表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
contradiction  作者: RENYA_postwonel
1/4

0.THE FOOL

Chapter 0 the fool


 2232年、11月07日 15:03 [中央集合病院精神疾患病棟D-2F ナースステーション]


「太陽が彼女を殺した」


 診断書に書かれた一文がちょうど目に留まった。

ジョン・タイラー、20歳。性別は心身ともにノーマル。


「…これは?」

「あー、タイラーさんですか。イス先生は存じ上げないかもしれませんが、ここにきてだいぶ長い方ですね。カウンセリングになるとですね、いつも決まってそう言うんですよ。太陽がどうのこうのって、ねぇ」


 看護師が鼻のにきびを搔きながら答えた。


「精神鑑定にも身体的にも特に問題は出てこないんですけどね。普段から、その、なんていうのかな。我々の事を煙に巻くような態度と言いますか…」


 看護師の彼女はずっと鼻のにきびを搔いている。小さな鼻の真ん中にできた、大きなにきびだ。白い芯が見えてきていて、腫れている。

 ふむ、と思った。脳波の異常は数年前に一度あったきり、ここ数十年は診られない。しかも、事件のあったその次の日だけだ。通常であれば、しばらくの間交感神経の以上活性によって眠れない症状が出たり、その副作用でしばらくの間倦怠感に悩まされたりするものだろうに、彼にはそういった症状も一切診られなかった。

 所謂ドロップアウト、というものだろうか。

 私は深くため息をつき、椅子に深く腰掛けた。看護師は相変わらずの様子で、机に置かれた書類とにらめっこをしている。そういえば、今朝裏市で買った煙草がまだ残っていたはずだ。


「窓を開けても?」

「いや、そっちの窓はもう開かなくなっているので、換気扇を回してください」

「そうか…」


 仕方なく席を立ち、換気扇のひもをぐっと引っ張る。

 ブゥゥーン……。低い音が部屋の中でこもって反響している。


「灰皿をもらっても?」


看護師は急に怪訝な表情になり、まるで私を威嚇するように言った。


「あのねぇ、イス先生。いくら大きな病院から来ていただいたとはいえ、ですよ。勝手は困ります。ここは、禁煙です。他の薬との兼ね合いもあるんですから、ねぇ。いくら臨時の、そう、むしろ臨時の先生であるからこそ、ねぇ。困りますよ」


 なにか彼女のコンプレックスでも刺激してしまったのだろうか。これは申し訳のないことをしてしまった。

いや、すまないといいながら、彼女の顔を直視しないようにして先ほどの診断書にもう一度目をやる。


「太陽が彼女を殺した」


 …これはどういった意味なのだろうか。看護師が述べた通り、彼の煙に巻く態度とやらによって口から出た言葉なのか、それとも真剣にこのように考えているのか。そうだとしたならば、何故太陽なのか…。20歳にしては幼い表情の彼が、写真の向こうから、じっと、こちらをのぞき込んでいるような気がした。


「じゃあ、カウンセリングに行ってくるよ」

「わかりました。…あの、ついでに一ついいですか?」


 なぜか気まずそうにしながら彼女は言う。


「うん、かまわないよ」

「この書類を看護師のマーティンに届けてほしいんです。今度研修生が来ることになっていまして、その、彼がその教育係ですので。」

「わかった。そのマーティンは今、どこに?」

「先ほどまで先生が見ていらした診察所の彼、彼の部屋が地下のB108号室でして、その隣に、書庫があるので、彼はそこに行くと言っていました」

「…地下の書庫だね、ちょうどよかった」


 この部屋から出ようと扉のドアに手をかけたとき、背後から声がした。先ほどまでとはうって変わって、少し震えるような、真剣みを増した声だった。


「気を付けてくださいね、彼をまともな人間だと勘違いしないでください。このことを忘れないで」


 彼女はもう鼻のにきびを掻いてはいなかった。


「あぁ、気を付けます」


 ブゥゥーン……。という音とともに、何かがきしむような音が聞こえた。


2232年、11月07日 15:15 [中央集合病院精神疾患病棟D-B1 地下通路]


 鉄格子でできた地下一階への扉を開き、しばらく廊下を歩く。コンクリートと煉瓦でできたその通路は妙につるつるとした触感を与えてくる。ザリザリとしているだろうと思っていたのだが、予想外の感触だった。

そして、患者たちの住む部屋のドア、その反対側には美しい庭園が広がっている。そこには季節の花々が植えられ、ガラスでできた天井から射す日の光によって照らされている。それらがそれぞれきちんと並んでいる様子から、丁寧に管理されている事が窺える。

 B108号室を通り過ぎ、その隣の書庫にノックをすると、先ほど通過したその部屋から少し物音がした。

 ……覗いていたのか?それとも偶然なのだろうか。


「あぁ、はい、どうぞ。開いてますよ」


 ぼんやりとこの状況について考えていると、書庫から声が聞こえた。穏やかそうな、柔らかい印象を受ける男性の声だった。


「失礼します」


 ドアを開けるとやはりそこには、少し恰幅の良い初老ほどの男性がいた。


「はじめまして、私はイス。短い間ですが、よろしくお願いします」


「あぁ、これは丁寧にありがとうございます。私はマーティン・モリスと申します。えぇ、こんなところに遠路はるばる、ありがとうございます。……わざわざご挨拶だなんて、あぁ、気も遣えず申し訳ない」


 マーティンはそっと左手を差し出す。……なるほど、書類が早急に必要だったようだ。


「これを彼女、エレナさんから渡しておいてくれと頼まれましてね」

「あ、あぁ、ありがとうございます」


 マーティンは何故か口をもごもごとしてそれを受け取った。


「しかし、見事な庭ですね。あれはモリスさんが?」

「いえいえ、私ではなく、ここの患者さんたちがね、熱心に世話をしてくれるんですよ。季節の花なんかも彼ら自身、具合のいいときに調べてですね、こういった花はどうだ、果物なんかが実るのはどうだとね、えぇ。私なんか彼らの手伝いをしているだけですよ」


 庭を褒められたからだろうか、モリスさんは朗らかな様子で話す。

確かに、人間の生活のリズムを整える、適度な運動、共同作業への復帰、様々な観点から、農作業というのは彼らの社会復帰に大きく貢献する活動だろう。この場所に相応しい。


「いやいや、本当に素晴らしい」

「ありがとうございます。いや、そんなに褒められるとね、照れくさいものですね」


 はっはっ、とモリスさんは笑う。

 きちんと整理された庭、少し妙なまでに砂埃等が清掃された通路、部屋、その多くを徹底して管理しているのならば、―彼は患者たちの手伝いをしているだけだと謙遜していたが―彼の仕事量は相当なものだろう。


「あまり邪魔してもいけないので、私はこれで」

「カウンセリングですか?」

「ええ」


 彼は先ほどまでの朗らかな雰囲気を少し正し、神妙な面持ちで言った。


「これはこの精神病院の、一番の古株看護師としてのお願いなんですがね、彼らときちんと向き合ってあげてください。あなたの目からどう見えたとしても、もしまともに見えなかったとしても、彼らは人間なんです。人として生まれ、人として育ち、どこかで転んで、ここに来た。あなたが今日診察するジョンさんもそうです。皆、神に愛された兄弟です。どうか、よろしくお願いします」

「えぇ、もちろん」


 私も真剣な面持ちで返した。


2232年、11月07日 15:25 [中央集合病院精神疾患病棟D-B1 B108号室]


 部屋の扉をノックすると、すぐに扉が開いた。


「どうぞ」

「ありがとう」


 出迎えてくれた彼は、好青年といった印象を私に与えた。短く刈り上げたクルー・カット、

白いシャツに黒いパーカー、紺色のジーンズ。伝統的であるとも言えるような、普通の恰好。

少しやせていて、身長も普通。少し困ったような表情が、彼をどこか頼りなさそうに見せているが、それも常識の範疇に収まってしまうだろう。普通、だ。どこをとっても、普通。

その眼以外は。

 私を部屋に迎え入れてから、座るまで。そのまなざしは、じっと私の事を観察しているように見えた。常に焦点の合っている、はっきりと意志のこもった、強い瞳。睨みつけているわけでも、凝視しているというわけでもないのに、ただ静かに、こちらをのぞき込んでいるような、そんな眼だった。

 彼が過ごしているその部屋は、きちんと整理された、シンプルな部屋だった。所謂病室というより、一人暮らし用のワンルームといった具合だ。

 おそらく備え付けられたものなのであろう、イスに彼と向かい合わせに座る。


「カウンセリング、だったよな」


 彼を一瞥し、頷く。大きく開け放たれたガラス窓、そこから射す逆光のせいで彼の表情を窺い知ることはできないが、何度もこう言ったやり取りをしたのだろう、非常にリラックスした様子だ。


「事件について、だろう。どうせさ。太陽のせいだよ、全部。太陽のせいだ。俺の背後から今射してるだろ、こいつだ。あんたがさ、どんなことを聞きたいのかなんて知らないけど、俺はそうとしか言えない」

「無理に聞くことでもないし、かまわないよ」


 事件の事を思い出させ、その反省を促すよりも先に、彼は精神的な成長を迎えなければならない。そうでなければ、彼が本当の意味で社会に復帰することはきっとない。

 その後は、ただ淡々と質疑応答をこなす。体調の変化、生活のリズム、食事に対するリクエスト、簡単な知能、認知、共感のテスト…。あまりにも退屈そうに、自然と。その最中だった。


「そういえば、今日って何日?」


 ふと、彼は聞いてきた。


「11月の7日だね」


 途端に彼の顔色が変わる。先ほどまでのどこかぼんやりしたような、流しているような態度とは違う、何かをはっと思い出したような、そんな様子だった。その後しばらくこちらを睨みつけるようにして、ため息をつく。


「……なにかあったかい」

「なぁ、頼みがあるんだ。それさえ聞いてくれるなら、きちんと、まじめに。そう、まじめにさ、事件について話してやってもいい。これは、交渉だ」


 じっと、こちらを見てくる。まるで私を試しているかのような視線だった。


「あぁ、わかった。聞かせてもらおうか」

「……これは、3年後の話だ」


こちら楽曲のyoutubeリンクです、是非よろしくお願いします!

https://www.youtube.com/watch?v=XHKCZlyeAtU&feature=youtu.be



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ