18 ヒロインの入学
「……来たわね」
学園に入学する者たちの生徒名簿を、公爵令嬢の立場として手に入れた。
そこには、やはりというか。その名があった。
レーミル・ケーニッヒ。
黒髪の男爵令嬢。ケーニッヒ家の、おそらく庶子。
ヒーローたちと同様にヒロインもまたこの世に存在していた。
いよいよ確定的にこの世界が、そういう世界だと突きつけられる。
彼女が一体どのような人物か。
それによって私のこの先の学生生活が、果ては人生がどのようなものになっていくか。
大きく変化するのだ。
「シナリオ通りの純粋なヒロインならって、そう思うけど」
でも、そもそも婚約者のいるレイドリック様に近付くような女と考えると……。
どうあれ彼女が殿下に近付こうとする限り、私にとっては害悪に変わりない。
実際どうなのかしらね?
私が転生者である以上、他に同じような人間が居てもおかしくはない。
その人物は、現段階の私の情報からすれば、憑依した悪霊ではなく前世持ちの当人だと思うわ。
かといって、こんな不可思議な現象が、そこかしこで起きているとは思いたくない。
誰も彼も転生者なんて混乱どころの騒ぎじゃないし。
でも私という前例がいるのだから。
案外、この微妙にぬるい制度の王国は、そういった転生者が作った文化だったりする?
衛生観念とかは、しっかりしているものね。
とはいえ、この辺りは今、考えても仕方ない話。考えたって結論は出ない。
答えが出てから結果論で、かつての私を責めたって仕方ない。
今この時にやれることをやるだけ。
意外とヒロインがゲームより大人しい人物の可能性だってあるのだし!
どんな人物であれ、基本は関わり合いにはなりたくないけどね。
私の立場からすると。
そうして、いよいよ運命の入学式。
物語が始まる、ゲームのスタート地点へ。
乙女ゲームの始まりは、あくまで学園へ入学することから始まるわ。
メインヒーローという概念はないため、それぞれの男性にヒロインが出会っていくのは、入学式の翌日以降。
入学式は『オープニングシーン』ね。
挿入歌と共に攻略対象のキャラクターたちのビジュアルが明かされるオープニングテーマが流れる。
つまり現実だと、特に何事もなく入学式が済むだけよ。何もイベントらしいイベントはない。
そしてゲーム部分がスタートする。
主に授業が始まる前の午前の時間。
昼休憩の時間。
そして放課後の時間。
1日3回の行動選択ポイントがあるわ。
そこで、どこに向かうか、どのイベントが発生するのか決まり、行く先々で選択肢が発生。
その選択肢次第でヒーローたちの好感度が変化し、また各種のイベントポイントが増減していき、ルートフラグを立てていく。
たぶん3回の行動選択以外は、普通に授業を受けている設定なんでしょうね。
自由時間となる1日3回のタイミングでヒーローと出会うの。
『何もしない』という実質、行動スキップする選択もあるのだけど……。
そうすると最速でノーマルエンドに突入したりする。
……ちょっとそれも興味あるわよね。
現実だと、その処理はどういうことになるのだろう。同じクラスの男子と仲良くなる?
私がヒロインとして生まれていたなら、無難にノーマルエンドを目指すかも。
この立場で何をと思うかもしれないけど。
だって、あまりにも攻略対象者たちの癖が強過ぎるもの。
男爵家の庶子として生まれて、王太子、公爵令息、侯爵令息、天才などなどに手を出すのは、ちょっと。
前世一般人の私のメンタルではやっていけない気しかしないわ。
それを考えるとヒロインのメンタルって強いわよねぇ……。
遠い目をしながら、私は公爵家の邸宅から馬車に乗り、王立学園を目指す。
馬車に乗って通学する者も多いため、正門から入らない子もいるわ。
歩いて通っている生徒たちが正門から入り、馬車組は指定の馬車停め……、前世的に言うと駐車場? がある場所へ。
そこから学園内に入る門を通っていく。
また、通う生徒たちの関係上、生徒が入るいくつかの『学生寮』があるの。
貴族と平民や爵位の関係で、男女以外でも別けられている寮よ。
王国の各地の貴族子女も通う学園だから、領地から来ている生徒たちは寮に入るのが通例ね。
私のように王都に屋敷を有している者は馬車や徒歩で通うわ。
まぁ、私も明日からは学生寮に入るんだけどね。
セイベル子爵令嬢のアリスとして。ふふ、楽しみだわ。
私は、まずアリスター・シェルベル公爵令嬢として入学式に参加する事にした。
赤い髪を印象付けるように、かつ生徒として逸脱しないように。
化粧は不自然じゃない程度に強め。
美人の顔に厳しさを感じさせるようなメイクをして貰ったわ。
より高圧的な雰囲気を。まさに『悪役令嬢』と見られるように。
赤髪の美人。近寄りがたい高位令嬢。
かつ無口で、あまり人を寄せ付けないような。周囲にはそう認識して貰う。
こっちの方が普段の私のはずなのに、何故かこっちの方が変装じみたものよ。
愛しい人に向けるような可愛らしい笑顔は封印中。冷たく、他を圧する空気感を纏った。
その印象を強く周りに見せつけてこそ『アリス』とのギャップが深くなるのだから。
「新入生の皆。よく来てくれた。私はレイドリック・ウィクター。この国の第一王子だ」
あら。レイドリック様、新入生の歓迎の挨拶をされるのね。
そんな話、聞いていなかったけど。
婚約者にそういうことぐらい伝えてくれてもいいのにね。
本当に以前とは変わってしまったのだと痛感する。
些細なこととはいえ、入学式の挨拶なんて、するのなら手紙を頂けていたのに。
前世で言うなら恋人にメッセージを送って報せるぐらいのこと。
前方の席に座っている私の姿はレイドリック様の目にも映っているでしょう。
まだ今の段階では、きっと。彼は、他の誰かに恋していないはずだから。
じっと演説をする彼から視線を外さずに見つめ続けた。
「……以上。この学園は新入生の君たちを歓迎する」
レイドリック様の歓迎の挨拶が終わるとパチパチと拍手が起こった。
王族自らの挨拶だ。身分制度のあるこの国では、とても有難いことのはず。
そして、礼をしてから去っていくレイドリック様は、私の方には一度も視線を向けなかった。
チラリと、こちらの様子を窺う様子すらもなく。
私は、まさしく『その他大勢の一人』でしかなった。
……この反応もきっと、何も知らないままの私だったら残念に思ったのでしょうね。
知らぬ間に疎遠になっていき、茶会の席に現れず。
会ったとしても冷たい態度を取られて。
自分が何かしてしまったのではないかと自問自答して、落ち込み。
入学式で彼が挨拶をするなんて、と驚いて。
最前列に座る私は、せめて目が合わないかと、彼を見つめて。
だけど無視されるように、彼は一度も私を見ない。
そういう場ではないのだからと私は落ち込みながら、自分に言い聞かせて。
……それで、この後はどうするのかしら。何も知らなかった『私』は。
きっと『歓迎の挨拶、素敵でしたわ』と言うためだけに、わざわざ彼に会いに行ったはず。
一目だけでも見たい、最近では言葉も交わせなかったのだから尚の事。
そう思ってレイドリック様に会いに行って、その先で。
……他の女を侍らせている彼を見つけるのね、きっと。
それは初めて目撃する、心構えできない衝撃の光景なのだろう。
そこで私はショックで言葉を詰まらせてしまって。
さらに冷たい態度で追い打ちをかけられるのだ。
周りの女たちは、私を嘲笑うように。何かを聞かされている男たちは、私を蔑むように。
私を見てきて、にやにやと笑われて。
居た堪れなくなって逃げ出すように『私』は彼の元から立ち去るの。
そして、それが悪役令嬢の学園生活のスタート。
「ふ……」
やだわ。完璧に想像できてしまった。
これ、私の妄想よね。妄想に過ぎないはずなんだけど。
たぶん現実でもそうなるんだろうなぁ、って予測できちゃうの。
……まぁ、現実では私から会いには行かないんだけどね。
『アリスター』としてはレイドリック様を徹底的に避けるわ。
前回の席での態度から、私のまま行ってもどうせ、けんもほろろに違いないから。
まだ今の想像だって確信はない予測に過ぎない。
乙女ゲームの運命とレイドリック様やヒロインの思惑。
それらを『アリス』として探って確度を上げて動きを決めるわ。
入学式が滞りなく終わり、新入生たちは、まだ気持ちの昂りを抑えられない様子。
同年代の友人たちがいる生徒たちは寄り集まり始めて。
長く居ると巻き込まれるわね。
もちろん私にも付き合いの長い友人はいるけれど。
前世の学生の友人と比べると、どうしても身分の上に『王太子の婚約者』という立場が付きまとう関係。
このタイミングで、どうしても話さなくちゃいけないほどじゃないわね。
私は、さっさと学園から出ることにした。
もちろんレイドリック様のところへは向かわないわ。
なにせ私、今日の内に『アリス・セイベル』として学生寮に入らないといけないんだもの。
「……ん」
その時。私は、視線に気付いた。
間違いなく私を凝視している目。
女子生徒、新入生の一団の一人よ。
その女生徒は、黒髪で黒い瞳の。
……あの子ね。
レーミル・ケーニッヒ。私を見ているなんて。
「…………」
じっと、私の様子を窺うような彼女の視線。
憎悪とか、恨みとか、そういうのは込められていないけど。
如何にも警戒しています、って感じの雰囲気ね。
じゃあ、やっぱり彼女は私と同じように記憶がある?
想定内でしょう。
この段階で、天真爛漫に周囲にキラキラと目を光らせるでもなく、私に目を付け凝視するなんて。
……ヒロインも転生者。その可能性が濃厚だ。
私は、想定していたわよ、そのことを。だから。
「ふふ」
「……っ!」
私は嫌味にならないように困惑気味の、視線が合ったから曖昧に微笑んで返して見せた……というようにヒロインに微笑みかけたの。
彼女に実際どう見えるかは分からないけれど。
少なくとも見た目は『何も知らない女からの邪気のない笑顔』のはずよ。
「……!」
私が微笑み返すとレーミルは、さっと視線を逸らして去っていった。
男爵令嬢、それも最近そうなった庶子の立場で、公爵令嬢の動向を探るのは難しい。
だから学園に入ってからの私の挙動を見て、私が転生者かどうかを探りたかったはずだ。
あちらからするとゲームスタート時点の今日からが勝負よね。
……うん。さっさと帰りましょう。そして『変身』する。
次にアリスターに戻るのは期末考査の時よ。
寮に入るため、ここからの私には公爵令嬢としての助けがほとんど使えなくなる。
使い難くなる、の方が正しいわね。
助けのない、身ひとつ、下位貴族令嬢としての……新しい学園生活が始まるわ。