17 優先したもの
「うふふ」
「本当にやるんですか? アリスターお嬢様……」
「ええ! もちろんよ!」
めでたく国王陛下の許可を得たわ。
学園に在籍する身分として、正式に『セイベル子爵令嬢』を捻じ込んでいただいたの。
やっぱりアレよね。
王家の影を付けて監視していただいても構いません。
目的は不貞ではなく、レイドリック様の篭絡。
……っていうところが効いたと思うわ。
陛下からすれば、私が殿下を篭絡しようとすることは悪い話じゃないもの。
それにお父様が同席した場での話。
この提案を拒むということは、疑わざるを得ないとも言ったの。
『他の有力家門、公爵令嬢や侯爵令嬢を見繕うために殿下の行動を放任していると見ても?』と。
……だってねぇ?
他ならない私がレイドリック様と近付こうと策を練っているのに。
それを拒むのはおかしいもの。
正攻法で挑めばいい、というのは、陛下の若かりし頃が仇となったわね。
高位貴族の令嬢の貞淑さよりも、下位貴族の令嬢の奔放さの方が好ましい時期。
そうではないか、っていうアレ。
お心当たりがありそうだったのが、本当にもう……。
じゃあ、王妃教育なんてこの時期に施すんじゃないわよ、って話じゃない?
まぁ、王妃教育と言っても王家の影について詳細を知らされていないように、まだ取返しがつく範囲でもある。
私も自分の学んだ知識を検証してみたけれど、やっぱり婚約が解消されたとしても、囲い込まれなければならないってことはないと見做したわ。
それこそ私の年齢の者に、おいそれと教えるわけにはいかない、という判断なのかも。
聡明な令嬢だと思われていようとも、この時期には恋に溺れることもある。
前世、話に聞くような西洋の前時代の貴族社会とは、やっぱり微妙に違うわよね。
ゆるい、ぬるい、何かがあるわ、この世界。この国。流石の乙女ゲーム世界……。
私の世代の恋愛事情に寛容なのよ。
魔法の発展に衛生観念の発展と、様々な部分が大きく異なるのだから当然かしら。
「入学時、定期考査。他は特殊なイベント関連。それ以外の私は『アリス』よ、リーゼル。
アリス・セイベル子爵令嬢。それが私。ふふふ」
ピンクブロンドの子爵令嬢、アリス・セイベル。
それが私よ。
そして私は乙女ゲームの知識を使ってレイドリック様を篭絡して見せる。
彼の態度は許せないけれど、致命的なことは『まだ』していないもの。
女生徒たちを侍らせているみたいだけれど、その内の誰それと口付けを交わしたとか、どうだとかもなし。
私も別にエスコートをされなくなったとか、夜会で放って置かれたエピソードはなし。
たぶん、それらはこれから起きることかもしれないけど。
現実の今の段階では、まだまだだもの。
だんだんと彼の気持ちが離れ始めた。そんな時期よ。
だから、これから私はレイドリック様に思い直す機会を促していくつもり。
引き返せる内に引き返してくださるのなら……ええ。
私は、もちろん彼を受け入れるわ。お慕いしていた気持ちは事実なのだもの。
でも逆に……本当に、ゲーム世界のように私を裏切ったなら。
その時は私も心を決める。
「アリス様ですか。ええと、どうされるおつもりなのですか?」
「どうって?」
「……たしかにお嬢様は、昔は奔放でいらっしゃいました。ですが今や同世代の中では立派な淑女の鑑。他家のご令嬢をお見掛けすることもありますが、やはり抜きん出てお美しいのがお嬢様です」
「やだ、リーゼル。私にお世辞を言ってもどうにもならないわ。嬉しいけど」
「お世辞?」
「あら」
心外とばかりの表情を返されてしまう。本気で言っているのかしら。
いや、でも待って?
そうよね。乙女ゲーム世界では悪役令嬢アリスターは設定上、物凄く美女設定だった。
悪役だもの、ある種の華が必要だものね。
勝って当たり前の相手を敵にしても意味がないというか。
ヒロインが男性と結ばれてエンディングを迎えるわけで、その『踏み台』になる女が美しいほど、ある種の爽快感が……。
「……もしかして私って、かなりイケてる方かしら」
「イケテルとは何ですか?」
「いえ、うん。うん……」
まずいわね。前世の記憶に毒され過ぎてる?
きちんと、この世界の貴族令嬢でいられるかしら、私。
「とにかく。お嬢様に下位貴族の令嬢のフリなんて今更できますか?」
「それはたぶん、出来ると思うけど……」
前世の記憶のせいで一般人・平民根性はきちんと根付いたもの。
少し前の私ならともかく、今の私なら別に。
着替えだって一人で出来るし、贅沢な生活じゃなくても、ある程度なら耐えられる根性が備わっているはず。
ただ前世の現代日本は、相応に豊かな国だったはずだから……。
こちらの世界の平民の辛さに比べると厳しい?
「学園では魔術を重点的に学びたいわね」
「魔術を? お嬢様も若い頃から励んでおられたかと」
「そうなんだけど」
悪役令嬢の生来のハイスペックさか、私の魔力量は平均よりもかなり多い。
また攻撃系魔法もかなりハイレベルに修められるはず。
とはいえ、今の段階の私は暴走させないように魔力のコントロールをメインに学び、初級と分類される簡易魔法を使える程度。
乙女ゲーム世界のゲーム部分よろしく、本格的に伸ばしていくのは学園に入学してからの予定だった。
前世の記憶がもっと早くに芽生えたなら、さっさと魔術の修練に明け暮れたかもしれないけど。
流石にもうそんな時間の余裕はない。
それに初級の魔術とは言ったけれど、出力の違いからか、それだけでも強力な攻撃魔法になったりする。
護衛も常に付いていたので概ね問題はなかったのよね。
魔法は生活基盤にもなっていることから平民にも使える者は多くいる。
とはいえ、やっぱりそこは貴族社会だからか。
貴族の方が魔法の力は強めに生まれがちなの。
この世界、この国の歴史的に言うと、おそらく魔力が強い者が他を支配してリーダーになっていき、国を興していったのでしょう。
男尊女卑ではなく『高魔力尊・低魔力卑』の文化が少なからず残っている。
それも形骸化しているけどね。
爵位という制度が導入され、貴族と平民が明確に別けられてから幾年月。
そこにあるのは、ただの身分制度のある国なのよ。
「あっ」
「はい?」
そこで思い出した。それは乙女ゲームのイベントの一つ。
初回の魔術披露の授業において、ドヤ顔で高威力の初級魔法を披露する私。
当然、周囲の学生たちもほぼ同じレベルだったから、そこで抜きん出ていた私は称賛されたワケだけれど……。
私のすぐ後に、ヒロインであるレーミルが魔法を披露したの。
彼女の披露した魔法は、初級ではなく中級に分類される魔法だった。
1学年では、如何にも突出したと一瞥で分かる魔術……。
当然の如く、その学年で一番凄いのはアリスターではなくレーミルだ、という話になったわ。
私の魔法は『下の上』であるのに対し、ヒロインの魔法は『中の下』みたいなもの。
それでも見た目の派手さ的には、中級魔法の方が派手で……目立つ。
ヒロインがどうしてそんな空気の読めないことをするのか。
それは『魔塔の天才児』の登場フラグを立てるためよ。
ヒロインの魔法の才能が秀でていることに興味を持った魔塔の天才が、ヒロインの前に現れる。
そして悪役令嬢アリスターは、自信を持っていた魔法の才能でコケにされたことで嫉妬心を燃やす。
周囲からは、下位令嬢に負けたと失笑されて余計に苛立って……。
「ふぅ。危なかった」
「何がですか? 大丈夫ですか、本当に」
「いえ、こっちの話よ」
『正攻法』で破滅回避をしようとして、このイベントを潰すなら。
やっぱり事前に魔術の修練を進めておき、ヒロイン以上の魔法を使って派手さで勝つ!
そういうのがベターだったわよね。
生憎と今の私では準備期間がもうないから、その手は使えない。
『ヒロイン』レーミルの悉くを才能で上回るのは気分がいいかもしれないけど。
でも、私がやるのは悪役令嬢側からのアプローチじゃない。
加えてレイドリック様以外の攻略対象と深く関わる気もないわ。
だから『魔塔の天才児』のフラグを立てる必要はゼロ。
このイベントも注目を浴びる『王太子の婚約者』ポジションじゃなく、一介の下位令嬢として挑むことになる。
……うん。悪くないわよね。
公爵令嬢として誇り高く振る舞うべき場面なのも分かるけれど。
以前までの私なら、迷いなくそうしたはず。プライドがこんな手段を許さなかった。
でも、その振る舞いこそが足元を掬われる原因で。なんとも意地が悪い運命だと思う。
前世の記憶があるからこそ、人々は『弱者』の味方をしがちなことを理解している。
それさえも捻じ伏せてこその、身分ある者かもしれないけれど。
乙女ゲームのシナリオは、ヒロイン側に都合がいいように出来ているのだ。
健気な姿こそがウケが良くて。
周囲の女性からは顰蹙を買っていても、最終的にはそれで勝った者が……。
それに。試しておきたいのよ、私。
レイドリック様が『昔の私』に心惹かれるかどうかを。ヒロインとしてではなく。
高等教育を受ける前の私のことを、彼が本当に好いていてくれたのか。
それが知りたいの。それこそ、これは私の、女としてのプライドの問題……だと思うわ。
恋心に決着を着けておきたい。
でなければ、華麗に破滅を回避したところで……私の胸には後悔が残る。
高貴で誇り高い道を選んだ結果、彼だけが破滅したら。
どうして私は可愛げが足りなかったのだろうと。その選択を選べなかったのだろう、と。
そんな風に振る舞っていれば、彼との未来が繋がっていたかもしれないのに、って。
そんな後悔が残ると思うの。
だからこそのヒロインへのなりすまし作戦。
結局、私が優先したいと思ったのは公爵令嬢としての誇りなどではなくて。
一人の女としての……恋心と、自尊心。それなのだ。
「ふふ。私は本当に」
悪役令嬢でなかったとしても。未来の王妃には向かないのでしょうね。