第2話
教会の後方、太い石柱の影に身を隠すように、セレナ・ヴァンテールは立っていた。
彼女がここにいるのは、ウィッチワークスの連絡係である男に会うためだ。
礼拝堂には、まだ人が残っている。
膝をつき、手を組み、恍惚の表情で壇上を見つめる信者たち。
その視線の先に立つ男――カルロス・アウレリウス神父は、今日もまた完璧な聖職者を演じていた。
祭壇の前では、カルロス・アウレリウス神父が信者たちに向かって、芝居がかった仕草で説法を続けている。
夕暮れの光がステンドグラスを通り、彼の背後に幻想的な影を作り出す。
彼の狂気的な瞳が教会の端々を見据え、口元に浮かんだ微笑が不気味なほど優しかった。
「聞きなさい、愛しき羊たちよ」
よく通る、低く艶のある声。
舞台役者さながらの身振りで、カルロスは語る。
「今宵も、我らは神の試練に身を投じる。なぜなら、この世に真実の平和をもたらすのは、我らの覚悟と意志の強さに他ならないからだ」
セレナは小さく息をついた。
熱に浮かされたような信者たちの顔と、彼らを巧みに導く神父の言葉。
どこにでもある風景だ。
「恐れることはない。恐怖は心弱き者の幻想だ。だが、お前たちは私の教えを、神の御言葉を、この胸に刻んできた。そうだろう?」
神父の視線は鋭く、セレナにはその奥に宿る狂気じみた光が見えるようだった。
信者たちは彼の言葉に飲み込まれ、陶酔したように頷いている。
「さあ、共に祈ろう。共に戦おう。そして、神の御名のもと、我らは新たなる世界を築き上げるのだ。信じる者には救済を、信じぬ者には裁きを与えるのです」
彼の言葉が教会中に反響し、やがて説法は終わった。
人々が礼拝堂を後にする中、カルロスの視線が一瞬だけ、石柱の影を掠めた。
気づいたな、とセレナは思う。
人払いが終わると、カルロスは聖職者然とした微笑を保ったまま、軽く手招きをした。
人気のない告解室で、カルロスは聖職者の仮面を外し、ウィッチワークスの連絡係としての顔を見せた。
カルロスの表情から、慈愛が消える。
「……お待たせしましたな。吾輩の可憐なるシスター」
不気味さが増した。
「ケッ。相変わらず反吐が出る説法だな、インチキ神父」
セレナが冷たく言い放つと、カルロスは楽しそうに喉を鳴らした。
「信じる者には救済? 笑わせるな。オレみたいな化け物を使い潰してるくせによ」
「ぬふふ……口を慎みなさい、セレナ嬢」
カルロスは、銀の十字架を指先で弾いた。
「秩序とは、力を管理すること。神の意志とは、正しい配置でございます」
淡々とした声。
そこには信仰の熱は一切ない。
「あなたは道具。危険で、強力で、替えの利かぬ道具。誇るべきことでは?」
不気味な声音。
信仰の欠片もない。
「で? 懺悔か、説教か。それとも首輪の確認か?」
セレナが言うと、カルロスは机の上に封筒を置いた。
乾いた音。
「報酬と、次のオーダー。《ウィッチワークス》からの正式命令でございます」
中には紙幣、血液凝縮錠剤、そして一枚の写真。
「前回の獣人逃走幇助……派手すぎましたなぁ」
嘆くように、だがどこか楽しげに。
「『血の花』などと呼ばれておりますぞ? 教会上層部が、少々神経質になりまして」
「結果は出した」
セレナが距離を詰める。
「排除を命じられた。だから排除した。それだけだ」
「勘違いなさらぬように」
カルロスは、微動だにしない。
「生かしているのは、誰でございますかな?」
低い声。
狂気的な瞳が、冷酷に細められる。
「記憶のないあなたに居場所を与え、血を与え、理性を繋ぎ止めているのは――吾輩であり組織でございましょう?」
鎖。
見えないが、確かに存在する。
「『代償』をお忘れなく。あなたは、繋がれた獣でございます」
セレナは歯を噛みしめた。
見えないが、確かにそこにある。
「『代償』をお忘れなきこと。あなたは繋がれた獣でございましょう」
その言葉に、セレナの喉が鳴る。
「……わかっている」
視線を逸らし、吐き捨てる。
「次は誰だ」
「合成人間。都市区画地下」
カルロスは、再び聖職者の微笑を貼り付けた。
「今度は静かに。あなたの戦い方は――消耗が激しすぎる」
「血を雨のようにばら撒き、花を咲かせる……美しいが、非効率ですなぁ」
その言葉に、セレナは眉をひそめた。
「じゃあ、どうしろって?」
「武器を持ちなさい」
即答だった。
「都市では派手な魔術は目立つ。合成人間相手に、銃は最適解です」
「……銃か」
セレナは小さく舌打ちする。
「ガンスミスか?」
「装飾の魔女、レオナ・グリム」
カルロスは満足げに頷く。
「彼女は血と歯車の芸術家。あなたに相応しい“救済”を用意してくれるでしょう」
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「へいへい。神様の言う通りにしますよ。で、写真の地図に向かい、こいつらを始末すればいいのか?」
「まずは都市部に向かって貰い、協力者と接触してもらう形になります。
此度は人数も多く距離もありますゆえ」
カルロスの説明に、セレナは眉をひそめた。
「ずいぶんと広いな。徒歩で移動するには不便すぎる。何か策はあるのか」
セレナが当然のように文句を言うと、カルロスは待っていましたとばかりに口元を歪めた。
「ご心配には及びません。あなたのために、とっておきの移動手段をご用意いたしました。さあ、こちらへ」
夕闇が濃く沈む教会前庭。
ステンドグラスの色が滲み、錆びついたクラシックバイクのタンクに神父の影が揺れている。
カルロス神父はゆっくりと前に進み、裾を小刻みに震わせた。
「……これを、セレナ嬢に──」
指先でバイクのタンクを撫でながら、つぶやいた。
「元は我輩の相棒でしたぞ……あなたに分け与えたてございまして」
「変態神父のお古のクラシックバイクか。
意外な組み合わせだな。
神父が乗っていたバイクってことは、もしかして何か曰く付きなのか?」
セレナが訝しげに首をかしげると、カルロスは口角を持ち上げ、僅かに歯を見せた。その笑みはどこか歪み、黒い聖衣の襟元からは微かな血の匂いが漂うようだった。
「曰く付き──などと申しますが、このエンジンの鼓動が心の奥底を震わせると感じるのは我輩だけではないはずですぞ……ぬふふふ」
彼は小さな鍵束を、まるで祝福の杯を差し出すかのように差し出す。
鉄の冷たさがセレナの掌に触れた瞬間、カルロスはかすかに咳払いをし、その目が嬉々として光った。
「さあ、闇を駆けるがよい。あなたという名の夜宴を、この世に刻むのですぞ……」
不気味な囁きとともに、セレナは無言で鍵を受け取った。
面倒な男だが、この鉄の塊が任務に役立つことは確かだろう。
彼女はただ、次の「救済」を遂行するための道具として、それを受け入れた。




