29 アリスの目標
初回の魔術授業は、確定イベントだ。
その後の『魔術鍛錬』というコマンドを出すシステム的にもだし。
悪役令嬢アリスターが、ヒロイン・レーミルに苛立ちを覚える必須イベント。
そして、また『魔塔の天才児』ことクルス・ハミルトンの再登場フラグでもある。
アリスターよりも優れた魔法を使える1年生ということで、彼の興味を引くエピソードがあるから。
クルスは、銀髪に赤目の年下キャラ。
私やヒロインよりも2つ下の少年よ。背丈は小さめ。
一つ下のジークすら入学していないワケだけれど、魔塔から来る彼の扱いは、学園としては特別枠となる。
本来は魔塔に所属する魔法使いであり、貴族ではない。
違った。騎士爵のように五爵とは違うけれど、男爵相当の身分を与えられている。
まぁ、でも私たちのような令嬢・令息という貴族の子とは違う存在と言えるわね。
クルスのキャラクターとしては、生意気盛りの少年といったところ。
ショタ枠よ、ショタ枠。才能のある少年ね。
クルスがレーミルに興味を抱く予定は、おそらく崩れてしまったと思う。
アリスターは、あの場に居なかったし。
中級魔法は、その派手さを注目される前にヒューバートによって霧散した。
そうするとどうなるのかしら? 学園に現れず、魔塔で大人しくしていたり?
クルスは人気のあるキャラクターだった。
銀髪キャラなのが大きいのか、ヒーロー役の多い原作においてメインビジュアルでは前面に出て来るキャラクターだ。
ちなみにアリスターは安定して一番真後ろにデカデカとラスボスポジションとして描かれる。
おーっほっほっほ! と笑ってやりたい。
『ヒロイン』レーミルは転生者だろうけど……。その意識レベルはどうなのかしら?
きちんと現地の、この世界の住人として生きている?
原作の客層であった現代日本人プレイヤーと、この世界に生きる令嬢では価値観が異なるはず。
レイドリック様は別として、ヒーローの多くに婚約者なる存在がいない。
乙女ゲームとしては正しいけれど、この世界的には『何故?』となるところだろう。
その理由は、彼らの多くが爵位を継ぐ立場にないことにある。
『近衛騎士』のロバート・ディックは、伯爵家次男。
『宰相の子』のジャミル・メイソンも侯爵家次男。
『公爵令息』のジーク・シェルベルは、長男で爵位を継ぐ予定もあるが、そもそも養子であり、中継ぎ公爵でもある。
……私とレイドリック様との間に子供が2人以上生まれた場合、直系になるのは、その子だからね。
『魔塔の天才児』たるクルス・ハミルトンは現時点で男爵相当を個人で与えられた魔法使い。
本人はこれから出世するかもだけど、その爵位は一代限りとなる。
才能を認められたからこその扱いのため、子供にその身分は引き継がれないのだ。
『王弟』たるサラザール・ウィクター様は、学園の理事長であり唯一の20代キャラクター。
理事長なのに若い!
年上枠とはいえ、あんまりヒロインと年齢が離れていると評判がアレになるから、という気遣いかもしれないわ。
プレイヤー層の年齢の影響か、地味に人気の高いキャラクターよ。
『大商人の子』ホランド・サーベックは、そもそも爵位のない平民。
ただ、まぁ大金持ちで、爵位を買おうと思えば買えるはず。
まだ当人と会ったことはないので、現実のホランドに商才があるかないかは見極め次第。
でも前世の現代人基準だと、ある意味で彼が一番手堅い結婚相手になるんじゃないかしら。
まぁ、この国においてはそうも言ってられないか。お金よ、お金。
『大司教の子』アルス・マーベリックは、教会所属の人間であり爵位とは無縁。
立場はしっかりしているし、別にこの国の教会は神父たちの結婚を禁じてはいないの。
だから普通に結婚できる相手だけど……。
でも、わざわざ婚約者を決めておくような立場でもない。
彼も立場上、平民とも問題なく結婚できるわ。
『王家の影』の見習いであるヒューバート・リンデルもまた侯爵家の次男。
当然、リンデル侯爵は彼の兄が継ぐことになっている。
次男、次男、次男。
見事にみんな嫡男ではないの。三男とか設定しなくて良かったの? っていうレベル。
別に絶対に長子相続ではないけれど、多くの貴族家門が先に生まれた子に爵位を渡すつもりで育てているわ。
そして、どの家も嫡男に問題があるなんて話は聞かない。現実でね。
……そう。
現代のプレイヤーからするとキラキラした有能イケメンなヒーローたちなんだけど。
現実で考えると爵位を継げないため、自身の才覚で身を立てないとダメな次男たち、なのよ。
もちろん彼らは王太子の側近になっていたりと将来有望だったり、家も名門だったりと条件はいい。
ただ、身分制度のあるこの国においては嫡男からは見劣りしてしまうのが実情。
……っていうことをヒロインは考えたりしているのかしら?
あと、このメンバーの中で、わざわざレイドリック様を狙うことが、どれだけ罪深いか分かって貰える?
なんで婚約者の居る彼なのよ、って思うでしょう?
現実だとそれぞれ内々に婚約話ぐらいはあるかもだけど。
でも表立っては婚約者がいない男たちなのよ。狙うならそっちでしょうに。
「あれ、私に気付いていたと思う?」
昼休憩時、私とヒューバートは学内カフェで食事しながら、お話をしていたわ。
当然、人目のある場所よ。
話す内容は内緒話だけどね。
ちなみに食堂もちゃんとあるから、食事するなら普通はそっちに行く。
軽食程度でいいかな、っていう生徒がこちらの学内カフェに流れてくるの。
まぁ、思春期のお腹具合を考えると大半は食堂行きよね。
お弁当を持参する子も居るのよ。
「……お嬢に気付いていたら攻撃してくるものなんですか? 何か恨みでも買ってます?」
「え? いえ、そういうわけじゃないんだけど」
そう言えば、別に私がアリスターだとしても、あそこで攻撃する意味って何もないわよね?
じゃあ何よ、あれ。
「落ちてくる前に貴方が撃ち落としたから何の問題にもなってないけど。あの動きは絶対に危険だったわよね」
「そうですね。……俺も、前のことがあるから、お嬢以外にもあの女に注意は向けてたんですが」
「そうなの?」
「ええ。そうしたら案の定でしたし。何より、授業が始まってからの挙動。
あれは、お嬢を探していたってことで合っていますか?」
授業が始まる前にキョロキョロとAクラスに目を向けていた動きを言っているのね。
「たぶんね。それは間違いないと思うわ」
「……理由、説明できます?」
「うーん」
どうしようかしら。ヒューバートのこと信用していいの?
たしかに授業の時は私を守ってくれたし。
現段階で私の味方であるのは間違いない。
お目付け役・監視役という方が正しいけれど。
でも、私に対して敵意や害意を向けてきたことはないと思う。
「……言ってもいいかもしれないけど。間違いなく私の正気が疑われるわ」
「現時点のお嬢の姿が、まず正気を失ってますけどね」
「なんてこと言うの?」
ただ公爵令嬢たる私が、ピンクブロンドのウィッグを被って子爵令嬢のフリして学園に通ってるだけじゃないの。
王太子の婚約者かつ、公爵令嬢の矜持も役目も放っぽり出して。
「……正気じゃないと思いますけど」
「うるさいわよ」
だんだんヒューバートとのやり取りも慣れてきたわ。
距離が縮まったと言うべきかしら。
私は悪役令嬢で、敵対しているのはヒロイン。
だから本当なら攻略対象たちは敵になるのがセオリー。
でもヒューバートの場合、まず顔見せイベントをアレしたことでレーミルに対して不信感を募らせている。
彼の態度からしてレーミルに惚れている様子はないし。
そもそもアレは中身がゲーム上の本物のレーミルとは言い難いのでは?
私もそうだけど。
ヒロイン補正では美化しきれない裏側をチラホラとヒューバートは見ているもの。
「……うーん。正気かどうかもそうなんだけど。貴方には知らない事で私をサポートして欲しいかも」
「知らないことで?」
「うん。私の知識をすべて披露するのもいいのよ。その方が理解が深まると思うし。
でも、私の意見に流されて欲しくないの。私を絶対だと思って欲しくないっていうか……。
客観的な指摘が欲しいのよね。『それは現実的におかしくない?』って」
「はぁ……?」
下手をすれば私の知識は、学園生活の2年限定で『未来予知』みたいなものになる。
でも私とヒロインがご覧の有様である以上、それらは絶対からは程遠い知識だ。
また私たちの知識で思い込んでいることを、ヒューバートには外から、第三者視点で正して欲しい。
「教えても問題はない、けど。何も知らない貴方の、客観的な指摘こそが重要でもある。
少なくとも私は国や王家を揺るがす気はないのよ。『彼』との仲を正常にしたいだけ。
そして、それにはどうしても今の状況が必須なのよ」
レイドリック様との仲を元に戻すには、どうしても『悪役令嬢アリスター』のままだと難しい。
ヒロインがあれなので、これからどんどん悪化する可能性が高いわ。
だからアリスターとしては、彼に関わらないのが今はベター。
『アリス』の正体に気付かれなかった以上、ヒロインイベントを強奪することで、今の『私』でレイドリック様との仲を深めていく。
それにヒロインの悪意をアリスターに向けさせないようコントロールする事も出来る。
魔術授業ではそれが成功したんじゃないかしら?
アリスターとしてあの授業に出ていたら、面子を潰されていたのは間違いないんだもの。
「……理由は分からない、話せないとして」
「ええ」
「とにかく、あの女は、お嬢に害意があると。『家での』お嬢と言いますか」
「それは、たぶん間違いなくね」
「……で、気付いて、狙ったかということですが」
「うん」
「気付くほどの確信は、まだ得られていないと思いますよ。
疑ったとしたなら、あの魔法でそれを明らかにしようとしていたか」
「魔法で?」
「咄嗟に自分を守るためにお嬢が魔法を使ったりとかです」
「……ああ」
なるほど? 私の正体を暴こうとした?
ということは疑われてる? 何かヘマしちゃったかしら?
「これは、俺の考えに過ぎないんですが」
「うん。聞かせて。貴方の考え」
「……あれは、お嬢を疑っているんじゃなくて。お嬢を、いえ、『アリス』を疎ましく思ったんじゃないですか?」
「うん?」
どういうことかしら? 私は首を傾げたわ。
「『ピンクブロンドのアリスさん』を脅かしてやろうとしたってことです」
「え、なんで?」
「……可愛いかったから、では?」
「はい?」
え、なに? ナンパ? ヒューバートが? 私を?
「あの女、明らかに性悪ですよね?」
「え、まぁ、たぶん」
「だから『自分より目立っている可愛らしい女』が気に入らなくて、アリスさんを脅かしてやろうと考えたのでは?」
「え、ええ……?」
それはどうなのかしら。そんな乙女ゲームのヒロインがするには、あるまじき……。
いえ、転生者だし。人の婚約者を奪う女だし。
そんなものかしら? うーん。
「魔法を見せつけるのも目的だった。出来ればアリスター様にこそ見せつけてやりたかった。これは合ってますよね?」
「ええ。それは絶対しようとしていたはずよ」
「ですが、アリスター様は現れなかった。そのため、予定通りにいかず、彼女はイライラしていた」
「……うん」
「そんな彼女の目の前で『泡の魔法』を披露して、その可愛らしさで周りの男たちを唸らせる女が現れた」
「ちょっと」
変な装飾語が付いてるわよ。誰が周りの男を唸らせているのよ。
え、唸っていたの? 怖い。
「腹が立ったので脅かしてやろうと思った。自分にはそれが許される」
「あー……。それは思ってそうだわ。『自分にはそれが許される』って」
『私はヒロインなの! ヒロインより目立つモブ女なんて許せないわ!』みたいな。
この世界を自分が中心だと思っている系、イタイ子だわ!
「まぁ、そんなところなんじゃないでしょうか。ある意味で目は付けられましたね。
幸いクラスが別なので普段は絡まれないと思いますけど」
「うわぁ……」
やっぱり悪役令嬢とヒロイン。
変装していても相性が最悪の関係なのかしら!?
「お嬢。俺、少し楽しくなってきました」
「人の不幸を楽しんでるんじゃないわよ」
「それで? 次は? どうするんです? いえ、あの女や彼はどう動くと?」
「そうね。次は……」
いくつかのイベントが思い浮かぶ。
でも攻略対象9人中、8人分のイベントはスルーするわ。別にヒロインの邪魔もしない。
ヒーロー役の数を増やすことでゲームボリュームを維持していた原作乙女ゲー。
それは裏を返せば、個別イベント自体は割とイベント数が少ないということ。
そーんな少ないイベントで落ちる『チョロメン』たちということよ。
婚約者が居るのにヒロインに傾く男だけは論外ね。
「……生徒会」
「はい?」
「学期末考査の成績によっては、彼女は生徒会の補助役として生徒会に入ることが出来るの」
「……随分と先の話のように思いますが」
「それはそうなんだけど」
生徒会長は、王族かつ王太子であるため、レイドリック様が2年生から担っている。
いくつかのイベントをヒロインがこなした後、レイドリック様から生徒会への誘いが来るのよ。
これは、同じく生徒会役員の『宰相の子』ジャミルの好感度と『知性』を上げることで実現するイベントだ。
『高位令息ルート』に入るには必須のエピソードとなっている。
なにせ『近衛騎士』ロバートも護衛の関係上、生徒会に入っているから。
あとは『公爵令息』ジークが来年になって加われば完成よ。
そして、このエピソードもまた悪役令嬢アリスターの感情を逆撫でするエピソードなの。
なにせアリスターは生徒会には誘われないんだもの。
『公爵令嬢として生徒会入りは当然だと思っている』彼女は、レイドリック様が生徒会に誘わなかったことに腹を立てる。
そして誘われた『ヒロイン』レーミルに嫉妬か憎悪かの悪感情を向けるようになる……。
「……決めたわ。私の次の目標は『アリス』として生徒会に入ること!」
悪役令嬢アリスターのままならば、生徒会には誘われなかっただろう。
だけど、レイドリック様にも正体を疑われていない今の『アリス』なら!
「やってやるわ! ふふふっ」
私はヒューバートにそう微笑んで見せたの。
『昔の私』みたいに。子爵令嬢スマイルよ!