13 変身
「別人になる、ですか?」
「ええ。ヒュー……、いえ、カリオス様」
私は再び『エルミーナ』を訪れていた。
専属侍女のリーゼルを引き連れて、応接室には彼女とだけ入る。
護衛は開けたままの扉の、少し先に待機して貰ったわ。
「それはまた。もちろん構わないのですが」
『何故』という興味は抱いたようだけれど、ヒューバートは、その好奇心を押し殺した。
貴族が望む事情なんて知っていいことはないのは確かだけれど。
ヒューバートの場合、情報収集をするのも接客業を続けている理由ではないのかしら?
「ええ。可能でしょうか? 髪の色と、それから化粧を変えれば、かなり『別人』になれると思いましたの。エルミーナの疑似毛髪は、とても素晴らしい出来ですもの」
推察するに、おそらく彼らもまた、時には別人になって行動するのでしょうし。
ウィッグは、そのための小道具のはず。しかし、それは彼らの商売道具でもある。
ウィッグ単体ではなく、別人に見せるほどの技術そのものがだ。
王家の影は、あくまで王家に仕えるもの。
たとえ未来の王妃と言えど、所詮はまだ王子の婚約者に過ぎない身の上。
門外不出の技術であれば、悪戯に広げたりはしたくないだろう。
だからこそ以前は、あんな簡易の契約書を書かせて私に制限を掛けたのだろうから。
「もちろん。私共は、シェルベル嬢の要望にお応えしますよ」
ニコリと微笑んだカリオスことヒューバート。でも。
……ああ、これ。営業スマイルだわ。
そもそも、私の事情や考えを伝えていないのだから当たり前か。
適当に満足させて売上を伸ばせればいいか、みたいな空気。その態度は妥当なんだけどね!
でも、どう伝えればいいのかしら? 不用意な発言はしたくない。
ただ、今の段階ならお試し程度でもいい……?
「この赤髪を疑似毛髪で隠すことは出来る?」
まず、そこを確認する。
地毛が、もっと薄い色素の髪色なら悩まないけれど、生憎と私の髪の毛は薔薇のような赤色。
彩色も甚だしい。
前世の特殊メイククラスであれば『肌』の被り物のようなものが先に出来るかもだけれど。
「赤髪を隠すなら、銀や白などだと目立ちそうですね」
「そうよね」
銀髪のウィッグを被った場合、微妙に透けて地毛の赤髪が見えそう。
となると、赤を打ち消せるような濃い色合いの青とか、緑とか?
「少しお待ちください。在庫の中からいくつか出しますので、試してみましょう」
「ええ。お願いするわ」
疑似毛髪は、王都だとこの『エルミーナ』でしか取り扱っていないはず。
商人を呼び出して買うのが主流の公爵家だけど、お店に出向いて買い物をする方が、やはり楽しい。
……ちょっと感覚が前世に引き摺られていそうね。
買い物の楽しみというものがある。お店だからこその発見もあるものだ。
それに公爵令嬢という立場だからこそ、店の奥で店主と高価な取引をする……。
これも当然と思いながらも、どこかワクワクと高揚した気分もあるわ。
そうして、ヒューバートの手によって目の前に並べられていくのは、カラフルなウィッグの数々だった。
前世基準だと、まぁコスプレにしか使えなそうな色合いばかりよ。
でも、普通に居るのよね、地毛がこの髪色の人たちって。
「リーゼル。見て貰える? 赤髪が隠れるのがいいの」
「かしこまりました。お嬢様」
私は、侍女リーゼルの手を借りつつ、応接室に用意された大鏡の前に立つ。
……鏡もけっこう高価よね。このサイズは、普通に前世でも高いかしら。
日本で知っている鏡とは微妙に差があったりする。まさに他国の技術で作られた鏡。
まぁ、それも『当然』と思って過ごしてきたのだけれど。
前世に引っ張られないように気を付けつつ、私はカラフルな疑似毛髪を楽しんだ。
うーん。我ながら美形な顔のせいか、どの色でも十分。
流石にカラーコンタクトまではないらしく、瞳の色は隠せないから……。
私の赤い瞳に似合う色が一番ね。そうすると青はちょっと厳しいかしら。
これもコントラストが効いていて、案外しっくり来たりして。
ガラリと印象を変えたいのよねぇ。
あと、それでいて……冷たく感じさせない色合いがいいわ。
レイドリック様が好むであろう雰囲気、昔の私に似合っているような。
「あっ」
「次はこの色ですね。どうぞ」
「え、ええ」
木製のマネキン、というには無骨な『ウィッグ台』から取り外されたのは……。
「……ピンクブロンド」
桜色のウィッグ。前世の記憶が、その色に何とも言えない反応を示した。
乙女ゲームが大量に量産された時代。
ヒロイン役の髪色も様々ではあるけれど、好んで使われる傾向があった色がある。
それは黒髪と金髪と、そして……これだ。
ピンクブロンド。
可憐な印象、可愛らしい印象を見せるその色は、数多くの人気キャラクターの髪色として設定されてきたものだった。
ただし、こと、乙女ゲーム界隈に関しては違う意味合いを持ってくる。
正統派ヒロインタイプのシナリオから、悪役令嬢タイプの高貴で才能のある女性が主人公として好まれる流れが強くなった時。
ライバルとなる意地悪なキャラクターに、よくこの色が採用されたのだ。
高位貴族の高慢な嫌味っぷりを体現するのではなく。
下位貴族の庇護対象を装った、男受けだけを追求した女性像のキーカラー。
真っ当なキャラクターたちからすれば、風評被害も甚だしいのだけれど。
可愛らしさや弱者性を武器にして主人公を陥れるタイプに、よくピンクブロンドが採用されたっけ。
正統派なヒロインが主人公サイドの物語だと、やっぱり黒髪や金髪の方が多かった気がする。
読者の分身キャラクターだものね。
「お嬢様? 遠い目をしていらっしゃいますけど」
「あ、ああ。うん。少し思い出がね」
「はぁ。思い出ですか」
私は誤魔化しつつ、そのピンクブロンドのウィッグを手に取った。
桜色のそれは、私の赤髪が透けて見えた時に誤魔化すには丁度いい色合いだと言える。
木を隠すなら森の中ではないけど、同じ赤系統のピンク。
瞳の色の赤とも調和し、他の色合いよりも、よっぽど私に似合っていた。
「……似合ってるわ」
前世の記憶を思い出したことで、どこか自分を客観視する自分がいる。
その『私』からすると、これは十分に美少女系と言えなくもない、はずだ。
「とても可愛らしいですよ。シェルベル嬢」
ヒューバートがウィッグを着けた私をそう褒めた。
「そう? 似合っているかしら。というよりも不自然じゃない? 他人の貴方からの厳しい評価が知りたいわ」
変装の達人? かもしれない彼に評価をお願いする。
彼の目に適うのなら及第点よね。
「はい。とてもお似合いです。別人のようになられたかと」
「本当に? お世辞抜きの辛口評価が欲しいわ。改善点があるなら改善していけばいいのだし」
私は、真剣な目をしてヒューバートに評価を求める。
「完全に別人だと思われたいのよ」
「……完全にですか?」
「ええ。ただの気晴らしじゃなくてね。そして内々だけれど、この疑似毛髪で別人に変身した私を、陛下やお父様に見せたいと思っているわ。もちろん簡易とはいえ契約がある以上は、貴方の許可を得てからの話だけどね」
「陛下と公爵に?」
「ええ」
勝手なことを、と怒られるかしら。彼の家の商売道具ですものね。
「それは厳しく見定めないといけませんね」
特段怒った風でもない、むしろ好意的な返事。
でも正体を想定しているせいか、どこかヒヤリと背筋が震えてしまうわ。
こうして話しているだけでも様々な情報が知られているのかしら?
別に私は知られて困ることは……いえ、ヒロインに彼が絆された場合は、その限りじゃないわよね?
それもこれもヒロインの出方次第。
そう考えると攻略対象にこんな風に手の内を晒すなんて悪手かしら。
恋は盲目と言うし。
でもヒロイン・レーミルがヒューバート狙いで来るなら、それこそ敵対する意味はないと思うのよね。
転生者でなかったとしても誰かと順当に結ばれておかしくないはず。
(そう言えば、このお店。別にヒューバートルートにあったお店じゃないわよね)
どこかにチラリと出ていたかしら?
ヒーロー役が出てこない場所は、物語の性質上、雑に流されていてもおかしくない。
『王家の影』というキャラ属性のお陰か、寡黙な印象のヒューバート。
出会う回数が増えることで段々とヒロインに絆されていくのよね。
単純な接触回数が攻略の条件となるキャラクター。
でもヒーロー役が9人も居るゲームのため、彼に出会う回数を増やすことは、イコール他のキャラクターたちと出会う回数が減るということになる。
共通ルートからの分岐と言ったけど、共通ルートも分別すれば大きく別れるのよ。
たとえば、王太子、近衛騎士、宰相候補、公爵令息。
この4人を攻略するために選んでいく選択肢が似通っているため、途中までは同じ『セーブデータ』で攻略できるわ。
だから、ある意味で共通ルートの中でも『高位令息ルート』と言える。
大司教の子と魔塔の天才児は、教会と魔塔が関係してくる、ファンタジー要素強めの『ファンタジールート』ね。
その関係で、この2人のエンドの場合の悪役令嬢アリスターは本当に魔王みたいな動きをする。
流石にその知識のある私はそんな事しないと思うけど。
少しだけズレるけど大商人ルートは、高位令息ルート寄りで魔塔と教会にも絡む。
重要なのは各種商品の取り扱いで、満遍なくグッズ関係に関わっていく事が攻略のコツよ。
王弟殿下ルートは9つの中でも特殊ルートに近い。
なにせ学園で出会う回数が少ないのだ。
極めて特殊な立ち回りをして、彼のルートを引っ張り出す必要性が出て来る。
ある意味で王弟殿下ルートが隠しルートかしら……? 難易度が高いという意味で。
他8人と比較するとヒューバートのルートは、パッとしないものとなる。
攻略を分かっているのなら容易に辿り着けるけど、好みだけで突っ走っていると、人によっては辿り着けないルートとなっていた。
高位令息ルートの華やかさ、ファンタジールートの派手さに比べれば、かなり地味で、実はプレイヤーからの人気も低い。
本人を前にして考えることじゃないけど。
王弟ルートが特別仕様だと考えると、ある意味で一番ノーマルエンドに近いのがヒューバートエンドだ。
ヒューバート攻略に対する仕様が、ちょっと『謎解き』に近いからなのよ。
彼を攻略したい場合、『ヒーローを射止める』というゲームの前提から外れた行動を取る必要がある。
本格的に関わるために、舞台の裏で起きている事件に興味を持って立ち向かうルートになるのだ。
散りばめられた謎や伏線に反応し、選択肢のあるタイミングでは『男性の好む行動』ではなく、『事件の真相を追う』姿勢が大事になってくるわ。
暗殺者キャラじゃなくて諜報機関のスパイキャラだものね。捜査官的な存在なのよ。
他のヒーロールートと勝手が違うため、ヒューバートルートからノーマルエンドに行ってしまうプレイヤーが多かったみたい。
つまり、ヒューバートを男として落とすというより、事件を追うパートナーになる行動が攻略の鍵なのだ。
乙女ゲーム的には、確かにハズレルートなのかも。
色恋にときめくのではないため、友情・相棒エンドとも言える。
その性質上、ヒューバートからの恋愛感情も感じ辛く、それでときめくかどうかと言われると……という。
でも恋愛要素が弱めの方がいいって読者もいるものね。
コアなファンが付くタイプのヒーロー。
あれはあれでアリよね、なんて思うの。
それに描かれてないだけで、彼と添い遂げた後は、もしかしたら溺愛されたかもしれないし。
……ヒューバートと追うことになった事件って何だったかしら?
けっこう大きなものだったはず。
そして最終的には『はいはい、アリスターが悪者ね、はいはい』ってなるんだけど。
この世界だと、それは起きそうにない。
なにせ黒幕であるはずのアリスターは私なのだから。
事件など起こして犯罪者になってたまるものですか。
「もっと真剣に別人になりたいのであれば、オーダーメイドの疑似毛髪をお作りしますよ、シェルベル嬢」
「え?」
ちょっと脱線して考え事に耽っていたわ。ああ、そうそう。
ピンクブロンドのウィッグを被った私の辛口評価を求めたのよね。
プロの変装者から見た評価よ。
「色は、見ていましたが、やはりこちらの色が一番だと思います。少し赤毛が見えてしまっても色合いで誤魔化しが効きますから。瞳の色とも合っていて、より自然さが増すでしょう」
「そ、そう? 辛口評価でそれかしら?」
「そうですね。本当に別人になりたい。そうなった事をバレたくない、のではあれば、やはりオーダーメイドをお勧めします。作成に値も張りますし、また維持が大変ですが。長期に渡って使うのであれば、定期的に新品と変える必要もありますよ」
「そ、そう……? 本当にプロ目線の意見ね」
維持コストについては問題ないわ。
私のポケットマネーでどうにか出来るはず。たぶん。
将来的な政務に携わるため、細々と経験を積むのに、ちょっとした……お金が入るような事もしたりするのよ。
前世からすると、子供にさせないでよって言いたくなるようなね。
なので公爵令嬢として使うことのできる金銭とは別に、私個人で動かせる資金があるの。
うーん。ありがたきかな、高位身分。
前世一般人の私の内側から、そんな感謝の気持ちが湧いてくる。
領民に返してあげたいわね。お父様が豊かにしてくださっているけれど。
「では、頼めるかしら? ひとまず予備も含めたものを。それから定期の交換が必要なら、次の交換期のものも今ここで。さらにそこからも定期的に必要なら、改めてお願いしたいわ」
「承りました。では、その点の契約を交わしましょうか」
「ええ。そうしてくださる?」
こうして私は、ヒューバートと改めて契約を結ぶことになった。
攻略対象と定期的に会うのは、よくないかもだけど。
まだゲームスタート前だし、他に依頼できる相手もいないもの。
客と店員の距離感を保ちつつ、誠実に対応して様子を見るわ。
そして、それから1週間ほど。
出来上がったのは、見事なピンクブロンドの疑似毛髪。
専属侍女のリーゼルも一緒に手ほどきを受けて貰って、地毛の方を綺麗にまとめて貰う。
その上で不自然にならないよう、ウィッグを調節……。
見た目の毛量が多過ぎて不自然にならないようにして。
「こちらで。出来上がりです。シェルベル嬢」
「……まぁ」
大きな姿見の前に立つ私。
そこには、ピンクブロンドの可愛らしい私が立っていた。
その姿を客観的な目で見るならば、まさに……ヒロイン。
悪役令嬢の孤高の美人さよりも、可愛らしさを押し出された姿に、私は『変身』したのよ。