57 王弟イベントの発生
「大丈夫かな? アリス嬢」
「ええ、はい。でも、ちょっと疲れてしまいましたぁ」
寮へと帰る馬車の中。『王弟』サラザール様と2人きりの空間。
流石に襲ってくるとか、そういうことは警戒しなくていいと思う。
「2学期からの生徒会なんだけどね」
「え、はい」
あら。仕事の話? まだまだ探りを入れられるかと思っていたわ。
「少し王国全土で問題が起きてね。例年の仕事とは異なってくると思う。
それに、さっきも話したけれど、生徒会に入りたい生徒は多い。
正確に言えばレイドリックに近付きたい人間が多いんだ。
特に生徒会で女子生徒がアリス嬢一人だけとなると目を付けられてしまうと思う」
「……はい」
真面目な忠告ね。私の正体を探っているかは別として『アリス』として聞くべき話。
だけど、私はこの先もレイドリック様の『攻略』を進めるつもりよ。
ヒロインのように。ゲームでは登場すらしなかったような生徒も現実には生きている。
高位貴族からの嫌がらせは、きっとあるだろうな。
裏から『公爵令嬢』として牽制しておく?
それは流石に『不当な弾圧』をしている悪役令嬢ムーブ過ぎる。
断罪ルートまっしぐらだわ。
「王国全土の問題って何なんでしょう? 私、その。そういう情報には疎くてぇ」
「……ははは」
何故そこで苦笑い? どうしよう。
ここでサラザール様が私の正体を知っていたら、今かなり恥ずかしいのでは?
「……アリス嬢は、ダンジョン、って聞いたことあるかな?」
「へ」
ダ、ン、ジョ、ン?
ウソでしょう?
何かこの世界では飛び出してはいけない言葉を聞いた気がするのだけれど。
乙女ゲーム世界なんですけど?
いえ、魔法のあるファンタジックな異世界なんだから、あってもおかしくない……。
いやいや。『公爵令嬢』で『王太子の婚約者』の私が聞いたことないんですけど?
「……うーん。説明が難しいな。特に令嬢たちには馴染みがないだろう」
「え? えっと。男性には馴染み深いのですか?」
なに? 男だけは、どこかでダンジョン巡りをしているってこと?
知られざるウィクトリア王国の歴史!?
「『創作』だよ。娯楽小説。物語にはよく出てくるものでね。実際に他国にはあるとかないとか……」
「あ、え、そ、そう……なんですね?」
こっちの世界でもファンタジーな小説ってウケるのかしら。
どういうジャンルとして扱われるんだろう。
まぁ、ダンジョンだなんだは概ね、男子が好きそうなイメージはある。
この国だと前世よりずっと男女の傾向は、はっきり分かれているし。
「あるんですね、他国には。その、ダンジョン? というのが。ええと。それは一体『何』なんですか?」
これは純粋に疑問。『アリスター』の私さえ知らないことだもの。
異世界において、それが何を意味するのか分からない。
「そうだね。どう言えばいいのかな。まずダンジョンとは『場所』を表す言葉だ」
「場所……」
そうね。そういうのは通じるんだ。
「その場所には、多くの魔獣が生息している」
「魔獣たちの住処、巣ということですか?」
「そうだな……。そうでもあると思うが。まず、魔獣というのは『魔力を帯びた獣』のことを指すのは知っているかい」
「……ええと、はい」
通常の動物枠も、もちろん、この世界には存在する。
某有名ゲームの世界のように人間以外のすべての動物がポケットに入りそうな感じではない。
ただし、動物の種類は私の知らない種類が混じる。
それでも『馬』とかは、そのままの姿っぽいけどね。
『魔獣』というのは、それらの普通の獣が魔力によって姿を変えてしまい、強力になってしまった存在だ。
ただし、姿を変えたと言っても、結局そのままで新たな生態系を築き上げるものもいる。
魔獣と動物の違いは、魔力を帯びて強力な存在になっているか否か程度の差。
存在そのものが『悪』ではなくて、おそらく、こういう存在が居るからこそ人間社会にある程度の平和があるものと思われる。
人間以外の脅威が存在する、ということで第三勢力として機能している、ような。
ちなみに王国の魔道具類の『電池』枠として使われている『魔石』だけど。
別に魔獣を倒しても手に入らない。
アレは、元からそういう石を採掘してきて加工し、何度か改めて魔力を込めることで使えるようになるもの。
なので魔獣を積極的に狩る意味は、実は、あんまりない。
いえ、ないというか。脅威ではあるので危ないから駆除する、とかはする。
前世の、それも日本で言うなら熊とか、そういう類のもの。
人間を襲った魔獣は、やはり駆除対象だ。
今はないけど、その内に魔獣保護団体が発足するかもしれない……?
身分制国家でそれを言い出しても、あっさりと粛清されそうな気がするけど。
「うん。それらの魔獣が住み着いた場所を『ダンジョン』と呼ぶのだけれど」
「はい」
「そのダンジョンが今、王国の各地で『発見』され始めたんだよ」
「え」
え、何? 何言っているの?
だってダンジョンは『場所』でしょう? 発見された?
遺跡みたいに? 発見され始めた、各地ってことは複数??
なんで今更? そんなものが昔からあるならすぐに見つけられるでしょうに。
だめだ。前世のイメージに引っ張られ過ぎているかもしれない。
現実的には、どういう状態なの?
「申し訳ありません。ピンと来ないんですけど……」
「うん。そうだろうね。耳を疑うかもしれないけれど。その『ダンジョン』は王国の各領地に『突然に現れた』んだよ」
「へ」
え、この世界って、そういう魔法とかあるの?
『転移』とか、もっと高度な世界の塗り替え、とか?
或いは地下から迫り上がってきたとか。
何度も言うけど、ここ乙女ゲーム世界よね?? 世界観を間違えてない?
「今、調査中だけど。それらは王都を囲うように現れた。
正確に言うと……そうだな。隠されていたものが暴かれた、と言うべきかな?」
「隠されていたものが?」
首をコテンと傾げて本気で疑問符を浮かべる私。
「擬態、カモフラージュ、変装。そういう感じかな。
そこにあったのが今まで気付かれず、隠蔽されていた」
「……昔からあったもの、だと?」
「ああ」
「……なぜ、そんなものが今になって見つかって」
「うーん。それは少し言えないんだけど。王国でも偉い人たちがね? 色々あってさ」
「はぁ」
誤魔化されたけど。
もしかして魔王関連? ダンジョンの出現、或いは、その場所を教皇猊下が伝えたとか?
「王都を囲うように、とおっしゃいましたか?」
「そうなんだ。囲うと言っても、なんて言えばいいかな。
王都をものすごく大きな『円』で囲っているような配置に、それらが現れてね。
確認を急いでいるけど、おそらく8つほど。
王都から、ほぼ均等な距離にそれらのダンジョンは存在していたと分かった」
えええ……? それは絶対に意図的な配置!
魔王が復活する乙女ゲーム世界。ダンジョンの出現。
でも、そのダンジョンがある場所は多くても、どれも王都から均等な場所に配置されている?
……絶対にヒロインやヒーローが攻略する流れでしょ、それ。
それでいて王都での学園生活も続行するパターンだ!
そうかー。ダンジョン攻略ある系の乙女ゲームって、そんな力技で学園生活とダンジョン攻略を両立させるんだ。
何よ、王都から均等の距離にある8つのダンジョンって。
それ、絶対8つをクリアした後で王都に何か起きるやつじゃない?
魔王が出て来るの、絶対に王都!
なにか遠い目になってきたわ。
たしかに前世と違い、女だろうと学生だろうと、高等魔術が使えるのなら『戦力』として数えるのが主流の世界、国だ。
どうしても戦争、戦闘行為には高等魔術使いが居た方がいいし、居なければ防げるものも防げなくなる。
ウィクトリア王国には、戦闘行為のノブレス・オブリージュがあるということ。
そのため、学園での魔術鍛錬は向き不向きを見極めた上で……そういう訓練も入ってくる。
とはいえ、私のように、まずは魔力コントロールを習い、暴走しないようにする段階でもあるけど。
「争いごとが嫌いな者も居るだろう。それでも、そういう状況だからね。
学園での方針も色々と……変わってくる。
ただ、そういった事態に『恐れをなす』ということはしないだろうね、学園としては」
「そう、ですね」
だいたい皆、貴族の子だものね。集団で避難という方向には進まないだろうな。
市井の者たちも……貴族が避難しない以上は……むしろ何がなんでも王都は安全と発表するか。
そうするだろうな。王都が落ちるのだけは避けなければいけないもの。
これらは私の知る『原作』にない展開なのは間違いない。
ただし、それは私が知らないだけかもしれない。
大事なのは私の知る原作において……バッドエンドが複数あるということ。
これ、ヒロインがきちんと成長してなかったらバッドエンドのパターンよ。
代わりに私が努力して強くなればいいとも断じれない。
だって、私が知らない魔王が出て来るのだもの。
ヒロインであるレーミルは『聖なる魔法』とかに覚醒するパターンもありえる。
それがなければ魔王を倒せないとか。
嫌が応にもレーミルには成長を促しておく必要が……。
「もしかして、国の一大事、ですか?」
「……そうかもしれない。ただ見つかったダンジョンから魔獣が溢れ出してきたワケじゃないんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。ダンジョンの中で生息しているだけ。調査のためにも放っておけなくはあるんだが」
「街や人々には、まだ被害はない?」
「ああ。まだ確認中だが、そういう報告はないそうだよ。静かなものだと」
「それは良かったです!」
教皇猊下は、今回の件について託宣を賜った。
とすると『人類側』は先んじて対策を打ち始めた状態かしら?
民に被害がないのは大きい。
「まだまだ調査中の段階だ。でも」
「はい」
「レイドリックには対処が任される場面も出て来るだろうね」
「……そう、ですか」
王太子殿下だから。
王都を巻き込むような事態で活躍させないのはどうかとなる。
彼はまだ『王』ではないし。
功績を上げて英雄となっていた方が、彼の治世が安定するのは間違いない。
王族だからと安全性を取るべきところとは逆に、引いてはいけない時がある。
加えてレイドリック様と、そしてサラザール様。
サラザール様はまだ若い。十分に立太子してもおかしくない……。
『どちらか』は確実にダンジョン攻略や魔王討伐に当てられるのではないか。
王弟殿下と、レイドリック殿下。どちらかが『スペア』扱いになるだろう。
「予期せぬ事態だったとはいえ。レイドリックは、こんな時期に何をしているんだろうね」
「……れ、レイドリック様も頑張っていらっしゃいますから」
「頑張るだけでは足りない時もあるさ。貴族で、王族だからね」
うっ。まぁ、本当。
国がそういう状態って知った上だと彼も私も何をしているの、となるわ。
「ま、まだ大丈夫……なんですよね?」
「まだね。でもこれからは、いっそう努力が必要になるよ。それから覚悟も」
そうね。レイドリック様かサラザール様は、王族だけど危険な場所へ行くことになるはず。
覚悟。それは私も……。
「──『いっそ、私が王になろうか』」
えっ。
その『台詞』を聞いた私は、ドクン! と心臓が跳ね上がった。
「なぜっ……」
「ん? ああ、いや。レイドリックがあまりにも。あのままだとね? ふふ。気にしないで」
違う。そうじゃない。会話の流れや、台詞の不穏さが問題なのではない。
今の台詞は『王弟ルート』における終盤の台詞……!
『王弟』サラザールルートが確定した状態。
好感度も必要ステータスもクリアした状態。
それでいて終盤のエピソードの台詞!
まるで王弟ルートが確定したような、間近に迫っているような違和感。
これは私に前世の知識があるせい? そこまで気にする台詞ではないの?
魔王やダンジョンという知らない要素がある世界。
順当に考えれば、それが『現実』なのだと納得すべきことかもしれない。
だけど、どうしても拭えない違和感。
これらの出来事は……あるルートから何も『外れていない』のでは?
運命から逃れたと思っていて、だけど現実は私が知らないだけ。
何ひとつ運命は変わっておらず、あくまで、あるべきイベントが淡々と進行している。
そんな……いやな感覚。
「……本当に顔色が悪いようだ。寄り道せずに寮へ送るよ、アリス嬢」
「はい……。ありがとう、ございます」
そうして夏の夜会の日は終わりを迎えたのよ。