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イグニッション  作者: 佐藤遼空
第七章 真相
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安積の死

 佑一は安積の遺体の搬送先である、都内の病院へと駆けつけた。霊安室には、ものを言わなくなった安積の身体が横たわっていた。

「そんな……」

 堅くなった安積の顔を前に、佑一は拳を握りしめた。そこの所轄の刑事である峰岸という老刑事が、立ち合いに来ていた。

「なんでも、公安なんですて? 大変でしたな」

 峰岸のねぎらいの言葉も、佑一の耳にはほとんど届いてなかった。

「心臓を一突きですわ」

 それを聞いた佑一は、白いシーツをめくってみた。上半身裸の安積の胸に、大きな傷がある。

「相当、大きな刃物だろうと思いますわ。しかも防御創もない。不意打ちでないなら、よほどの手練れですな」

 その言葉を聞いた佑一の脳裏に、よぎるものがあった。


(奴か)

 さっきまで交戦していた男の、大きなナイフが脳裏にあった。

「死体が発見されたのは?」

「昼頃ですな。午前中には殺されてたっちゅう事になりますかな」

 佑一は歯ぎしりをした。

(奴は一仕事終えた後だったんだ。連続でオレたちを片づけに来た。オレがさっき、奴を捕らえる事ができてれば…)

「こんな事になるとはお気の毒やが、どんな任務でしたんか?」

「……言えません」


 佑一は、それだけを言った。峰岸は、ふぅと鼻息をついた。

「まあ、公安ちゅうのは、そういうとこですわな。せめて警察手帳くらい持っとれば、もっと早く身元が判ったんですがな」

 峰岸が多少非難するように言う。佑一はじろりと睨んだ。

「あ、いや、すんませんな。悪気はないですわ。じゃあ、後の事は頼みます」

 峰岸はそれだけ言うと、そそくさと出ていった。

 一人になると、佑一の眼から涙が零れた。


 病院を出ると、佑一は賀川に連絡をとった。

「国枝さん、どうかしましたか?」

「…知らないのか。安積さんが殺された」

「なんですって!」

 賀川の驚愕した声が、電話から響いた。佑一は怒りを押し殺しながら、賀川に訊いた。

「安積さんは、お前に会った後に何かの捜査をしたはずだ。安積さんに、何か訊かれたんじゃないのか?」

「安積さんは、保守系議員の動向をおれに訊いてきたんですよ」

「それで、どんな話をしたんだ?」

「元警察官僚だった宮下西邦が、今は防衛大臣をやってるみたいな話しですよ」

「宮下西邦?」


「ええ。今や江波首相の右腕と言われてますがね」

 佑一は目を細めた。

「なあ、国枝さん。安積さんが殺されたなんて、本当なんですか?」

「賀川さん、あんたは、しばらく身を隠した方がいい」

「そんな! ここまで来てそんな事……」

 そう言いかけて、賀川は少し黙った。

「…判りましたよ。けど、国枝さん、あんたの方がはるかに危険な立場だ。あんたも身を引いた方がいい」

「判ったよ」

 佑一はそれだけ言うと、電話を切った。


 佑一は桜木課長に呼ばれ、本庁へと戻ってきていた。

 「――西村孝義の事件から、手を引けと?」

 佑一は眉根を寄せながら、桜木課長を凝視した。桜木課長は顔色を変えることもなく、口を開いた。

「そうだ」

「どうしてですか? 安積さんまで殺されたというのに、ここで手を引ける訳がない!」

 佑一は感情を露わにして怒鳴った。

「安積の事件は、西村殺害とは関係ない。これは上からの決定だ」

 黙る桜木の代わりに、高坂が叱責するように佑一に言った。

「関係がない? そんな訳がない! どうしてですか? まだ、何一つ判っていない! 西村殺しの犯人も、安積さん殺しの犯人も放置したままですか!」

「殺人事件の捜査は所轄がやる。事件の捜査は本来、公安の仕事じゃない。それに西村殺しは中国マフィアのプロの犯行だ。痕跡も残さない連中の犯行では、立証のしようもないだろう」

 高坂班長はそう声を上げた。


「まだ、その連中が犯人と決まったわけではありません」

「西村孝義はマフィアに機密を小出しにして売っていたが、いよいよ売る情報がなくなり、逆に相手から脅しをかけられていた。それでお前に接触し保護を求めたが、それが露見して始末された。上では、そう判断している。それで十分だ」

 高坂班長の言葉に続いて、桜木が口を開いた。

「国枝、お前はしばらく、命があるまで待機しろ。くれぐれも――勝手な行動をとるなよ」

 佑一は歯噛みした。それをなだめるように、高坂が柔らかい声音を出す。

「そうだ、国枝。しばらく休暇をとってなかったろう。いい機会だから、少し有給をとるといい。最近はコンプライアンスも、うるさいんでな」

「……判りました」

 佑一はそれだけ言うと、感情を押し殺したまま公安課長の部屋を後にした。歩きながら、佑一は目まぐるしく思考を働かせていた。

(陸自と接触した途端、上から圧がかかる――明らかにこの事件はおかしい。何か重大な秘密が隠されている)


 佑一が考えごとをしていると、不意にスマホがバイブした。見ると『父』とある。

(父さん?)

 佑一は訝しみながらも電話に出た。

「はい、佑一です」

「佑一か。少し、私のところに来れないか」

「…判りました」

 佑一の父、国枝光祐は警察庁長官官房の首席監察官である。監察官、というのは『警察の警察』という呼び名もあるように、警察の不祥事や横領を調査管理する機関である。佑一は官房に出向いた。

「入れ」

 部屋の中から父の声がして、佑一は光祐と対面した。


「少し、痩せたようだな。公安の仕事はどうだ?」

「行き詰っています」

 佑一は父を睨みながら言った。椅子に腰かけたままの光祐は、じろりと佑一を見ると、口を開いた。

「まあ、現場では色々ある。そして上に立たなければ判らない事がある。それはお前も判っただろう。――佑一、今からでもI種をとれ。そうすれば、お前の人生の軌道を上向きにできる」

「僕にキャリアになれと?」

「そうだ」

 佑一は、父を睨んだ。

「まさか…それを判らせるために、僕を公安に入れたんですか?」

 光祐は答えない。代わりに光祐は、別の話を始めた。


「この国で生きる人々――皆、それぞれに暮らしがある。その暮らしの中には事故があり、小さな犯罪があり、大きな事件がある。それら全てを視野に入れるのが警察という組織だ。言わば我々は国民の生活を預かっている。我々の預かる小さな幸せは、無数に集まった脆い容器でできている、巨大な舟のようなものだ。行く先を間違えたり、外から衝撃があったりすれば、それは簡単に壊れてしまう。しかしその船全体を観たり、行く先を間違えずに舵を切るためには、大きな視野を持つ者がその運転、管理をしなければならないのだ。小さなヒビを修理する者、これも必要だ。だが、一方で大きな行き先を見つめる事ができる者は、そう多くはない。佑一、より大きな視野に立とうとは思わないか?」

 佑一は黙って話しを聞いていたが、不意に鼻で笑った。

「なんだ?」

「一体、どれだけの人間が、その思い上がったエリート意識で、国を悪い方向に歪めてきたのかと思いましてね」

「なんだと!」


「しかもそのエリート意識は、結局のところ、何処かで自分の利権・利益と結びついている。おためごかしはやめて下さいよ。自分の息子をエリート二世にしたい、親の独善を通したいだけだ。利権の世襲みたいなもんですよ。そういう階層社会化が日本をより希望の無い、閉鎖型の社会にしている。けど、貴方がたは自分たちの保守勢力に対抗的な言説を、全て悪だと決めつけるわけでしょう? けどね、悪ってのは、権力をかさに着て圧力をかける側なんですよ」

「貴様、せっかく私が目をかけてやったのに――」

 憤る光祐に、却って佑一は激怒して怒鳴りつけた。

「何が目をかけて『やった』だ! その恩着せがましい支配欲それ自体が、悪そのものだ! 『国のため』だとか倫理の皮を被って、エゴを押し付けるのはやめて下さい。――話はそれだけですか? なければ失礼します」

「待て、佑一!」


 立ち去ろうとする佑一を、光佑が呼び止める。佑一はドアの前で、振り返った。

「僕に人の道を教えたのは貴方じゃない。択真先生です」

 佑一はそれだけ言うと、ドアを閉めて退室した。

 外へ出てタクシーに乗り込むと、佑一は深い息をついた。

(やってしまったな……)

 だが言ったことにも、自分の行動にも後悔はなかった。ただ、深い失望にも似た気持ちが佑一の胸の底にあった。

(あの人は何も変わらない――変わるわけがないんだ)

 佑一はタクシーの運転手に、行く先を告げた


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