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浅瀬の章 その1

小説を書き始めて 1年あまりで 

どうしたら 魅力ある作品が書けるのかと日々悩んでいます

ご意見 ご感想をいただけるとうれしいです

-浅瀬の章その1-


浅瀬アサセ 俺達が狩から帰ってくるまでに 直しておけよ。」


父の鷹と兄の海風は ほつれたウサギ皮のブーツを私に押し付けて 集落の他の男達と一緒に狩に出かけた。


母の「溢れる河」が3つ前の満月の日に 精霊の仲間になってしまったので


留守番をして 男達の衣や履物の手入れをするのは私がかわってするようになった。



私は 浅瀬 まだ月の篭り日(生理)を経験していない子供で


胸の先だけが 少し 痛みを感じ始めた頃だった。


留守番の間 他の女や 小さな子供達と一緒に 木の実や海辺で貝などを拾い集めて しのいでいるが


今まで 「溢れる河」がほとんどやってくれていたブーツの直しや 胴衣の繕いなどは なめした皮を細長く切り取る作業も 難しくて かなり苦労をしていた。


「浅瀬 北の浜にニシンがあがってるってよ そんなの後で手伝ってあげるから 行きましょう。」


小さな赤ん坊のいる フキが 声をかけてくれた。


蕗のところには あまり歩けなくなったおばあさんの砂風スナカゼがいたから 赤ん坊の世話を 砂風にたのんで いくつもりなのだ。


この集落はあまり大きくなくて 私を含めて12人しかいない。


「麻紐を たくさん持っていったほうがいいかもよ。」


うきうきした顔で 蕗が笑う。


フワッと 蕗から 甘い乳の匂いが漂う。


豊かな胸も 大きな尻も 私には まだないものだ。


「溢れる河」を精霊に差し出してから ずっと なにくれとなく 声をかけてくれた蕗は


私の姉であり 母のような存在だった。


蕗の夫である シャチは 集落一 狩のうまい男で 手足も長い。


長である 砂風の夫 「山鳴り」が 物々交換に来た流れ者の シャチを見初めて 娘の蕗の夫にしたのだ。



「山鳴り」の見立ては当たっていて シャチはおそらく蕗より 年下なはずだが 集落の一員となった最初の狩から 大きなイノシシを仕留め 皆をさすが 長の娘の婿と納得させたのだ。


大いに満足したためなのか 山鳴りは その次の次の狩の時に 傷を負った熊に襲われて 精霊の仲間入りをし


それを逆に槍でついて殺したシャチが 誰もが認める 新しい長となったのだ。


長と言っても 他に狩のできる男は 私の父である狩のへたな鷹と すこし足の悪い 私の兄の海風 


それ以外にまだ若い「雪崩」と鷹より年寄りなのに いまだに嫁がいない醜い「霧」だけだ。



私と蕗が麻ひもを用意していると 東の洞窟から「藤」が出てきた。


「あんたたち そんなに急いでどこへ行くの?」


「北の浜に ニシンがいっぱい あがってるって 貝拾いに行った「馬の背」が言ってたの。 あんたも行く?」


蕗は一応 藤にも声をかけた。


「ニシン? そんなの拾ったら 体が臭くなっちゃうじゃないの。 私は行かないわ。」


案の定 藤は蕗の誘いを断る。


「ふん 後でほしいと言っても 分けてやらないから。」


この藤は 歳はおそらく 蕗とあまり変わらないはずだが まだ夫は持たず ひとりでこの洞窟に暮らしている。


集落の女たちとあまり 交わらないかわりに どの集落にも属さない流れ者の男達が よくこの洞窟を訪れて藤に珍しい食べ物や 飾り物などを置いていくので


夫のある集落の女たちより よほどいい生活をしている。


浅瀬の父 鷹が 最近 この藤の洞窟を時々訪れているらしいことを 先日兄の 海風から聞いた。


足の悪い海風は 鷹の狩の補助をしているのだが 他の男達より ずっと獲れる獲物が少ない。


その貴重な獲物の一部を この藤のところに持っていっていると言うのだ。


でも 鷹に養ってもらっている 浅瀬も 自分で走って狩のできない海風も文句は言えない。


蕗は 本当はこの藤を毛嫌いしているのだけれど 長の妻として 一応声をかけているのだ。


「あんたたち 早く取りに行かないと アザラシに食い荒らされちゃうよ。」


大量のニシンの腹を石包丁で裂きながら 「馬の背」が大きな声で言って笑った。


「わかった。 急ごう 浅瀬。」


「うん。」


蕗の足はしなやかに駆け出し とても子供を生んだばかりに見えない。


大きすぎて痛むのか胸を押さえながら 走っている。


「ねえ 蕗。」


「何?」


「子供を産むって どのくらい痛い?」


ふと足を緩めた蕗は笑って 私を振り返った。


「どうしたの浅瀬 あんたは まだ月篭りの仲間にも入ってないでしょう?」


「うん・・・そうだけど。」


蕗の興味津々な笑い顔につい視線を逸らす。


「誰かに声をかけられたの? この間来ていた流れ者の男かい? それとも西の神山の集落にいる男の誰かかい?」


「ううん・・・ 雪崩ナダレだよ。」


「雪崩? あの子はまだ最近やっと狩に慣れてきたばかりの子供じゃないか・・・」


ちょっと蕗はがっかりしたようにため息をつく。


「そうだよね・・・ でも 最初の月の篭りが済んだら 俺に最初に知らせろって 雪崩が言うから。」


「あんた 鷹には相談したの?」


「・・・まだしてない。」


「だめだよ。 ちゃんと相談しなきゃ 雪崩は夫としては若いしあんたに似合いかもしれない。

だけど 養う家族が多いだろ?


馬の背は良い姑になりそうだけど舅の「固い岩」はかなりな年寄りな上 偏屈だよ。


雪崩は今 母親の馬の背と狩に参加しなくなった固い岩を 養っているのに この上 あんたを妻にしたら 食べていくのにやっとだよ。」


たしかに まだ狩に不慣れな 雪崩には かなりの負担だろう・・・


でも 浅瀬は早く父である鷹から解放されたかった。


蕗には はずかしくて 相談できなかったが 鷹は娘である浅瀬を 最近になって 流れ者の男達に 塩や食べ物と引き換えに 差し出していた。


差し出すといっても まだ 月の篭りも経験していないため 触らせるだけなのだが


乱暴に扱う物や 慣れない浅瀬に無理やり奉仕させようとするものもいた。


おそらく兄も気づいているとは思うが 鷹に連れだされる浅瀬に対して 背を向けて寝たふりをしていてくれる。


助けてくれないなら 気づかないふりをしてくれている方が浅瀬も楽だった。


だから ちゃんと自分を妻にと言ってくれる者が現れて 単純に浅瀬は嬉しかったのである。


美しい藤のように 複数の男達に養われる自信はないし


蕗のような立派な夫を見つけてくれる甲斐性も 父親の鷹にはないだろう。


嫁入り前の娘を 流れ者に差し出す男なのだから・・・


本当は 浅瀬は 蕗の夫のシャチに憬れていた。


たくましい胸に長い手足 この辺の人間には見られない 浅黒い肌  黒曜石のような黒い瞳


何から何まで 強く美しかった。


年上の蕗と居ても 気後れせずに堂々と夫の務めを果たし まだ年若いのに長としての役割を十分果たしている。



「浅瀬  おまえはまだまだ子供だが 後 満月を2つ経験をしたら 妻になれるよ。」


この間 シャーマンの「冬の音」に言われたばかりだったから 「雪崩」に呼びつけられた時に 私の夫は「雪崩」なのだと思ってしまったのだ。


藤を覗けば未婚の娘はこの集落に浅瀬しかいない。


それに対して 妻を持たない男は 兄の海風を除けば 雪崩と 霧の二人がいる。


でも シャーマンである「冬の音」の息子 霧は 父の鷹より ずっと年上で まだまだ子供である浅瀬の夫としては考えられない。


自然 自分の夫となるのは 雪崩かもしくは 他の集落の男や シャチのように流れてくる男達となってくるのである。


雪崩も他の集落の女を連れてくるのは結構 貢ぎ物を集めるだけで大変なので 同じ集落の浅瀬を妻にと考えて当然なのだろう。



「俺は ちゃんとお前が月の篭りが来るまで 待っているから。  必ず最初の篭りが終わったら 俺のところに来るんだぞ。 


俺がお前に子供を産ませてやる。」


兄より少し上なだけの雪崩が 一人前にこんな風に言うのは少し滑稽だったが これは 父の鷹から逃れるチャンスかもしれないと 思ったのだ。


「浅瀬 ほら 置いてくよ。」


気づくと 蕗は結構先を走っていて 手を振っていた。


あわてて 浅瀬も駆け出す。 


浅瀬は 胸も膨らみかけたばかりだし お尻だって小さい 


男達を 誘う要素など ほとんどないと思うのだが


父の鷹は そんな 浅瀬の白いきめの細かい肌と 美しい黄金色の髪 明るい日差しの下では翡翠色に変わる 青い瞳に価値を見出し


流れ者の男達にかなりの物と交換に差し出している。


男達は 噂を口伝に聞いてくるのか ただ触らせてもらうだけなのに 大いに喜んで 貴重な蜂蜜や 時には酒などを持って 父の元に訪れるのだ。

浅瀬はコレが死ぬほど嫌だった。


何度となく 一人 東の岬の上に立ち 母の「溢れる河」のように 精霊の仲間に入ろうと思ったことさえある。


でも 自ら 精霊の仲間になろうと思っても おそらく悪い精霊の元にしかいけないだろう・・・


「きゃー すごい すごいよ 浅瀬 見てごらん。 ニシンが跳ねてるよ~!」


西の神山の集落からも女や子供が数人来ていて 先にニシンを拾っていたが 焦らなくても 大漁のニシンが浜辺に打ちあがっていたのだ。


「本当だ・・・ すごい こんなの初めて見たね。」


「ぼーっとしてられないよ 活きのいいうちに持って帰って 干すんだからね。」


蕗が私の背中を押して また駆け出した。


「浅瀬 蕗 ひさしぶりね。」


西の神山から きている 女達が 気軽に声をかけてくる。


うちの集落は この西の神山集落と比較的 友好的な関係にある。


他の集落で聞くような 争いごとも起きてはいない。


それは 長である人物が それぞれ 人格者だと言うことと どちらも 豊かな土地柄にあるということだと思う。


男達の狩に頼らなくても 西の神山集落も 私達の洞窟の集落も 北の浜という貝やウニなどの海産物や南の森からとれる キノコや果樹で なんとかやっていけるからである。


「すごいね こんなに沢山のニシン ほら ドンドンひもに通していきな。」


蕗に教えられて まだピチピチとはねる ニシンのエラから麻ひもを通して 口からひもを引っ張り出す。


「なるたけ傷つけないようにね。」


うろこだらけになって 必死になってニシンと戦う私を

 

蕗やまわりの西の神山の女たちも微笑んで見ている。


(ああ 私も早く 何でも器用にこなせる一人前の女になって 立派な夫を持ちたい・・・)


子供を負ぶいながらも 浅瀬の倍の早さで ニシンをひも通ししている西の神山の女を見ながら 浅瀬はため息をつく。


「ああ 持ってきた麻ひもじゃあ 重くて切れそうね・・・ 浅瀬 あんたあの崖の上にはえている葡萄づるを抜いてきてくれないかい? あんたの分も通してやるからさ。」


子連れできている西の神山集落の女が こう言うと


「そうだね 死んでる魚と違って みんな活きがいいから 持って行くまでにひもがちぎれてしまうかもしれないわね。 

浅瀬 うちらの分も余分に蔓を取ってきておくれ。」


と 蕗にも頼まれた。


崖と言っても せいぜい5メートル位で 大人の女たちは無理でも まだまだ身軽な浅瀬にはそう苦もないことだった。


「うん わかった。 すぐに行って来るよ。」


自分の得意分野の仕事を頼まれて 浅瀬は逆に喜んで 崖に向かって走り出す。


飛ぶように駆ける浅瀬を見て 蕗も他の女たちもクスクスと笑う。


「かわいいね 浅瀬はまったく。」


「ふふっ それでも 最近 雪崩に声を掛けられたみたいなんだよ。」


蕗が小声でそう言うと まわりの女たちは


「へえ~~ませてるね。」


と驚きながらも


「でも あの子は 溢れる河に似て 美しい子だからね。 きっとその内 あちこちの集落の男達から 声がかかるよ。」


「だよね 本人は全然 そうは思ってないようだけどね。」


とまた蕗は笑った。


「それにしても 獲っても 獲っても ニシンが海から押し寄せてくるようだね~」


赤ん坊を負ぶった女が 汗を拭いながら つぶやく。


「なんだかさ いつもより 浜辺が広いと思わないかい? 崖まであんなにあったっけ?」


小さな子供を浜辺に遊ばせながら もう一人の女がそういった時


蕗は何気なく 視線を足元のニシンから 海のほうへと移した。


「あれは なに・・・?」


蕗の目に映ったのは 白く連なる縁取りをもった緑の壁で


固く握りしめていた麻ひもを足元に落とし 


外れたニシンがピチピチ跳ねた。



やっと 崖までたどりついた浅瀬は 器用にとっかかりを見つけては崖を上っていく 


手についたニシンのうろこを岩で拭いながら 葡萄蔓が下がるところまで近づいてきた。


「アサセ・・・」


微かに 蕗が呼んでいる声が聞こえたが おそらく 最後の一息で気を抜かないように注意を促す呼びかけであろうと 


改めて気を引き締めて 固い岩を確かめて体を持ち上げる。


「うん・・・しょっと はあ はあ はあ・・・ ああ やっと登れた。」


早速 腰の皮袋から石包丁を取り出して 適当な蔓を物色しながら切り出す。


ズズズズズ・・・


「え なんの音?」


体を震わせる音に驚いて 葡萄蔓を握ったまましゃがみこんだ。


どどどお・・・・ん


「う 海が・・・」


今登ってきた 崖のすぐ下まで波が押し寄せて 先程 ニシンが飛び跳ねていた 浜辺は跡形も無くなっていた。


「ふ 蕗・・・・ 蕗ー!!!」


ガタガタ体を震わせながら 立ち上がることも出来ずに浅瀬は何度も 蕗の名を呼んだ。


波は 一度沖までひいていったが 浅瀬は昔 母の溢れる河から 


「大津波は何度も岸を訪れる 人間は どうすることもできない ただ 静まるのを待つだけさ。」


と聞いていたので そのまま動かずに じっと浜辺を見守っていた。


一度ひいた浜辺には ニシンどころか 人っ子一人もおらず  陸の上にはえていた老木や 小ぶりな岩などが引きずり出されて残されているだけだった。


「ああ・・・蕗 み みんな・・・」


この分だと 北の浜に近い 西の神山集落や 自分の住む洞窟の集落だって 被害が出ているかもしれなかった。



恐ろしいことに 先程と同じくらいの波が ほどなく やってきて 再び浜辺を消し去っていく


登ってきた崖が少し崩れてきたのを感じた浅瀬は あわてて 崖から身を退ける。



(もう 蕗の上にも 他の女達の上にも精霊が訪れたのだ・・・ 私がここに残っていてもしかたがない・・・)



抑えようと思っても 溢れる涙を拭って 浅瀬は 尾根伝いに 集落に戻ることにした。


下の谷間を歩くより 尾根伝いに集落を戻るのはとても骨が折れる。



だが 下の方に見えるのはとても 慣れ親しんだ土地とはかけ離れたむき出しの赤い泥沼で


荒波に削り取られて 樹木のほとんどが倒されていた。


「ああ どうしよう・・・」


涙を流し続けていることさえ忘れて 必死に浅瀬は 集落を目指す。


手足が擦りむけ 太陽が中天に差し掛かった頃にやっと 集落らしきあたりにたどり着くことができた・・・


「う 馬の背・・・?」


半ば 泥に埋もれるようにして 横たわっている 赤い髪の女の背中が見えた。


あわてて 降りていくと 膝下半分まで泥に埋まる。


「馬の背! 馬の背・・・!」


横たわる馬の背らしき女にたどりつくまでに 浅瀬は何度も足を泥から抜き出しながら 進まなくてはならなかった。


重い女の体を仰向けにするのは子供の浅瀬には大変なことだったが やっとひっくり返してみたものの 女はいっこうに動く気配はなかった。


顔を覆っている赤い泥を丁寧に拭ってやると それはやはり 馬の背で


「雪崩・・・あんたの母さんの馬の背が・・・」


大粒の涙が またぽろぽろと流れて落ちた。


「ちょっと・・・ そんな動かない人いつまでもかまってないで・・・ あたしをなんとかしてよ。」


「え・・・?」


振り向いて見ると なぎ倒された古木に押し倒された形で 藤が仰向けに倒れているのが見えた。


「藤! 生きてたのね。」


同じ集落でも 普段あまり 口を利くことのない女であったが 浅瀬は嬉しくて泥が残る集落を横切って藤の元へたどり着いた。


「ああ 痛い・・・ わたし ううっ 


手と足をやられちゃったみたいね・・・ 


あ くぅぅ  これじゃあ 

お 男共に奉仕できないじゃないの。」


あいかわらず 減らず口を叩く藤だったが 浅瀬が青ざめるほど 奇妙な方向へ藤の両足と左手が曲がっていて


よく気を失わないものだと関心するほどだった。


「待っててね すぐに木をどかすから!」


あわてて 浅瀬は その辺にごろごろ泥をかぶっている木切れの中から適当なものを選んで 藤を押さえつけている古木の下に差し入れる。


「ん・・・」


懸命に押し上げるがほんの少ししか古木は持ち上がらない。


すこし持ち上がったところで 藤が体を抜き出そうとするのだが 無事なのは右手だけなので 動けないのだ。


「あ 浅瀬・・・ あっちのおちている岩があるでしょ?


あれを ころがしてくるの よ・・・」


息も絶え絶えに 藤が指をさす。


「そうか・・・ 少し浮き上がったときに足で岩を差し入れればいいのね!?」 


すぐに 藤の意図がわかって 浅瀬は 重い岩を持ち運んだ。


「藤 がんばって 今 助けるからね!」


「う・・・・ん いいから 早く・・・やんな さ いよ・・・」


ドンドン青ざめていく藤


浅瀬は 吐き気がしそうなほど満身の力を込めて 肩に木を載せる。


「ばか・・・ そうじゃないでしょ・・・ 岩をこの辺に置いて・・・ その上に木をさしこめば・・・楽に木を押し出すこと できるんじゃ・・・ない の。」


藤はもう体を小刻みに痙攣させている。


「わ わかったよ。藤 がんばってね がんばってね。」


今にも精霊が訪れそうな藤を震えながら見て 浅瀬は言われたとおり 岩を支点に再度古木に枝を差し込んだ。


ごろ・・・


「アアアッツッ!!」


藤の絶叫が谷間にこだました・・・



「藤! しっかりして!」


つぶれた足や腕の上を転がっていった古木の衝撃に 藤はすっかり気を失っていたけれど まだなんとか息はしているようだった。


「ああ・・・藤・・・」


それから 浅瀬は他に生存者はいないかと 集落に残っていたはずの 蕗の母親である砂風と赤ん坊の土くれを探したが


砂風の住まいは元々 年取った者たちが 移動しやすいように低いところあったため 頭まで泥に埋まってわずかに赤ん坊の土くれのかわいい腕が見えただけであった。


馬の背の夫の固い岩も 馬の背が倒れていたごく近くに埋まっていたのだが 見つけられたのはずっと後で夕方近くになってからであった。


そして もうひとりシャーマンである冬の音は 集落から少し離れた高台に住んでいるので大丈夫なはずだった。


だが 高齢なためとても手伝ってもらうことなどはできそうもない・・・



浅瀬は とにかく生きている藤だけでもなんとかしたいと 


夕日が谷間に差し込む中 少し高い位置にある 食料収納の蔵の方に藤を負ぶい 何度も休みながら連れて行き 蔵にあった藁を藤の体にかけてやった。


もう今日はこれ以上なにもできない・・・


そう思えるほど 浅瀬は疲れ果て まだ泥にうまっている仲間達に申し訳ないと心の中で何度も謝って


良い精霊がみんなの元に訪れることを祈った。


「疲れてるところ 悪いけど・・・ せめて 火だけでもオコさない?」


膝を抱きかかえ 呆然と赤くそまる空を見上げている浅瀬の傍らで 藤が囁くように声をかけた。


「藤!? 気がついたのね・・・ ごめんね 痛かったよね・・・?」


暮れ始めた集落の片隅で 藤は片頬をあげて 笑って


「ふん・・・ あんたが不器用ってことは百も承知だったわよ・・・


でも もう 火を熾せそうなのは あんたしか残ってないんでしょ?」


何も言わなくても 藤は他のみんなが精霊の仲間になったことを承知しているようだった。


「うん・・・ 待っててね 私 火を熾すのは 割と得意だから。」


藤を何とか 元気づけたいと 浅瀬は重い腰に鞭打って 立ち上がる。


蔵から古い火熾し道具を見つけた浅瀬は 何度か失敗しながらも なんとか火口ほくちを藁に落とすことができた。


「良くやったね・・・


ありがと・・・浅瀬。」


藤がねぎらうようにそう言って喜んでくれたので 


浅瀬もほっとして 熾した火を絶やさないよう 木切れを重ねていった。



ぱちぱち・・・


辺りはすっかり闇に覆われて 星が頭上を覆い始めた。



食料倉庫から持ってきた干し肉や 木の実を あまり食欲はないようだったが


藤にも 小さく千切りとって食べさせてやった。


「冬の音には・・・伝えたの?」


「ううん まだ・・・ でも きっと あそこまで水は行ってないと思う。」


「あんの婆あ・・・シャーマンのくせに肝心なこと 予言できないなんて・・・」


痛みに喘ぎながらも 藤は毒づいた。


「土くれは?」


「・・・砂風と一緒だったよ。」


「そうか・・・じゃあ 寂しくないね。 良かった。」


と藤はそう言って 鼻をすすった。


藤は割と 蕗の赤ん坊の土くれのことを気に入ってたのだと この時はじめて浅瀬は気がついた。


(この人も 本当は普通に夫や子供が欲しかったんじゃないかしら・・・)


やつれきっても 美しい藤を見下ろして 浅瀬はぼんやりそう感じた。


「明日は ちゃんと 皆を見送ってあげようと思う・・・」


「そうだね・・・ 狩に行った男達 帰ったら驚くだろうね・・・」


「うん・・・」


西の神山集落はここよりもっと 北の浜に近いから おそらく全滅しているだろうと思われた。


(あの崖のかなりの高さにまで 波は来ていたから・・・)


思い出して ブルッと 浅瀬は身を震わせる。


「・・・寒いのかい?」


「ううん 大丈夫だよ。」


疲れきった体は重すぎて 火を絶やさないでいるだけで精一杯で 今晩は藤に寄り添って眠るつもりだった。


「あんたさ・・・浅瀬 


月の篭りが来たんじゃないのかい?」


「え?」


「血の匂いが ずっとあんたからしているよ・・・ 怪我でもしてるんじゃないかと思ったけど


腰のあたりから してるからさ・・・」


一日中必死に動いてたから 気がつかなかったが 確かに太もものあたりがどす黒く濡れていた。


泥まみれな上に血まみれになって 動いていたのである。


「おめでとう・・・浅瀬 


今日であんたも 一人前の女だよ。」


「ふ 藤・・・ うっ・・ううう。」


いままで麻痺していた様々な感情が いっきにせりあがってきて 藤に寄り添うように顔を覆って浅瀬は泣いた。




―――浅瀬 月の篭りが来たらね 篭り部屋の仲間に入れてあげるからね。ちゃんとした決まりもあるんだからね―――


蕗が常々そう言っていたのを思い出した。


浅瀬達の地域の女達は 生理が訪れると 月の篭りに入ると言って 狩に出かける男達が「不吉」と血の穢れを嫌がる為 その間中 集落の壁や年齢の壁をを乗り越えて集まり 南の森にある小さな小屋に閉じこもる。 


周辺の集落3箇所ほどの女達が集まるため 小屋には常に2~3人の同じ周期の月篭りの女達がいて


「ひさしぶりね。」と顔をあわせ 思いおもいに 繕いものをしたり おしゃべりをしたりして それなりに楽しく過ごすのだ。


翌日から 浅瀬は 動けない藤の世話をしながら 


精霊の祈りをする為の 聖なる枝を集めに行くことにした。


赤い泥は だいぶ乾いてきていたので もっと乾いた頃に皆を掘り起こした方がいいと藤がアドバイスしてくれたのだ。


精霊の祈りの準備をするまでは逆に獣達が寄らないよう 泥を被せておいた方がいいとさえ教えてくれた。


蕗も賢かったけれど 藤もあんな状態の体なのに的確な指示を浅瀬に与えてくれる。


集落の女達はあまり口を利かなかったけれど 


話をしてみると 以外と自分は藤を嫌いではないと 浅瀬は思い始めた。


ぶっきらぼうな毒舌も 的を得ていて爽快で 


この 心が折れそうな状況の中で 逆に救いになっていた。


「浅瀬 冬の音は歯が1本も無いくそ婆あだよ。そんなの持っていったって 無駄さ。あいつはすっぱい蛇イチゴあたりで十分なんじゃないかい。」


と干し肉を持っていこうとした 私を押しとどめた。


「そうか わかった。」


私は笑って頷く。


ようするに もっと柔らかい生の果実などを途中で採っていってやれと言っているのだ。


奇跡の丘の中腹に 冬の音の洞窟があり 


やはりこの辺は津波の被害は なかったようで おだやかな見慣れた風景となっていた。


「・・・やっときたかい。 浅瀬だね。」


まだ声をかけてないのに 冬の音は洞窟の手前に立った私が訪れたことをわかったようだった。


「蛇イチゴと イチイの実かい ありがとうよ・・・」


わたしが 途中で採ってきた籠一杯の果実を差し出すと 冬の音はかなりお腹を空かせていたのかすぐに食べだした。


「あの・・・冬の音 洞窟の集落が・・・ それからきっと 西の神山の集落も・・・」


「ああ  わかってるよ。 皆 私のところに挨拶に来たからね・・・

土くれはかわいそうだったが 母親の蕗も砂風もいっしょだから 大丈夫さ


お前が ちゃんと良い精霊をお迎えする儀式をしなきゃ いけないよ  浅瀬。」


「はい・・・ わかり ました・・・」


冬の音は何も言わなくても 全てを知っていたようで驚愕したが 蕗が土くれと一緒にいることを聞いてほっとして泣けてきた。


それから 私は子供の頃から何度となく見てきて知ってはいたが 改めて 精霊の祈りのやり方や意味を詳しく冬の音から教わって

 

聖なる枝が沢山得られる場所を教えてもらった。


「また 果実が無くなった頃 伺います。ありがとうございました。」


シャーマンである冬の音に礼をして 立ち去ろうとすると


「浅瀬・・・ 男達は 後 太陽が5回昇ったら 戻ってくる。 その中にお前の夫となる男もいるよ。」


(じゃあ やっぱり 私の夫は 雪崩なんだ・・・)


集落があの状態で 藤は体が不自由になり 女では自分だけとなった今 男達の世話を一人でしなければならなくなったことを思い 浅瀬はちょっと緊張した。


(でも 妻のない霧だって 男でも冬の音の世話をしながら 暮らしているんだ 私のような子供ひとりに みんな靴の修理や 衣を作るように押し付けたりはしないだろう・・・) 


それどころか 男達は集落を捨てて 他の集落に女を求めて出て行くかもしれない・・・


先の見えない不安にかられながらも 浅瀬は 聖なる枝が採れる森に入っていった。


香木である 聖なる枝は 森に入ったとたんに香りで その存在がわかる。


拾うたびに 精霊に導かれるものたちの名前をひとりひとり唱えていく。


「よき精霊たちよ 蕗を導きたまえ・・・」


また一枝拾い


「よき精霊たちよ 馬の背を導きたまえ・・・」


小ぶりの枝を拾い集めては


「よき精霊たちよ 土くれを導きたまえ・・・」


子供のわたしの祈りが 精霊たちの機嫌を損ねないよう 丁寧に枝を扱った。


山のように背中に 聖なる枝を背負い


集落へと向かう。


ガア ガア・・・


カラスたちの泣き声が聞こえて 浅瀬は嫌な予感がして 足を速める。


「藤・・・」


「あっち行けったら! ちくしょう・・・」


泥をかけて隠した死んだ仲間達ではなく 弱った藤のところにカラスが2~3羽集まってきており 様子を伺っている。


藤は必死に届きうる範囲まで木切れをふるうのだが その力は弱々しく カラスはパサッと小ばかにするように避けるだけだ。


(あいつらは藤がもうすぐ 精霊に導かれると知っているのか?)


「ふーじー!!!」


ぞっとして 浅瀬は背中の荷物の重さも忘れて 駆け出した。


叫びながら近づいてくる浅瀬に驚いて カラスたちは散り散りに飛び去っていく。


「藤 大丈夫? ごめんね 遅くなって・・・」


カラン・・・


藤の手から力なく 木切れが零れ落ち 


その全身から力が抜けていくのを感じた。


「藤・・・? 藤!? しっかりして!」


焦って 藤に駆け寄る私に 


「・・・ッタク うるさいね  聞こえてるよ・・・」


目を瞑ったままで 藤は言った。


「はあ・・・びっくりした。」


藤まで精霊に連れて行かれたかと 心底ぞっとしたのだ。


「・・・私なんて お荷物なだけだから さっさと 死んでしまえばいいんだけどさ  命根性汚いからね・・・ まだ生きてるよ。 でもね・・・ もう 限界かな・・・」


ふっと笑いながら 青白い顔の藤がつぶやく。


「そんなこと言わないで・・・

 

もうすぐ男達も帰ってくるから。 


そしたら もっと新鮮な肉が食べられて 藤は元気になれるよ・・・ きっと!」


大丈夫な方の藤の右手を握って 懸命に浅瀬は訴えた。


「・・・浅瀬。」


「なに?」


かすれがちな 聞き取りづらくなっている 藤の声を聞き漏らすまいと耳を近づける。


「もう 鷹のいいなりに・・・ なっちゃあ だめだ よ・・・


あんたは 一人前の 女に なったん だから・・・


できれば・・・そうだね  あんたは シャチの妻に してもらいな・・・」


搾り出すように 藤はそう言って 私の手を弱々しく握り返してきた。


「え・・・ 私がシャチの・・・」


思いもよらないことを言われて 浅瀬は絶句する。


「だって 蕗も 他の女達もいないんだ・・・ あたしも さ そろそろ だし・・・


シャチは・・・ いい男だよ。 


集落で 唯一 わたしを  抱きに来なかった 男なのさ・・・」


「え? 唯一って・・・」


「子供の あんたは 知らなかった かも しれない けど・・・


雪崩も 霧も・・・  あんたの兄の・・・・海風も 


一度は私を抱きに来てるんだよ・・・」


藤の衝撃的な 話に 浅瀬はにわかには信じられず 


「嘘・・・ 雪崩はまだしも・・・ 海風まで?」


父親の鷹が 狩の収穫の一部を持って 藤の元へ通うのを 吐き捨てるように言っていたのに・・・


「ああ 海風はね  足が悪いから なかなか嫁の来てが・・・ないだろうと 


鷹が 珍しく 鹿を仕留めた夜に  つれて 来たんだよ・・・」


はっと 浅瀬は思い出した。


まだ溢れる河が精霊に召されて間もない頃に 鷹が 年寄りの鹿を仕留めて意気揚々と帰ってきたことがあったのだ。


ものすごく上機嫌で 夜遅くまで 集落の男たちと 火を囲んでお祝いをしていたのだ・・・



「思い出したかい・・・ あの日 あんたは


・・・久しぶりにお腹いっぱい 鹿肉を食べて・・・ 


早くに休んで   しまったろう?


あの夜 鹿の太もも肉を  担いで 


こいつを男にしてやって  くれって 


海風を置いてったのさ・・・」



たしかに あの日の上機嫌な 鷹なら それくらいしたかもしれない・・・


「でも ・・・それっきりさ ケチな 鷹は 


自分ばかり 少々の獲物を・・・携えて 洞窟を   訪ねてきたけど


海風を連れてくることは  二度となかった・・・・


あの子は やさしかったよ・・・ いい子だった・・・」



そう言って 懐かしむように 藤は微笑んだ。



では あれは 兄の海風が 父の鷹に嫉妬をしていたのか・・・?



「あんたは・・・ あたしみたいに なっちゃあ 駄目だよ・・・


ちゃんと りっぱな男の妻になって・・・


子供を産むんだ・・・ 


わたしは・・・ できなかったからさ・・・」


するり と 藤の手から力が抜けて  


かさついた唇から ふーーーーーっと 長い息を一つ吐いた。


「藤・・・ ねえ 藤 行かないで! お願い・・・! 藤 ふーじーっ!!!!」


カラン・・・ パチ パチ


藤の体を取り巻く炎に またひとつ 香木を入れる。


聖なる枝からは 白く芳しい煙が立ち昇り 


浅瀬は 精霊を迎える歌を くちずさむ。


藤が亡くなってから その側でひと晩を過ごし


まだ明けきらぬうちから 浅瀬は 馬の背と固い岩


砂風と 土くれを 精霊に迎えてもらう準備をして


夕方になって やっと 藤に死に化粧をしてやることが出来たのだ。


「藤・・・ とても綺麗よ・・・」


紅花から取った染料を 藤の唇に差す。


「みんなの香木を少しずつ 分けてもらったからね・・・


きっと 蕗も土くれも 喜んで迎えてくれると思う。」


三箇所にわたる 精霊を迎える火の間を 何度も行き来して 浅瀬は 火を絶やさぬように 乾いた枝木を足していく。


香木は 時々 香りが薄れたころに入れてやれば良かったが 一度に 三箇所で焚くのは初めてだったので


浅瀬は 谷間中に精霊が集まってきているような気がしてきた。


火は一晩中 燃え続け 浅瀬は時々 ウトウトとしていたが なんとか 皆を精霊に引き渡すことが出来たのである。


遺体を火葬した翌朝 浅瀬は 土饅頭を作り 石を積む。


それぞれの石の上に 亡くなった者たちの愛用品を置くのだが これがまた 結構探すのに骨が折れた。


馬の背には よく首に巻いていた 貝殻のネックレス


固い岩には かなり離れたところから見つかった愛用の杖


土くれには 揺りかご


砂風の分はよくわからなかったため 土くれをあやす時に使っていた あわせ貝の玩具


そして 今 藤の墓の上には 東の洞窟から見つけた 美しい赤い玉石を載せた。


全てを終えてみると あの大津波の起きた日が遠い昔のように感じてくる。


浅瀬は 再び 果実を集めながら 冬の音に会いに行くことにした。


「みんな ちゃんと よき精霊に迎えてもらえたようだね。 よくやったよ。」


冬の音は 浅瀬の手を取って 何度も擦ってくれた。 


「冬の音・・・ 今日はここに泊まってもいいでしょうか・・・?」


震える肩で そう懇願する浅瀬に


幾晩も 子供の浅瀬がひとり懸命に頑張ってきたことを知っていた 冬の音は


「ああ 今日ひと晩だけだよ。 でも 明日の昼までには お前は集落に戻らなければならない。


男達が帰ってくるからね。」


「あ・・・」


(男達になんと 説明したらよいのだろう・・・?)


乾いて固くひび割れた赤い土砂


北の浜への谷道は 根こそぎ流された樹木で 半ば塞がっている。


そして 集落に 新しく出来た土饅頭が3つ 


冬の音が急に 浅瀬の手を握った両手に力を入れた。


「ふ 冬の音?」


老人とは思えぬ力に 困惑していると


「聞け・・・ 娘よ・・・」



「お前は伝えなければならない みんなの上に起こったことを・・・



大人になったお前は まもなく夫を持つことになる


最初 お前の夫となるものはお前を憎むかもしれない。


罵倒し 遠ざけようとするかもしれない。


だが 信じるのだ・・・


絶対おまえは 幸せになれる。


おまえは 集落の母になる 女なのだから・・・」


冬の音はそう告げると


精魂尽き果てたかのように


ぐったりと横たわってしまった。


浅瀬は 冬の音の背中ぴったりくっつくようにして その日は洞窟で眠った。


「それでは また 伺います。」


「ああ いつでも おいで 浅瀬」


浅瀬は 陽が昇る前に 冬の音の洞窟を後にして集落に向かった。


途中に咲いている花々を手折りながら戻り それぞれの土饅頭に供えた。


砂風と土くれの 土饅頭には ゆりかごに 花を載せてやる。


「土くれ・・・お母さんと別々になってしまって ごめんね。」


(お母さんを探しに もう一度 北の浜まで 行ってみるからね・・・)


浅瀬は 泥水も乾いて来たので 行けるところまで 谷あいの道を進んでみたが


やはり 途中から 岩や 倒れて流れた樹木に塞き止められて 道は塞がった状態だった。


(なにか 蕗の痕跡だけでも 持ち帰れたら・・・ )


集落に残ったものは 浅瀬の家族以外は皆 亡くなっており


特に シャチの家族は 蕗をはじめ 土くれも砂風も亡くなってしまい


申し訳なくて じっとしていられなかったのである。 


途中から 山の斜面を登り 朝陽が顔を出した頃 浜に着くことが出来た。


ザー・・・


ザー・・・


穏やかな波が 浜辺に打ち寄せる。


「蕗・・・どこにいるの?」


浅瀬は 海岸線を ひとり どこまでも歩いていった。


生まれた頃から慣れ親しんだ北の浜とは かなり様子が変わっており 


死んだ魚や アザラシに 海鳥達が 群がっていた。


(そろそろ 集落に戻らなければ・・・ 男たちが帰ってくる・・・)


だが 諦めきれずに 足が前へと進んでしまう


やがて 同じように 浜辺を歩く人影が見えてきた。


「あんた・・・ どこの集落から来たんだい?」


近づいてきたのは中年の女で 浅瀬を見ると 駆け寄ってきた。


「私は 北の浜のものです。」


「北の浜・・・ じゃあ 東の方から来たんだね? 

ねえ あんた これくらいの 栗毛の男の子を見なかったかい?」


「いえ 集落から ここまで 誰ひとりとして 会ってません。 どうしたんですか?」


「数日前に大津波が来たのは知ってるね?


あの日 私の坊やは 浜辺に遊びに行ったんだよ・・・


毎日 浜辺を歩いて探してるんだけど  どこまで行ったのかね~


やんちゃで 困っちゃうよ ふふふ。」



「・・・あの 私も 人を探してるんでけすど この辺で・・」


「いないよ! 誰も いないっ!」


突然 女は 浅瀬に掴みかかってきた。


「あんたっ あたしが どれだけ 何度も この浜辺を往復したと思ってんの?!


一人として・・・一人として 戻ったものはいないんだっ!」


女の目は狂気を宿し 浅瀬の体を何度も揺する。


「・・・ほ 本当に・・・一人も?」


女の悲しみが 波のように 浅瀬の胸にも押し寄せてくる


「アア・・・ うぅぅっ  そうさ ・・・誰もいなくなっちまった。


坊やと遊びに行った 他の子たちも 一緒に・・・」 


「私も また 探しに来ます。 


もし 坊やを見かけたら  報せに来ますから・・・


だから もし まだ若くて赤い勾玉の首飾りをしている女を見かけたら 教えてくださいませんか?」


「赤い勾玉・・・ わかったよ。」


女と 別れて 浅瀬も やっと 集落へと戻り始めた。


「男達は 昼頃には戻るからね。」


冬の音がそう言っていたので 浅瀬は 目を周辺に彷徨わせながらも浜辺を急ぐ。


北の浜について  谷あいの道に入った頃には すっかり 真上に太陽があり


じりじりと 強い日差しが浅瀬の首筋を焼いた。


また 斜面を登り始めたが ここ数日の疲れが出てきて なかなか足が上がらない


(どうしたんだろ 体が重い  ああ 疲れた・・・ すこし 休みたい・・・)


月の篭りを初めて経験した 浅瀬は自分の体が思うように動かないことに 戸惑っていた。


集落まで あと少しというところで 浅瀬はとうとう 座り込んでしまった


(ああ 目が回る・・・お腹も 痛い・・・)


腰を曲げうつ伏せになると また 血が大量に溢れてくる。


――よごれた綿は 土に深く埋めるんだよ。 動物がかぎつけるからね。――


藤が教えてくれた月篭りの処置を 思い出して 苦痛にもがきながらも 新しい綿を取り出して換え


穴を掘る。


「そこにいるのは 誰だ!?」


突然 声をかけられて あわてて 綿をまだ浅い穴にねじ込めていると


「おまえは・・・ 浅瀬か?」


「・・・シャチ。」


浅瀬より 頭一つ半は大きいシャチは しゃがみ込んだ浅瀬から見ると 大木のように巨大で


雄雄しくみえた。


「そこで 何をしている? いままで どこにいたのだ。」


シャチは睨みつけるように 浅瀬を見下ろす。



「え・・・ あの 北の浜まで 行ってきたのです。」


月篭りの処理をしているところだったため 浅瀬も少し動転している。


「では 冬の音が言っていたのは 本当なのか?」


シャチの顔は怒りと悲しみで歪み 金縛りにあったように黙ってしまった浅瀬の肩をガシッと掴んだ。


「答えろ・・・浅瀬 おまえは 北の浜で 蕗の物を何か見つけてきたのではないのか?」


「え・・・いえ ちがいます。」


「では 今 そこに埋めたのはなんなのだ?」


「これは・・・ 蕗の物などではありません。」


「では 何を埋めたのだ? おまえは 蕗が死んだ時に居合わせていたのだろう? なにがあったのだ?

冬の音の言うことは 信じられないのだ・・・ おしえてくれ 浅瀬よ・・・」


矢継ぎ早に 詰問されて 肩を揺さぶられる浅瀬。


(普段 寡黙な人だと思っていたのに・・・)


当然といえば 当然であった シャチは義母と子供 そして 愛する妻までいっぺんに失くしたのであるのだから


「・・・大津波が蕗を そして 西の神山の女や子供たちを連れて行ってしまいました。


わたしは 今日 浜辺まで行ってきましたが 蕗も他の人々も誰にも会うことはできなかったんです・・・」


うなだれる 浅瀬に シャチは諦めきれないようで


「浅瀬・・・ そんなはずないだろう? お前は何かを見つけてきた それは 今そこに埋めているものではないのか・・・?


蕗の腕とか 指とか・・・ 髪の毛とか  そうではないのかい?


俺に 見せたくなくて 隠そうとしてるんではないのか・・・」


「あっ!?  シャチ まって ちがいます!」


シャチは 浅瀬の制止も聞かずに 盛ったばかりの土を掘り起こし始めた。


「血? やはり 蕗の・・・」


シャチは 狂ったように 掘り返したが 血のついた綿しか見当たらない


「コレは何だ? 蕗はどうしたのだっ!? 怪我をしているのではないのか?」


「・・・」


浅瀬は 恐くて 恥ずかしくて 震えながら 首を横に振るだけで 何も言い返せない。


「シャチ それは ちがうよ  浅瀬 おまえ ・・・月篭りに入ったんだな?」


ビクッ


浅瀬の様子を見て


シャチが振り返ると


そこには 雪崩が立っていた。


「・・・雪崩。」


「月篭り・・・ 浅瀬が?」


シャチの手が緩んで離した浅瀬の肩は 赤く痣となっていた。


「冬の音から 聞いたよ 浅瀬・・・


お前 一人で みんなの 精霊の儀式やってくれたんだな・・・ ありがとう。」


雪崩の目から ぱらりと涙が流れ落ちた。


「・・・シャチ ごめんなさい 蕗のこと 私 何にもできなくて。」


「・・・浅瀬。 いや 俺の方こそ 興奮して すまなかった。 


おまえは 俺の義母や子供を ちゃんと精霊に導いてくれたのだな・・・ 


そのちいさな 体で・・・ なのに 申し訳なかった 許してくれ。」


「いえ シャチ・・・」


あわてて 謝罪する シャチを制止しようと立ち上がったとたんに 


・・・浅瀬は闇の中へと落ちていった。


浅瀬・・・ 月篭りの時に 無理しすぎちゃいけないよ



(蕗・・・ どこに行ってたの? 探したんだよ)



ごめん ごめん ニシン取るのに夢中でさ~

いつの間にか 海の精霊に招かれてたみたいだよ

暢気だね 私も  ふふふ


蕗は なんでもないことのように笑っている

その腕には 土くれを抱いていた



(シャチが とても さびしそうなんだ 会いに行ってあげて。)



・・・あの人は元々 他所から来た人だしさ

早く 私達のことは 忘れてくれた方がいいのさ



蕗の目が寂しげに揺れる。



(でも・・・)



馬鹿じゃないの あんた



(藤・・・)



うちらは 浅瀬のおかげで ちゃんと よき精霊の下で 楽しくやってるってのが よくわかってないみたいだね

生きてる人間は まだまだ やらなきゃならないことがあるから そこに残ってるんだ。


浅瀬 あんただって そうなんだよ。


―――――


「気がついたか?」


「海風・・・」


気が付くと 兄の海風が 浅瀬を覗き込んでいた。


いつの間にか 集落に連れて来られていたらしい。


浅瀬が 寝かせられていたのは 藤の住んでいた 東の洞窟であった。


(そうか 泥が押し寄せていたのは 入り口付近だけで ここは 中が少し高くなっているから あまり被害はなかったんだ・・・)


「大変だったな 浅瀬。」


「海風・・・」


浅瀬は 兄にしがみつくように身を寄せて 嗚咽を漏らした。


「皆・・・いなくなっちまったんだな。」


「うん・・・」


兄の手が 浅瀬の背中をそっと撫でる。


「他の集落でも 結構 被害があったようで 狩もそうそうに戻ってきたんだ。」


「冬の音が 帰ってくる日を教えてくれたよ。」


「そうか・・・ひとりで心細かっただろ?」



(兄の手は暖かい・・・)


「少し前まで 藤が居てくれたから・・・ でも やっぱり 連れて行かれてしまったんだ。」


「藤が? 少し前まで・・・」


浅瀬を抱く兄の腕に力が入った。


「浅瀬  なあ 藤とは何か 話した・・・?」


兄の声は心なしか震えている。


「うん すごく話したよ  こんなに藤と話したの初めてだった・・・


もっと 前から 仲良くしておくんだったよ・・・


藤は 本当は すごく いい人だったんだね。」


「・・・そうか。」


(海風・・・さびしそう  やっぱり 藤のこと  好きだったんだね・・・)


浅瀬は 兄の胸に吹きつける むなしい風音を聞いたような気がした。



「気が付いたが? 浅瀬 長が呼んでいるぞ。」


父の鷹が 特に浅瀬を気遣うでもなく そう一言 告げて洞窟を出て行く。


浅瀬は兄と連れ立って 外に出ると


村の男達は 足場の悪い 泥のうまった低い土地を避けて 食料倉庫のあった高台に 新しく住まいを造り始めていた。


この辺の集落は 南の森から採れる木を材料に 通常 堀立柱建物の住居を造っている。


特に食料倉庫は高床式になっているが 男達は こたびの災害をまのあたりにして 自分達の住まいも すこし高い位置に また 高床にしておいたほうがいいと考えたようで 穴を穿ウガち 太い柱が何本も切り出されていた。


「浅瀬 体の具合はどうだ?」


シャチが 表に出てきた浅瀬に気づいて 近づいてきた。


「ありがとうございます もう なんともありません。」


浅瀬の体に 一瞬 緊張が走る。


「悪いが みんな それぞれの 家族が どんな最後を遂げたのか知りたがっているのだ お前の知りうるかぎりでいい・・・ 話してくれないか?」


あくまでもシャチは穏やかに話しかけてきた。


「はい・・・わかりました。」


男達が捕ってきた獲物を焼く炎を囲んで 


いつもより ずっと 静かな夜がやってきた・・・




「・・・あの日 朝から ニシンが沢山 揚がっていると 貝拾いから 帰った 馬の背から聞いて


私と 蕗で 北の浜に向かったのです。」



浅瀬が しばらくの沈黙の後 話し出したのは もうすっかり陽も暮れてからのことだった。


「北の浜に向かう時  馬の背が 早く行かなきゃなくなるよと 声を掛けてくれました・・・


藤にも・・・」



藤の名前に少し反応したのか 兄の顔がぴくっと揺れた。


「蕗が 藤にも 一緒に行かないかと声をかけたのですけど・・・」


すると 父の鷹が


「行くわけないな あの女は 魚臭いのは 嫌いだった。」


と 苦笑した。


霧(冬の音の息子)や雪崩は 特に反論せずにだまっていたが


兄の海風は 少し顔を曇らせている。


「・・・ええ たしかに藤は一緒に行かなかったのです。


私は 蕗と ニシンが無くならない内にと 走って北の浜に向かいました。


蕗はあかんぼうの土くれを 砂風に預けていたようでした。」


シャチが食い入るように 浅瀬を見つめてくる。


「ニシンは・・・沢山 浜辺に揚がっていて 西の神山の女達もいたんですけど 捕っても 捕っても押し寄せてくるようでした。」


(ああ 蕗の最後を話すなんて・・・)


男達は 浅瀬の言葉をひとことも聞き漏らすまいとするかのように 体をこちらに向け 


一様に口を引き結んで聞いている。


「西の神山の女が 私に ニシンを運ぶために 丈夫な葡萄蔓を 取ってきてくれないかと 頼んできたんです。


北の浜の葡萄蔓は 崖の上にありましたから 身軽な私が行く事になったんです。」


 「私が崖に上りきった後 地響きのような音がして・・・


浜辺に目を移した時には・・・」


ごくっ


誰かの喉がなった。


「もう 誰の姿も見えませんでした・・・」


重い沈黙が 辺りを包む。


パチ パチ・・・


獲物を焼く 肉汁が 火をはぜる。



「どのくらいの波が来たのだ?」


霧が ここで 口を開いた。


「北の浜の崖のすぐ下まで 上がってきてました・・・


わたしは 母の溢れる河から 大津波は何度も繰り返しくることを聞いてたので すぐに浜辺には下りず そこに暫くとどまってました。


でも 浜辺には もう何も残ってはいなかったんです。」


ため息と共に すすり泣く声が洩れる。

それから 浅瀬は ぽつり ぽつりと 集落に戻ってからのことを話していった。


「私・・・考えてみれば 母から 大津波の前に 鯨が入り江に迷いこんできたと いう事 聞いたことがあったんです。


あんなにニシンが揚がるなんて・・・ そんなことめったにあるわけないのに おかしいってこと気づいても良かったんです。


藤だって・・・もっと私が色々出来たなら 死ななくても済んだかもしれないのに・・・」



「・・・」


ここまで話したとき シャチは無言で立ち上がり  南の森に入っていってしまった。


「浅瀬 ご苦労だったな・・・今日からお前はあの東の洞窟で休むがいい。」


霧がそう言って 浅瀬の背中に触れる。


ぞ・・・っ


気のせいだとは思うが 浅瀬は霧の手つきに 薄気味悪いものを感じてしまった。


「でも 皆さん狩から戻られて お疲れですよね? まだ それぞれの住処は出来上がってないでしょう?


東の洞窟は 皆で使うのがいいと・・・」


浅瀬は 藤の洞窟をひとりで使うことに抵抗を覚えた。


「いや お前は 大人の仲間入りをしたのだ 


これから お前を妻にと望むものが 訪れる際に 必要になるのだ。」


父の鷹がすぐさま浅瀬の言葉を遮った。


「で でも 月篭りがあったからって そんな すぐに 誰かの妻にならなければならないの?」


「当たり前だ 他の集落でも 沢山の女や子供が死んだ。


お前のように 若い女は貴重なのだ。 


すぐに噂を聞きつけて 貢物をたずさえた男共が 集ってくるにちがいない。」


こんな場なのに 父親の鷹は 口元に薄く笑みさえ浮かべていた。


「父さん 浅瀬は まだまだ 中身は子供です 


それに 色々あって まだ 気持ちが落ち着かないのだろう?」


「海風・・・」


兄の優しさに 胸がじ~んと 暖かくなる浅瀬。


「待ってくれ! 浅瀬は俺と契りの約束をしている。 そうだよな? 浅瀬。」


そこへ 雪崩も立ち上がり 声をあげた。


「なにを言ってる まだ ひよっこのくせに おまえなぞに 浅瀬をやるわけにはいかんわ。 たわけガッ」


「父さんっ! やめろっ」


海風が険しい声で父を咎めた。



「ふん 浅瀬をと 前々から声をかけてくれる男は 結構いるのだ。


雪崩 おまえは 後ろ盾がなくなってしまった以上 気の毒だが うちの娘を嫁にやるわけにはいかない。」


「くっ・・・」


雪崩の顔はみるみる赤くなり 一度 浅瀬の方を見たがすぐに 踵を返し 焚き火を離れて闇にまぎれてどこかへ行ってしまった。


「父さん ひどいわっ」


浅瀬は 雪崩に申し訳なくて 自分の父親が情けなくて 吐き気までこみ上げてくるようだった。



(この 鷹という男は この悲惨な状況の中を 逆に利用して 私を 最大限に高く周りの男たちにアピールして 売りつけようとしているんだ・・・


私は 月篭りがおとずれたら 単純に父から開放されると思っていたのに・・・


なんて 子供だったのだろう・・・)


「浅瀬・・・!」


兄が呼びとめたが とにかく 浅瀬は 鷹の傍にいるのが耐えられなくて 


残酷でしかない明るい場所から 


静寂と平和を求めるように闇の中へと 引き込まれていった。


足の悪い兄が必死に追いかけてきていることは 気配でわかっていたのだが


とにかく 一刻も早く 一人になりたかった。


―浅瀬 戻れ 夜にあまり 奥まで入るな・・・―


少し兄の声が 遠くなってきたところで 大きな木の幹にもたれるように座った。


「・・・はぁ はぁ はぁ」


月篭りも終わりに近づいているようだったが やはりまだ 普段の調子は出ない。


夜にひとりで こんな集落から外れた場所まで 来たのは初めてで 

まだ闇に目が慣れてないため 無駄に進めば 怪我をしたり いのししなどが現れたら 逃げようもない。


がさっ


(・・・何だろう?)


ガササッ


ビクッ 


浅瀬は 本当に獣が現れたのかと目を凝らしたが 音のした方角から出てきた 真っ黒な影は


いのししよりも 更に大きいようであった。


浅瀬はそっと息を殺して 動かずに 様子を見ていた。


影は こちらをじっとうかがっていたが やがて 更に近づいてきた。


「あっ!」


圧し掛かるように目の前を覆った影は 浅瀬の肩に触れた。


「腕 痛くないか?」


「・・・シャチ」


大きな獣? と 思っていた影は シャチであった。


「なんだ 俺が見えてなかったのか・・・


そんなに俺を 恐がらないでくれ  これでも かなり気がとがめていたんだ。」


「・・・腕は もうなんともありません。


貴方は 夜目が利くんですね。」


黒い大きな影は 浅瀬の目を覗きこんでいるのか 顔に息がかかってくる。


「そんな 大きな目をしてるのに 見えてないのか? 狩は出来ないな。」


とすぐ横に座ったようだった。


「・・・そうですよね。」


女の浅瀬に 何をと思っていたら


「・・・まともに取るな。冗談を言ったんだ。」


「冗談・・・ですか?」


「おまえ 冗談かと聞くのか?」


「・・・」


「・・・」


「まあ あんなことした男の冗談になんか 笑う気にはなれないよな。

気が付いても良さそうなもんなのに・・・ 馬鹿だな 俺。」


「シャチ・・・あの もしかして 私が 気を失った後  集落まで?」


ぽん とシャチは浅瀬の肩を軽くたたき


「ああ 大事な仲間だ 当たり前だろ?」


となんでもないことのように言う。


「ありがとう ございました。」


少し目が慣れてきて シャチがちょっと照れた表情をしているように見える。


「それにしても どうしたんだ? 集落にまだ程近いとはいえ この辺でも いのししくらい出るんだぞ。

女が一人で 歩く時間じゃない。」


「すみません。・・・あの 私ひとり 東の洞窟を使わせていただくわけにはいきません。


人数もそんなにいないのですから 男の人たちも一緒に 洞窟で休んでほしいんです。」


「鷹から 集落の唯一の女であるお前を 守らねばならないと 意見が出て 


それじゃあ 浅瀬には 洞窟をあてがうべきと 皆で決めたことだ。


お前が そんな風に気に病む必要はない。」


「でも・・・ 父は 私を守るために 洞窟を宛がおうとしているのでないんです。」


「浅瀬・・・お前が 鷹の傍にいたくないのなら 無理強いはしない


そうだな 冬の音の所に 寄せてもらうといい。」


「・・・でも 霧が・・・」


「なんだ 霧が? あんな年寄りでも お前にちょっかいだそうとしてるのか?しょうがないな・・・」


シャチは苦笑を浮かべて 考え込んでいる。


「あ あの 気のせいかもしれません ただ ちょっとそんな気がしただけで・・・


いいんです わがまま言って すみませんでした。」



長を困らせてしまったと 浅瀬は慌てたが 


「無理するな。 お前はもっと 我侭を言っても よい立場だ。


集落の女神となったのだから 


お前のために 俺達は 水も食料も そして 住処も 出来うる限りのことをしていきたいと思っている・・・


お前をよその集落に 行かせはしない。」


ドキン・・・


そんな 意味じゃないことは十分承知しているのだが  浅瀬は 愛の言葉のように感じてしまった。



「雪崩と約束していたのだろう? あいつの後ろ盾なら 俺がなってやってもいい。 


なんでも 相談してくれ 長として お前達を応援しているからな。」


シャチの黒い瞳は 闇よりも もっと深く やさしさに満ちていた。



「ありがとう ございます・・・」


優しい言葉をかけられたのに 寂しいのはなぜなんだろう


自分の妻や子供を亡くしたばかりのこの人は まだ長としての責任をちゃんと果たそうとして 


私のような子供にも 声を掛けてくれたのに・・・


「もどろう お前の体はまだ本調子ではないのだろう?


蕗は子供を生んでから そういうの無くなっていたから 忘れていたが 


その時期は たしか 月篭りの小屋に女達は集まるのではなかったか?」


「ア・・・そうでした  蕗に よく その小屋の話は聞いてました。 


そうですよね 小屋ができるまで そこにいけばいいんだ。」


ほっとした浅瀬に


「やっと笑ったな。


女神よ 


月篭りの小屋まで 送らせてくれ。」


「そ そんな 一人で行けます。 


男の人は 狩をするから 


あそこには近寄らない方がいいと思います。」


手を振って 断ろうとすると シャチはその手を握って


「そこは 譲れないな。 


お前を危険な目に合わせるわけにはいかない。

絶対 小屋まで行かせて貰う。」


また 鋭い目で睨まれて 思わず首を竦める 浅瀬。


「・・・は  はい じゃあ お願いします。」


「よし。」


シャチは先に立ち上がり 浅瀬の手をひいた。


軽々と 引っ張りあげられ そのまま 先を歩くシャチのすぐ後ろをついて歩く。


目の良いシャチは 軽やかに足を運ぶが まだ若干 浅瀬の方は 目が慣れないため


もたもたしてしまう。


「・・・ 悪い もっとゆっくり歩くから 焦らなくていいよ。」


(この人本当は すごく優しい人だったんだ・・・)


兄の海風の手よりも もっと大きくて 浅瀬の手はすっぽりと包まれてしまっている。


「俺が この集落に最初に来た時・・・ 鷹にお前をひと晩どうかと 薦められていたんだよ。」


「えっ? 父がですか? 私 その頃はまだ全然子供だったのに・・・」


「そうだよな さすがに 俺も それは断った。


どうやら あの時 俺の持ってきていた クジラの肉にすごく興味があったみたいで ふふっ


こんな小さな娘を クジラのために差し出そうとするなんてと 驚いた。」


「・・・」


浅瀬は恥ずかしすぎて 手を振り払って 逃げ出したくなってしまった。


「だけど 今 そんな風に薦められたら 考えてたかもしれないな・・・」


「え・・・?」


シャチの思わぬ言葉に つい足が止まってしまう浅瀬。


「お前は美しくなったよ 浅瀬。


だから 鷹のいいなりになれとは 言わないが お前は十分 男を選べる立場になったのだ


その気になれば 豊かな生活を送ることができると思う。


だけど・・・ できれば 集落から 出ないで貰いたい。


俺は流れ者だったが この集落は 海も山も近くて 温暖で とても気に入っている。


終の棲家をみつけたと 思っているんだ。」


「私 ここ以外を知らないから・・・ 恵まれていたんですね。」


「そうだよ もっと 何も無いところに 懸命に畑を作ったりして暮らしているものたちもいる。


毎回 河が氾濫して 移動しながら暮らしている部族もいるんだ。


この辺の人々は ほとんど 定住していられるだろう?」


「定住が当たり前だと思ってました。」


シャチとこんな風に話したことはなかったので 他の世界のことなど想像もしたことがなかったがいっきに興味を持ってしまった。


「クジラって でも海にいるのでしょう?」


「ああ ここは海に近いのに 海岸部が豊かでたくさん獲れる貝やウニで間に合っているから 沖まで出ないのだろうけど

大きな船を何艘も 駆り出して 長い銛で突くクジラ漁は 命がけなんだ。」


「クジラって とても大きいのでしょう? そんなのどうやって 捕まえるの?」


「何艘もの船で 男達がよってたかって 銛で突き 弱ったクジラを ロープで曳航するのだ。」


「見てみたい・・・」


「お前が男なら 船にも乗せられるがな ハハハ 残念だったな。」


「シャチは色々経験してるんだね 羨ましい。」


「俺は お前たちのように ひとところに定住する生活に憬れていたよ。」


「良かった・・・ 私 こんなことになって 男達の中には他所に行ってしまうものも出てくるかと思ってました。


特にシャチ  あなたは 元々他所から来た人だし 


ここにいる義理は何もないんだもの・・・」


「俺はここが気に入っているよ。 だから お前にも ここに留まって欲しい。」


シャチが浅瀬の頬に触れ そっと撫でた。


「・・・あなたはまた誰か 妻をとらないのですか?」


ドキドキ落ち着かない心臓を気にしながら 


思い切って聞いてみる浅瀬。


「当分は 集落の再建もあるし まだ 妻を娶る気にはなれないな・・・


気持ちも落ち着いてないから 


それに やっぱり 蕗がまだ どこかで生きているような気がするのだ。


冬の音がなんと言おうと・・・」


「シャチ・・・」


月篭りの小屋が見えてきたが もう 遅い時間だったため ひっそりとしていた。


「送ってくださって ありがとうございます。」


「ああ またな。」


シャチが手を振って 背を向けて歩き始めたとたんに


ひとりここに残される寂しさを感じてしまい 入り口で 戸惑う浅瀬。


「なんだ はじめてで 臆しているのか? 残念だが そこは男が入るわけにはいかないしな。」


ふいに振り向いたシャチが まだそこに突っ立っている浅瀬を見て笑う。


「あの・・・シャチ。」


「どうした? ああ 食べ物なら 明日 持ってこよう お前はずっと皆に津波が来た時のことを話してたからあまり食べていなかったのだったな。」


「・・・いえ それは 大丈夫です。あの・・・ 明日 北の浜に行きますか?」


「ああ 日中は小屋造りするから 朝のうちに行ってこようと思っているが。」


「私も行かせてください。昨日はずっと東の方に向かって探したんですけど 西の方はまだ探してないから。」


「・・・一緒に行ってくれるのか?」


「はい 私にとっても 蕗はかけがえのない姉のような存在でしたから・・・」


「・・・ありがとう じゃあ 朝迎えにくる。」


シャチの目が少し潤んでいるように感じて 寂しげに去っていく後姿に胸が痛む。


(あの人の心はまだひどく傷ついている・・・)


小屋に入ってはみたものの 誰もおらず 暗闇の中 手探りで 藁を見つけて 浅瀬は横たわって丸くなる。


日中 少し寝ていたせいかなかなか眠りにつくことができずに 何度も寝返りを打った。


(蕗・・・ やっぱり シャチがかわいそう 夢の中だけでもいい 会いにいってあげてほしいよ・・・)


少しは眠れたのだろうか 目を開いた浅瀬は 意外と頭がすっきりしているように感じた。


小屋の入り口から顔を出すと 外の空気は凛としていて 陽も昇り始めたかどうかという時間だった。


(もう ほとんど汚れていない・・・ 月篭りは終わったんだ。)


小屋を出ると 小川があり ここは女たちが体を清めに来るところのはずだった。


小鳥しか 起きてこないこの時間帯 浅瀬は身を震わせながら 貫頭衣を脱ぎ 足から 体を浸していった。


「おおっ 冷たい・・・」


最初こそ 歯が合わないほど震えたのだが 腰までつかると徐々に慣れてきて 肩まで浸ることが出来た。


パシャ・・・


手や足を見ると あちこち 擦り傷だらけで ここ数日夢中で過ごしてきたことが思い起こされる。


浅瀬たち集落の女は 時々海や 川に入って体を洗う習慣があったが ここのところの浅瀬にはそんな暇はなかった。


ひさしぶりに髪も体も清めることができて 心からリラックスすることができた。


「気持ちいい・・・」 


ぽちゃん 


体を洗い終わっても 泳ぐように身を沈めて 楽しむ浅瀬。


「コホン  気持ちよさそうにしているところ 悪いのだが・・・ そろそろ出ないか?」


「え!」


背後から急に声をかけられて 振り向くと シャチが川べりに 立っていた。


「い いつから そこに?」


「・・・ちょっと前からだ 


すまん・・・ 何となく 声をかけそびれて・・・


また お前に 恥ずかしい思いをさせてしまったのだな・・・」


シャチは ちょっと顔を赤らめながら 口ごもる。


(そうだった 昨日約束してたのに・・・)


「す すぐ出ますから 


あの ちょっと 後ろ 向いててもらっていいですか?」


シャチは言われて初めて 気づいたように 


「そ そうだな コレでいいか?」 と背中を向ける。


「はい すみません・・・」


浅瀬は 持ってきた 乾燥して揉みこんだ藁で あわただしく 体の水気を拭い取り 再び貫頭衣を着込んだ。


ぎゅっボタボタボタ・・・


髪を絞りながら シャチを見ると


朝の陽射しが 彼の広い背中を紅く染めて 美しく光っている。


「あの もういいですよ・・・ お待たせしました。」


だが シャチは動かない。


「シャチ・・・?」


そっと 背中に触れると ビクッと体を震わせてこちらを向く。


「お・・・おおっ 着替えたか? ちょっと考え事をしていたな・・・


そろそろ 行こうか。」


「はい。」


さっと差し出される大きな手


「あの ・・・今は明るいから 一人で歩けます。」


「集落に抜ける道は そうかもしれないけど 近道で抜けていくから 山道になる いいから俺に掴まりなさい。」


「近道があるんですか?」


浅瀬は素直にシャチの手を握る自分に少し驚いていたが 


昨日のひと晩で なんとなく この男に親しみを感じていたのだ。


季節は初夏で 徐々に昇る陽射しが 浅瀬の髪を乾かしていく


「いい香りがするな・・・」


くんと シャチが鼻をならす


「あそこの藁は特別製で 香草を使ってるみたいですね。」


浅瀬も 自分の腕に鼻を近づけ 爽やかな香りを楽しんだ。


「ひっぱるぞ・・・」


「はいっ」


たしかに険しい山道であり シャチの言うとおり手を繋いでもらわなかったら 浅瀬一人では通り抜けられなかったようだ。


「ほら もう見えてきただろう・・・」


そこは あの崖をも見下ろせる高い山頂で もう ずっと下れば 北の浜に行ける様だった。


「こんな道あったんですね・・・」


すこし息を切らせながら 浅瀬が言うと


「ちょっと 休もうか。」


と 言ってくれるシャチ。


「いえ あまり 時間もないでしょう? 私なら大丈夫です。」


と 首を振ったのだが


「いいから 座りなさい。」


と シャチの横に座らされてしまった。


「綺麗だろう? 俺はここの眺めが一番好きだ。」


「本当・・・ 海がキラキラしてる。

 

結構遠くまで 見えるんですね・・・」


「少し腹ごしらえをしていこうか。」


と シャチは 皮袋から おそらく昨日焼いた肉の一部を取って置いてくれたのだろう 何枚もの葉に包んでわざわざ 持ってきてくれたのだ。


「え・・・ ありがとうございます。」


実は浅瀬はかなりお腹をすかせていたのだ。


「おいしい・・・」


泣けてきそうなほど 美味しくて 遠慮なくたべてしまう浅瀬にシャチは笑う。


「そうだ もっと食べないと おまえはまだ細すぎる。」


シャチの言葉にかあああ・・・と顔を真っ赤にすると シャチも失言に気づいて


「いや その・・・ さっきは ちらっと見てしまっただけで そんなにじっくりお前の体を見たわけではないのだ。


細すぎると言ったのは 昨日抱いて集落に連れ帰った時に 軽いと思ったから そう言ったんであって・・・」


しどろもどろに弁解するシャチに 


「ぷっ いいんです。 わかってますよ。 私ほとんど水の中に沈んで洗ってたから 見えるはずないですよね。」


「お前・・・ ちょっと性格悪いぞ。 笑うな。」


「クスクス だって すごく慌ててるから おかしくて・・・フフッアハハハ」


浅瀬はお腹も満ちて とても リラックスしていたためか 笑いを収めることができず


睨みつけるシャチが閉口してるのを見て また笑えてくるのだ。


「ったく 本当は妖精のようだと見とれていたのに・・・ とんだ悪魔だったな。」


「・・・え?」


一瞬にして 笑いが収まる浅瀬。


(私に見とれていたの? この美しい人が・・・?)


「私のどこに そんな見とれる要素などあるでしょう・・・? あなたの方が神のように美しいのに・・・」


思わず 感じたままを口にした浅瀬に シャチは苦笑して


「男が美しいと言われても あまり嬉しくはないが・・・ お前が水に浸かって いるところに出くわした時は 心臓が止まるかと思うほど 清らかで 侵しがたい雰囲気にのまれて声が出せなかった・・・


だから ぼーっと見とれたまま 声を掛けそびれてしまったんだ・・・


なのに なんなんだ 妖精とは程遠い くすっ ハハハ・・・」


「私は 妖精じゃないです。ただの浅瀬です。」


「たしかに そうだ・・・ 沢山食べたか?」


「はい ご馳走様でした。」


自然と手を繋いで 再び山を下っていく。


時々 高い位置にある 珍しい木の実を取って浅瀬に渡してくれたり


「すべりやすいぞ 浅瀬。」


と声をかけてくれたり


浅瀬はこれからどこに向かうのか そして何の目的で向かっているのかを忘れてしまいそうなほど 


シャチといる時間を楽しんでいる自分に気がついた。


だが さすがに崖の上まで来た時に 自然と手は離れ


あらためて 蕗の姿を見失ってしまった時のことを 浅瀬はまざまざと思い出した。


「ここで 私はただ 見ていたんです・・・ものすごい 音がして このすぐ下まで波が押し寄せて・・・」


懺悔するように説明する浅瀬の声が


届いているのかいないのか 


シャチはじっと浜辺を睨んだ。


やがて シャチは先に崖を降りていき 浜辺に駆け出す


浅瀬も だいぶ崩れて 降りやすくなってしまった崖を 残った葡萄蔓に掴まりながら降りていった。


「どの辺にいたんだ・・・?」


「あの日 浜辺は 今よりずっと 広くて もっと水際のこの辺も 水が引いていたんです。


この辺までずっと海岸線をニシンが揚がってきていて 


蕗はたぶん このあたりに立っていたと思いました。」


くるぶしまで 海水に漬かりながら 浅瀬は説明した。


「お前は昨日 東に向かって探してくれたんだな?」


「はい 私以外にも ひとり中年の女の人が ぼうやを探していて・・・


その人は津波のあった日からずっと何往復も海岸を歩いていたようなんですけど

誰も帰ったものはいないって 言ったんです・・・」


シャチの顔がみるみる曇るのを見るのは辛かった。


「でも 海は 何日もたってから 浜辺に失くし物を返してくれるから わからないですよ。


今日は西に行ってみましょう。」


浅瀬は 先にたち西に向かって海岸線を歩き出した。


浜辺に打ちあがっている 木や 岩など いちいちシャチと浅瀬は 廻りこんで見ながら歩いていく。


昨日 いくつも浜辺に転がっていた アザラシの死体も そのほとんどが 鳥達に食い散らかされて 半ば海に戻されようと している。


二人は先程と 打って変わって無言で歩き続ける。


背中をじりじりと太陽が焼き始めた頃


「そろそろ もどろう・・・ 皆もう 起きだして小屋造りを始めるころだ。」


「はい。」


本当はもっと 捜し歩いていたいにちがいない・・・


今度は谷間の道を通りながら 集落に向かう。


「浅瀬・・・」


「はい?」


「明日も いっしょに北の浜に行ってくれるか?」


「はい もちろん。」


「すまない・・・一集落の長のくせに情けない話だが  


今日お前が いてくれなかったら 俺は ちゃんと歩けなかったかもしれない。」


「・・・シャチ」


たしかにシャチの膝は震えており あの荒れ果てた浜辺を見て いかにショックが大きかったかを物語っていた。


(それだけ この人にとって蕗の存在は大きかったんだ・・・)


浅瀬の胸にもシャチの悲しみが移ったかのように 苦しくなっていく・・・ 


それでも 徐々に落ち着いてきたシャチは 浅瀬に手を貸して倒木を避けながら 集落に戻っていった。


集落はまだ 誰も顔を出してはおらず 浅瀬は それぞれの土饅頭に新しい野の花をまた摘んでは供えた。


シャチはさっそく小屋造りに取り掛かろうと 東の洞窟に皆を起こしにいった。


先に顔を出したのは 雪崩で


「浅瀬 もう 大丈夫なのか?」


と顔をほころばせながら近づいてくる。


「ううん まだ・・・ でも 夜だけ月篭りの小屋に戻ればいいよ。 昼間はみんなの食べ物の用意をするから。」


「そうか・・・」


少し残念そうにしながらも 雪崩はうれしそうに 浅瀬の肩に手をかけた。


「浅瀬・・・ 俺 もっと力つけて りっぱな狩人になるよ。 だから・・・」


「雪崩・・・」


真剣なまなざしの雪崩にドキドキしてしまう浅瀬。


「雪崩 もう始めるぞ なにもたもたしてる!」


一番遅く起きてきた様子の鷹が 声を張り上げて雪崩を呼んだ。


「・・・じゃあ また。」


雪崩は浅瀬を振り返りながら 作業場に走っていった。


シャチや霧も すでに木を組上げはじめており海風も組まれた木に縄を回して結んでいる。 


この分だと遅くともあと数日で小屋は完成しそうだった。


(小屋ができたら やっぱり私だけ 東の洞窟に住まなきゃならないのかな・・・)


小屋は4つ造られており 一番大きな長であるシャチの小屋と 二人住まいになる鷹と海風の小屋 


そして 少し小さな霧の小屋 彼は冬の音の洞窟に住まうことも可能なのだが 以前もこの下に小さな小屋を作って暮らしていた。


雪崩の小屋の少し大きめな土台からは これから彼が妻を娶ろうという強い思いが伺えた。


浅瀬は 南の森に入って 木の実を取って 休憩時間に男達に配ったり 狩から帰った彼らの旅装具のほころびを直したりとそれなりに仕事はあって 夕食をみんなで炎を囲んで食べる頃にはうとうとしていた。


「疲れただろう 浅瀬 今晩は俺達と 洞窟で休まないか?」


と兄の海風に声を掛けられたときは 完全に目を閉じていたようだった。


「あ う ううん 小屋に戻ります。じゃあ また明日ね・・・」


東の洞窟は広いとはいえ やはり 男達の間で眠るのは気が引けた。


ザッ ポン


いきなり 肩を叩かれて振り向くと そこにシャチがいて


「なんで声をかけない 昨夜ひとりで歩くなと言っただろう。」


と浅瀬の手を握った。


「・・・ありがとう シャチ。」


至極当然のことのように シャチは浅瀬を集落の女神として扱うつもりのようで 


自分の立場を改めて たった一人の女になってしまったのだと 認識する浅瀬。


「鷹のやつ 雪崩がお前に近づこうとする度に目を光らせていたな。 クスクス」


思い出し笑いをするシャチ。


「そうですか?」


雪崩が? 声を交わしたのは朝と木の実を渡したときくらいなはずだ。


「気づかなかったのか? あいつはいつもお前を眼で追っている。」


驚いたように こちらを伺うシャチ。


「今日は結構いそがしかったから・・・」


すこし 気恥ずかしくなって あわてて浅瀬は下を向いた。


「疲れただろう? 朝も早かったから すまなかった。」


横に並んで手を握るシャチが ふいに声のトーンを落とした。


「いえ シャチの方がずっと 小屋造りで 疲れているでしょう? また送らせてすみません。」


彼に済まながって貰うほど 自分はたいしたことはしていない。


「俺がそうしたくてしているのだ お前が謝る必要はない。


それに・・・お前がいるだけでみんなの動きは格段に違うのだ・・・


月篭りで しばらく浅瀬はここにはもどらないと言った時の みんなの顔を見せたかったぞ。」


想像できなかった 


いままで自分など子供扱いで 見向きもされてないのだと思っていたのに


藤や蕗など 若い女がいなくなった今 男達の興味は女というだけで自分に集中しているのか?


「あら 浅瀬じゃない? 生きていたのね。」


今日は月篭りの小屋に先客がいて それは 岩苔集落の椿という女だった。


「シャチ・・・よね? 浅瀬を送って?」


「ああ・・・ じゃあ 浅瀬 また。」


「はい ありがとうございます。」


シャチは 興味津々に自分を見る女の視線から逃れるように戻っていってしまった。


「月篭りの小屋まで送ってくれる男なんてはじめて見た。 でもあの人 蕗の夫じゃなかった?」


まだ シャチがその辺を歩いているのに女の声は容赦がない。


「ええ でも 蕗は・・・」


「もしかして 蕗 死んだの!?」


離れていくシャチの背中がビクッと震えたように見えた。


「いいえまだ わかりません ただ 海に流されてしまって戻らないんです・・・」


「それじゃあ 死んだに決まってるじゃないの。 そうか じゃあ シャチは今一人なのね。」


椿という女は舌なめずりでもするんではないかというほどにんまり笑った。


「シャチだけではなく うちの集落の女は私と冬の音だけになってしまいました・・・」


「あんたと あのばあさんだけ? 


まあ そうだったの 西の神山もほとんど全滅で 残ったものは2~3人しかいなくて 他の集落に流れて行ったらしいわ・・・


それにしても あんたもまだ子供だと思ってたら ちゃんと月篭りが来て シャチに送らせているなんて なかなかやるわね。」


「そんなこと・・・」


女の言い方に浅瀬は戸惑う。


「でもね うちの集落は津波の被害なんてこれっぽっちもなかったから 夫のいない若い女は3人いるのよ。


あんた あまりシャチが一人になったって言い触らさないでね


あたし シャチのこと前から いいなと思ってたんだ。」


椿は浅瀬より ずっと年上で シャチと同じかそれより少し上なはずだった。


「蕗が自慢していて いつも苦々しく思ってたのよね~ なんて 死んでしまえば ちょっとかわいそうな気もするけどさ


あの子はどうしたの? ほら 泥んこだか 土いじりとかいう赤ん坊は?」


「土くれも 精霊の儀式は私が済ませました。」


キッと 浅瀬は椿の乱暴な言い方に 睨み返した。


「そ そう・・・」


さすがに鼻白んだのか 女は少しだまりこんでしまった。


(やっぱり うちの集落から女が消えたとはいえ 他の被害のなかった集落は別に普通に暮らしているんだ


私が女神のように扱ってもらえるのは ほんの一瞬に違いない・・・)


小屋が出来て落ち着けば 男達は 他の集落に嫁を探しに出かけるかもしれない・・・とぼんやりと考えていると


「体洗わないの? あんた疲れた顔してるわよ。」


と椿が先に 川に入って 洗っていた。


「はい そうですね。」


浅瀬も 小屋から 香草藁を持ってくると 裸になって足を入れた。


「まだ少し暖かい・・・ 今日は暑かったから 気持ちいいですね。」


朝の冷え切った川も気持ちよかったが 少し温い水にほっと腰を下ろした。


「あんた・・・ 綺麗な体してるわね。」


椿は浅瀬の体をじろじろと見つめて ため息をついた。


「え・・・ わたしなんて胸も小さいし おしりだって・・・」


思わず 胸も腰も豊かな椿の体と見比べて 手で隠す浅瀬。


「う~ん たしかにまだまだ貧弱なんだけど なんていうの すごくしなやかで 妖精みたいよね・・・


色も白いし 髪の色も透けてさ・・・ 


くやしいけど もっと大きくなったら かなりないい女になるわよ あんた。」


「そんなこと・・・」


浅黒く健康的な蕗に憬れていた浅瀬は 青白い自分の肌にコンプレックスを抱いていたため 同性からこんな風に言われて 少々驚いた。


「洞窟集落の浅瀬が月篭りに入ったってことも まだしばらく 黙ってるわ。


絶対 男共が騒ぎだすに決まってる・・・」


椿のぼやくようなおしゃべりに付き合うのも疲れたので 浅瀬はそうそうに体や髪を洗って小屋に入る。


「新人はそっちの隅の方で休むのよ。」


後から小屋に入ってきた椿が髪を藁で押さえながら指をさす。


「はい わかりました。」


浅瀬は素直に 椿にしたがって 壁の隙間の多い一画に座った。


「さっきは・・・


ちょっと 言い過ぎたわね  


あんたがシャチに送ってもらったのみたら 羨ましくなって つい・・・


ほら 藁もうすこし 持って行きなさい そっちは 朝方寒いから。」


「ありがとう・・・」


椿が乾いた柔らかい藁をこんもりと手渡してくれた。


それぞれ 寝床を整えて 横たわる。


外の川の流れと 虫の声が聞こえ


満月の夜のため 壁の隙間から 月のあかりが差し込んでくる。


浅瀬はシャチが今頃 蕗を思い出して 辛い夜を過ごしているに違いないと想像して


ため息をついた。 


「大変だね・・・ 女が一人になって 結構被害は大きかったのかい?」


浅瀬のため息を聞いた椿が話しかけてきた。


「はい・・・ 津波は赤い土砂になって 集落を襲ったようで 土くれやその祖母の砂風 


雪崩の両親も亡くなりました。


それから・・・藤も・・・」


(藤・・・)


浅瀬は藤を思い出して また涙する。


「そうか あんたの集落にはあの藤もいたんだったね・・・・ 


藤亡くなったんだ・・・ 


昔は あの子と私 仲が良くてさ よく遊んだんだよ。」


「そうなんですか?」


「ああ 大人になってから あんなふうに体を売る女になっちまったけど 藤は子供の頃 男の子みたいに元気でね 


木登りもうまいし 駆けるのも早かった 


頭もいいから そこらの男をよく凹ませてね 


私 藤といると楽しくて・・・ 懐かしいな・・・ そうか 藤 死んじゃったんだ・・・」


「藤は少し前まで生きていたんです・・・

でも 両足と左腕に怪我をして 動けなくなってしまって・・・


最後まで 私のこと励ましてくれてました・・・」


ズ・・・


椿が鼻をすする音が聞こえてくる。


「・・・そうだろうね・・・ 藤は口は悪いけど 優しかったから・・・うっうっ・・・」


それから 椿の思い出話に 浅瀬は無き日の藤を思い浮かべながら いつしか闇に吸い込まれるように眠っていった。



ピチピチピチ・・・


ザクッ・・・


「う・・・ん」


翌朝 すぐ外にちかづく足音に気がついて目が覚めた浅瀬は 壁の隙間から シャチがもう外にいるのを認めてあわてて 身だしなみを整えて 外に出た。


「ちょっと早くに来すぎてしまった 起こしてしまったようだな すまない・・・」


「いえ 迎えにきてくださって ありがとう。」


「行こうか。」


「はい・・・」


浅瀬の手をとり シャチはにっこりと微笑んだ。


「昨夜は あの女にいじめられなかったか?」


山道を歩きながら シャチが振り向く


「え いじめなんて クスクス どうして そう思うんですか?」


「あいつの顔はいじわるそうな 顔をしていた。」


「プッ そうですか? そんなことありません いろいろおしゃべりしてくれましたよ。」


「そうか ならいいんだが・・・」


「大丈夫です 月篭りの間は楽しいのだと 聞いてましたから。」


「そうなのか・・・ かもしれないな 男達の世話から離れて 女達だけで 数日過ごすのだ。 楽しいのかもしれないな・・・


良かったのか?  俺に付き合って 北の浜に行っても?  本当なら お前も休養を取るために篭っていてもいいのだったな・・・すまない。」


「いえ 私本当は もう・・・月篭りの期間は終わってるんです。 すみません 隠していて・・・


ただ まだ小屋が出来てないから 男の人達と一緒の洞窟で休むのを避けてただけなんです。」


申し訳なくて 浅瀬が謝ると


シャチは破顔して笑い 


「なんだ そうか いや その方がいい しばらく まだ月篭りでいろ 雪崩もそわそわするから。」


「・・・あ そうですね。」


雪崩との約束 忘れたわけではなかったが なんとなくまだ気が進まなかった。


「それに鷹も お前の月篭りが明けたら さっそく他の集落の男達を連れてくるつもりらしい。」


シャチは面白くなさそうに 吐き捨てるように言った。


「え もうですか?」


(たしか 冬の音の話だと あと満月をもう一度拝む頃に 夫ができると言ったんだっけ・・・)


まだ心の準備が出来ていない浅瀬は つい足が重くなってしまったようだ。


「心配するな お前が気に入らなければ断ればいいのだ 鷹が欲に目がくらんで何を言おうと 選ぶ権利はお前にある。」


「そうでしょうか・・・?」


いままで 父の言いなりに 流れの男達に体を触られてきたことを 蕗とは違ってシャチは知っているはずなのに・・・


「長である俺がお前の嫌がることはさせない 約束する。 お前は俺達の集落の女神なのだから。」


「・・・シャチ。」


しっかりと握り返されたたくましく大きな手に安堵のため息をつく浅瀬。


やがて頂上に着き 昨日のように休憩を取った。


「今日は すこし 霞がかかってますね・・・」


「ああ まだ早い時間だしな・・・」


二人並んで 下界を見下ろしながら シャチの持ってきた干し肉を食べる


穏やかな時が流れて 当たり前のように 長のシャチの隣に座っている状況を浅瀬は不思議に思った。


「お前といると 俺は笑っていられるようだ・・・」


「そうなんですか?」


「ああ・・・ 実は昨夜あの女が 蕗は死んだに決まっていると言った声が聞こえて・・・


悔しくて あまり眠れなかったんだ・・・


でも お前が側にいてくれると 心が落ち着いてきて 平静な自分でいられる・・・


なあ 浅瀬・・・ もし お前さえ 良かったら・・・」


すこし 言いづらそうに シャチが口ごもる。


「はい シャチ  私に出来ることであれば。」


「・・・長としての命令では ないんだ・・・ だから 断ってくれてかまわない。


お前は 今日も当然のようについて来てくれたけど 


明日も あさっても しばらく 俺は蕗の痕跡が見つかるまで 北の浜に通うつもりだ・・・


夫を取ろうというお前を こんな私事につき合わせてることを知ったら 長とはいえ俺に対して 鷹や雪崩も憤慨するにちがいない・・・


でも 俺は お前についてきてもらいたいのだ・・・」


シャチの懇願に浅瀬は驚き だが 笑みを返して その手を両手で握った。


「シャチ 何を言ってるのです? 蕗を探しに行きたいのは わたしも同じです。


土くれと離れて 蕗はきっと 寂しいに違いありません。」


「・・・ありがとう 浅瀬よ・・・ 俺だって 蕗が死んだことくらい わかっているのだ・・・

だけど ちゃんとあれも 良き精霊に導かれるよう 送ってやりたいだけなんだ・・・」


はらはらとシャチの目から溢れる涙を見て 浅瀬は堪らなくなって


腰を浮かせて シャチの肩に手を回し そっと抱きしめた。


「シャチ・・・ きっと見つけましょう。 二人で探していれば いつか見つかります。」


「浅瀬・・・」


震えるシャチの体を 温めるように浅瀬は抱きしめて 何度もその広い背中を撫でた。


(強く見えるこの人も 必死に耐えて 頑張っているんだ・・・)


浅瀬は胸の奥にに熱くこみ上げてくるものを感じて 一層 しっかりとシャチを抱きしめる腕に力を込める。


「ありがとう 浅瀬 取り乱して すまなかった。


泣き顔まで見られてしまった・・・かっこ悪いな。」


顔を上げた シャチは照れくさそうにしており 浅瀬に抱かれていることで かなり居心地悪そうにしている。


「かっこ悪いことなんてありません。 あなたは泣いてなどいませんでしたよ。」


ぺろ


浅瀬は昔 母の溢れる河がしてくれたように シャチの目の端に残る涙を舐めてやった。


ところがシャチは


「な 何を・・・!」


と浅瀬の腕から逃れて いきなり立ち上がる。


「え・・・? あ ごめんなさい 私 小さい時 泣く度に私の母が涙を吸い取って “ほら お前は泣いてない”って 言ってくれたの思い出して・・・つい。」


大人のシャチにすることではなかったとすぐ気づいて謝ったのだが


シャチはぷいと顔を背けて 一人歩き出した。


「シャチ 謝ります 本当にごめんなさい・・・」


だが シャチは浅瀬から逃れるようにドンドン大股で山道を下っていくので追いつかない。


「待って はぁ はぁ シャチ・・・あっ!」


慌てて 下ったので浅瀬は 岩場から足を踏み外してしまい バランスを崩したその手は空中を掻く。


「浅瀬!」


ガラガラ・・・


崩れる砂利と共にふわっと宙に浮いた浅瀬を シャチは飛ぶように駆け戻り


ガシッ


しっかりと受け止めた。


「はぁ はぁ・・す すまない・・・ 」


「シャチ・・・いえ あなたが怒るのは当然です。 あんな失礼なことして・・・ごめんなさい。」


シャチに抱きとめられたまま 浅瀬は謝罪した。


「そうではない・・・ そうではないのだ 浅瀬。」


シャチは浅瀬の体をギュウウッと力強く抱きしめ 息も苦しくなるほどだった。


「シャ ・・・シャチ?」


男性にこんな風に抱きしめられるのは初めてで 浅瀬はどうしたらいいか解らず


足は宙に浮いたまま シャチは離してくれそうもなくて


どんどん心臓は跳ね上がっていくのを感じた。


(どうしよう・・・私 シャチが好き・・・)


浅瀬の手がそっとシャチの背中にまわっていった。


「浅瀬・・・」


シャチの唇が浅瀬の頬をなぞる様に滑ってきて 


「シャチ・・・私」と 言いかけた口を塞いだ。


それはどのくらいの長さで どのくらいの深さだったか すぐ後にも思い出せないほど浅瀬は混乱して


シャチの唇の動きになすがままになっていた。


実際 この時シャチの年齢は18歳ほどで 亡くなった蕗は21歳だったから 突然妻を失くしたばかりとはいえ 浅瀬のように美しい13歳の少女に優しく抱かれて 涙を吸われてしまっては 自制をするのは難しかったかもしれなかった。


「本当は お前を誰にも 渡したくないのだ・・・」


唇を離した時に囁かれた シャチの言葉に 浅瀬は感動して


「私も・・・ シャチ あなたじゃないと・・・嫌なんです。」


と 呟き 愛しい人の唇に押し当てた。


(蕗・・・ごめんなさい 


私 シャチを愛してしまった・・・)


浅瀬の章 その2へ続く

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