99 文化祭開催
一年生の文化祭。
その日まで私は、大人しく子爵令嬢『アリス』として過ごしていた。
クラスメイトの女子たちと共にエプロンの刺繍をする。
「アリスさん、刺繍すごく上手よね!」
「ありがとう! 私の数少ない特技なの!」
彼女たちとの距離感は、しっかりクラスメイト、女友達のそれだ。
そこには『公爵令嬢』に対する一歩引いた雰囲気はない。
何とも過ごしやすいこと。
それでいて高位貴族ではミランダ様とも交流をする事になったから、将来的にも問題はないはず。
「文化祭、楽しみねー!」
「うんうん。アリスさんはルーカスくんと一緒に文化祭を回るの?」
「えっ」
ルーカス、つまりヒューバートと?
「婚約者候補なんだっけ? まだ決まらないんだ?」
「ええと、まぁ、その。親が決める事だから……」
「まぁ、そうよねー」
そっか。『アリス』が文化祭を回るなら『ルーカス』と回るのが自然なことなのよね。
流石に『アリスター』では、文化祭に来れない。なら、そうするのが一番……。
ゲーム上、一年生の文化祭では、ヒーローたちの個別イベントがある。
でも、それは特別感のあるイベントというより共通規格の個別イベントだ。
『好感度の高いキャラクターと、一日過ごすイベントが発生!』……といった具合。
私の目的は、当初思い描いたものから少々ズレている。
それは私が……レイドリック様との『婚約破棄』を願うようになったから。
乙女ゲーム的に言えば、レイドリック様を文化祭に誘うのが『正解』だろう。
レーミルに譲るのは業腹だから、それは防ぎたくはある。
レイドリック様の様子から『アリス』への好感度は、それなりに高いと踏んでいるのだけど。
『アリスター』を疎むことを止めない彼が、『アリス』に惹かれる様子にモヤモヤとした気分になってしまう。
だって、両方とも『私』なのだ。
結局レイドリック様って、王妃にならんと育った『私』は嫌なのかしら。
「…………」
こんな気持ちで文化祭をレイドリック様と過ごす?
そう思うとなんだか、微妙。
私がこうしているのは『乙女ゲームのヒロイン』に対する当て付け、というか対抗心みたいなものだ。
もちろん破滅回避のための方策でもあるのだけど。
「うーん。ちょっとルーカスに話してみようかな」
「まだ誘われてないんだ?」
「友達と一緒に回るのも楽しいかなーって!」
「ああ、それはあるかも?」
「でも、きっと声を掛けられるから予定は空けておきなよー」
クラスでは、そんな風に和やかな空気の中で過ごせていた。
で、文化祭をどう、誰と回るか問題だけど。
滞りなく『アリス』として過ごすのなら、やっぱりヒューバートと過ごすのがいいのだろう。
けれど、それではこの状況の『建前』が崩れてしまう。
少なくともレイドリック様をお誘いするフリはして見せなければ……私の『言い訳』が成立しない。
「はぁ……」
何だろう。なんだか憂鬱。
どうしようかな。生徒会室で誘うのがいいかもしれないけれど。
そこにはレーミルが居るだろうし。
他の攻略対象たちのことは気に留めているワケじゃないけど。
『アリスター』を庇っておいて、自分は彼を誘うのか? という変な感じになるかも。
「アリス嬢」
「はい?」
そんな私を呼び止める人が居た。
今、近くにはヒューバートは居ないはずだ。学園内で安全ではあるのだけど?
振り返ると、そこに居たのは……。
「理事長」
『王弟』サラザール・ウィクター様だった。
あの夏の夜会以来の接触だ。何か用なのだろうか。
「どうしました? なんだか浮かない顔をしていましたよ」
「……え。ああ」
思わず視線を逸らしてしまう。
結局、サラザール様が『私』の正体を知っているか、分からないままなのよね。
その件もあって、彼の手前、レイドリック様を誘わなければいけないのだけど。
「……いつもの『彼』は一緒ではないのですか?」
「彼、ですか?」
「ルーカス君ですよ」
「ああ。今は少し、離れています」
「離れて、ね」
もしもサラザール様が事情を知っている場合。
ヒューバートが私から離れて動いているのは問題だろうか?
いや、でも彼だけに四六時中、私のそばに居ろというのは難しいし。
「レイドリックはどうですか? 生徒会長をしっかりこなせていますかね」
「ええっと。はい! きちんとされていますよ!」
「そうですか。……シェルベル公爵令嬢」
また、こちらの様子を窺うように、からかうように?
サラザール様が『アリスター』の名前を呼ぶ。
私は徹底して反応しないように抑え込んだ。そして首を傾げる。
ワタシ、『アリス』ダカラ、ワカンナイ。
「彼女、剣技大会に姿を見せましたね」
「ソウデスネー」
「間近で見ていましたが、レイドリックは、どうやら彼女について思うところがある様子だった」
「エー? ソウナンデスカ」
いやぁ『アリス』は剣技大会の日は、お休みしていたから分からないわねー。
「……キミはどう思う? アリス嬢」
「どう、とは?」
「レイドリックとアリスター嬢の仲さ。二人の仲が良くないという話も聞く」
「……私には何とも」
「そうかな」
「はい」
私たちが不仲か。まぁ、誤魔化し切れなくなっているのかもしれない。
「もしも、レイドリックが……立場に相応しくない態度を取り続けるのなら。私としては望む・望まぬに関係なく。責任ある立場に立つ必要が出て来るね」
ちょっと。危ない話をこんな学園の廊下でしないで欲しいわ。
「もちろん、自らそうは望まないので、甥には頑張って貰いたいのだが」
「アハハー。私は、ちょっと難しい話は分からないです」
アリスは、ただの子爵令嬢なので!
「もしも、そうなったら。私のパートナーには『アリスター・シェルベル公爵令嬢』を望みたいものだ」
「えっ」
今、サラザール様は、なんと言った?
「彼女には、瑕疵のない行動を続けていて欲しいね。たとえ、レイドリックとの仲が上手くいっていなかったとしても」
「……申し訳ございません。公爵令嬢様のことは、私に言われても何とも返せません」
思わず真顔。どこまで危ない発言をなさるの?
というか、これ。サラザール様って、やっぱり私の正体を知っていない?
それならそれで夏のやり取りの恥ずかしさが増すワケなのだが。
「あはは。そうだね。『アリス嬢』としてはどう思う? 僕とシェルベル公女、お似合いだと思うかい?」
「……理事長には、きっと素敵な女性が見つかると思います!」
私は曖昧に答えて逃げる姿勢を取る。
「ははは! そうか。『キミ』の気持ちは何となく察したよ。あまり深く気にしないでくれ」
「そうですかー。あはは」
「ただ、そうだね。これだけは言わせてくれるかい? アリス嬢」
「何でしょうか、理事長」
サラザール様は微笑みを浮かべたまま、穏やかな雰囲気で私に告げる。
「もしも、レイドリックが何か道を誤ったのだとしても。『その時』は私が居る。だから、好きに振る舞ってみたらいい」
「……理事長」
私は目を見開いてサラザール様を見た。
それは。その意味するところは。
「この学園の生徒が、元気に過ごす事を私は望んでいる。特にもうすぐ文化祭だ。
沈んだ表情で迎えるようなイベントではないだろう。……共に歩く相手だって、キミの好きに選べばいいんだ。
もちろん相手が居ないなら、私がキミの隣を歩いてもいい。どうかな?」
「それはお断りさせていただきます」
サラザール様から文化祭イベントのお誘い……。
彼の好感度、高いのかしら。いやいや。
「あはは。フラれてしまったね。まぁ、言いたいことは言えた。それではね、アリス嬢」
「は、はい。理事長」
サラザール様は言いたい事だけを言って、颯爽と立ち去っていった。
私は、彼の背中を無言で見送るのみだ。
「好きに振る舞って、か。だったら。今の私の気持ちは──」
そうして。
1年生の文化祭が始まる。
私の隣を歩いてくれる『パートナー』は──
「……ルーカス! ほら、行きましょう? 私たちの店番の時間まで、たくさんお店を回るわよ!」
「お嬢。走らないでくださいよ」
私は、もう既に、この時。『未来』について決断していたのかもしれないわ。