77 決勝戦
「私が……負けた、だと?」
膝を突き、呆然とした表情を浮かべるレイドリック様。
その手には剣は握られていない。
ショックを受けているみたい。
自信があったのに負けた。女に負けた。婚約者に負けた。などなど?
……つまり、ここは『攻め時』ね! 精神攻撃は基本!
スススっと私はレイドリック様のそばに近寄って話し掛けた。
「ええ。レイドリック様。もちろん剣の実力では貴方が私の上でしたが……ふふ。油断しましたわね?」
「アリスター……」
「私の笑顔に見惚れて手を鈍らせるなんて。可愛いところがおありではないですか。貴方が私に惚れた弱みで負けたのですよ」
「な、にを。ふざけるな……」
笑顔で私は続ける。
「あら。違うとおっしゃるの? つまり、貴方が学園へ入る一年ほど前。
私たちの間であった交流は、貴方が浮かべた表情、抱いた感情は、ただの演技であったと。
ならば国王陛下とお父様に、そのことをお伝えしておきますわね。
レイドリック様、変わったのは私ではないんですよ。変わったのは貴方。間違いを先に犯したのは貴方。
……生徒会で私を待ち構えて、仕事をさせるだけさせて捨て置くご予定だったのでしょう?
私を侮辱し、見下すような環境に置き、道具にするつもりだった。そうですわね?」
「……な」
「浅はかな。レイドリック様がそのような腹積もりだと教えていただきましたの。
ですから私は学園で、この赤髪を晒していなかったのですわ。
国王陛下の『影』は優秀ですわねぇ。いつだって貴方様の思惑を、陛下はご存知よ」
「……!?」
「王子の婚約者であり、公女たる『私』が学園へ通わない。その事に国王陛下が許可を出されたのよ?
私が、ただの問題児ならば、そんな事を許されるはずがないでしょう。
つまり私じゃなくて王子である貴方の方が問題だったの。
だから今後も私は学園では、この赤髪を見せませんわ、レイドリック様。
貴方がいつまでも私に対して妙な傲慢さを発揮する限り」
私は、しゃがんでレイドリック様に目を合わせる。
「『王家の影』が私を見張ってくれていますから。
これから先、貴方や『他の誰か』が私を貶めようとしても無駄。
私の行動は逐一、陛下に報告されていますから。……楽しみですわ? この先のことを考えると。
私に監視がついている事を知らない愚か者たちがレイドリック様に何かを吹き込もうとするの。
『私、アリスター様に虐められたんですぅ、信じてください、殿下ぁ』なんてね?
レイドリック様がそんな愚か者の言い分を聞いて、ハニートラップに引っ掛かって。
それらすべてが王様の手の平の上。
私は何の傷も負わず、貴方だけが落ちぶれる……ふふふ。素敵な未来でしょう?」
悪い顔を浮かべておく。悪女っぽく。
そして同時にハニートラップへの警戒心を植え付けておく。
ほら、パターンってあるじゃない?
悪役令嬢を陥れるためにヒロインが打って来る手段とか。
「貴様っ……」
「ふふ。ジャミルやロバートみたいに『女』を知らない相手から外堀を埋めて。
次にレイドリック様を罠に嵌める……なんていうのもアリよね?
そう考える女子は、どこにでも居そうだわ。
もちろん、私はそんなことには関わりません。
レイドリック様や側近の方々が、自らどうにかする事ですもの。
常に潔白を証明し続けるために、私は陛下の監視下に置かれますわ。
腹黒な女の取る手段なんて似たりよったりですもの!
ええ、レイドリック様だけじゃなく、ジャミルやロバートにも一緒にすり寄る女がいれば、用心なさってくださいませね?
レイドリック様からの愛を感じられなくなって長く、貴方への気持ちが冷め始めた婚約者からの忠告ですわ」
そこまで言葉を叩き込んでから、さっさと私は去ることにする。
議論や話し合いは、まだ出来そうにないので。
今、プライドが傷ついてショックだったところに情報を吹き込むことで、忘れられないようにしたの。
「アリスター……!」
「私、次のロバートとの試合が楽しみですの。『もう終わった』レイドリック様とは話すことはありませんわ」
背を向けて手を振る私。
逆上して私を殴ろうとしたりは……ないわね。
流石にそこまではしないか。ちょっと疑ってた。
『アリスター』の私としては好感度が死滅してそう……。
仕方ない。さんざん言ったものね。婚約解消の意思もチラつかせている。
彼の気持ちが冷めているのなら『分かった。じゃあ、そうしよう』で終わるかも。
それはそれで……明らかに『原作』の宿命から外れていそうだからアリかなぁ。
私には、かなりの才能があるって分かったし。家を追い出されても何とか……。
周りからどう見られるかはさておき、平民根性もあるので生きていけなくもなさそう。
まぁ、とにかく今はロバート戦に集中ね。
なるようになる。たぶん。
レイドリック様が私へ恨みを抱くか。そもそも彼の根底にどんな感情が渦巻いているのか。
よくあるのは、自分の気持ちを分かってくれないだとか。
婚約者の評価が高過ぎて、鼻につく、邪魔で目障りだとか。
陰謀ではなく気持ちの問題だと思うのよね。
でも、だからこそ焦って問題解決しようとして、国王陛下に頼って話し合いの場を持ったりしたら余計に拗らせる。
思春期だもの。『とにかく納得できない!』が理由なんてざらにあるのよ。
なので、ここはむしろ燃料を注ぎこんで燃やす。
不満を溜めて、燃やして、吐き出させて。
その過程で、私が彼に屈するような事態は避ける。
ええ、つまりまぁ家庭内暴力とか。そういう系統でのストレス発散は許さず、受け入れない。
暴力や威圧的な態度で私を制御できるなどとは、けして思わせない。
どこか別の方向で爆発させておいてから、彼の情緒の成長を待つ。
悠長だけど、今の王国は平和だし、陛下もお元気だもの。
ここで発散させて、プライドをへし折って……『大人』になって貰わなくちゃ。
まぁ、実際は本当にレイドリック様に勝てるとは思っていなかったんだけど。
前世でだって剣を振るった記憶はない。
今世でも剣を取ったのはここ一ヶ月ほどだ。
そんな私が、とうとう決勝戦まで勝ち残ってしまった。
どうやら私は才能の塊らしい。さすが万能ラスボス系の悪役令嬢……。
いえ、レイドリック様相手はズルしたんだけど。
ロバートの試合を観戦し、休憩を取る。
魔法でカバーしているとはいえ、かなり疲労は溜まっているわね。
それはロバートも同じでしょうけれど、そこは鍛え方が違う。
剣技においてはレイドリック様を上回るのが『近衛騎士』ロバート・ディック。
でも対策は……ヒューバートが見せてくれたわね。
可能な限り、その力を引き出して私に見せてくれた。
おそらくレイドリック様との対決でこそ見れただろう、攻略対象同士の試合。
番狂わせは既に起きているはずよ。
この点について『ヒロイン』の反応は気になるけど、あえて視界には入れない。
今の私はアリスターだもの。
『相手にもされない』ことが一番、腹の立つことよね? ふふ。
意識されていないことに苛立ちながら、意識されていないのだと私を侮る。
だから『アリスター』の時は、レーミルを視界にも入れないことが一番よ。
純粋な人間であるならば、そうでもないでしょうけど。
彼女は明らかに『攻略』をしている人。
だから、むしろ私を排除することは『まだ』したくないんじゃないかしら。
そうしてロバートの準決勝を観戦し、休憩を挟んでから決勝戦へ。
いよいよ剣技大会も大詰め。
私は装備の点検をしつつ、意識を研ぎ澄ました。
◇◆◇
「ロバート・ディック伯爵令息!」
対戦相手の名が読み上げられ、歓声が上がる。盛り上がっているみたい。
「アリスター・シェルベル公爵令嬢!」
私の名に対しても、ちゃんと盛り上がってくれる観客。
その反応に安心したわ。まだ私、嫌われ者にまでなっていないみたいだから。
学園に通っていたら、どういう評判を立てられていたか。
ゲーム上で、この時期の剣技大会、私がこの場所に立つシナリオではなかった。
『力』をまだ示していなかったのね。
剣で勝ったから未来の王妃とは言い難いけど。
曲がりなりにもレイドリック様を退けての勝利。
会場の空気としては、実力者同士の戦いに過ぎない……かしら?
「…………」
ロバートは気合の入った視線で私を睨みつけてくる。
生来、無骨なキャラクターではあるけど。
私はさっさと剣を構え、笑みなど浮かべずにロバートを睨み返した。
憎悪は込められないが、殺気……を感じられるように。
「……!?」
私の態度と表情の変化が意外、いえ、予想外だったのだろう。
『調子に乗った私』を断罪でもするかのような表情だったもの。
その高慢な正義感、使命感に対して、私は気合以上の感情を乗せた。
『レイドリック様を諫めなかった無能な側近』ロバート・ディック。
私たちの不仲の原因は、すべてこいつのせい。
レイドリック様のせいでもなく、彼にすり寄る女たちのせいでも、ヒロインのせいでもない。
全部、すべて、何もかも悪いのはコイツのせい。
……そう『設定』する。
私が、これまで感じたストレスのすべての原因はロバート。
だから、私の憎悪と殺気をこの男にぶつける。
『殺しても構わない』と……悪役令嬢らしく、悪心を全開に、傾けて。
全魔力を解放。継戦を狙わず、一撃の下で殺すつもりで……。
殺意を研ぎ澄ます。模倣した技術から最適な型を組み上げて。
……私が『この時期』のロバートに勝てる最善を尽くす。
ロバートの表情や審判が息を呑む態度を、ただの情報として頭の隅に追いやった。
「……始めっ!」
「ハッ!」
ロバートは、定型通りに開幕で突進を仕掛けてくる。
同時に私もだ。怯むことはない。精神の切り替えぐらいは出来る。鍛錬などなくとも。
そして私自身の『悪女』としての才能に賭けた。
「死ねッ!」
「……!?」
『殺すつもり』の一撃で。首を狙った一撃を繰り出す。
これまでの『試合』の体裁をかなぐり捨てた殺し合い……の構え。
今まで見せてきた受け身、模倣、優雅さ、繊細さ、余裕。
それらすべてを捨てる『必殺』の狂気。
「ぐっ!」
ガキィイイ!
当然、ロバートの才能はそれにも対応してくる。だけど『受け』に回らせたわ。
パワー・スピード・テクニック、すべてが私の上であるはずの騎士が。
私相手に受け手に回ったの。意図せずにね。
「はぁあああああああッ!!」
裂帛の気合を示すように声を吐き出す。
魔力の残量など気にせず、全力を持って鋭く、力強く、相手を殺すつもりで。
後のことなど考えない。この場で出し尽くし、全力を持って目の前の男を殺す。
「うっ、ぐっ……!?」
狙うは首。眼。心臓。その3点。
剣を弾き飛ばして優雅に無力化するなどという生温い手は狙わない。
ただ、この場で男の命を絶つことで、すべてを終わらせる。
殺すために私の才能のすべてを最適化する。すべての一撃に、必ず『殺意』を込めて。
ガギィイイ!
「くっ!?」
開幕から魔力全開。私のすべてを注ぎ込んだ、試合の体裁をかなぐり捨てた狂気の立ち回りに、ロバートは気圧されている。
ペースなど考えない剣技は、彼との力の差を縮めて。
「死ねッ!! ロバートッ!!」
「う……!」
『殺意』を言葉に乗せて、表情で、魔力で、全身でそれを示す。
剛の剣技どころか狂気の剣。
私から発露される情報に、ロバートの動きが後手に回る。
そのすべての隙を逃さない。ただ愚直に、策を弄するワケでもなく。
ただ、ただ殺意を込めて。殺すためだけにすべてを動かす。
相手の剣が私を狙おうとも。肉を切らせ、骨を断たせて、命を絶つ覚悟で。
「せやぁああッ!!」
ガン! ドゴッ! ゴッ!
本来の彼の剣技は活かされず、後手に回り、防戦に回り。
実力差からくる『余裕』は削ぎ落され。初めて直面する殺意に翻弄される。
所詮は鍛錬で作り上げられた天才。
お綺麗な試合の下、純粋培養された男。
ただ、ひたすらに命を奪う一撃を繰り出してくる狂気を前にして。
そして、まだ致命的なほどの『差』がない実力者を相手にして。
「うっ、ぁあああっ……!」
ロバートは呑まれた。
魔力の揺らぎは膨らみ、型通りでありながら純粋で力強かった。
ムラのある流れでも、その実、まっすぐだった。
そんなロバートが発する魔力は乱れ、力が入り、バランスなど度外視で、狂気に立ち向かう勇気と変わる。
「シッ!」
そこで私は動きを切り替えた。
これまでやって来たスタイル通りに。観察し、分析したロバートの動きに合わせて。
剣を合わせず、避けることに集中し、『負けない』スタイルへと変化させる。
ヒューバートの戦い方をロバートは苦手としている様子だった。
どこまでもまっすぐ、愚直。武骨で正攻法。お綺麗に整えられた剣の達人。
才能が溢れるが故に、己よりも強い相手に恵まれず。
身体が成長した今となっては余計に、誰も彼もが力が下の者ばかり。
だからこそ己に匹敵するレイドリック様への忠誠を抱く男。
実力ある自分が唯一認めた相手だと。
ええ、まさに高潔な騎士。実力ある騎士。ヒーローの器。
ヒロインであれば、それは気持ちのいい好漢と映っていたであろう男。
だけど私の狂気に毒された、そんな男は、まんまと私の『魔力観測』の術中に嵌った。
読める。彼の動きが。そして対処できる程度のスピード。まだ。
パワーは分からない。だけど、その速度に今の私は匹敵できる。
加えて私はヒューバートの動きを模倣する。
彼とロバートとの一戦。ヒューバートはいくらでもロバートから違う動きを引き出して見せた。
時には同じ動きさえ。
さらに観察をした私には……。
ヒューバートが『私のため』を思っての動きをしていたと。
それが分かる私には、ある事が伝わっていた。
「はぁあああッ!」
「シッ!」
ドゴッ!
「がっ!」
……それは、ヒューバートは、あえて『カウンター』をしなかったということ。
ロバートの動きを引き出すだけ出して。
何度も。何度も。カウンターで剣を振るうタイミングがあった。
なにせ、攻略対象同士の対決。つまり実力に遜色ない者同士の対決なのだ。
ヒューバートにだって勝ち筋はあったはず。
けど、あの試合で彼は、それを見せなかった。
私がこの決勝で、その戦法を取る余地を残すために。
ガッ!
「ぐっ!」
必殺の一撃ではなく、手や胴狙いのカウンターを叩き込んでいく。
乱れたロバートの剣は一切、私に影響を与えず。
代わりに悉くカウンターで翻弄される。
すべてにおいて計算し、相手にペースを握らせない。
試合始めの狂気の剣から今や、冷え切ったカウンター狙いの剣へ。
乱れた動きならば、すべて予測の範囲内。
才能も、本来の実力も、すべて私を上回っているはずの騎士は、面白いほどに思い通りに踊る。
性根が単純だからこそ。まっすぐだからこそ。
精神の乱れがそのまま試合運びに影響している……。
「ロバートッ!!」
……その時。レイドリック様の喝が飛んだ。激励だ。
……まずい。
その声に反応して、ロバートの魔力の乱れが収まるのが見えた。
レイドリック様の言葉だけで精神がクリアになったか。本当に単純……。
だからこそ。即座に死角に潜り、ロバートの目の前から私は姿を消す。
その動きにも反応されたけど。
分かっている。私の動きも予測も、きっと凌駕してこそのヒーローなんだろう。
ならば、ここで本当の意味での全力を出す。
負けて元々、とは考えない。私のすべてを出し切り、勝つ。凌駕して見せる。
全霊を持った本当に最後の一撃。
魔力を底からすべて吐き出すつもりで。
「はぁあああああああああああッ!」
横薙ぎの一閃。相手が対応し、防御しようともお構いなく。ただ避けられなければいい。
死角に入り込んだのは、大振りの攻撃をするため。全力の一撃を私は振り抜いた。
ロバートの剣が攻撃ではなく、受け身に回る。
受け流しをする余裕など与えない。
防御に徹するしかない一撃が、相手の剣の横腹に打ち込まれる。
バギィイイッ!
「なっ……」
力量差を埋めるほどの魔力量こそ、私の武器。
体格差や、筋肉量で劣る私が、なぜここまで騎士相手に肉薄できるのか。
それが魔力量と魔力コントロールによる圧倒的な暴力。
そんな私の力をすべてを投げ打って一撃に込め、当てるだけの隙を作った。
ドゴッ!
「ぎっ……」
私の剣はロバートの剣を叩き折り、そしてロバートの身体を真横から打ち据えた。
前世ではありえないほどのパワー。
重機で動かす鉄球をぶち当てるような……そんなエネルギー量。
「……ぉおおお!!」
ロバートの身体を『場外』へと吹っ飛ばし、ついでに私の方の剣も叩き折れた。
ドゴォッ!
と、試合会場の端の壁にまで吹っ飛んで……。
試合会場は横長だから、壁までの距離が短い場所を飛んだんだけど。
ロバートは壁に激突した。
「かはっ……」
……これで試合は終了。互いの剣は折れ、一方は場外。一方は舞台の上……。
「……はぁ。はぁ……審判? 決着、ではないかしら?」
魔力消費による消耗が激しい。一気に身体が怠くなったわ。
呆気に取られていた審判役の騎士だけど、状況が示す結果は一つだけ。
「しょ、勝者! アリスター・シェルベル公爵令嬢!
……剣技大会、本年度の優勝は……! アリスター・シェルベル公女ですッ!!」
そう、審判が正式に宣言する。
「はぁ……。はぁ……ふふ、ふふふ」
やっちゃったわー、私。剣を始めて1ヶ月未満なんだけど?
攻略対象の一人、騎士キャラ、『近衛騎士』のロバートに勝っちゃった。
すっごい才能。これは調子に乗ってしまうのも仕方ないわ、私。
『未来』が予測できるから、まぁこれから……うん。
鍛錬を欠かさないようにするけどね?
こうして1年生の剣技大会。私は……優勝することになったの。