19 入寮
「どうかしら? リーゼル」
「……はい。お似合いでは、ありますよ」
「ふふ。そう?」
公爵令嬢を際立たせるための化粧を落とし、ほぼノーメイクの状態へ。
まだまだ若い肌に加えて、ゲーム上は絶世の美女枠の外見スペック。
そして顔と瞳の色に合わせたピンクブロンドのウィッグを装着して、制服を着用。
私は完璧に、ピンクブロンドのヒロインへと変身してみせたわ。
「綺麗な赤髪ですのに……」
「リーゼルったら、まだ言ってる」
ウィッグを着ける関係上、地毛の量を少し減らしたかったの。
だから令嬢として通用する程度に留めて髪を切ったわ。
貴族令嬢にとって長い髪は、かなりの価値を持っている。
それも公爵令嬢として色々とメンテナンスが惜しまれなかったシロモノだ。
専属侍女のリーゼルが、その髪を切ってしまったことに口惜しさを感じるのも無理はなかったわね。
「ふぅ……、ふふっ!」
鏡の前でスマイル。淑女の微笑みではなく、満面の笑顔。
ちょっと恥ずかしくも、なんだか解放感。
うん。髪色と合わせて自然だわ。
高位貴族の令嬢ウケは悪そうだけどね。あと貴族夫人からも。
「よし。完璧だわ」
「……無念です」
今の私の容姿に対して、正反対の感想を述べながら、私たちは屋敷を出発した。
一度、入学式のために学園に行き、そこから王都にある公爵家の屋敷へ帰宅。
化粧を落として、ウィッグを改めて装着し、手荷物を準備して。
そこから公爵家の紋が入っていない馬車を使って再び学園前へ。
護衛は付けられない。今から私は、子爵令嬢アリス・セイベルだもの。
公爵令嬢の恩恵の大半を封印することになる。
……不安はあるけど、やっぱり高揚感もあった。
こればかりは治安の良さに感謝よね。
もっと厳しい世界、国ならこんな手は考え付いてもダメだったはず。
乙女ゲーム世界特有の、ゆるふわな雰囲気だから許容されたのだ。
「行ってくるわ。リーゼル。またね」
「……はい。お気を付けて。本当に」
「ええ」
アリスターのままだったら、私は屋敷から学園に通っていただろう。
でも今日からは子爵令嬢として寮に入り、周りとの距離を測りながら過ごす。
大半のことは自力でなんとかしなくちゃいけない。
でも、その点は前世の記憶のお陰で抵抗感はないの。
だって一人で服を着たり脱いだり、身体を洗うのも普通のことでしょう?
前までの私なら困惑したかもだけどね。
恩恵があるとはいえ、あまり前世の記憶に呑まれないようにはしておきたい。
私が生きているのは、あくまでこの世界の、この国だし。
常識などが前世とぶつかるなら、優先するのは今世の常識。
そういうことには注意していくわよ。
侍女や護衛を連れずに、紋なしの質素な、それでも堅実な作りの馬車で再び学園の敷地内へ。
周囲に紛れるように馬車を降りて、何喰わぬ顔で私が入る学生寮へ向かった。
事前に荷物は届けてある。その辺り、何か前世の荷物配送みたいよね。
あ。ダンボールとか開発したら売れるかしら? 荷物配送でピンと来たわ。
マヨネーズだとか、醤油かけご飯だとかを開発するのは異世界転生の鉄板だった。
需要はありそうだけれど、食品関係は衛生問題その他、この国の食生活文化と噛み合うかにかかっている。
自分だけで楽しむ分にはいいけれど、あまりそちらに手を出すのは得策とはいえないジャンルね。
まず、白ご飯を恋しいとは今の私は思っていないし。
でもダンボールはあると便利じゃ……? うーん。
紙の貴重さは、この国では……そこまでじゃないわね。
流石、ゆるふわ乙女ゲーム世界の国。そういうとこは何とかなってるんだ。
そんな風に思考を脱線させつつ、あっさりと寮の前まで。
女子寮らしく、門がしっかりと構えられ、警備の騎士が立っている。
ここに通う者の中には貴族令嬢が沢山いる。平民もいるけれど……。
警備の責任は重いだろうな。
1人、2人の体制ではなく、交代の隙を突かれないようにか、一度に交代はしないのだという。
複数人で警備し、穴がないように順番で一人ずつ交代。
それも1日を3分割してチームを組み、それぞれの時間内を持ちまわして、集中力を切らさないようにしているのだとか。
人件費が莫大になりそうだけれど……。
まぁ、それぐらいしてもおかしくない場所ではある。
騎士団の駐屯地をあえて学園と併設しているのも、そういう考えなんでしょうね。
一応、門を閉ざしさえすれば、簡単には侵入できなくなるはず。
門限は一応ある。
でも大半が貴族令嬢であることを考えると、まず放課後に夜遅くになるまで外を出歩きますわー、とはならない。
魔石による街灯が発展していて、前世の都会ほどではないものの、夜道が明るいところは明るいの。
これは王都だからこそ、かしら。
それでもきっと日本に比べたら夜の闇は濃いわね。
「入寮します」
私は管理人室に挨拶に向かい、生徒手帳を見せた。
アリス・セイベルの物をよ。ふふ。偽造身分書……ワクワクする響きだわ。
一応、嘘は吐いていない体でもある。
私は間違いなくセイベル子爵令嬢として認識され、その際には愛称の『アリス』を名乗るだけ。
爵位を複数持つ者が継ぐ爵位によって名乗る名を変えることもあるのだ。
かつ、私のこの行動は国王陛下と公爵がゴーサインを出したもの。
だから大手を振ってアリス・セイベルを名乗れるのよ。
「はいよ。お疲れ様。今日からよろしくね。私がここの管理人、カルメラだよ」
「カルメラ様ですね。私はアリス・セイベルと申します。これから3年間、よろしくお願いします!」
元気よく挨拶する私。お淑やかにじゃなくね。
「まぁ、元気がある子だね。ここには色んな身分の令嬢がいる。分かっていると思うけど、寮生活の中だって気を付けなきゃダメだよ」
「はい! ありがとうございます!」
ニコニコ。気分は田舎から都会に出てきて夢いっぱいの若者よ。
カルメラさんからは私の部屋の鍵を貰ったわ。スペアキーと合わせて2つ分。
掛けてくれた言葉からして、管理人のカルメラさんは私を平民か、田舎の下位貴族の出か何かだと思ったのだろう。
学園には寮がいくつかあり、侯爵家や公爵家の高位令嬢は、こことは別の寮へと入るものだ。
私が入ったこの寮は、子爵家・男爵家相当。
時に裕福な平民と、それから伯爵令嬢もチラホラ、といった混沌としつつも一般的な女子寮ね。
身分差問題に実家の力関係が強く影響しがちなこの世界。
学力試験をパスした優秀な平民たちの一部には、また別の寮もある。
そちらの方がお互いに気を遣わなくて済むからだそうよ。
違う寮に入る基準は、やっぱり価値観というか金銭的な事情も多いわね。
家計の苦しい貴族子女がそちらに入ることもある。
高位貴族の高級寮、幅広い中級ないし一般的な寮、そして金銭的に苦しい方向けの普通寮。
そんな感じの分け方となる。
なんとも世知辛くはあるけれど、普通寮は別に本当に普通の女子寮だと思うわ。
殊更にその寮に入った者たちを見下すような、ボロボロの寮とか、そんなのではない。
前世の記憶を持っている私からすると、そちらの方が馴染みがあったり?
私の入る寮の方は……そうね。
前世風に言うとオートロックの付いた、女性が一人暮らしするのに最低限の設備が整えられたマンション、みたいな。
値段的には少し高いけど安心を買うにはやっぱりこっちよねー、と選ぶタイプが私の寮。
金銭的にも治安的にも別にこっちで良くない? で選ぶのが普通寮ね。
『ヒロイン』レーミルは、どの寮に入るのかしら?
同じ寮だったら正直、嫌だと思う。
ケーニッヒ男爵は、これといって奮った家門ではないはず。
順当に考えれば、こちらの寮ではなく普通寮に入ると思うけど。
転生者だとしたら何かしらの商材で一稼ぎしていたり。
そんなに目立った商品やサービスあったかしら。
衛生観念や、文明の発達具合がそこそこあるせいで気付かなかったかも。
「……ここが私の部屋」
ドアの鍵については、どこの世界も似たようなものなのね、と何だか感慨深く思う。
鍵を回して部屋の中へ。中には箱詰めにされた私の荷物が届いていた。
荷解きをして部屋に広げれば、私は一国一城の主。
部屋の広さは、それなりにあるわね。公爵家の屋敷の自室には比べられないけど。
前世基準だと、きちんとした広さがあるわ。
そうね。家族で泊まれる旅館の部屋程度の広さかしら?
トイレ、そして個人用のシャワールームまである。
異世界にしてはもう、この。なんていうか。現代チックとしか言いようがないわ。
大浴場とかじゃないのねぇ。
やっぱり、この国の歴史上にも転生者が居て、色々と開発してくれたとかじゃないかしら。
あと様式を考えると西洋風でもあるし、微妙に現代日本風な気がする……?
これが乙女ゲーム世界の裏側。色々と生活環境が現代レベル。
よく考えると制服とかも、かなり現代風じゃない?
いえ、シンプルというか可愛らしい制服なんだけど。
公立のよくある制服じゃなくて、私立の特別なデザインの制服、みたいなのよ。
お陰でドレスよりも過ごしやすいけどね。
普段着とかは流石にこの国風で、現代日本のカジュアル系からは程遠い。
でも、逆にこっちの普通の服が可愛いく感じたりもするわ。
こんな衣服文化なのに夜会の場ではドレスなのよねぇ……。
なにかしら、このチグハグ感は。独自に発展し過ぎじゃない、この国の文化。
「さて、荷解きしなくちゃね」
ウィッグの扱いと管理は慎重に。
誰かを部屋に招くことは極力避けるけど、パッと見で見つからないようにしなくちゃよ。
前世のウィッグは、確か1年かそこらは保つものだったはずだけど。
こちらの国のウィッグは、そこまでじゃない。
ヒューバートとは一ヶ月スパンで会う予定だった。
1ヶ月で、このウィッグはダメになるってことかしら?
けっこう丈夫そうなのだけどね。
ただ自然の髪の毛に感じるほどの品だから、この品質を維持する期間が凄く短いのかも。
「……あら?」
荷解きをしていた私は、ある物が荷物に入れられていることに気付いたわ。
それは。
「……手紙?」
お父様やお母様かしら? 私は差出人を確認する。
「まぁ?」
差出人には、意外な人の名前が書かれていたわ。
「ヒューバート?」
どうして彼からの手紙が私の荷物に入っているのかしらね?





