6.おかしな研究と平穏な時間
短編版に大幅に追加しました。
翌日もクララは朝から王城に行く。エドワード殿下のゴタゴタが片づくまで、登園しないようナタリー先生から連絡がきた。事情が事情なので、落ち着いてから試験を受ければ単位ももらえるらしい。
今は一刻も早く魅了の力を制御することが最優先だ。遺憾だが、変態の頭脳に全てがかかっている。
今日からは、ダニエルの執務室で研究だ。執務室の壁は全て本棚で、上から下までみっちりと本と書類が詰まっている。几帳面なのだろう、ホコリひとつなく、全てピシリと整っている。
窓には薄いカーテンがかかっている。直射日光は本を傷めるからだろうか。
今日のダニエルも相変わらず顔色が悪い。この人は陽の光に当たることがあるのだろうか。本と同じで、日光に当たると体によくないとか思っていそうだな。すごく不健康そうだ。前髪の隙間からダニエルをチラ見して、クララは失礼な感想を思い浮かべる。
ダニエルはちょっと気持ち悪い笑顔を浮かべて、メガネを見せる。クララの顔が半分隠れそうなぐらいの大きさで、ガラスがものすごく分厚い。縁は太くて金色だ。クララには読み取れないが、魔術式らしきものがびっしりと描かれている。
「メガネを用意した。もう一度目を合わせる実験だ」
母さんのメガネに似てるな、そう思いながらクララはメガネをかける。
「う、なんか気持ち悪い」
「あ、鼻血が」
ツツーっとダニエルが鼻血を垂らした。
「おゔぇ、吐き気が」
クララは吐きそうになり、口をおさえる。
「失敗だ」
クララからメガネを受け取って、やけに嬉しそうにダニエルが言う。
「どうして嬉しそうなわけ?」
「これを実験できる日をずっと待っていたのだ。低級な魅了の魔力ならこれで十分だとは分かっていた。このメガネで制御できない魅了の持ち主に出会えて嬉しいよ。君は私の女神だ」
「なんだろう、ちっとも褒められてる気がしない」
「そうかい? 私にとっては最大限の賛辞だ。君には興味がつきない。君の全てを丸裸にして、足の先から髪の毛まで調べ尽くしたい」
「変態」
面と向かって丸裸にしたいと言われたことは、さすがのクララも初めてだ。
「さあ、私はメガネの術式をいじるからね。君はそこで勉強していたまえ。分からないことがあれば教えてあげよう。私は学園始まって以来の秀才だ」
「それ、自分で言っちゃうんだ」
「なぜだい? 自分の能力を正しく理解するというのは、実に重要なことだ。何ができ、何ができないのか、それが分からなければ優秀な魔道士にはなれない。君の力もそうやって少しずつ解明するのだ。誰を落とせ、誰は落とせないのか。魅了耐性の低いものは、君の近くにいるだけで、正気を失うだろう」
確かに、学園は正気を失った男だらけだ。
「私は君の目を見ず、体に触れなければ大丈夫なようだ。目を合わせるだけで私を陥落できる時点で、君は歴代最強の魅了持ちと言っていいだろう。誇りたまえ」
「誇っていいのかな……。私のせいで、エドワード殿下は王位を失うかもしれないんでしょう?」
クララはずっと気にかかったことを聞いてみる。
「殿下が君に無理強いしなければ、君の魅了は作動しなかったと思うが。だから、自業自得だ。それよりは、君の力に対抗する術をもたない、いたいけな同級生を守ってやらなければ。学園で婚約者を見つけないといけない男子生徒たちが、こぞって君に群がっているのだろう? 貴重な出会いの時間を無駄に費やしているではないか。学生時代に相手を見つけられないと、私のように一生独身だ。ははは」
「ははは、て」
「さあ、勉強したまえ」
ふたりは静かに過ごす。ダニエルはメガネの術式をニヤニヤしながらイジり、たまにクララに試させる。ダニエルの部下が書類を持ってきたり、相談にくるが、それ以外はふたりきりだ。
クララも分からないことがあると遠慮なく質問する。その度にダニエルはイヤな顔ひとつせず丁寧に教えてくれる。
相当頭のいい人なのだろう。ダニエルは説明しながらいくつかクララに問いかけをし、クララの理解がどこまで及んでいるか確かめる。クララの理解度に合わせて説明の難度を変えてくれているようだ。
この人、変態だけどすごいな。クララはダニエルの評価を少し上乗せした。
クララにとって、学園に入学して以来初めての、穏やかで静かな一日だった。
***
「今日は手をつなぐ実験だ。フフフ、私は何秒耐えられるかな」
「変態」
「その通りだ。見よ、魔力抑制魔法陣を縫い込んだハンカチだ」
ダニエルがクララにハンカチを渡した瞬間、ハンカチから煙が出てきた。
「なんか燃えてるけど」
「なんということだ」
ダニエルはがっくり気落ちしている。
「君の魅了の魔法と、私の魔力がハンカチの魔法陣の中でぶつかって、おかしな作用をしたのだろうか」
ダニエルは別のハンカチを机の上に置く。
「手にとってくれたまえ。君と私が同時に持たなければ、大丈夫かもしれない」
クララはハンカチを手にとった。何も起こらない。
「よし、ではお手をどうぞ、お嬢さん」
クララがダニエルの手に触れたとたん、ハンカチが燃え始めた。
「あっち」
クララは慌ててハンカチを床に落として、踏みつけて火を消す。
「さっぱり分からない。どういうことだ……」
部屋をウロウロぐるぐる歩き始めたダニエルを放置し、クララは勉強することにする。ダニエルがこうなると、しばらく現実世界に戻ってこないともう分かっている。
しばらく勉強して小腹が空いたので、クララはカバンからお昼ごはんを出した。今日はサンドイッチと果物の詰め合わせだ。ふたり分持ってきている。いつものようにダニエルの机の上にそっと置く。
ダニエルは宙をにらんでつぶやいているが、無意識にパクパクとサンドイッチを食べる。紅茶もふたり分入れ、少し冷めた紅茶をダニエルの前に置く。ダニエルはこれも上の空で飲んでいる。
クララはおかしくて笑ってしまう。誰かとふたりきりでいて、ここまで自分の存在を意識されないのは初めてだ。
ピリピリびくびくしないでいいって、こんなに心が安らぐのだと、クララは初めて知った。