3.エスコートはいりません
「クララさん、ちょっといいかしら?」
授業が終わったあと、光の速さで教室から出ていこうとしたクララを、ナタリー先生が呼び止めた。
ナタリー先生に連れられて、空き教室に入る。
「来週、夜会があるでしょう」
「欠席します」
「そう言うと思ったわ。私もその方がいいと思ったのよ。ただね……成績優秀者は陛下からお褒めの言葉を賜わることになったの……」
「わ、私の成績、下げちゃってください」
「クララさん、それはできません。あなた、数学と語学は学年一位でしょう。それに、あなた奨学金を受けてますし。そうね、陛下がいらっしゃるまで、控え室で待っていてもいいわ。それならどう?」
「はい、それならなんとか……」
「エスコートはどうする?」
「いりません。そーっと行って、隠れて、お言葉を賜ったらすぐ帰ります」
「分かったわ。私にできることがあったら、言ってちょうだいね」
「いえ、そんな。ナタリー先生には何もかもお世話になりっぱなしで。本当にいつもありがとうございます。私、問題ばかり起こしてごめんなさい」
「まあ、それが私の仕事ですもの。確かに色々と難しい組ですけど、あなたのおかげで皆の成績がぐんぐん上がってるのよ。私こそお礼を言わなければ。ありがとう、クララさん」
クララは嬉しかった。男にはとんでもない目に合わされてるけど、ナタリー先生といいエミーリア様といい、なんて優しいんだろう。
ほっこりしていたクララは気づかなかった、組の男子生徒が扉の向こうで聞き耳をたてていたことを……。
クララは浮かれ気分で教室に戻った。教室は地獄絵図だった。
「なっ……」
「あ、クララ様、夜会のエスコートは僕が……」
男子は後ろから別の男子に首を絞められて落とされた。
「エスコートは俺がきっちりと……」
後ろから飛び蹴りが入る。クララの目の前で繰り広げられる血みどろの闘い。クララは目の前が真っ暗になった。このまま気絶できればどれだけ楽か。
「わたくし、先生を呼びに行ってまいります」
ひとりの女生徒が走って行く。残った女生徒たちが、じっとりとした目でクララを見る。クララはいたたまれなくなったが、逃げるわけにはいかない。
剣術の先生が女生徒に連れられて走ってきた。
「お前たち、何をやっている。やめぬか」
先生は殴り合っている生徒たちをつかむと、どんどん投げて行く。
「何の騒ぎだ、誰か説明しろ」
女生徒が一斉にクララを見る。
「来週の夜会での、私のエスコートを誰がするかで、もめているのだと思います……」
「また君か、クララ・モスカール」
先生が顔をしかめる。
「いくら思春期の男子が精神的に不安定だからといっても、これは度が過ぎるな。君は一度きちんと鑑定を受ける方がいい」
「あの、エミーリア様がエドワード殿下を通して、魔道士の方に頼んでくださるって……」
「なるほど、それなら安心だ。私からもお願いしておこう。勝ったやつがエスコートでいいか? そうでもしないと納得しないだろう、こいつら」
「は、はい、それでお願いします」
「おい、お前たち、今から訓練所で決着をつけるぞ。私が判定してやる」
先生は男子を追い立てて外へ出て行く。つと足を止めて振り返った。
「あー、君……。なんなら私がエスコート役を引き受けるが、どうだ?」
「い、いいえ、あの、生徒でお願いしたいです」
「そうか、残念だ。気が変わったら教えてくれ」
先生はクララの頭にポンと手を置くと、ニコッと笑って去って行く。
誰かがワッと泣き出した。
「ひどい、わたしずっと先生のこと好きだったのに。どうしてあんたばっかり」
「もう、いい加減にしてよね。誰かひとりに決めればいいじゃない。それで、その人にべったり守ってもらえばいいでしょう」
「そうよ、根こそぎもってくのやめてよ、欲張り!」
「これじゃ授業になんない、あんたひとりで片付けなさいよ」
女生徒たちはプリプリしながら出て行く。あとには割れた窓ガラスに倒れた机と椅子、散らばった教科書。
クララはどんよりしながら、割れたガラスをホウキとちりとりで片づけていく。案の定、あっという間に別の組の男子たちが来て、教室はキレイになった。
「クララ様、大変だったね。困ったことあったらいつでも言ってね」
男子たちがまぶしいものを見る目でクララをうっとり眺める。
「あ、ありがとう」
クララは小声でお礼を言った。私には、そんな視線をむける価値なんてないのに。みんなの首をつかんで、目を覚ませと平手打ちしたい気分だ。
そこに追い討ちをかけるように、ガタイのいい傷だらけの男子が戻ってきた。
「クララ様、俺がエスコート役に決まったから! 早速ドレスを仕立てに行かないか? ヒドルストン侯爵家の専属に大至急仕上げさせるよ」
ものすごく爽やかな笑顔で言われたが、丁重にお断りする。
「い、いえ、結構です。手持ちのドレスを着ますから……」
「いやいや、せっかくだから、俺と揃いのドレスにしないか? クララ様には緑色が似合うと思う。ちなみに俺の目の色だ」
男は自分の考えに夢中のようだが、クララの髪はピンク色だ。緑色のドレスは似合わないと思う。
「ジェレミー様、本当ですの? 来週の夜会、その女をエスコートするって」
別の組の女生徒がワナワナ震えながら教室に入ってきた。
(この人、ジェレミーって言うんだ)
クララがのんきなことを考えていると、矛先がクララにむいた。
「あなた、ジュリア様からクリス様を奪ったばかりではありませんか。それなのに、わたくしからジェレミー様をとるなんて、節操がなさすぎますわ。図々しいと思わないの?」
「あの、私ひとりで夜会に行きます。エスコートはいりません」
クララは大きな声で宣言した。誰もクララの意見を聞いてくれないが、紛れもない本音だ。ここぞとばかりに主張する。
「私、誰ともおつきあいする気もありません。学園では勉強だけできればいいのです。どうかそっとしておいてください」
ポカーンとしている生徒たちをおいて、クララはさっさと帰ることにする。こういうのは言いっぱなしで逃げるが勝ちだ。グズグズしてるとまた面倒なことに巻き込まれる。
クララはナタリー先生に、夜会まで学園を休むことを告げ、自習用の課題をもらって学園を出る。
やっぱり今日も波瀾万丈だった、クララはがっくりした。
「前髪、あんまり意味なかったかも……」
クララは肩を落としてトボトボ歩いた。