貴女を護衛する事となります。」

「そう、なの…?」


神奈子はまだどこか怯えた表情で圭人の方を見ている。

たしかに、寝起きに見ず知らずの男が自分のことを見つめていたら、かなり怖いかもしれない。圭人は痛む顎をさすりながら、少し反省した。


「先程は失礼しました。サルタヒコ商会、特別顧客担当室所属の瀬名圭人です。これから貴方を誠心誠意護衛致しますので、ご安心ください。」


気を取り直し、いつも通りの営業スマイルを浮かべ、丁寧にそう告げる。


「………。」


方代神奈子はそんな圭人を、まだどこか怯えた顔で見つめていた。


(うぅん…これはまずったな。これから何とか信頼を取り戻す…いや築き上げるしかないな。)


護衛対象の信頼を勝ち得なければ、円滑に護衛はできない。面倒だと思う気持ちはあるが、少しの面倒を惜しむと、より大きな面倒が降ってくるものだ。ひとつひとつ、丁寧にいこう。


「圭人〜、お腹すいたよ〜。」


微妙な空気が流れる空間に、テテテッと小走りでチコが駆け寄ってきた。圭人の足にまとわりつき、クイクイとズボンの裾を引っ張って空腹をアピールしてくる。


「っ!み、耳が…!」


室内に入ったからか、いつの間にかチコは帽子を脱ぎ捨てており、ピコピコと大きな獣耳が頭の上でいつもの調子で動いていた。圭人にとっては見慣れたものだが、一般人である方代神奈子にとってはそうではない。少女は驚き、信じられないものを見るような目でチコの姿を凝視している。


「ん?あ!おねーちゃん起きたんだね!良かった良かった」

「し、しし尻尾!?」


耳が出されているのなら当然、スカートの中の尻尾も放り出されている。

護衛対象が無事だったことを喜び、素直にゆらゆら揺れるチコの尻尾を見て、神奈子は少々錯乱気味だ。自分の頬っぺたをつねったりしているので、もしかしたらまだ自分は眠っていて、これは夢だと思っているのかもしれない。圭人はおかしくなって、思わず吹き出した。


「っはは、大丈夫ですよ。彼女は貴方を襲う存在ではなく、守る存在です。そうですね…人型の狛犬のようなものだと思ってやってください。」

「こ、狛犬って…。」


神社の石像を思い出しているのだろう。神奈子は呆然としながら、チコの姿を見つめる。


「違うよ圭人!狛犬って、神様の手先でしょ?チコは違うよ!神様相手に戦うんだよ!」

「うーん、確かにそう言われるとそうか。守ることを仕事とする犬っぽい存在ってなると、咄嗟に思いついたのが狛犬だったんだが…。」


チコから例えを否定され、なるほどと納得する。では逆になんと例えるのが適切か。考え始めた圭人を放って、チコは神奈子の方に駆け寄った。


「おねーちゃん安心してね!チコはおねーちゃんを狙う悪い神様相手にも負けないから!」


ふんすふんすと鼻息を荒くして見せるチコ。その様子はじゃれつく子犬にしか見えない。


「え、えと…ありがとう?」


とりあえず、悪い生き物ではないということは分かったのだろう。神奈子は懐いてくるチコにぎこちなく微笑み、感謝を述べた。


「目覚めてすぐで申し訳ありませんが、貴方の体調に問題がないか、確認をとらせてもらいます。」

「体調…とくに問題ないと思うけど。」


確かにあれだけ暴れられるのだ、多分なにも問題はないだろう。

だけど正体不明のカエルの霧も浴びているし、瞬間移動もしている。瞬間移動は跳ぶ距離に応じて体に負荷がかかるため、念の為、体調チェックが必要だった。


「俺がやるより女性同士の方がいいと思うから、御影さん頼めるかな?」

「はい。分かりました。方代さん、少し失礼しますね。」


バイタルチェックのための道具は、どこのシェルターにも備えてある。イオリもその事は知っていたらしく、圭人が声をかければすぐに道具を持ってきて、神奈子の前に屈んでやり取りを始めた。


自分は席を外した方がいいだろうなと思ったので、圭人は部屋を出て、玄関ドアまで続く短い廊下に背中を預けた。

少し息を吐き、疲れを誤魔化す。

病院に着くなりいきなりの襲撃だ。なんとか対応はできたが、動揺はしっかりしていたし、精神も磨耗した。

だけど今回の仕事は自分が一番上の階級なわけで、必然的に指揮官ポジションである。守るべき存在、引っ張っていく必要のある存在が居る以上、その動揺や疲れは容易に表に出せない。

圭人はやる気のない社会人ではあるが、そのくらいの責任感はあった。


(とりあえず、予定通り当分このままここで潜伏だな。護衛対象にロクに説明できずにきたのはまずかったが、来るべき所には来られたし、当初の予定から変更はない。うん、及第点だ。)


光子から貰った指令書通り、まずは予定していたシェルターまで連れてくることができた。

長らく住居としては使われていないため、埃っぽさこそあったが、食糧などの備蓄はしっかり管理がされている。

倉庫代わりになっている一室を覗いてみれば、丁寧に分類分けされた保存食が、一週間程度なら外出しなくても数人生きていけるくらいの分量用意されていた。

今のうちに電気系統と水回りのチェックもしておこう。そう思い、部屋の中をそれぞれ見て回る。やはりどちらも何の問題もない。このまま敵に見つからなければ、一週間快適に引きこもっていられそうだ。


(気がかりなのは護衛対象の精神状態だな。一般人だし、若いし…外に出られない状況に対して、ストレスでどんな反応を見せるか分からない。)


ただでさえ、邪神に拉致され監禁されていた後だ。精神は極限まで追い詰められていると考えていいだろう。先ほども圭人に対し、だいぶ大暴れしていたことだし。


(そう考えると、同い年くらいの新入りを護衛につけた光子さんの判断は流石だな。話しやすい同性の存在が居れば、こちらに対する信頼も得やすい。)


実際、先ほどの大暴れを止めてくれたのはイオリだった。神奈子もイオリの言葉にはすぐ耳を貸していたし、すでに信頼関係が多少築けているようなのはとても助かる。

神奈子とのコミュニケーションは、できる限りイオリを間に挟んで行うのが良いかもしれないな。自分はすでに不信感を少し抱かれてしまったようだし。

圭人はそこまで考えると、小さく息を吐き、頭の整理を終わらせた。


「そろそろ戻るか…。」


バイタルチェックの方も、終わった事だろう。

シェルター内の設備の点検もできたし、改めて護衛対象と話し合い、状況の整理をしなくては。


圭人が部屋に戻ると、女子三人はそれぞれ掃除道具を持って、部屋を綺麗にしていた。


「あ、おかえりなさい。」

「た、ただいま?」


神奈子からまるで新婚さんのように言われて、思わず返事してしまった。言った後に、なんだかこの返し方はおかしかったかもしれないと気づき、頬をぽりぽりと掻く。

しかし当の神奈子の方はというと、圭人の返事に何とも思ってなさそうに視線を戻し、すでにバケツの上で雑巾を絞りはじめている。


「バイタルチェック、何も問題無かったです。本部への報告も、メールで済ませておきました。」


ホウキを持ったイオリが駆け寄ってきて、コソッと小さな声で報告をくれた。それは助かる、助かるのだが。


「報告ありがとう。とても助かる。それで、えーと…なぜ方代さんも一緒に掃除を…?」

「すみません。安静にしておいてくださいと言ったのですが、何もしないで居るのは落ち着かないと言い切られまして…。」


申し訳なさそうに言うイオリに、圭人は「本人の希望なら仕方ないよ」とフォローした。

なるほど、どうやら方代神奈子は気が強く、行動的なタイプのようだ。ただ守られているだけのお姫様で居る気は無いのかもしれない。


「掃除、手伝って頂いて助かります。申し訳ありません、匿う先がこんな状況で…。」


ニッコリと、圭人はできる限り人当たりの良い笑顔を作って神奈子に話しかけた。だが、彼女はむしろ白々しいものを見るような目でこちらを見て言った。


「別に。自分がこれから過ごす場所を綺麗にするのを手伝うなんて、当たり前のことですから。」


ツンと言い放たれて、やっぱりどうやら自分は彼女から好かれていないらしいと気づく。

寝起きで顔を合わせたことは、そんなにも印象を悪くする事だっただろうか。彼女が落ち着いた後は、できる限り丁寧で真面目な対応をしたと思ったのだが。


(まぁ、若い女の子の扱いなんて、基本難しいものだしな。御影さんには心開いてるっぽいし、ひとまずこれでいいことにしよう。)


別に護衛対象と無理に仲良くする必要はない。ちゃんとやりとりが出来て、こちらの指示に従ってもらえる程度の関係値があるのなら、それで十分である。

いまさら女子から嫌われたくらいで傷つくような繊細な心を、圭人は持ち合わせていなかった。

そのメンタルは、長年の経験の末に得たものである。

普段、強かな女上司、無邪気な幼女、言葉より手が出る方が早い先輩など、曲者揃いの女性陣に囲まれて仕事をしているものだから、そんな風に鍛えられてしまったのだ。これもある種、エージェントとしての自分の特筆すべき能力の一つかもしれないなと、圭人は内心苦笑しながら思った。




みんなで掃除を終えたところで、今後の方針について説明をすることになった。

カウンターキッチンの前に置かれたダイニングテーブルに、ちょうど椅子が四席備え付けられていたのでそこに座り、全員顔を合わせる。


「それでは改めて、状況整理と今後の方針について話したいと思います。」


圭人が真面目な口調で言えば、三人ともそれぞれ頷いた。

話し合いたい、ではなく話したい、と言ったのは今後の行動がほとんど決定しているからである。

そもそも相手にしている物が強大かつ目的不明である時点で、こちらにはとれる行動があまり無い。仕方のないことだった。


「まず方代神奈子さん、貴女の置かれている状況について説明します。自分で分かっている部分もあると思うけど、改めて確認として。」

「…はい、お願いします。」


神奈子は思いのほか冷静に、凛とした顔つきでこちらを見ている。

これなら躊躇せず話ができるな。そう思い、口を開いた。


「貴女はとある邪神によって連れ去られ、長期間に渡って監禁されていました。この期間がどの位なのか、どのような目的、状態での監禁だったのか、残念ながらこちらではまだ把握できておりません。」

「そう、なんだ…。」

「三日前、貴女は我々サルタヒコ商会によって救出されましたが、それ以前の記憶を失っている状況だと聞いています。そのことに誤りは?」

「無い…です。なにも覚えてなくて、最後に覚えてるのはハリウッド映画みたいな凄い装備の人達が私を抱えて、何処かから連れ出してくれた事だけ。あとは気づいたら病院に居て、スーツの人達に私が連れ去られてたって事情を色々聞きました。」


なるほど。ここまで圭人の知っている情報とのズレは無いようだ。

監禁されていたのは本当だが、なぜ監禁されていたのか、当の本人が覚えていない。だからこそ、商会は彼女の対応に困っている。

彼女が居たのは、とある邪神を崇拝する教団の施設であり、彼女はその最奥の、何も無い真っ白な部屋に閉じ込められていたという。

体に乱暴された形跡は無く、健康状態も良いものだったが、外には出ていけないように手足は鎖で繋がれていたらしい。

施設は厳重な警備と、まるで最初から闘争が予定されていたかのような軍備がなされており、配置されている戦闘員の数も相当だったと聞く。商会本部の部隊は彼女の救出に、ずいぶん苦労したようだ。彼女のいうハリウッド映画みたいな凄い装備の人達、というのはこの救出部隊のことだろう。


「ではやはり、貴女自身にもなぜ貴女が囚われていたのか分からないのですね。」

「…だって、自分のことすら覚えてないんだもん。分かるわけないじゃない。」


神奈子はグッと拳を膝の上で握り、苦しそうに呟いた。

覚えているのは名前だけ。自分が今まで何処でどんな風に生きてきたのか、それすら彼女は忘れてしまったという。

その苦痛や不安がどれほどのものなのか、記憶を失ったことのない圭人には分からない。

沈痛な面持ちで俯く彼女に、なんと声をかけるべきか迷っていると、いつの間にかチコが立ち上がっていて、テテっとその側に行って、彼女の手を握っていた。


「大丈夫だよ、おねーちゃん。今は自分のことが分かんなくても、きっと、圭人がなんとかしてくれるからね!」


にぱっ、と自信満々に笑い、チコは言い切る。


「…圭人?」


神奈子は不思議そうに首を傾げた。

チコのいう「圭人」が、目の前にいる男のことだと、すぐには分からなかったのだろう。

チコは気にせず続ける。


「うん!圭人は普段はめんどくさい〜、やる気でない〜って言ってるけど、本当はちゃんとできる男!チコの事も守ってくれて、家族にしてくれて、いつも一緒に居てくれる!」


少女達の目が一斉にこちらへ向けられる。

流石に居心地が悪くなって、圭人はポリポリと頬を掻いた。気まずい時につい頬を掻くのは彼の癖だ。


「圭人に任せておけば大丈夫!チコもしっかりお姉ちゃんを守るからね!!」


チコはそう言い切るとニパっと圭人を見て、それから再び神奈子に笑いかけた。

こうしたチコの全幅の信頼は嬉しいし、彼女からそこまで信頼を寄せられる理由も分かっているのだが、圭人は実際にその信頼に見合うくらい自分が()()()男かと言われると、そうではないような気がしていた。

だけど今ここで、一所懸命なチコのその言葉を否定するのも違う気がして、しょうがないのでいつも通り、ニッコリと営業スマイルを浮かべておく。


「ご安心ください。チコの言った通り、私含むサルタヒコ商会がすべて何とかしますから。貴女の命も、生活も、全てを守って、取り返してみせますよ。」


本当にそんな事ができるかはまだ未知数だ。

だけど営業トークには多少の誇張も必要。

現状に不安を抱く少女には、このくらい大袈裟に言ってやった方が、安心できるだろう。

圭人の言葉に神奈子は何だか複雑そうな表情を見せたあと、「分かりました」と口を開いた。


「貴方のことは、正直何だか胡散臭いし、まだイマイチ信用できてないけど…純粋そうなこの子に、こんなに慕われてるんですもんね。うん、信じて…任せることにします。」


胡散臭いとハッキリ言われて、圭人は思わずズルッと転けそうになる。なるほど、ずっと態度がツンとしていたのは、こちらの営業トークやスマイルを胡散臭く思っていたからか。ようやく理解した。

逆にいえば、圭人が猫を被り、わざと丁寧で柔らかな物腰を作っていたことを目敏く見抜く鋭さが、この少女にはあるということだ。

また一つ、圭人は方代神奈子という少女について理解できた。それは護衛を続ける上で、とても良いことだった。


「方代さん、あの…私も、瀬奈さんとお会いしたのは数時間前がはじめてのことなのですが…病院で襲撃があった際も、この方は冷静に対応し、貴女を守っていました。信頼に足る方だと思います。」


ずっと黙っていたイオリが神奈子の方を向いて、そう言った。

真面目そうな子に、真剣な口調で評価されると、流石にむず痒くなってくる。だけどそれは良い後押しだ。神奈子はイオリの言葉を聞いて、ますます安心したような表情を見せた。


「こほん…まぁ、私個人に関する感情がどうであれともかく。我々は全員、貴女を守るという目的で動いています。それを理解し、協力していただけると助かります。」

「はい。えっと、色々失礼なこと言っちゃってごめんなさい。私は守られてる立場だし、基本的に言われたことには従うから…。」

「いえ、これからも思っている事はハッキリ言ってください。これから貴女には過酷な状況を強いることになります。黙ってストレスを抱え込むより、何を思っているのか告げてもらう方が、こちらも対応しやすいですから。」

「わ、分かりました。」


コクコクと何度も頷く神奈子。圭人はそれに、ニコリと微笑み返す。

だいぶ話が逸れてしまったが、本筋に戻そう。これからの行動方針についてである。


「貴女を狙う邪神は複数の眷属を持っています。病院に襲撃に来たカエル人間もその一つでしょう。ああした人外だけでなく、人間の信奉者も相当数居ることが確認されています。」

「はい。私はその人間の信奉者が作った施設に居た、って聞きました。」

「その通りです。彼らは邪神の命令に従い、人外たちと協力して貴女を探しています。人外たちと違って、人間の方は誰がそれか分かりにくいですからね…今後しばらく、貴女には我々以外の人間との接触を経ってもらいます。」

「…どこに敵が居るか分からない、ってこと?」

「はい、そういうことですね。」


流石に怖くなったのか、神奈子の顔色が悪くなる。だけど理解しておいてもらう必要のある話だった。


「このシェルターに必要なものは大体揃っている筈ですが、それ以外に必要なものが出た場合の買い物なんかは全部我々が行います。生活に不自由はさせませんので、方代さんは安心して…。」

「はいはい!チコおつかいやりたーい!!」


言っている途中で、身を乗り出してチコが手を上げた。期待に満ちた目でキラキラとこちらを見上げているが、それにはノーと答えるしかない。


「チコはダメだ。帽子落としたらどうする。」

「えー!病院のときは大丈夫だったよぉ。」

「ずっと気になってモゾモゾしてた癖に。俺が時々上から抑えなきゃ、嫌になって外してただろう?」

「うぅ…だってあれ被ってると音があんまり聞こえなくなるんだもん。気持ち悪いよぅ。」

「そう言っているうちはダメ。」


ビシッと言い聞かせると、チコはぶーっと膨れ面をして、座っているイオリの膝によじ登った。叱られたので不貞腐れて、他の人間に甘えたくなったのだろう。

イオリはびっくりしてオロオロしている。気の毒だが、しばらくチコに膝を貸してやってくれと、アイコンタクトで頼むと、コクンとぎこちなく了承してくれた。


「もしもの買い出しには瞬間移動の能力持ちの俺が行くのが一番効率が良いだろう。戦闘要員のチコと御影さんが方代さんの側を離れるのはまずいだろうし。御影さんも、それで良いね?」

「は、はい!分かりました!」


チコに膝の上を占領されたまま、イオリはピシッと姿勢を正して生真面目に返事する。

病院の襲撃では、彼女の戦う姿を見ることはできなかったが、光子さんが「戦闘力は圭人よりずっと強い」と言っていたのだ。護衛役はチコと彼女に任せて問題ないだろう。


「とりあえず予定では一週間、このシェルターに潜伏する予定です。一週間経ったらまた別のシェルターに移動して潜伏。長期間一定の場所に居ないようにして、敵がこちらを追えないようにします。」


丁寧な口調に戻って、神奈子の方を向いてそう説明すれば、彼女は「一週間…」と一人呟いた。

旅行として考えれば長いが、居住するとなるとあまりにも短い。

短期間で居場所を転々とすることを、楽しめる性格か、それともストレスになる性格か。彼女はどちらだろう。

それによって、この作戦の安定度も大きく変わるのだが。


「もちろん、一週間経たずとも、敵がこちらに気づく素振りがあれば、それより先に退去します。いざとなれば、移動能力を持った私と二人での逃亡になるかもしれません。予めご了承ください。」

「そんなに危機的状況なんですか?私って。」


それにはハッキリと答えず、ニコリと笑うだけ笑って誤魔化した。

本部部隊が病院を離れて6時間であのカエル人間が送り込まれてきたのだ。敵は相当な索敵能力を持っているし、本気である。危機的状況であるのは間違いなかった。

方代神奈子も、こちらの笑みを見てなんとなく察したようである。それ以上の追求はせず、少し強張った表情のまま、俯いて黙った。


「まぁ安心してください。我々も逃げているだけではありませんから。こうしている間も別働隊が、貴女が狙われる理由を探っていますし、追っ手の無力化も随時行なっていますから。」

「はい、大丈夫ですよ方代さん。私達が守りますから。」

「チコも頑張るよー!」


圭人の言葉はともかく、女子二人の言葉は効いたようだ。神奈子は少女達の方を向いて、ぺこりと頭を下げ、控えめに笑う。


「御影さん、チコちゃんも…ありがとう。」


一番近くで護衛する事になるだろう二人と、護衛対象の信頼関係が良好なのは良いことである。

その様子を見てホッとしながら、これで説明は終わりかな、と圭人は思考を整理する。うん、他に言い忘れた事はない筈だ。

それでは解散、と口にしようとした時、対面に座る方代神奈子と目があった。薄い琥珀色の意志の強い瞳が、まっすぐとこちらを射抜く。彼女はまだ怯えのある表情で、おずおずと口を開いた。


「えっと、瀬奈さんも。色々とありがとうございます。ハッキリ教えてもらって、色んなことが分かりました。私のために、色んな人が動いてくれてるんですね。…足、引っ張らないよう、精一杯頑張ります。」


それはとても誠実で、懸命な言葉だった。

きっと一番不安で、一番困惑しているだろうに、それを見せないように必死に取り繕っている。強張った表情や、たどたどしい口調から、それが痛いほど伝わってくるからこそ余計に、彼女を平穏な日常に戻してやらなければならないと圭人は感じた。

瀬奈圭人は基本やる気のない社会人であるが、職務に対する責任感はちゃんとある。これからする自分の仕事が、この少女の人生を大きく左右することになるだろうと思うと、普段はあまり無いやる気をかき集めてでも、しっかり達成しなければならないと思ったのだ。


「こちらこそ。これからしばらくの間、よろしくお願いします。」


営業スマイルではなく、瀬奈圭人としての笑顔でそう言って右手を差し出せば、少女は初めて少しだけ信用してくれたような笑みを浮かべた。そしてギュッと手を握り返してくる。


まだ何も解決していないし、不安なことばかりだ。だけど護衛対象については、少しだけ分かってきた。

記憶と日常を奪われた哀れな少女。だけど彼女は自分の意思を忘れず、この状況に向き合おうとしている。ならばその手を取り、元の世界に帰してやらなければ。


ぎこちないその握手をもって、瀬奈圭人と方代神奈子の逃亡劇は始まったのである。


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