98 目障りな女
レーミル・ケーニッヒと司祭アルス・マーベリックは、バザーの終わりまで共に時間を過ごしていた。
「アルス君。やっぱり、私が見つけた物がアルス君の探し物だったんだよぅ。もう買われちゃったんだ。
ごめんね、私のせいで……!」
「いえ。貴方のせいではありませんよ、ケーニッヒ嬢」
「……そんな。優しいんだね、アルス君っ」
「はぁ」
『アリス』が、その場を誤魔化すために時折見せる『ヒロイン風』の態度や言葉使いより、いっそう媚びた態度と甘ったるい声で、レーミルはアルスに迫っていた。
彼女なりに自信がある。
己が『ヒロイン』である事を理解していて、彼ら攻略対象が、そんな自分にこうして言い寄られて、ときめかないはずがない、と。
現に『宰相の子』ジャミルも、『護衛騎士』ロバートもレーミルの、この態度に絆されている。
生徒会に入り、より彼らとの距離も近くなって、色々と融通を利かせて貰っているのだ。
バザーの日の今日も、朝から彼らと交流していたほどだった。
(ジャミルとロバートは、もう落とせてる感じなのよねぇ)
レーミルは、アルスにスキンシップを試みるが……流石に今の状況だと、彼にも余裕がないのか。
『ヒロイン』の媚びた態度でも、あまり響いていない様子だった。
「チッ……」
今日まで。
すべてレーミルの思惑通りに進んでいたかと言うと、そうではなかった。
まず何よりも『悪役令嬢』アリスター・シェルベルの不在から、それは始まる。
前世の知識があり、この世界を乙女ゲームの世界だと認識しているレーミルが狙っているのは『魔王エンド』だ。
そのためには攻略対象たちとのイベントをこなしていき、そして……『悪役令嬢』を追い込む必要があった。
(だっていうのにロバートは、まさかアリスターに負けちゃうし!)
『悪役令嬢』アリスターは愚かな公爵令嬢だ。
たしかに優秀な才能を持ってはいる。
だが、その性格から、わざわざ才覚ある攻略対象たちの『得意分野』での勝負を仕掛けてくる。
そして、彼らに尽く返り討ちに遭って破滅するのが、乙女ゲーム『レムリアに咲く花のように』の基本シナリオ、テンプレートだった。
ヒーローたちに負けるための存在がアリスターだ。
そして『魔王エンド』に誘導しようとしているレーミルは、その最たるルートを進もうとしている。
通常プレイとは異なり、攻略対象たちのイベントを、より早期に起こしていき、アリスターを他のルートより徹底的に追い詰めていく。
アリスターの剣技大会への参加だって、その一環のはずだった。
1学期から続いていた悪役令嬢不在の状況であっても、攻略対象たち自体の反応は、ほとんど思った通りで……。
だが、蓋を開けてみれば『護衛騎士』ロバートは、まさかの敗北だった。
(なんでロバートが負けるのよ! 忌々しい!)
『ヒロイン』レーミルは思う。
『悪役令嬢』アリスターは、間違いなく自分と同じ転生者であると。
彼女は、知識を活かして破滅を回避しようとしているのだ。
もちろんレーミルは、アリスターの決定的な言動を抑えたワケではない。
だが、学園に登校して来ないなどというイレギュラーな行動は、そうとしか考えられなかった。
少なくとも『公爵令嬢』、『王太子の婚約者』としては、ありえない行動なのだから。
(……あの女、逃げる気なんだわ)
レーミルがどう行動するにしても。
学園で一切関わらないようにする。
レーミルどころか、攻略対象たちとすらも。
『悪役令嬢』のままであればアリスターは、ヒロインに絡み、攻略対象たちの得意分野で勝負を仕掛けて来ては、無様に負け続けるはずなのに。
「……ほんと、忌々しい」
「どうしました? ケーニッヒ嬢」
「ううん、何でもないよぅ、アルス君!」
殊更に媚びた態度で司祭アルスに上目遣いで、甘ったるい声を上げ、己の悪態を誤魔化すレーミル。
(どうにか別の手を考えなきゃ。ただでさえ、このルートのヒロインは忙しい上、何人か攻略が上手く進んでないのに!)
レーミルも、どうにかアリスターを表舞台、学園へ引き摺り出そうと画策してはいた。
特にジャミルを焚き付けては、そういう案を出させたり。
だが、現状はそれらが上手くいっているとは言い難い。
それに加えて、当初の予定通りに攻略が進まない攻略対象たちだ。
『王弟』のサラザールは、レーミルと深く関わろうとして来ない。
『公爵令息』のジークとは、接触する事すら難しい。
『王家の影』のヒューバートも、まず出会う事が困難な上……現実の彼の『顔』が他の攻略対象たちと比べて見劣りし、中々レーミルの気が乗らない。
(流石、一番不人気のヒーローだよねぇ、ヒューバート。『実写』だとアレとかさ)
どこにでも居るモブのような顔立ちで、レーミルはそれも不満だった。
ゲームのヒューバートは、もっとイケメンのはずなのだ。
アレでは、今の生徒会に参加している『モブ』の方が、よほどヒーローの顔立ちと言えるだろう。
そうして上手くいかない攻略対象たちも居る反面、まんまとレーミルの思惑通りに落とせている者たちも居た。
『宰相の子』ジャミル・メイソン。
『護衛騎士』ロバート・ディック。
『大商人の子』ホランド・サーベック。
この辺りは、もうレーミルに好意を抱いている様子を見せている。
加えて『魔塔の天才児』クルス・ハミルトンの攻略も、かなり進んでいる。
あとは、もう少しイベントを進めるだけといった具合だった。
そして今は、『大司教の子』アルス・マーベリックと接触している。
だが、その状況は、いいとは言えなかった。
(たしかに面倒くさくて、朝からバザーに参加して一緒にロザリオを探すとかはしてなかったけどさ。
でも要点は押さえてるはずなんだよね)
探し物のヒントは与えたし、彼の境遇に寄り添ってもいる。
極め付けは、彼らの好みの女である自分が、こうして媚びてやっているのだ。
これだけで男共の好感度なんて跳ね上がるに違いない。
……なのだが、ここでも誤算があった。
生徒会に参加している『モブ』たちが、レーミルの前にアルスたちと接触していたのだ。
それは、まるで『ヒロイン』の行動の穴埋めをするみたいに。
(……前々から思ってたけど。あのモブのピンク髪女、ウザくない?)
攻略対象の内、最重要とも言える人物。
『王太子』レイドリック・ウィクター。
レーミルは、彼のことも当然、攻略しようとしているのだが……。
今まで、ほとんどのレイドリックイベントが失敗に終わっていた。
タイミングが合わなかったり、レーミルの挙動が間違っている時もある。
だが、それ以外。
上手く接触できそうな時には、決まって、あのピンク髪の女が邪魔になっていた。
腹立たしい事に、会話イベントそのものを奪われた事もある。
その結果、明らかにレイドリックは……あのピンク髪の下位貴族令嬢に心惹かれている様子を見せていた。
(ピンクブロンドの下位貴族とか……。別のゲームじゃん、もう)
レーミルは、アレもモブの転生者かと疑った事もあるのだが、それにしては他の攻略対象たちにも、また『ヒロイン』レーミルにも興味のなさそうな様子だ。
(……仮にアレが転生者で、レイドリック狙いなら……。アリスターを貶めるとこまでは私と同じ考えになるはずよね?
どの道、邪魔なんだし。何より『ヒロイン』を無視するのは、ありえない……)
だが、彼女は『ヒロイン』『攻略対象』どころか『悪役令嬢』についてすら、レーミルの予想通りの言動をする事はない。
アリスターに至っては、むしろ庇っているぐらいだ。
その言動が如何にも『お花畑』のようで……。
(何、アレ? 天然? 天然のバカヒロイン?)
考えた事はある。
ピンク髪の女は、もしかしたら『悪役令嬢』アリスターが不在のために生まれたバグのような存在かと。
とにかく、彼女が。
あのピンクブロンドの女が。
『ヒロイン』レーミル・ケーニッヒにとって、どういう存在かと言えば、だ。
(……目障り、なのよね)
レーミルが、このゲームの舞台に立たせたいのは『悪役令嬢』アリスターである。
だが、そのアリスターは舞台から逃げ出し、破滅を回避しようとしていた。
いつかはアリスターを表舞台に引き摺り出し、逃がさないようにしようと考えていたが……。
なかなか、それは思うようにいかない。
(それじゃ困るのよ)
逆ハーレムをしながら、王太子のレイドリックか、王弟のサラザールと結婚するのでも、アリと言えばアリだ。
優秀で美形な男たちを傅かせ、他の女共を見下すのは堪らない愉悦だろう。
だが、やはりレーミルの『推し』は魔王だった。
魔王の復活、そして浄化のためには『悪役令嬢』アリスター・シェルベルという『生贄』が必要だった。
それが今、どうしても難しい。
このままではルートそのものが歪んでしまう。
「…………」
そうして考え込んでいるところに。
ピンク髪の女、『アリス』は戻って来た。
「アルスくん!」
「あ。お二人共、無事でしたか。急に走り去られて驚きましたよ」
「あはは、ごめんね」
「すみません、お嬢はいつも突拍子もない事をする人で」
「いえ……。それで一体どうされたのですか?」
「えっと」
レーミルは、戻って来た『モブ』の2人を冷ややかに見つめていた。
アルスの信頼が、レーミルではなく彼らに向けられている様子が苛立たしい。
「……ロザリオ?」
「そうなの! なんだかね。様子が変だなぁ、って追いかけたら巻き込まれちゃって」
「そのロザリオは」
「事件の証拠となるそうで、憲兵に回収されました。それで、お嬢はもしかしたら貴方の探し物がそれの可能性はないかと」
「……貴方たちもそう思われたのですか」
そこでアルスが、チラリとレーミルに視線を向ける。
当然、レーミルは上目遣いでアルスに媚びるように微笑み返した。
「分かりました。では、そのロザリオを確認しに行こうと思います」
「うん。ちょっと、ここからは力になれないと思うんだけど。証拠として持っていかれちゃったから」
「いえ……。それにしても、事件ですか」
「うん! なんだか凄く暴れてたんだって! 私たちは、それを直接見てないけど」
「そうですか。お二人がご無事で何よりです」
「あはは。ありがとう、アルスくん」
「……お力になれず、申し訳ありません。アルス司祭」
「いいえ。2人の助力に感謝致します。私の心が楽になりましたから」
和気藹々と。友人同士のように彼らは会話していた。
レーミルの存在などないかのように。
(……マジで目障り。この女……)
今までは『悪役令嬢』アリスターをどうにか逃さないように画策していた。
だが、それが上手くいかなくて。
そして今、ここには『目障りな女』が居る。
(……あ、そっか)
ならば。
『悪役令嬢』が、己の役割を放棄すると言うのなら。
……その『代わり』が必要となるだろう。
魔王を呼び出すほどの絶望に苛まれ。
壊れ、落ちぶれて。
そうして絶望のまま、魔王の瘴気をその身に受けて、醜く無様に死んでいく『生贄』。
(ここまで出しゃばって来るって言うんなら。この女、アリスターの代わりにしてやればいいじゃない)
そうすればレーミルにとって、一石二鳥だ。
邪魔な女を排除できるし。
卑怯にも舞台から逃げたアリスターの代わりにもなる。
(うふふ。いい考え! さっそく、プランを練りましょう!)
アルスと話を終えると、さっさと帰っていく2人。
その背中、揺れるピンクブロンドの髪を見ながら。
『ヒロイン』レーミルは怪しく微笑むのだった。