37 生徒会役員アリス
「私たちが、正式に生徒会の役員になれるんですか?」
「ああ。アリスたちは、よく働いてくれている。ジャミルもロバートも認めているところだ。もちろん私もな」
レイドリック様から正式に『アリス』と『ルーカス』の役員入りが告げられた。
もうじき1学期が終わる頃合いだ。
「本格的に働いて貰うのは夏季休暇が終わった後になる。だが2人は、今の時点で正式に生徒会役員として申請しておこう」
「……あ、ありがとう、ございます」
既に職務は行っていたため、何とも言えない気持ちではある。
仮雇用から正式採用へ決まった、ということ。
前世であれば、給料や待遇が変わったかもしれない。
でも生徒会だからね。それでも、それはきっと『名誉』なことだろう。
何より生徒会長、王太子であるレイドリック様から認められたことは大きい。
……これが『アリスター』だったら、きっとありえなかったんだろうな。
それが、あるからこそ、私は複雑な気持ちだった。
「ありがとうございます。殿下、いえ、レイドリック会長!」
「ああ。これからよろしく、アリス嬢」
「あの。それで、この場で確認しておきたいのですが」
「なんだ? ルーカス」
ヒューバートは、レイドリック様に礼を失しないように振る舞いつつ、私へ向き直った。
「お嬢は、これで良いのですか?」
「え?」
「その。たしかにお嬢は生徒会入りを希望していましたが、最初は『3年生になってから』とお考えのようでしたから」
「あ、ああ……。それはそうね」
『アリス』の建前としてはそうだった。
例年通りであれば、2年生で役員補佐になり、先輩に仕事を教わりながら3年生で生徒会入りする。
今年度は、王太子であるレイドリック様がいる影響でその慣習が崩れた。
その結果、3年生は生徒会にはおらず、彼らが少人数で仕事をすることになっていた。
「私、まだ1年生ですけど。やれるかなぁ……」
なんて可愛い子ぶってみる。これが私の『ヒロイン』像。
「……お嬢」
正体を知っているヒューバートが『ぶっている』私に呆れた目を向けた。
うっ。その視線が刺さるわ。そして恥ずかしくなる。
でも彼以外には十分にヒロイン効果があったようだ。
「何を言う! アリス嬢はよくやっている! だからこそ私も役員入りを認めたのだ!」
「そうですよ。貴方は十分に職務を果たしてくれていますから」
「うん。頑張っているよ、アリス嬢は」
「そ、そうですか? ありがとうございます!」
満面の笑顔で感謝を述べてみる。
これが好きなんでしょう? という表情よ。
「あ、ああ……。これからもよろしく頼む」
「はい! よろしくお願いします、レイドリック会長!」
「あ、ああ。よろしく」
まぁ、照れ顔だわ、レイドリック様ったら。懐かしいわねぇ、なんだか。
数年前はたしかにそういう反応を見せてくれていた。
いつから冷たくなったのかしら。
やっぱり今回のこれだって、私が『アリスター』のままだったら絶対にありえない光景だっただろう。
生徒会に参加してから、彼を近くで観察する機会に恵まれた私は、彼の『私』への反応も見て来た。
既に大きく私たちの間には溝ができていたの。
この溝の存在を知らずに、ただ目の前のことにがむしゃらのままだったら。
私はどうなっていただろう、って想像しては気持ちが冷えていく。
そんな風に生徒会では表面を取り繕いつつ……。
私たちは、王立学園1学期の仕事納めを終えたのよ。
「……ふぅ」
彼らと離れて一息を吐く。
けっこう長かったわね。変装しての学園生活。意外となんとかなった。
寮にはお風呂が部屋に備え付けられているため、ウィッグの着脱や手入れは滞りなく行えたし。
誰かに気付かれることもなかったわ。意外と皆、気にしないものなのね。
元から皆の髪の色がカラフルな世界だからか、ピンクブロンドの髪でも溶け込んでいる。
前世の知識があったお陰か、寮での自立した生活に支障はなかった。
気分としては『平民』に近いもの。
アリスとして暮らしている間は、よりいっそう、そういう『私』で居られたわ。
「お疲れ様でした。お嬢」
「ん。ありがとう、ルーカス」
いつものように学内カフェに寄り、少し離れた場所に人が居る中で彼と過ごす。
もう、ここで作戦会議をしたりするのが私たちの日課になっていた。
今、ヒューバートは私が席で待っている間に注文を済ませ、ドリンクを運んできてくれたところ。
セルフサービスじゃなく、配膳係が居るカフェなんだけどね。
「……やりましたね」
「生徒会のこと?」
「ええ。役員入り、おめでとうございます」
「ルーカスもじゃないの」
「俺は、お嬢のおまけのようなものですから」
「謙遜ねぇ」
『ルーカス』の生徒会での仕事量は、実際はアリスよりも多い。
それは私が実力を隠しているからでもある。私の隠れ蓑に彼がなってくれている状態だ。
彼には本当に助けられているわね……。
はじめは、別に彼を引き入れるつもりはなかった。
陛下が私の計画を受けて、動かせる適切な人員がヒューバートだっただけ。
それでも彼だからこそ、私は大いに助けられてきたと思う。
そう思えばヒューバートには感謝しかない。
「……まぁ、でも。分かっていたもの」
「分かっていた?」
「うん。1年だって生徒会の役員になれるということ」
私は知っている。ヒロインが2学期になれば生徒会に勧誘されることを。
『アリスター』が1学期、どれだけ頑張っても認められなかっただろうことを。
悪役令嬢とヒロインが生み出す穴を『アリス』は突いただけ。
「それでも。きっと、今日のことはお嬢が頑張ってきた『成果』でしょう?」
「成果……」
「ええ。荒唐無稽なことをしていたかもしれません。未だに俺にも理解できないことが多いです。
ですが、貴方が踏み出して、行動に移さなければ、起きなかった結果でもある。違いますか?」
「違わない、けど……」
私は困った表情を浮かべてヒューバートを見た。
そうすると彼は優しく微笑んで私を見つめ返してくる。
その表情に少しだけ。
ほんの少しだけ、ドキリと心が動いてしまった。
「ならば、褒めてあげませんと。お嬢の頑張りが実ったことを。認めて、よくやりました、と」
「……そう?」
「ええ」
まぁ、ね。
『アリス』になったからこそ勝ち取った結果だったわ。
『アリスター』のままでは、きっと生徒会には入れなかった。
利用されるだけで、果ては誇りを踏みにじられることになったでしょう。
私は、その『悪役令嬢の不遇』を回避した。
殿下との致命的な確執につながったであろう出来事を避けたわ。
ヒロインが起こすはずだった、私の婚約者との恋愛イベントを奪い、遠ざけることができた。
ヒューバートという味方も作れたし。
ヒロインが起こしそうな悪辣な企みも『アリスター』が不在なため、起きていない。
乙女ゲーム世界の悪役令嬢に転生した身としては、上々の成果よね。
私は、本来の『私』としての勝負を避けた。
誇りを持って、高位貴族として気丈に振る舞って、正攻法で殿下の態度や悪辣なヒロインに対抗することを。
それは、この貴重な学園生活を、彼らの態度によって我慢を強いられ、鬱屈した思いで過ごす羽目になるのを避けるため。
間違っていない。そして私は後悔していないわ。
このやり方でいい、と。うん。
なら、きちんと私は、私の成果を認めて、褒めてあげなきゃよね。
よくがんばった、って。
「そうね。貴方の言う通り。私は私なりに頑張ったわ」
「ええ。きちんと補習授業も受けましたしね」
「それよねー」
学年首席を取ったのに補習授業を受ける羽目になったのは業腹だけれど。
まぁ、二重生活のデメリットだもの。仕方ないわ。
『アリスター』の考査成績は学年首席。堂々の1位だった。
これは、まだ1年1学期の試験内容が甘いお陰ね。
前世だと公立の高校の、1年1学期みたいな扱い。
まだまだ中学生の学力と、高校受験の知識で何とかできるレベルというか。
本格的に授業内容が厳しくなってくるのはこれからってところ。
「うん。『アリス』はよく頑張ったわ! ありがとう、ルーカス。貴方の助けがあったからこそよ」
「いいえ、こちらこそ」
今のヒューバートとは、なんていうか仲間というか、戦友? みたいな関係ね。
それは彼のキャラクター、性格からして合っていると思うわ。
「じゃあ、夏季休暇中のことなんだけど」
「はい?」
「私、やりたい事があるのよね」
「……『家』へ帰るのではないのですか? もしや寮生活を続けると?」
「ううん。どっちも、かしら?」
「どっちも?」
あまり、学生寮と公爵邸の往復はしたくない。バレるリスクが高まるもの。
移動するなら長時間どちらかに居た方がいい。でも、やりたい事からすると、ね。
「まずね。私、何かしらの商品開発に手を出したいの」
「商品開発……?」
「ええ。まず、この国の現状との差異を改めて確認してからだけど。
画期的な商品を何かしら生み出せると思うわ」
「また、ふんわりとした計画ですね」
「まぁね。それには流石に『家』の力とか『私の財産』とかを使わないと」
「そうですね」
「で、ルーカスにはその相談に乗って欲しいと思っているんだけど」
「相談ですか?」
「ええ、貴方はほら『家業』の知識があるでしょう?
私の事情も知っているし。アドバイスとか貰えたらなって」
「……それは構いませんが」
「あ、でも貴方が家に帰るというなら止める気はないわ。流石にね。
貴方にも生活があるんだもの。護衛は別に手配するから」
「いえ。家は問題ありませんよ。まぁ、お嬢の計画次第ですが、お付き合いできます」
「本当?」
いいのかしら? 私としては甘えたいところだけど。
「すぐにどうこう出来ることじゃないって分かっているわ。
今後のために、ある程度の下準備が出来ればな、ってところよ。それから」
「まだ何か?」
「ええ。私、新たな魔法を開発しようって考えているの」
「はい? 魔法……?」
「ええ。たぶん、表立ってはこの世界、いえ、国にないと思う魔法なんだけど……」
「それはまた大きく出ましたね」
「うん。『雷魔法』を開発できたらって思うの」
「雷……? 神にでもなるおつもりで?」
「なぁに、それ?」
神って。大げさね。
「いえいえ。雷って……雷ですよね? 何をおっしゃっているんですか?」
「え、そんな大げさな反応するところ?」
「当然だと思いますが……」
そりゃあ、たしかにこの国、電気系は発展してないなぁ、って思ってたけど。
前世での家電製品系は、概ね魔法によって機能している。
部屋の照明に至るまで、そこにあるのは電気ではなく『光魔法』と魔石、魔法回路の組み合わせで出来ているのだ。
部屋を温めるのも『熱魔法』とか。
風を発生させて涼しくするのも『風魔法』や『氷魔法』となる。
光やら氷やらの魔法があるのなら、雷魔法ぐらいは余裕で存在している気がするんだけど。
こっちの世界だって雷という自然現象はあるのよ?
静電気だって認識されているはず。
なのにこの有様って、こっちの世界にはエジソン先生は生まれなかったのねぇ。
「あれ。何か、雷を扱うのって神への冒涜とかだったりしたかしら……?」
私は、私自身の、この世界での知識を探る。
ウィクトリア王国にも教会は存在し、女神を信仰している。
彼らもまた一般的な魔法とは異なる体系の『奇跡』の行使が出来たりするの。
教義には特に雷に対する畏敬の念はなかったはず……?
主神が雷の化身であるとか、そういった逸話もなかったはずだ。
「そんな話は聞きませんが、しかし、雷を落とせるのは、かなり……」
「ああ。まぁ、その。攻撃魔法として使うなら、かなりの威力に思えるかもしれないけど。私の想定しているのは、もっと小規模なものなのよ」
「小規模?」
『雷魔法』が存在しない国に住むヒューバートにとって、想像に浮かんだのは天からの落雷そのものだったのだろう。
私が好き勝手に、そこかしこに雷を落とす光景を思い浮かべたのかしら?
「もっと触れるとビリビリってしたり。出力が大きくても、触れた相手が昏倒して、しばらく動けなくなる程度のものよ」
前世で言えばスタンガンのようなもの。
まぁ、前世でも使用したことはないんだけど。
『アリスター』は公爵令嬢で護衛をつけるけど、『アリス』は子爵令嬢で護衛なんてつけられないからね。
自衛手段が欲しいのよ。
それから、いざという時にヒロインや篭絡されたヒーローたちを制圧できるか、対抗できるぐらいの実力は持っておきたい。
「魔法による戦闘力をお求めですか?」
「まぁ、そうね。戦闘というか、自衛能力というか。『アリス』には必要だと思わない?」
「なるほど。それだけなら既存の魔法技術を修得していただいた方が良いかと思いますが……?」
「そっちも頑張るわ。でも私は『せっかくだから』新しい魔法が作りたいのよ」
「はぁ……?」
魔法は生まれた時からあったものよ。
私は当然のように得意な火魔法だけでなく、水魔法や風魔法も使える。
土魔法系はちょっと苦手ね。
悪役令嬢なんだから『闇』系が得意かっていうと、そういうこともない。
ヒロインが別に聖女じゃなくて、聖なる魔法とか使えないからかしらね。
そう言えばだけど、この世界は『魔獣』という存在が発生したりもする。
動物と違う点とか問題があるけど、それはおいおいの話ね。
乙女ゲーム的に言うと『近衛騎士』のロバートや『魔塔の天才児』クルスといった戦闘技能系のヒーローの見せ場イベントのために存在しているようなもの。
魔法ありの学園生活で生じる乙女ゲーイベントにも関わってくるけど、2学期以降のものなので今はいいわ。
別にこの世界は破滅には向かっていない。
破滅するのは、せいぜい私ぐらいで、あとはバッドエンドを踏んだヒロインぐらい。
攻略情報を知っているヒロインは、流石にそういう類のバッドエンドは避けるでしょう。
というわけで、私は人々の危機を救うとかじゃなく、商売や魔法の研究に時間を掛けても大丈夫というわけよ。
「では、夏季休暇中も、お嬢とは交流をしなければいけませんね」
「そうね。貴方はそれでいい? 貴方にもしたい事とかあるんじゃない?」
「したいことは……ありますね。出来た、と言うべきでしょうか」
「そうなの? もちろん、それなら私に付き合わずに済むようにするわ。
それに私に協力できることなら、お付き合いするわよ! ふふ」
色々とヒューバートには助けられているものねぇ。
恩返しぐらいはさせて貰わなくちゃ罰当たりだもの。
「……そうですか。そのお言葉は有難く受け取らせていただきます」
「ええ。遠慮なく言ってちょうだいね!」
そうして私たちは時間も経ったので学内カフェを後にした。
私が少し先を歩いて。
ヒューバートは私の後ろをついてくる。
少し距離の離れた彼の呟きは、私の耳には入らなかったの。
「ありがとうございます。貴方のそばに居られる時間をくださって──」
……温かな風が吹き抜ける午後だったわ。