第3話
夜明け前の空を覆うようにコンクリートの塔とそびえ立っていた。
鋼鉄都市〈ヴァルド〉。
かつてこの地一帯を覆っていた獣人族の王国は、今や地図の片隅にすら名前を残していない。
大崩壊――アルドゼファー大陸全域を襲った未曾有の災厄は、均衡という言葉を粉砕し、人族に“選択の自由”という名の覇権を与えた。
技術革新。産業化。資源の独占。
鉄道のレールは、かつて獣人たちの草原を引き裂き、血と汗と骨粉を混ぜ込んで敷かれている。
文明の光は、必ず深い影を落とす。
都市ヴァルドは、その象徴だった。
セレナ・ヴァンテールは、夜明け前の街道をクラシックバイクで疾走していた。
カルロス神父から譲り受けた鉄の塊は、年季を感じさせる外見とは裏腹に、丁寧に手入れをされており、彼女の意志に従順だった。
無人の高層ビル群に反響する音は、不気味に響いていた。
摩天楼の谷間から降り注ぐ太陽の光は、上層区画のみを照らし出す。
その光が届かぬ低層――スラムと獣人特区は、別の世界だ。
鉄錆と油の匂い。
剥き出しの配管。
崩れかけた集合住宅。
高い塀で隔絶された獣人特区では、武装した治安軍が巡回し、荒んだ目をした子供たちが路地の影からそれを睨んでいる。
セレナはハンドルを握りながら、胸の奥に刺さる違和感を無視した。
――ここを歩いたことがある。
そう確信できるほど鮮明ではない。
だが、暴力と恐怖と諦めが入り混じった感覚だけが、輪郭のない記憶として残っている。
「……くだらない街だ」
吐き捨てるように呟き、彼女は前方にそびえる廃ビルへと向かう。
かつてはビルだった四階建ての鉄骨構造。
今は窓も割れ、外壁には用途不明の符号と魔術刻印が無秩序に刻まれている。
地図が示すのは、その地下。
装飾の魔女――レオナ・グリムの工房。
魔物や化物を狩るための“飛び道具”を仕立てる、ウィッチワークス御用達の技術者だ。
セレナはバイクを減速させ、錆びた鉄のスロープを静かに降りる。
エンジンを切ると、街の雑音が一気に耳へ押し寄せてきた。
ビルの入り口で立ち止まり、深く息を吸う。
冷たい地下の空気が肺に満ちる。
「レオナ・グリム……いるか?」
返事はない。
だが、地下深くから微かな金属音と、規則正しい音が響いてくる。
生きている。
働いている。
それだけで十分な返答だ。
セレナはバイクの鍵をポケットにねじ込み、建物へと足を踏み入れた。
非常階段を降りるにつれ、空気は重く、熱を帯びていく。
錬金薬品の刺激臭と、焦げた鉄の匂い。
そして、地下工房。
作業台の向こうで、機械を弄る少女がいた。
水色の髪を後ろで束ね、細身の体躯。
「……邪魔するぞ」
セレナが声をかけると、機械の音が止んだ。
少女が振り返る。
ゴーグルを額にずらし、人懐っこい笑顔でが、セレナを迎えた。
「おお、早かったね」
少女――レオナ・グリムは、作業用の分厚い革手袋を脱ぎ捨て、少女のような笑みを浮かべた。
「ようこそ、地獄の底へ。……なんてね。ボクがレオナだ」
「セレナだ。ウィッチワークスからの紹介で来た」
「知ってるよ。吸血鬼の因子を持つ、はぐれ者の狩人さん」
拍子抜けするほど軽い口調だった。
「オレの武器を作ってると聞いたが?」
セレナは感情を交えず、事務的に告げる。
「もちろん! 今、最終段階なんだ」
レオナはそう言うと、魔力符文が刻まれた彫刻刀を刻む。
火花が爆ぜ、鉄の塊は精密な輪郭を持ち始めていた。
職人としての腕は、一目で本物とわかる。
「へへ、いい感じに仕上がってきましたぞ!」
口調に気づき、レオナは一瞬はにかむ。
だがすぐに真剣な顔に戻り、作業台の隅から小箱を取り出した。
蓋を開けると、そこには小型ながら無骨なハンドガンが収まっている。
「まずはこれを試してほしい。試作品のハンドガンだよ。
あなたの血流操作と、銃器の相性を見るためのもの」
セレナは受け取り、重量と重心を確かめる。
冷たい金属の感触。銃身には小さく刻まれた文字。
――BP-01。
「これが問題なければ?」
「本命のスナイパーライフル“ブラットペイン”に進む。
市街戦用じゃない。怪物を“貫く”ための銃だ」
セレナは小さく鼻で笑った。
「物騒な名前だな」
「あなた用に考えたんだ。気に入ってくれると思う」
少し距離を詰め、レオナは声を落とす。
レオナの表情から、先ほどまでの軽薄さが消えていた。
残っているのは、深く、暗い、底なしの悲哀。
「合成人間。知ってるかい?」
「……噂程度なら。人族をベースに、獣や機械を混ぜ合わせた化け物だと」
「そう。公式には存在しないことになっている、都市の汚点だ」
レオナは懐から一枚の写真を取り出した。
そこに写っていたのは、ガラスケースの中で培養液に浮かぶ、異形の赤子たち。
そして、その傍らで白衣を着てるレオナ自身の姿だった。
セレナは息を呑む。
「お前、これは……」
「ボクはね、かつて彼らの『製造』に関わっていた。ウロボロスっていう組織でね。人を救うための研究だと信じてね」
レオナは下を向き、ゴーグルを指先で強く押した。
「でも、出来上がったのは兵器ですらなかった。自我を砕かれ、痛覚すら奪われ、ただ殺戮のためだけに動く肉人形。
……あの子たちはね、泣くことすらできないんだ。喉を改造されているから」
静かな告白だった。
だが、その言葉には煮えたぎるような鉄が混じっていた。
「研究には孤児や移民が使われていたの。
ボクも身寄りが無くしてね。ずっと苦悩する日々だった。毎日、悲鳴が頭にこびりついて眠れないから薬に頼って、研究を続けていた」
レオナは作業台から飛び降り、セレナの正面に立つ。
小柄な身体で見上げるその瞳は、濡れていた。
「ウィッチワークスに亡命した後、こうして今も悔いていた。
とある情報筋から廃棄処分が決まったあの子たちは、今、廃倉庫に逃げ込んでいる。
野良犬のように狩られるのを待つか、あるいは誰かを傷つけるまで放置されるか」
レオナはセレナの手を取り、冷たい銃身に自らの額を押し付けた。
それは、祈りのようだった。
「セレナ。君にお願いしたいのは、退治じゃない」
「……なら、なんだ」
「葬儀だ」
銃身を当てたまま顔を上げたレオナの瞳に、激しい炎が宿る。
「あの子たちを、人間として殺してあげてほしい。
誰にも愛されず、誰にも知られず消えていくあの子たちに、君がその痛みを、取り払って欲しいんだ。
もし、気に食わなければここで撃っていい」
セレナは銃を握りしめた。
伝わってくる熱。
それはレオナの激情そのものだった。
自分は英雄ではない。正義の味方でもない。
記憶を持たぬ空っぽの器だ。
だが、だからこそ分かることがある。
「利用され、歪められ、不要になれば捨てられる……か」
脳裏にフラッシュバックする光景。
雨に打たれるスラムの路地。泥水。そして、誰かの冷たい視線。
自分もまた、そうだったのかもしれない。
あるいは、これからそうなるのかもしれない。
「……救いのない話だ」
セレナは低く呟き、銃をホルスターに収めた。
カチリ、という音が、契約の成立を告げる。
「だが、やることは変わらない。
オレは殺す。誰かのためでも、正義のためでもない」
セレナの言葉に、レオナは一瞬だけ虚を突かれた顔をし、それから花が綻ぶように笑った。
それは、初めて見せる年相応の、あどけない少女の笑顔だった。
「ありがとう。……貴方なら、きっと『綺麗』に壊してくれる」
「勘違いするな。オレはただ仕事をこなすだけだ」
「綺麗ごとに聞こえるかもしれないけど、これがボクたちの“救済”なんだ」
“救済”。
その言葉が、セレナの胸の奥を鈍く叩いた。
脳裏に浮かぶのは、かつて自分が撒き散らした血の花畑。
逃げ惑う獣人、崩れ落ちる身体、赤く染まる大地。
そして、今しがたレオナが語った、合成人間たち――
利用され、歪められ、最後には“不要”として処分される存在。
同じだ。
形は違えど、どれも闇の中で踏み潰される命だった。
セレナは手にしたハンドガンを見下ろす。
冷たい鉄の重みと、内部で脈打つ微かな魔力。
「……救済、か」
吐き出すように呟くと、レオナは小さく頷いた。
「英雄にはなれない。
それでも、誰かが手を汚さなきゃいけない仕事がある」
「だから、あなたに銃を渡す。貴方とボクは共犯だ」
その言葉のあと、工房にはしばし沈黙が落ちた。
機械の駆動音も、火花の爆ぜる音もない、妙に耳に痛い静けさ。
セレナはホルスターに収めたBP-01に視線を落とす。
「……共犯、ね」
「嫌?」
「いや」
即答だった。
躊躇も、逡巡もない。
「今さらだ。もう何度も血は流してきた」
レオナは少しだけ目を細めた。
「そういう言い方、あんまり好きじゃないな」
「ならどう言えと?」
「――選んだ、でいい」
セレナは鼻で笑い、背を向けた。
「言葉遊びは苦手だ」
「知ってる」
レオナは作業台に戻り、ゴーグルを目元に下ろす。
「じゃあ現実的な話をしよう。
BP-01はまだ“素体”だ。あなた専用に仕上げるには、二、三日かかる」
「何をする」
「血流同期の最適化、反動制御の再計算、それから――」
レオナはちらりとセレナを見る。
「トリガー感度の調整。普通の人なら、引いた瞬間に指が吹き飛ぶ」
「物騒だな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
レオナは工具を取り、銃を分解し始めた。
手つきは迷いがなく、流れるようだ。
「あなた、引き金を“引く”感覚じゃないでしょ」
「……」
「血を流す。
その意思を伝えるだけ。銃は、それを受け取って応える」
セレナは何も言わなかった。
図星だった。
「だから、ここ」
レオナはトリガーユニットを指で叩く。
「魔力伝達層を二重化する。
感情が乱れた時でも、暴発しないようにね」
「信用されてないのか」
「逆だよ」
レオナは工具を止め、真剣な目で言った。
「信用してるからこそ、保険を掛ける」
再び作業が始まる。
カチ、カチ、と小気味よい音。
「……完成したら?」
「ここの4階で試してみるといい。
あなたは引き金を引くときに迷わないなら問題ない」
セレナは小さく息を吐いた。
「終わったら、どこに行けばいい」
「もうすぐ依頼主が来る。
今回の依頼を説明してくれるよ。
その依頼を達成した頃には、ブラットペインの調整も固まってる。
ブラットペインは2つの形態を持つんだ。
ハンドガンとライフルの二形態」
「こいつはその核になるのか」
「うん。分解・再構築は現地でも可能。
弾は共用、口径は12.5ミリ。――人間用じゃない」
「だろうな」
レオナはふっと笑った。
「それと、最後に一つ」
「なんだ」
「銃はね、使う人間を選ぶ。
でもこれは、あなたを選んだ」
セレナは振り返らずに言った。
「なら、後悔させるな」
「任せて」
工具の音が再び響き始める。
工房の片隅で、BP-01が静かに横たわっていた。




