1.何回目かの婚約解消
「ジュリア、すまない。僕は真実の愛をみつけてしまった。僕はクララを愛している。すまないが婚約を解消してもらえないだろうか」
(また始まった)
クララはめまいがした。一体これで何回目だ。この後の流れは大体いつも同じだ。男が自分勝手な見解を垂れ流し、女が私に憎悪の目をむける。
はあ……クララはため息をついた。もうあまりに慣れすぎていて、真剣に聞いてなかったのが仇となった。
パシンッ ジュリアの平手がクララの頬に鮮烈な一撃を与えた。
「こ、この泥棒猫、尻軽女、恥を知りなさい!」
「ジュリア、何をするんだ。殴るなら僕を殴ればいいだろう」
「ええ、お望みとあらば殴って差し上げますわ」
ジュリアの拳がクリスの顔面にめり込んだ。
「この、浮気者、恩知らず。今まで父がどれほどあなたの家を援助したと思っているの」
ジュリアはもう一発強烈な打撃をクリスの腹に入れた。観衆が思わずどよめく。
「契約違反ということで、たっぷり慰謝料を請求いたしますわ。覚悟しなさい」
ジュリアはヒタとクララを見据えた。
「そして、あなた。いい加減にしなさい。どれだけの男をたぶらかせば気がすむのです。学園は勉強するところよ。男漁りする場所ではないわ。野良猫は下町へお帰り」
ジュリアはクララに軽蔑の目をむけたあと、友人を連れて去っていった。
パチパチと拍手が起こる。主に女生徒たちから、よくやったという風にジュリアに称賛の声が上がっている。一方、クララにむけられる目は冷たい蔑みの目だ。
クララはうめいてるクリスに目もくれずに、トボトボと家に帰った。
「おかえりクララ。……クララ、その頬はどうした。真っ赤になってるじゃないか」
父さんがオロオロしながら聞く。
「また私のせいで婚約解消が起こって、女の人に怒られて叩かれたの」
クララの目から我慢していた涙がポロリとこぼれた。
「クララ、かわいそうに。かわいそうに。さあ、このタオルで冷やしなさい」
父さんが冷たいタオルを当ててくれる。
「もう学園に通うのやめるかい?」
「ううん、それはイヤ。せっかく父さんが男爵位買って、学園に通えるようになったんじゃない。勉強するにはここが一番だもの。明日からはもっと目立たない格好して行くわ」
クララは無理に笑顔を作った。
「課題やらなきゃいけないから、部屋に行くね」
クララは二階の私室へ入った。ベッドに寝転がって天井を見る。
「母さん、私まだがんばれるよね」
***
クララは幼い頃から異常にモテた。クララを遊びに誘う男子が毎朝家の前に行列を作った。ひとりの子と仲良くすると、ケンカが始まるので、どの子とも平等に接するように気をつけなければならない。だけど、結局はささいなことで取っ組み合いが始まるのだ。
クララは次第に誰とも遊ばなくなった。女の子の友達なんて、できたためしがない。みんなクララのことが大嫌いなのだから。
クララの母スカーレットも、モテモテだったらしい。でも母さんには秘密道具があって、それでなんとかやり過ごしていたのだ。
「もう一回試してみるか」
クララは引き出しの中からメガネを出した。母さんの形見だ。
「母さんはこのメガネで男を避けてたらしいんだけど」
メガネを恐る恐るかけてみる。視界がゆがみ、頭がくらくらする。吐き気までしてきた。
「やっぱりダメだ。私には合わない」
クララは吐きそうになって、慌ててメガネを外した。
どうしよう……。クララは引き出しの中のハサミを見つめる。
***
「おはよう、クララ。よく眠れたかい。……クララ、一体どうしたんだその前髪」
「えへへ、昨日切ってみたの。おかしい?」
「おかしいというか、それ以前の問題だろう。前が見えないだろう、危ないよ」
昨日、前髪を作ったのだ。鼻の下までの長ーい前髪だ。これで目が隠せる。
「大丈夫、隙間から見えるから、ね。母さんのメガネができればよかったんだけど……」
「母さんもあれをどこで手に入れたか知らなかったからなあ。母さんが小さいときに、母さんの父親がどこからか持ってきたらしい。父さんも、色んな人に聞いてはいるんだけど……」
「気長に探そうよ、父さん。この前髪で効き目があれば、それはそれでいいし」
「かわいそうなクララ。お前の美しい目を父さんには見せておくれ」
父さんは鼻の下まである前髪をよけ、クララの目をじっと見ると、ギュッと抱きしめてくれた。
「いつかきっと、何かいい呪い避けを見つけてやるからな」
***
そう、クララにとって、これは呪いだ。モテるというのは少しなら嬉しいと思う。好きな人が、簡単に自分のことを好きになってくれたら、それはきっと便利、うーん効率がいい……。クララには好きな人ができたことがないので、よく分からない。
前に近所の女の子に責められたっけ。
「アタシは毎日キレイに髪を結って、既製服を自分の体に合わせて修正して、色々努力してるの。ずっと好きだったウィルに振り向いてもらいたくって、好きなお菓子も我慢してる。ウィルにはアタシがお似合いなのよ。いきなり横から出てきて、邪魔しないでよね。今度ウィルに色目使ったら許さないんだから」
女の子は憎々しげにクララを睨んだ。
「あんたなんか、服はダサいし、髪はボサボサだし、なんなのよ。ちょっとは女の子らしくしたらどうなの。少し顔がかわいいからって、どうしてウィルはあなたの話ばかりするのよ」
ここで、ウィルって誰だっけ、と言うのは悪手だ。それはもう散々経験してクララはよく分かっている。そんなことを言ったが最後、女の子はブチ切れてクララを叩くだろう。
こういうときは、下を向いて悲しそうにしているのが一番だ。そうすると、ほら、クララにいいところを見せたい男子が駆けつける。
「メグ、何やってるんだ。クララをいじめるなよ」
よし、誰だかしらないが、いいぞ。メグとやらの注意をひきつけてくれ、私はその間にずらかれっと思ったら、男に腕をつかまれた。
「クララが震えてるじゃないか。謝れよ」
(ギャーやめて。それは火に油。全く私のためになってない)
さりげなく腕をふりほどこうとするけど、男の力が強くて外れない。
「ウィル、どうして……」
(こいつ、ウィルだったんかーい)
詰んだ。これは最悪の流れだ。もうどうにでもなれ、クララはやけっぱちになった。
その後のことはよく覚えていない。いくつかある修羅場の記憶と共に、そっとふたをして見ないようにしてる。
まあ、きっとメグが泣いたりわめいたり大騒ぎしたのだろう。それをウィルが騎士ヅラして訓戒をのたまって、クララをかばったのだろう。結果、ウィルは達成感を味わい、メグはクララを恨み、クララは時間を無駄にしたのだ。
いつものことだ。
クララにとって、モテることは厄災だ。
小さいときから男につきまとわれた。ハアハアと息づかいの荒い男に、壁際に追い詰められたことだって、何回もある。それも物心がつき始めた頃からだ。
クララにとって、父以外の男は恐怖の対象でしかない。昔はほとんど外に出ず、父のそばで過ごすことが多かった。
仕事の合間をぬって、父はクララに勉強を教えてくれた。そして、引退した女性騎士に頼み込んで、クララに護身術を仕込んでくれた。
おかげで今はひとりでもビクビクせずに外に出られる。
今日こそは平穏に過ごせますように、クララは前髪の隙間から青空を盗み見て、そっと祈った。