86 ミランダからの誘い
「婚約の破棄、ですか。よろしいんですの。貴方はそれで」
「……色々と事情がありまして。感情的には、です」
「なぁなぁで未来の王妃になられても困りますけれど」
「……まぁ、そうなんですけど」
実際、どうなるだろう。『原作』においての悪役は、とにかく私なのだ。
だから婚約破棄されることは運命通りと言っていい。
レイドリック様の感情もそのように動いていると思う。
原作との違いは、彼が恋する相手を『アリス』に出来るかどうか。
私はあくまで『偽りのヒロイン』としてレイドリック様を攻略する。
つまり最終的に彼が『アリスター』に婚約破棄を突きつける流れまで否定するつもりは……ない。
欲しいのは『アリス』として彼に接しながら、『アリスター』として落ち度のない自分で居られること。
悪役令嬢として人々に蔑まれる学園生活にならないようにすること。それだけ。
「時にミランダ様は婚約者とは仲がよろしいので?」
「私にレイドリック殿下を押し付けるおつもり?」
「……いえ、どうなる事やら」
王子の後ろ盾としては公爵令嬢の内の誰かがいいだろう。
私が婚約解消を望む以上、ミランダ様かシャーリー様が候補に上がるワケだけど。
「一つ、確認したいですわ」
「何なりと」
「アリスター様は殿下への恋心が冷めてしまった。これはいいですわ。で、その後。貴方がそうしているのは、殿下を罠に嵌めるため、ではありませんの? つまり自身の誰かへの想いを叶えるために、殿下を、という話」
「いえいえ。そのつもりはありません。殿下が普通に私を好いてくださるなら、別に……と考えております。こうして姿や身分を偽っているのは、あくまで『自衛』のつもりですよ」
「自衛……」
「はい。自分の身を守り、自分の生活を豊かにするため。……彼を貶めるつもりはありません。むしろレイドリック様は今、私が近くにいない事で、その評判が守られていると思います」
「それはどうして?」
「……如何にいいように私を貶めて、世間が私を悪女だ、惨めな女だと罵ろうと。
その振る舞いが王子として正道かと問われれば違うと考えています。
いくら『アリスター』を陥れてもレイドリック様の評価は上がらないのです。むしろ逆に落ちる一方でしょう。
さて、その点を彼が理解しているかどうか。私が彼のそばに居れば『共倒れ』の評判になっていたのではないかと」
「……なるほど」
乙女ゲーム上のヒーローの姿は、あくまで『ヒロイン』目線での評価だ。
世間的に、貴族目線で見て、その言動をこう評価できるかは怪しい。
特に今は悪役令嬢である私が大した悪役を担っていない。
それだけで私を攻撃する側の正義が揺らぐというもの。
まぁ、本格的な『イベント』が起きるのは、私が2年生になってからなのだが……。
「アリスター様の方針は理解しましたわ」
ミランダ様が、私をまっすぐに見つめながら告げる。
「しばらくは、貴方の茶番にもお付き合いしましょう」
「……『アリス』の正体を黙っていてくださると?」
「ええ。アリスター様に大きな……悪意ある企みがあるようには見受けられませんので。
そもそも、何かあるのなら正面から物事を成せる力をお持ちでしょうし」
まぁ。とてもありがたいわ。本当に助かる。
「ミランダ様。ありがとうございます」
「……私やファムステルに不利益が生じるようであれば黙ってはいませんわよ?」
「はい。分かっています」
「……陛下やシェルベル公爵がお認めだというのは本当のことなのね?」
「はい。だからこその今ですから」
「……まぁ、それはそうですわね」
流石に無断でこの振る舞いは出来ない。
しても見つかるだけだから。
「……そこまでは良いですわ」
「はい」
「では。そんなアリスター様は、なぜファムステルのダンジョンへ行きたがっていましたの?」
「それは……」
「真剣勝負で賭けた約束です。違える気はありませんけれど。こうして貴方の正体は見破ったのです。そちらの理由をお聞かせくださる?」
ファムステルのダンジョンへ行きたい理由。それは。
「これは推測に過ぎないのですけど。ダンジョンについて、私が全く関らずにいる。
それだけで結果として私は不利益を被る確信があるのです」
「はぁ……。推測なのに確信?」
「はい。また8つのダンジョンの内、その過半数は現・生徒会メンバーが踏破する。そう予測しています。
それが功績となるか、或いは国に利益をもたらす何かをそこで得る。
そうなった時、レイドリック様の隣に立つに相応しいのは、彼に同行した女性になる……。そう見ているんです。
ですから私は、可能な限りダンジョン踏破に関わりたいと考えています。
それは『アリス』として生徒会メンバーと一緒にダンジョンへ向かうのとは別に、『アリスター』としても踏破したい。それが私にとって必要なことだから」
本当、色々な意味で。
「ふぅん……。何故かはいまいち分かりませんわね」
「推論に推論を重ねての、私なりの確信ですので。ですが今は行動せざるを得ない状況だと考えています」
「そうですの……」
ミランダ様は、優雅に紅茶をひと啜りし、唇を濡らした。
「……ところで」
「はい」
「アリスター様は『魔術師対抗戦』にも、アリスター様として参戦するご予定ですの?」
「え。いえ、特に予定はありません。あくまで予定は、ですけど」
「そう? 聞くけど。元々は剣技大会にも参加する予定はなかったのではない?」
「……それはまぁ、はい」
ミランダ様の手紙で出ることになったのですけど。
「……シャーリー・ロッテバルク様は、私よりも魔術が得意ですわ」
「はい?」
シャーリー様?
「剣技大会で華々しい活躍をしたアリスター様と、彼女は魔術戦で勝負をしたいと考えると思うわよ。貴方は、その挑戦、その挑発を受けて黙っていられる?」
今度はシャーリー様か。
ミランダ様といい、どちらも『原作』にはない勝負だ。
私以外の2人の公爵令嬢。
ミランダ様は剣がお得意で、シャーリー様は魔法がお得意、と。
……『ヒロイン』レーミルの反応からして、本当に乙女ゲームのイベントとは関係ないんだろうな。
「それから生徒会で見るに、魔塔のクルスは『アリスター』様に牙を剥きたいと考えていると思うわ」
「……それは、何故」
「貴方がレイドリック殿下に、そしてディック伯爵令息に勝ったから」
「でも、それは剣での勝負ですよ」
「いいえ。アレは魔法技術での勝利でしたわ」
「……それは」
まぁ、ただの剣技対決では流石に私はロバートに勝てない。
「貴方は、魔塔のクルスに目を付けられているの。彼らに勝った貴方を打ち負かせば、これから本当に好き勝手に出来るから」
……連鎖イベントかなぁ。
どうにも避けられない予感がする。
何故だろう。ただ、不参加を表明すればいいだけのはずなのに。
「……アリスター様が、そもそも挑発されて黙ったままで居るとは思えないの。そうじゃない?」
う。
その可能性はある。
私が単に『破滅したくない』を理由にするなら、今のこの状態だってありえなかっただろう。
他の手段を考えていたはず。
でも、私は『偽りのヒロイン』として活動するし、剣技大会に出てはロバートを叩きのめしている。
……生意気なクルスを彼の得意な魔法分野で叩きのめしたくないか、と問われると私は……。
「流石に剣技のように周りは油断はしない。貴方を強い存在と見るだろうから、魔術対抗戦は剣技大会よりも、ずっと勝利が困難よ」
「……そうですね」
「だから練習が必要になると思うわ」
練習。
「たとえばダンジョンで、ね?」
その言葉に私はミランダ様の目を見つめ直した。
「アリスター様。ファムステルのダンジョン攻略。一緒に行きませんか?」
ミランダ様は、ニコリと笑って、そう誘ってきた。