35 アリスの1学期
「お弁当とか何の冗談ですか、お嬢?」
「冗談って」
アリスとして1学期の過ごし方を確立した頃。
私は、レイドリック様に生徒会の皆で食べる前提での『お弁当作戦』を実行したわ。
「……たしかに当初の目的としては合っている行動なんですが」
「当初の目的?」
「殿下との関係を改善することでは?」
「あ、あー……。もちろん、そうよ?」
私は視線を逸らす。
そうするとヒューバートは胡乱な目で私を見てくるのよ。
べ、別にぃ、目的を忘れていたわけじゃないしぃ……?
私がお弁当を作ると言い出したのは、もちろんヒロインのイベントを奪うためだった。
明日、食堂でヒロインとレイドリック様が再会する予定なの。
しかも……また彼女とぶつかるのよね。
具体的に言うと食事を運んでいたらしいヒロインが、食堂に現れたレイドリック様にぶつかるイベント。
『ご、ごめんなさい!』
『ああ、私は問題ない。ん? 君は、たしか前にも……』
なんて感じで再会を果たす2人。天丼ってヤツかしら。
最初の出会いと似たようなイベントを繰り返すことで印象が深まるのね。
単純にゲーム通りに進めるならば明日、ヒロインは食堂で待ち構えることになるだろう。
だから、そもそもレイドリック様を食堂へ行かせないようにするの。
それで彼のイベントを回避させる。
今回は、イベントを奪う必要自体はないわ。
だって、私はすでにレイドリック様と『2回目の出会い』を済ませているんだもの。
どころか2学期のイベントを先取りして、もう生徒会に参加している。
今の生徒会メンバーは5名。
生徒会長は『王太子』レイドリック様。
副会長は『宰相の子』ジャミル・メイソン。
体育部長は『近衛騎士』ロバート・ディック。
書記は『悪役令嬢』……の仮の姿、アリス・セイベル。
会計は『王家の影』見習い……の仮の姿、ルーカス・フェルク。
前世日本だと生徒会って10人ぐらいで運用するイメージなんだけど、今はまだ5人ね。
あとは『文化部長』や『庶務』とかの役員枠がある。
書記と会計の人数は増やしてもいいと思うわ。
ちなみに私とヒューバートは、まだ『仮』役員なのよ。
推測するにゲーム上の『私』は、この時期は今と同様に生徒会の仕事をしていたと思われる。
なので、この状態もある意味で運命の強制力だったり……?
ただし、その場合はヒューバートの運命が全く異なっていることになるけれど。
でも今の扱いは明らかに『アリスター』とは別のものだと思うわ。
絶対に『私』のままだったら一緒にお食事の提案は認めなかったでしょう。
まぁ、それにしてもメンバー全員が原作ゲームの登場キャラたちねぇ……。
ここに来年は『公爵令息』のジークが加わる。
ゲームでは描かれなかったけど、名前の語られなかったメンバーも生徒会に、これから入るのかもしれないわ。
まだ、生徒会役員にどういう人選をするか、悩んでいるのも事実みたいなのよね。
それはレイドリック様が2年生でありながら生徒会長の座に就いたことが原因。
公爵令嬢アリスターの方の『私』も理由なんでしょう。
『不仲』の裏事情を知らない場合、どうせアリスターが入るだろう生徒会。
王子に侍ろうとする令嬢たちは、本人を前にして分の悪い勝負となるので、まだ様子見といったところ。
2学期になってもアリスターが生徒会役員入りすることがなく、どころかレーミルを勧誘して。
その段階で学園の風向きが変わってくるはず。
そこで、ようやく生徒たちに王子と公爵令嬢の仲がよろしくない事が認識され始めるのでしょう。
男子生徒も殿下とお近付きになれる機会ではある。
ただし男子の場合は、既に脇をジャミルとロバートが固めているため、文武どちらの方面でも見劣りしてしまうのは確実。
ジャミルが頭脳系で、ロバートが運動系、どちらも学生ではトップクラスなの。
男性社会を分かっているわけではないけど、彼らと勝負しても、結局は勝つことが出来ない。
他の男子は、そういう集団に居たいとは思わない……ってところかしら。
生徒会側から声を掛けたなら箔もつくけど、自ら売り込みに行っても『モブ』の扱いになるのでは、あまり意味がないもの。
王子に侍っていた令嬢たちが生徒会入りを希望してこないのは『アリスターを警戒して』だと推測できる。
アリスの私が、この時期に先んじて行動できたのは、そりゃあもちろん、あれ。
『アリスターを警戒する必要がないから』ね。
だって、それ『私』だもん。うふふ。
……そう。
みんな、この時期はまだアリスターの出方を窺って大人しくしているのよ。きっとね。
レイドリック様とアリスターが会話している姿を見たことがないため、生徒たちは根も葉もない噂を立てるしか出来ない。
表で殿下がどう言っていても、実際に確認したら溺愛してましたパターンだと目も当てられないからね。
そういう感じで現状、5人だけで回す生徒会。
1学期は大イベントがないためか、人手が足りただけで円滑に回せるようになったみたい。
まぁ、こう見えて私、優秀ですし。
それにヒューバートもやっぱりというか、優秀だったわ。流石は攻略対象のスペック。
でも私は、ところどころ手を抜いている。
バカにするわけじゃないんだけど、子爵令嬢に見合った能力具合というか、彼らのイメージに沿った塩梅? そう見えるように振る舞っているわ。
ゲーム上の私の運命を考えると『彼女一人に仕事させればいいだろう』とか。
そういうことにならないように警戒している。
これが領地運営なら手を抜くわけにはいかないけど。
生徒会運営を失敗したところで被害はそこまで大きくはない。たぶん。
それからヒューバートが一緒に入ってくれたことで、私の実力を誤魔化せている面がある。
『ちょっと足りないアリス』と『優秀なルーカス』のコンビが成立しているのよ。
ヒューバートが仕事面をカバーしてくれることで、私が手を抜いていても問題なく済んでいる。
ここにレーミルが入ってきたらどうなるかしらね。
ヒーロー役が4人も揃っている生徒会。さらには来年にはもう一人。
元から、そういうものでもあるけど、ヒューバートも巻き込んでしまったわね。
今の私は、この状態だとジャミルやロバートのイベントにも干渉する事ができる。
でも私は彼らのイベントには手を出さない。
ヒロインムーブをするけど、私が『攻略』するのは、あくまでレイドリック様のみ。
1年の1学期は、私の行動とヒロインの行動によって、どう変わっていくのかを見定める時期。
転生者のヒロインが誰を狙って動くのかも見極めたいわ。
ヒューバートのイベントは既に『スカ』している。
レーミルの方も、どうも彼のイベント進行にやる気が感じられない。
これはヒューバートが『別人』だと思っているからね、きっと。
あの青髪の男子生徒Aくんをヒューバートだと思い込んでいるために、彼女はやる気がないらしい。
でも、チラホラとジャミルやロバートには接触している様子……。
どういうつもりなのだろう。
私の知る『原作』に逆ハーレムルートなんて『なかった』はずなんだけど。
複数の男に手を出して、誰を選ぶか吟味している?
ヒロインなら、それが出来るのかもしれないけど……。
現代的な恋愛観で高位貴族令息、王子の側近たちに余さず手を出すのは顰蹙を買う。
性格的に外聞が気にならないとか、そういうタイプ?
もう少し人手があれば彼女に監視を付けておきたいぐらいだわ。
「お嬢。それで期末考査はどうしますか?」
「……あちらの『私』として出なくてはいけないわね」
それが陛下との約束だし、建前よ。
『王太子の婚約者』の立場も守らなければならない。
アリスとして生活している今も、きちんとレイドリック様のそばに居て、関係を改善しようとしている前提だもの。
「椅子を用意させなければいけませんね。お嬢の席に座ればバレますし」
「そうね。でも、そこはお父様に動いて貰えば問題ないはずよ。問題なのは……」
『アリスター』が登校する場合。
『アリス』が出て来れないということ。
「うーん……。何か良い案はある? ルーカス」
「お嬢が考えておくことじゃないんですか、それ」
「私としては普通に『アリス』は欠席するしかないと思うんだけど……」
教師陣がアリスターの不在に首を傾げていたことから、知らされていないと思うのよね。
陛下やお父様から、この件を。
学園には、どこまで話がされているのかしら?
『アリス・セイベル』を生徒に紛れ込ませるだけならば、特に問題ないだろう。
ヒューバートだって似たようなものだ。
現在、Aクラスの名簿には『アリス』と『アリスター』の両方があり、教師陣は、正確に事態を把握していない。
そのため、『アリスター』の座る席がないのに満席状態という事態が引き起こされている。
『私』の座る席ならば、当日に公爵家からの通達で用意するように事前にお願いしておくとして。
アリスとしては期末考査を欠席するしか手はない。
替え玉は……流石にバレそうよね。普段から話しているクラスメイトは欺けない。
『アリスター』に戻った私なら冷酷な態度をしていれば、ギャップもあって気付かれないだろう。
公爵令嬢に近付くのに無遠慮な生徒はAクラスには居ない。
だけど『アリスの偽物』が出てくるのは流石にバレる。
なんだかんだ言って、レイドリック様やジャミル、ロバートが私に気付かないのは、接触回数が元から少なかったせいだ。
レイドリック様は本来、その限りではなかったはずだけれど。
彼は入学してから1年間、私と疎遠になっていたから。
最後のお茶会でも特別に化粧をしていたし。
今の私は成長期でもあるから、しばらく会ってなかった彼らなら雰囲気で誤魔化すことができた。
「期末考査を欠席した場合は、補習授業が確定しますね」
「……そうなの?」
「ええ。まぁ、救済措置ですよ。ただ、そこで良成績を取ったとしても掲示板に上位成績者としては貼り出されません。
他の生徒たちから情報を聞いていた可能性が出てきますからね。
学園側からの評価としてもマイナスを前提にされるそうです。
まぁ、それでも全く受けていない、0点扱いよりは、ずっとマシになりますが」
「へぇ」
ヒューバートったら事前に調べていてくれたのかしら? この人、本当に優秀よね。
レイドリック様も最近は性格が『アレ』だけど、成績自体は優秀だったりするのよ。
ジャミルもね。ロバートは……まぁまぁよ。彼は武闘派だから。
「じゃあ、アリスは欠席。で、当日までの動きを煮詰めていくの、手伝って貰える?」
「かしこまりました、お嬢」
うーん。この打てば響くようなやり取り。
まるで長年、私付きをしていた従者のような感覚だわ。
前世だと、割とあったわよねぇ、従者との恋愛……。
王子か従者か、の2択ヒーローだと案外、従者の方が選ばれがちだった気がする。
まぁ、その従者が、実は第二王子だとか他国の王族ってパターンも多いんだけど。
元・現代人的に言えば、いくら身分が高くても態度がNGの王子様より、自分に尽くしてくれる従者とくっ付いた方が幸せ……っていう価値観が強かったものね。
でも、こちらの国において、身分はやっぱり重い。
特に私は『公爵令嬢』にして『王太子の婚約者』という、貴族令嬢が掴む身分としては最高峰の立場に立っている。
そのスタート地点だと、どうなっても『落ちぶれた』感が否めないのは確か。
今の私が、それをそこまで嫌がってるかはさておき……。
嘲笑されるのは間違いないのよね。
まぁ、そんなことも気にならないぐらい、新しい相手と幸せであれば黙らせられるかも。
あとは、それこそ私自身が身分ある立場に立つか。
女性でも爵位が継げるのが私たちの国よ。現に女侯爵様だっているし。
……仮にレイドリック様との仲が上手くいかなかったなら。
父から爵位を継ぎ、女公爵の立場を継げれば見縊られることもないでしょう。
そうすると義弟のジークとは争いになるのは間違いない。
ジークの立場からすると、私と殿下が不仲な場合って、別の火種になるのよね。
婚約破棄して、さようなら。じゃあ、私はこれから女公爵ね。
ジーク、貴方もさようなら。……の展開は許せないことだろう。
波風立てないで済ませるなら、それこそ『セイベル女子爵』になって過ごすとか?
……婚約破棄前提で考えるものじゃないわね。
まだ諦めているわけじゃないんだもの。
レイドリック様の態度を変えるための『今』でしょう?
それから、私とヒューバートは、期末考査に向けての動きを調整していった。
事前にシェルベル家の屋敷へ帰る段取りを組んで。
アリスとしては欠席の連絡を入れる。
とはいえ、前世のように『電話』なるものはない。
だから、連絡は後にする。重要な案件でもないからね。
魔法技術で生活基盤を築いているのに通信系は発展していないのかしら?
そもそも『電気』が研究されていないから、そういう物が出来ないのかも。
魔力による長距離通信は……消費魔力量が甚大になりそうだわ。
アリスとしての研究は『雷魔法』にしようかしら。
この世界と折り合いを付ける上で新技術の開発だと、やはりその辺りでしょう。
『大商人の子』ホランドを仲間に出来たら、前世の商品を開発してもらうのも良いけど。
今の段階でそういった方向に手を伸ばすと、ヒロインがホランドと手を組んで邪魔しに来る気がするわ。
商売のネタ元はお互いに似通っているでしょうし。
『アリスター』が商売をしていると思わせれば、ヒロインの目をそちらに向けられるかも……?
いいわね、それ。
それこそヒューバートに頼んでダミー会社を立てて貰うのってどう?
如何にも前世の知識ありきの商品が売りに出されれば、どうしたって目につく。
アリスの正体に勘付いていないのであれば、『アリスターは学園に通わず、前世知識で商売をし始めた』と思うかもしれない。
それは『アリス』には、いい目眩しになる。
うんうん。いい感じ。夏季休暇の自主課題にしようかな。
『雷魔法の研究』と『前世知識を活かした商品開発』ね。うふふ。
私はシェルベル家の屋敷に久しぶりに帰り、お父様とお母様に挨拶をする。
ちょっと警戒していたジークは姿を見せなかった。
もしかしたら街に出ているのかもしれない。
ジークも大概、自由人じゃない? 次期公爵の自覚がなさ過ぎ。
『義弟』である彼と私の仲は、そこまで深くはない。
そもそも私と殿下の婚約が決まった後で養子に来ることになった人物だ。
もちろん、顔を合わせた事はあるし、話すこともある。
そこで、とりわけ仲を深めたわけではなかった。
この辺り、記憶を思い出す前の『私』は、ゲーム上の悪役令嬢と大差がないんでしょうね。
だからか、将来的に不仲になるような、薄い関係しか持てていなかったのだ。
「アリスター。学園はどうだ?」
「……レイドリック様には良くしていただいております。以前より会話する数も格段に増えましたので。ご心配なく」
はい。嘘は吐いてません。うふふ。
「はぁ……。そうか」
やや、呆れ顔のお父様。ヒューバートから報告とか上がっているのかしら?
直属の部下っていうわけじゃないから、陛下から報告を聞くの?
まぁ、いいわ。
「万事、順調と言えますわ。概ね想定通りに進めております」
「……そうか」
あ、どんどん困った娘を見る目になっていくわね、お父様。
おかしいわ。今の私は、きちんと『アリスター』しているんだけど?
「まぁ、なんだ。勉強をしてこなかったわけじゃない。きちんと実力を発揮するように」
「はい。お父様」
結局、屋敷に帰ったその日、義弟のジークとは再会しなかった。
そうして、運命の期末考査。
久しぶりにピンクブロンドのウィッグを着けない私で行く。
制服は改めてアリスター用に仕立ててあるのよ。
「いってらっしゃいませ、アリスターお嬢様」
「ええ」
たかが期末考査に、強めに化粧をし、ナチュラルメイクの『アリス』との差別化を図る。
まぁ1年生1学期のテストぐらいは、おそらく私にとっては楽勝だもの。
まだまだ余裕があるわ。
だいたい普段から勉強もちゃんとしてるもの。アリスとしてね。
これから可能な限り、生徒会のメンバーとは会わないように動く。
テストを終え次第、すみやかに帰宅する。
そしてアリスに戻り、こっそりと学生寮へ帰る。
レーミルとも会いたくないわね。噂が広がって、突撃とかしてくるかしら……。
ゲーム上の期末考査の時は、テキストで流されて1日が終わるのよ。
いつもの3回、自由行動ができるアレはナシ。
これまでにヒロインのステータスを鍛えて『知性』を上げた分が、期末考査の結果に反映される。
ステータスアップは、実はイベントでも発生するわ。
具体的に言うとジャミルと親しくなった時とかの『図書室でのお勉強』とかのイベントね。
スチルありのイベントよ。
そういうイベントは『近衛騎士』ロバートや、『魔塔の天才児』クルス、『大司教の子』アルスとも発生する。
レイドリック様のグッドエンドには高ステータスが必須のため、必然的にそういうイベントも含めて進行する必要があるの。
……もしかして、レーミルはステータスアップを狙ってイベントを起こしてる?
でも、それはゲーム上の話だ。
ジャミルと勉強したからって本人の頭に入らなければ意味がない。
『魔術鍛錬』や『運動』は、きちんと効果があるかもしれないけど『知性』は……。
レーミルの成績が、どの程度なのかも気になるところ。
ルートごとの選択肢さえ満たせばいいと考えていて、ステータス要素は無視を決め込むのか。
だけど『原作』を知っているのならバッドエンド群の存在も知っているはず。
そもそも、レーミルが素で頭がいいって線もあるわね。
彼女が中級魔術を既に修得していたのは事実だ。
身体のスペック的には、天才の素養がある。
成績上位者30名にレーミルが名を連ねるか。お手並み拝見といきましょうか。
『アリス』と『アリスター』を使い分けながら、私は期末考査を乗り切った。
ほっと一息。家でもジークとは会わずに済んだまま。
さぁ、残すイベントは……。
「……『アリス』の補習授業ね」
『私』、欠席したから。期末考査。
「頑張ってくださいね、お嬢」
「……はぁ」
どうして学年首席を取った私が、補習授業を受けなくちゃいけないのかしらねー?