42 夏季休暇の目標
「公爵位を懸けてジーク様との競い合い、でございますか」
「ええ、そうよ。リーベル」
自室へと戻り、専属侍女のリーベルへ、晩餐で持ち上がった話をする。
あれから、すぐに課題が出たわけではない。
だって、この競い合いの提案は、あの場での私の思いつきだったもの。
お父様も、この件を真剣に捉え、どのように私たちを試すべきか考えてくださるでしょう。
「今すぐにではないわ。何より、お父様が納得する競い合いでなければならないし。
夏季休暇の間には課題すら出ないかもしれないわね」
屋敷へ帰った、その日の内に義弟ジークと一悶着が発生。
それを機として私は競い合いを提案した。
夏季休暇に入ったばかりだというのに初日からこれよ。
いえ、初日ですらないわね。休暇前日からこれ。困ったものだ。
「ですが、アリスターお嬢様は王子妃になり、ジーク様は公爵になられるはずでは?」
「予定通りであればそうね。でも今の時点のジークを試す必要があると、お父様は判断されたの。
晩餐で私を見下した態度を取ったのよ、あの子は」
「……なんと。お嬢様をですか?」
「ふふ。そんなのシェルベル公爵家の将来が心配でしょう? 私も黙っていられなかったのよ」
「それは仕方ありませんね」
「でしょう?」
貴族は家の中、身内だろうと見下されてはいけないものよ。
もちろん力関係や身分に沿ったものならば甘んじて受け入れる必要も出てくるけど。
でもジークのアレはダメだわ。
今の段階で、ああも私を軽んじることなど許されない。
お父様からすると、たしかにジークを甘やかすのは手のひとつだった。
私の能力を信頼し、放任する。ジークには教育を施しつつ、その精神をケアして。
公爵家の今後の繁栄を考える。
当然、私とレイドリック様の婚約は継続することが前提だ。
「でも、私にも、家にもメリットがある競い合いだと思うのよ」
「アリスターお嬢様にも?」
「ええ」
もしも、私が正式に『次期公爵』として認められた場合。
王家も各貴族家門も困惑することでしょう。
『なぜ? アリスター嬢は王太子殿下の婚約者なのでは?』と。
その疑問の先に、ここ1年のレイドリック様の振る舞いが見えてくる。
『公爵は、問題行動をする王太子殿下とアリスター嬢の婚約を解消するつもりがある』と皆、考えるはずだ。
王家も含めてね。
そこで王家が何か言って来ようものならば、最近のレイドリック様ご本人の態度を報告して差し上げればいい。
これは公爵家から、王家とレイドリック様への『圧力』になる。
『シェルベル家は、アリスターは、この婚約を解消してもいいんだぞ』っていうね。
我が家は、その準備を始めたのだと。
ジークもそうだけれど、レイドリック様も今の立場が安定しているなどと思わせてはいけないと思うの。
私への見下しの裏にあるのは、自分たちの足元が揺らがないって、間違った信頼からでしょう?
レイドリック様の言動の端々には、アリスターへの苛立ちや嫌悪すら感じさせるものがある。
少なくとも当人である『私』がそう感じている。
今後の公爵家のこと、ジークの躾が理由でもあるのだもの。
王家にこの競い合いは止められない。
高位貴族家門の方針に口を挟むなんて、いくら王家でもね。
しかも、それは正当で厳格なものなのだ。
学園が始まる前までは、まだレイドリック様に対して『態度を改める機会』を与えるべきだった。
でも入学してから彼の態度を確かめた後では、もうアリスターとして不仲を解消するのは困難だと判断するしかない。
『アリス』で彼の心を奪い、その上で……彼が気付くのか、どう出るのか。
アリスへの恋心が、そのままアリスターに向かうのなら。
それは、私たちの気持ちが取り戻されたとも言えるでしょう。
けれど『アリス』やヒロインに心を奪われ、『アリスター』を切り捨てるつもりなら。
もう、そこで私たちは本当にお終いだ。
でも、本当に私との仲が致命的だと気付いたら、陛下が『アリス』の正体を言うかもしれない。
どうだろうか。陛下は、ただレイドリック様を甘やかすのだろうか。
それとも、この機会に反省するかと見極めに使うか。
なんにせよ、今回の競い合いは、私の今後に大きな影響を与えるものになるはずだ。
「ではアリスターお嬢様は、その競い合いの準備を夏季休暇の内になさると?」
「うーん。そうねぇ。いつ、どのようなものになるのか。
それらは、すべてお父様次第だもの。対策が立てようがないものだから」
フラグだけは立てた、っていうやつね。
ヒーローの一人『公爵令息』ジーク・シェルベルとは直接対決になるのだ。
競い合う内容が長期のものならば、普通に来年度にずれ込むかもしれない。
そうすると違う形で原作のイベントに発展していくことになるでしょう。
ヒロインのあの態度であれば、ジークに近付いてくる可能性は高い。
そうなったら知識のある彼女が、むしろ『足枷』になるんじゃない?
だって、これは原作にない『イベント』だもの。
公爵家の当主の器を問うような競い合いで、彼女はきちんと役に立つかしら?
ジークを引っ掻き回すだけの人物にならないといいわね。
「とりあえず、競い合いはお父様からのお言葉待ち。
今の時点だと対策を立てるなんて出来ないわ」
「そうですね。ですが心構えはできるのでは」
「心構え?」
「想像、推測です。『公爵』様に必要なものは何か、と。
それを見極めるのですから、自然にその内容に沿った課題が出されるのではないでしょうか」
「まぁ……。そうねぇ」
対策が出来るわけない、なんて投げるのではなく。想像しておく。
公爵に必要な能力、それは?
一番は『領地経営』の能力よね?
まず、シェルベル公爵家は広い領地を持っている。
私やお父様、お母様たちは王都にある屋敷で暮らしているけれど。
領地には『代官』を立てて、普段は管理しているわ。
代官に管理・運営を任せていれば領地の税が入ってくる。
じゃあ、放っておけばいいかというと、そういうわけにもいかない。
もちろん代官たちのことは信用したいけど、まったく目を向けていないとね。
相手は人間だもの。
密に連絡をとったりすることで信用を得る必要もある。
領地からの報告に目を通し、時には視察に赴き、適切な管理をしなければいけない。
管理しているだけでもいい、と考えるか否かは当主次第だ。
何かしらの事業を起こし、さらなる領地の発展を目指すのであれば、それが上手くいけば民はより潤うでしょう。
このあたりは、どの国、どの時代、どの世界でも一緒だと思うけれど。
前世の地方自治よりも、それぞれの領主の権限が大きい。
そして身分の差が明確にある。
当主が気に喰わないからと前世の日本ほど軽々しく批判し、糾弾することは難しいのだ。
騎士団も抱えている貴族家門が相手だから。
その反面、領民を裏切り続ければ、きっと日本よりも手痛いしっぺ返しがある。
下手をすれば反乱で命を落とすことだって。
だから傲慢過ぎて、事あるごとに民を虐げ、税を絞り取るばかりであろうものなら……首をチョン、ね。
「領地経営に関することは、お父様からの課題に必ずあると思うわ」
「そうですね。それは、その通りだと思います」
課題がひとつ、ってことはないと思う。たぶんだけど。
いくつか領地経営についての私たちの能力を試されるはず。
「あとは他に何があるかしらねぇ……?」
「社交などは?」
「そうね。それもあるかしら」
領地に引き籠って、もくもくと運営・管理。向き合うのは領民だけ。
悪くないように思えるけど、それは外部の情報を遮断するようなもの。
前世とは違うのよ。
基本、情報は口頭で伝えられる。インターネットなんて便利なものはないのだ。
領地の部下からの報告も必須だけれど……他家、特に近隣の領地で何が起きているかとか。
王都で何が起きたのか。起きそうなのか。
とにかく『情報収集』の能力があるかどうかは大事よね。
それには社交界に出るのが一番だ。
当主とその伴侶で、それぞれに仕入れられる情報も異なってくる。
流行かなにかだって、大きくお金が動くものよ。
だから、社交能力は見過ごせないものなのだ。
「あとは『人心掌握』とか?」
「人心?」
「リーゼルたちよ。侍女、使用人、騎士、公爵家には多くの者が働いているわ。
貴方たちから慕われることもまた当主の器じゃない?
だから、貴方たちからの……私とジーク、どちらを慕っているかとか。数で競ったりして」
リーゼルは信用しているけど。この辺の信用信頼って、悪役令嬢な私はどうなのかしら?
普通に嫌われていたりする可能性もあるわよね。
別にこれまでの生活で、思い当たる節はないんだけど……。
「それは一見、必要そうにも見えますが、どうでしょうか」
「どういうこと?」
「当主の意に沿わない者が居れば解雇し、新しい者を入れれば済む話になりませんか?
今居る者に当主を選定する権利があるとは、とても私には思えません」
「う、うーん。それも、そう、なのかしら?」
血縁や養子縁組などで爵位は継承される。一族経営の会社みたいなものね。
そこに外部の入り込む余地はない。あってはならない。婚姻とかは別よ。
その家の正当な当主を、使用人たちの『人気投票』で決めるとか……。
この世界、この国的に『ない』わね、きっと。
「やっぱり考えても仕方ないんじゃないかしら。
基本的なことだったら、私もジークも弁えているもの。
ジークがよほど、これまでダメだったなら別だけど……」
「そうですね。たしかにお嬢様の言う通りです」
考えるだけ無駄で思考停止。良くないかもだけど。
その分、お父様が今、頭を悩ませているのかしら? ちょっと申し訳ないわね。
私が思いつきで提案したことなのに。
「まぁ、とりあえず急遽決まった競い合いはさておきよ。
この夏季休暇における私の目標はね、リーゼル。別にあるわ」
「別に、でございますか」
ええ、そう。私にはしたい事がある。
『雷魔法の開発』と『前世知識を活かした商品の開発』ね!
公爵家の資産ではなく、私個人に当てられた資金を利用した、商売の開始。
『アリスター』の名で商会を立ち上げるか、どこかに投資する。
そうすると学園に通わない『理由』が人々に知れるわ。
レイドリック様にとっては腹の立つこととなる。
そしてヒロイン・レーミルにとっては見過ごせないことだ。
『前世の知識』を利用した商品を見れば、あの女はアリスターが転生者であると察するだろう。
そして注目は、その商会へ移る。
そうすると『アリス』に意識が向かなくなるの。
『学園の外で商売を始めたアリスター』こそが自分の敵だと思うから。
それだけで私にとってはメリットよ。
ヒロインに目を付けられないなら、悪役令嬢としては最高。
逃げ腰? 気にしないわ。
学園の外に2人の『仮想の敵』を生み出すようなもの。
レイドリック様も、レーミルも、そちらに釘付けになるだろう。
商売でアリスターが動きを見せたら。
あの女が頼るのは実家の男爵家じゃないんじゃない?
『大商人の子』ホランド・サーベックに接触するはず。
私の動きを牽制したいものね?
そして、ホランドの『攻略』を進めるのなら、レイドリック様へのアプローチ頻度が下がる。
偽ヒロインの『アリス』は、その隙にどんどんイベントを進行させればいいわ。
ここが現実である以上、ヒーローたちだって『自分だけを見てくれるヒロイン』の方がいいに違いない。
逆ハーレムルートなんて現実には存在しないのよ。
・『アリスター』が新商品開発、商会運営。
→レイドリック様、レーミルがそちらに注目する。
→レーミルはホランドに接触、そちらのイベントを進めて、自分の前世知識を活かそうとする。
→レイドリック様とは『アリス』としてイベントを駆使して親密度を上げる。
つまり『アリスター』を使った囮作戦よ!
完璧な作戦ね! ええ、たぶん、きっと。
……後から抜け穴だらけとか指摘しっこナシよ?
「うん。私の目標は当面、『新商品の開発』と『商会の立ち上げ』。
そして『魔法の訓練』ね。競い合いについてはお父様の報せがあってから考えるわ」