76 準決勝・レイドリックとの試合
「まさか、お前が準決勝に上がってくるとはな。アリスター」
試合会場に上がる私たち。
ここまで進むと試合は同時進行ではなく、一つずつになる。
ロバート側のブロックも優勝候補に入る相手だけど、あちらはロバートの決勝進出確定でしょう。
「ふふ……」
返事はまともにせず、曖昧に微笑み返す。淑女の微笑み。
そんな私の態度をやはり気に入らないのか、眉間に皺を寄せているレイドリック様。
「ミランダ様と同じように賭けでもしませんか、レイドリック様。私と貴方の婚約解消でも」
「……なんだと?」
「私が勝てば私たちの婚約は白紙。貴方が勝てば私たちの婚約は解消。それでどうです?」
私の提案が耳に入っている審判役の騎士が動揺しているが、態度に出さないように口を引き結んでいる。
レイドリック様の表情は呆れたような、苛立ちを感じているようなもの。
「……何をバカなことを言っている?」
「良い話ではありませんか? 公爵家から正式に申し出ますわ」
「ふざけるな。そんな事が出来るわけがない」
「あらまぁ。そんなに私と離れたくありませんの? まぁ、そこまで私に執着されているとは」
「な……。ワケの分からないことを……」
まぁ、彼を挑発するのはこれぐらいで切り上げて。
さっさと試合を始めてもらいましょう。
「審判。試合の開始は? レイドリック様ったら、早く戦いたいと思われているみたい。戯言で長引かせるのはよろしくなくてよ? だって、この大会には『王弟』サラザール殿下もお見えになられていますもの」
「え、あ、は、はい……!」
微笑みながら挑発。いえね。悪役令嬢目線の乙女ゲーム世界。
ヒーローの彼が実は私を溺愛しているパターンでもなければ、なんというか態度が目に見えているというか。
どの道、ヒロインに関係なく私を認める気はないようだし。
『アリスター』としての好感度は既に捨てている。
だから今の時期、段階だと『私』がすべきことって『王妃の座』も『彼の愛』も要らないって示すことじゃないかしら。
「レイドリック様の愛も、王妃の座も、私には不要なのですよね。
シェルベル家でもそのように働きかけていますの」
「は……?」
「レイドリック様に近付かないためにも学園には……ええ。この『赤髪』は晒していませんでしょう?」
私の言葉は、彼の心に届くかしら。
或いは『そんなはずがないだろう。強がりやがって』みたいに考えるのかも。
「シェルベルの女公爵の座を狙っていますの。殿下とは婚約を解消して。お父様も意欲的にそれを受け入れてくれているわ。……審判、早く試合を始めてくださらない? 公爵家を敵に回したいかしら? 公平な進行と見極めをしなさいね」
「う……。は、はい! では……準決勝第一試合、始めっ!」
というワケで、彼との試合が始まったわ。風魔法は禁止ね。
さーて。攻略対象、つまり私の知る限り、この世界でもトップクラスの実力者。
これまでの対戦相手とは異なる次元の強さを想定する。勝てたらジャイアントキリングね。
『格上』を想定して、小細工はなし。
全力で身体保護と強化をかけ、正攻法で構えて迎え撃つ。
レギュレーション的に搦め手は使えない。
「……そんな言葉で私の動揺を誘ったつもりか? アリスター。浅はかだな」
魔力の揺らぎに意識を集中する。
ヒューバートを相手にするよりは分かりやすいけれど、パワーとスピードで押し切られるだけの強さがある。
まずはヒューバートの戦い方を見習って『勝つのではなく負けない』戦い方を。
全力で生き延びることだけを考える。
「私の気を惹きたいのはお前の方だろう? 軽々しく婚約解消を持ち出すなど。恥を知れ」
ヒューバートもロバートを相手にした時、相手が様子見の構えになったら、横移動しながら隙を窺い、攻撃に転じる姿勢を見せた。
あれを私も同じように行う。
レイドリック様の頭、首、腕、胴、どこに隙があるか。本気で仕留めるつもりで。
相手の魔力に乱れがない時が一番困るわね。
どこが隙なのか経験不足で私には分からない。相手が果敢に攻めてくる方が対処しやすいわ。
「お前は俺に勝てないぞ、アリスター。運だけでここまで勝ち上がってきたようだが、」
「ハァ!」
「ッ!」
ヒューバートの動きを模倣した突進。
私の経験は、主にこの大会でのものと、観察したものだけだ。
それらを駆使しながら戦うのみ。なんて『才能』とスペック頼りのゴリ押し剣術。
「このっ!」
話をまだ続けるつもりだったか。それとも遮られたことが業腹なのか。
或いは私から攻撃してきた事自体に、驚きと苛立ちを感じている表情と魔力の乱れ。
……ええ。ご安心なさって、レイドリック様。
貴方の実力は引き出させた上で勝って見せるから。
でないと納得しないでしょう? 可能であれば、貴方のそのプライドを叩き折ってあげる。
『アリス』とは違うアプローチで『アリスター』の印象を植え付けるの。
徹底的に反抗してあげるわ。貴方のペースには一つも乗ってあげない。
絶対に思い通りにはならない女だと。そういう風に覚えてちょうだい。
『可愛げのない女』を地でいきましょう。
「剣を振るうのが楽しくなってきましたの。王妃よりも私の性に合っていますわ。女公爵になれないのなら騎士を目指すもいいって思いますの。継ぐ爵位じゃなく騎士爵もいいわね」
「……っ!」
相手の動きを見ながら、私は言葉を投げかける。
マウントを取る会話は無視するわよ? うっとうしいだけだもの。
「私、ロバートとも戦ってみたいわ。だから、この『通過点』の試合は、さっさと勝って終わらせたいのよね」
「貴様!」
実際、ヒューバートのあの戦い方は私のためだろう。
その期待には応えたいし。私の実力、才能でどこまでいけるのか試しておきたい。
ここで『近衛騎士』ロバートを圧倒できるのなら……ええ。これから先の話も変わってくる。
怒りで魔力の揺らぎが大きくなるけれど、微々たる差。
やはり実力は一級か。現役騎士と学生の彼に、どの程度の差があるか知らないけど。
年齢イコール実力差とは到底思えないのよね。
たぶん、ロバートやレイドリック様は現役騎士にも勝ってしまう。
掛ける言葉は攻め気味にしながら、動きは堅実に。負けないように。
力比べは極力避け、隙を作らないことを重視する。
それでいて大きめの動きに合わせて、剣を打ち鳴らしてから距離を取って構え直した。
レイドリック様の構えを模倣し、この構えから彼が繰り出したことのある攻撃を頭の中ですべてシミュレートする。
観察した技術の細部に至るまでの模倣。
繊細な魔力コントロールと強力な保護・強化魔法に加えて、才能と脳の空き容量を駆使した私の戦い方。
すべての技能でオールAを叩き出せるだけの才能が私にはある。
悪役令嬢であるが故に。
ただしヒーローたちは得意分野では、Aランクを超えたSランクな才能を示してくる。
戦い方を選ぶ限り。相手の土俵で戦おうとする限りは、必然的に私が負ける。
だけど。そんなヒーローたちの中でもレイドリック様は別だ。
彼にとっての突出した才能とは何になるだろう?
ジャミルやロバート、クルス、アルスほど分かりやすくはない。
王位継承者としてのライバル、サラザール様も居るため、カリスマ性で突出していると言えるかどうか。
レイドリック様の良さは『総合力』だ。実際、この大会で彼はロバートに劣る。
総合力って『私』と被っている気もするけど。
たぶん現時点か、或いは勝負の瞬間では彼が上回っているのよね。私が負けるために。
或いは、メンタル的な問題で『アリスター』はレイドリック様を上回れない。
あえて一歩下がるか、『お前は大人しくしていろ』と言われるとそのまま従って控えるように。
ゲーム上の私は、今の私のように自由には生きていないはず。
その才能を腐らせてしまった可能性があるのよ。磨けば上回れたかもしれないのに。
そしてレイドリック様との格付けが済む。
相手が『ゲタ』を履いているのではなく、私がゲタを脱いでいた。
……今の私ならどうなの?
ヒーローたちを格上と認め、油断はせず、努力して見せる。
メンタル的に負い目を感じることもなく。
愛されないなら愛されないで、それでもいい。その愛に、情けに縋ることはしない。
だって楽しいことが沢山ある。やりたい事だって。
この才能を活かした何かを見つけることも。
剣が楽しいと思えるなんて知らなかった。
自前の開発部門を囲い込めたら、色々な商品開発もしたい。魔法開発も。
ダンジョンの危険性は分からないけれど、ここまで戦闘方面の才能があるなら……楽しめる余裕がありそうよ。
「王妃になんかなれなくても構いませんわ!」
ええ、これは本心からそう思う。だって私に出来ることが沢山ありそうなんだもの。
国の政治が行き詰っているならともかく、なんだか裕福そうだし、この国。
じゃあ別に殊更、私が王妃じゃなくても、と思う。
「妃教育に掛かった費用は計算させてくださらない? 補填しておきたいの。婚約解消した後のために」
「くっ……、この、まだそんな戯言を!」
「もう、下手に出ていてこれだもの。殿下の執着心には呆れますわ。それでは学園に通えませんわね」
「私のせいにするなぁ!」
それはそうですね!
ん? そうかしら。元はと言えばレイドリック様のせいのような。
とりあえず煽りと会話の無視が中々に効いてくれているようで良かった。
冷静じゃない方が動きは読みやすいものね。
それでも完全に崩れているわけじゃない辺りが才能と鍛錬の成果か。
実際、動きの鋭さとパワーは侮れないし、無闇に大振りな攻撃を繰り出してくるでもない。
きちんと鍛錬に裏打ちされた技術を持って彼は戦っている。
『天才肌』じゃなく、理詰め。才能はあるけれど、合理と研鑽の結実。
それがレイドリック様の剣術のようだ。
ロバートに感じていた戦い辛そうな感覚は、ここに起因するのかも。
理論派ではなく、感覚派。
その技術を模倣したところで、その場で上回る新技術が繰り出されそう。
こと剣技においてはだけど。
『魔塔の天才児』であるクルスも、その分野において似たようなタイプなんだろうな。
けどレイドリック様は、理屈と研鑽の集大成、総合力タイプ。
その技術は定着するかはさておき、模倣はし易くなっている。
埋める事の出来ない経験と判断力、慣れによる動作の俊敏さは魔力コントロールでカバーして。
『アリスター式・王宮剣術』をこの場で組み上げていく。
気分はレイドリック様の『影』だ。
彼の技術すべてをコピーし、他の技術を合わせることで欠落を補って。
剣を打ち鳴らすほど、私たちの動きは『対』となっていく。
「この……その目障りな戦い方を! いつまで!」
体格差とパワー差、経験の差。引き出しの多さ。まだまだ埋まらない差はある。
この一試合だけでは本当の意味ですべては引き出せないでしょう。
でも模倣すればするほど、彼にとっての『得意』なことを重視してくる。
いくら真似してもこれなら勝てる、と彼が思える技を繰り出してきて。
私はそれに対応し、理解し、模倣して逆に繰り出していく。
「レイドリック様。貴方の鍛錬の成果より、私の才能の方が上……ということでしょうか。騎士や剣士の道を考える良い機会になりそうですわ。やはりこの試合、私が勝てば私たちの婚約はなしにしません?」
「……聞いていられるか!」
また、どっちなのか分からないことを。
実際、私に対して執着心はありそうな気がする。
同時に、私を疎む気持ちも存在していそう。
男性って手元から女が去ろうとしてから追いすがる話、多くない?
私の知識が偏っているのかしら。
それで別れ話をチラつかせ過ぎて逆に捨てられるって駆け引き失敗パターンも出てくるのよね。
ストレートに好意を伝えたら伝えたで上から目線になられて悪化とかあるし……。
「実際、どうなのかしら? 私が入学するまでの一年間。
他の女と随分と楽しく過ごされていたのでしょう? 聞いていますわよ。
それに茶会での態度もまぁ、私が憎いんだか何なのだか。随分と横柄な態度で。
不仲の噂を流してくれて結構なのよ? だって事実だものね。
私が貴方を嫌ったんじゃないのよ、レイドリック様。
貴方が一方的に私に対して、うっとうしい態度ばかりになってしまったの。
その自覚はおありよね? そういう態度を取られると私、どんどん気持ちが冷めていきましたの。
今ではすっかり、かつての情熱もどこか遠くへ……。
ねぇ、レイドリック様。本当にお別れしません? お互いのためにも」
「……!?」
あ。彼の表情が歪んだわ。剣を振るいながらも、私の態度が……挑発や何かではなく淡々としたもの、呆れたものだと気付いたのかしら? つまり本気かも、って。
「フった・フラれたなんて話をする必要もないと思うの。ただ、自然と婚約が白紙になった、解消になった方がいいじゃない? 元から私と貴方には何の関係もなかったように。ね? 悪くない話でしょう。
学園では気になる令嬢ぐらい出来た? いいのよ。そんな彼女を妃に据えて差し上げて?」
「…………」
顔付きがより真剣に。集中力が上がってきたようだ。お喋りは終わりね。
そこからレイドリック様の動きは鋭く、力強くなった。
だけど私もそれにすぐ負けはしない。
ヒューバートのスタイルを真似た、負けない戦い方を心掛け、その技術をひたすらに模倣する。
限界までレイドリック様の実力を引き出しながら、まだまだ伸びしろの大きい私の剣術に蓄積していく。
「っ……!」
鍛錬の成果をその場で吸収されていく苛立ちや焦りを感じるのだろう。
実際、自分がやられたら嫌な戦法だ。
でも集中し始めた彼は、折れずに私を打ち倒そうと戦う。その表情は真剣そのもの。
私もまた全力を尽くし、彼の剣術に追いすがっていく。
勝ちたい欲を抑え、負けない戦いに全力を注いで。
集中力、体力、魔力。そのどれかを切らした方が負けるわね。
しっかりとレイドリック様を追い詰めなければいけない。
絶対に『圧勝』だけはさせないつもり。負ける時でも、必ず彼の喉元へ剣を突きつけてみせるわ。
長引くも崩れない剣術。隙を窺い、一撃を叩き込もうとする意志は残したまま。
……ああ。でも。思い浮かべてしまった。勝利のための一手を。
他の対戦相手では通じない。それを。私だからこそ打てる作戦を。
私は一際、レイドリック様の視線を真正面から受け止めるように、見つめた。
そして、彼の攻撃動作を『魔力観測』で読み切り、その刹那に賭ける。
「レイドリック様、楽しいですね!」
「!?」
自然体で『アリスター』だった冷たい私の態度から、『アリス』の満面の笑顔と声色で。
その一瞬に、魔力は揺らぎ、身体のバランスを崩すレイドリック様。
加えて、ここまでの経験と観察を総動員した死角への高速移動。
「あっ……!」
彼の視界から一瞬で姿を消し、無防備になったところへ全力の一撃を叩き込んだ。
バギィイッ!!
「ぐっ!?」
油断せず、動きを読みながら、それに合わせてカウンター。
ガギン!
「がっ!」
彼の腕から剣を弾き飛ばす事に成功し、そして私は彼の首元へ剣を突きつける事に成功した。
「……私の勝ちですわね? レイドリック様」
長引いた試合が嘘のように。一瞬で私たちの勝負はついてしまった。