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吊り橋効果ってホントデス⁇

作者: 三千


冬といえば、スノボが定番。


まあ、一概にはそうとは言えないかも知れないけれど、私と私が今付き合っている彼氏は、冬の遊びはスノボ一択と思ってる。

他の遊びを考えた時。いつもこうなるからだ。


冬といえば、スケート。自宅の近くに毎年凍る池(しかも薄っすい氷。沈むわ)はあるけど、スケート場はなし。

ナツナ:「スケートしに国境をまたぐ(隣の県)って、どうよ?」

ハルユキ:「うんそれな」


冬といえば、蟹。蟹を一匹手に入れれば、鍋だなんだと大いに遊べるのだが。はあ⁉︎ 一杯5000円だあ⁇ そんな高級食材、手に入れる金なし‼︎

ハルユキ:「学生に1000円以上、求めちゃなんねえ」

ナツナ:「ああ貧乏すぎて泣けてくんね」


冬といえば、イルミネーション。筋向かいにある大金持ちのお医者さんの自宅が、12月に入った途端、豪華な家と広い庭の隅々にまでLEDを張り巡らせ、それはもうキラキラピカピカやるもんだから。

ハルユキ:「おまえんちのバルコニーから見えるし、こんでいいな」

ナツナ:「そだね。ラッキー♡」


恋人同士の会話とはとうてい思えないだろうけれど、まあ私、夏鍋なつなと、彼氏の春雪はるゆきは、長い付き合いなので、こんなもんだ。

どれだけ長いかって?

ざっと計算して、19年プラス1日。私たち、誕生日が一日違いなんです。


友人:「ちょ待て。おまえらの名前、混乱するわ。夏の鍋とかっ」

ナツナ:「春の雪もですよねー。うちらもこれ、一生、混乱ものですからこれ」


大学の先輩にご指摘いただくごとに、このように返しているがそれだけではない、実は私たち、ぶっちゃけますと、なんと秋生まれなんです。生まれた季節と名前に一切の関係はありませんっていう、隣同士で親の顔が見てみたい?


そんなわけで、話を戻すと、冬といえばスノボ。


これはすでにボードは手に入れてあるわ、ウェアはあるわ、車とガソリンはハルユキ父のだわ、リフト券は割引券もしくは一人だけ無料券ってやつを毎年スキー場でバイトしている先輩が毎年ポケットに無理矢理ねじ込んでくるわ、お昼ご飯はうちにある米で作ったおにぎり8個(4:4)だし、そんなわけで、これが一番安上がりってやつ。


で、スノボってことで。


ナツナ:「はああ、貧乏すぎるー。バイト増やそっかなあ」


私がため息まじりで言うと、ハルユキが「おい、ナツナ。学生の本分を忘れるなよ」と真顔でキュキュッと私を軌道修正してくる。

このハルユキの真面目さがあったからこそ、面倒くさがりかつ人の意見にふらふらしてしまう私が、真っ直ぐな道を迷うことなく歩み、大学生にまでなれた所以っていうね。


ハルユキ:「さあ、出発」

ナツナ:「スノボへGOー」


テンション上がるかと思いきや、いつもあっさり味、こんな調子の二人。いやいや、もう付き合い長いから、こんでいーの。


✳︎✳︎✳︎


ハルユキの運転で、道を往く。少し、寒さが増してきたかなあと思って膝にブランケットを掛けた途端、周りは雪景色と化した。


ナツナ:「寒う」

ハルユキ:「ああ、寒みいな」

ナツナ:「暖房、最強にしよ」

ハルユキ:「おいこら、勝手に触るんじゃねえ」

ナツナ:「だって、こんなに寒いのに、『1』はない。せめて『2』でしょ」

ハルユキ:「バーカ、余計なガソリン食うだろうがっ」

ナツナ:「じゃあ、『1.8』」


私が絶妙な位置に暖房のツマミをセットする。

けれど、ハルユキはその神がかった位置におわすツマミ様を、カカカっと元の位置へと戻す。非情だな、悪魔か。


そうこうしているうちに、あっという間に雪道だ。スタッドレスは履いているけれど、滑らないとは限らない。

ガリガリと嫌な音がして、私は少しだけ恐怖を感じた。


ハルユキが、大学合格祝いにおじいちゃんに買って貰ったという、GのSHOCKの腕時計をチラッと見る。


ハルユキ:「やべえ、間に合わなくなる」

ナツナ:「なにがなにが?」

ハルユキ:「ん、イベント」

ナツナ:「イベントー⁇ なんなん⁇ それ」

ハルユキ:「……宝探し」


と言いながら、ドリンクホルダーを、ん、ん、と、あごでしゃくる。


宝探しなど初耳だが? と思いつつ、私はドリンクホルダーに置いてあったポットのフタを開けた。ほわっとコーンスープの香り。ゆらゆら湯気が立ちのぼる。猫舌なハルユキのために、私は腹筋を大いに使って、フーフーしてやった。


ナツナ:「宝探し? 子どもか」

ハルユキ:「雪山が作ってあって、そん中に宝が埋めてあるらしい。それを掘り出して探すんだと」

ナツナ:「え、まじで言ってる?」

ハルユキ:「それに参加するつもりだ」


自分のスマホの時計を見ると、現在、8時ちょっと前。


ナツナ:「スキー場って、何時に開くんだっけ?」

ハルユキ:「8時だっけな? それよりよー。そのイベントが、9時からなんだよ」

ナツナ:「ちょま、待て。てか、完全に間に合わんよねそれ」

ハルユキ:「アウトか? それはヤバイ」


イソグゾ。


なぜかカタコトになったハルユキの、ハンドルを握る手に力が込められた。アクセルをふかすエンジン音が、急にうなりをあげ始めた。


ナツナ:「いやいや、雪道だから」


危ないよ、声をかけたがどうやらもうハルユキの耳には入らない、らしい。


ナツナ:「ねえ、宝探しなんてキッズ向けのイベントでしょ。私たち、スノボしにいくんだから、そんなの参加しなくても別にいいって」


必死こいて話しかける。こんなところで死にたくない。

ガガガッと車のタイヤが凍りかけている雪道を勢いよく転がっていく。


一瞬‼︎


ザリザリっと音がして、背筋に緊張が走る。


ナツナ:「ちょっと危ないっ‼︎ なんでそんな死に急ぐの? イヤだよ私、もっと遊びたい‼︎ せっかく念願のT大生になれたんだから‼︎ 死にたくないから‼︎」

ハルユキ:「大丈夫だって‼︎ 俺のドライビングテクで……」

ナツナ:「なに言ってんのよっ。このペーパードライバーがっ」


そんなやりとりをしていると。目の前に橋が見えてきた。

橋はヤバイ。橋はスベル。

事故を起こしやすい雪道スベル現象において、『橋』という建造物は堂々のランキング一位を獲得しているのだ。知ってんのかーこらー⁇


ナツナ:「ハルユキぃぃ、マジでこのスピード、死ぬからああぁあ。お願いいい、お願いだからユックリ行ってえぇぇええ」


私の、今にもおぶえええぇぇと吐き戻しそうな、必死な懇願が功を奏したのか、ハルユキもこのままではヤバイ死ぬと思ったのか、橋の手前で少しだけスピードを落とし。


難なく、橋を通り過ぎることができた。


(……あ、焦ったあぁ)


これは私の心のうち。ほーっと心からの安堵の息を吐く。


ドキドキが止まらない私の心臓を、どうにか落ち着かせながら、私はハルユキを不信感丸出しの目で、睨みつけた。


「ごめん」


そんな私の鬼の形相を見て、ふぇっと思ったのか、ハルユキは神妙な面持ちで謝ってきた。

ならよし。許さんでもない。


今まで、特になんの苦労も、山あり谷ありも感じずにここまで生きてこられたのは、このハルユキのおかげと言っても過言ではないのだけどもな。

うんまあ、許すぞよ。


けれど、おかしい。


ハルユキの判断力はまさに神。しかも慎重派。石橋をコツコツと叩きながら、絶妙なタイミングでヒラメイタっ今だっっと叫びながら、橋を渡り終える男。


それなのに。今日は少しだけ違和感を感じるのも確かだ。


よくよく考えてみれば、朝からおかしかった。

今朝、早くに設定した待ち合わせの時間。いつもなら遅刻寝坊なんぞ、私の専売特許のはずが。

来ない。


いつまで経ってもハルユキが来ない。


ナツナ :「おかしいな、いつもは時間より早く来るのに……」


スマホで電話すると、その私の電話で、目が覚めたという。電話越しに、うおおお寝坊したっっ‼︎ という叫び声とガタガタドスンドスンっという、謎の音。


ようやく来たと思ったら、ボサボサの頭。目の下のクマ。ひど。


ナツナ:「珍しいねえ、ハルユキが寝坊だなんて」

ハルユキ:「ほんと悪ぃ、昨日あんま寝れんかったもんだから」

ナツナ:「そうなんだ、スマホでエロでも見てたんじゃないの?」


ちょっとからかっただけなのに、ちげえ‼︎ って大きな声をあげて、それきり黙ってしまった。


当たりか? まあ、直ぐにご機嫌は直ったのだが。


(とにかく、これはなんかあったな?)


懐疑心と、いまだスピードを抑えないハルユキのハンドルさばきに恐怖心を覚えながら、私たちはスキー場へと続く山道に差し掛かった。


✳︎✳︎✳︎


頑なにハルユキがスピードを緩めなかったこともあって、順調にスキー場には着いた。

だが。

ハルユキ:「あーーーやっぱ間に合わんかったああぁ」


宝探しのイベントは終了。ガチャガチャのカプセルに入れられた粗品(これはもう粗品にしか見えない。だってスキー場のキャラのピンバッチだぜ?)を振り回しながら、嬉しそうに親元へと帰っていく子どもたち。


ナツナ:「うん、間に合わんかったけど、マジであれに混じるつもりだったんかい⁉︎」

ハルユキ:「だっ……って、楽しそうだし。宝探しは男のロマンだし」

ナツナ:「それはわかる。宝箱は女にとってもロマン」

ハルユキ:「ナツナの場合はロマン=金だろ」

ナツナ:「まあね。あの踊るスノーマンのピンバッチではない、ということは断言できる」


そんな会話を交わしながら、ハルユキがスノボの板を下ろす。


ナツナ:「どっちにせよ、これ絶対小学生以下限定のイベントでしょ。入り口で、えへへわたち小学生でしゅーって言い張って、冷ややかな目で見られるより、間に合わなくて、はい終了で良かったわ。今心底、ホッと胸を撫で下ろしてるから」


その通りだ。もしハルユキが寝坊しなかったら、と思うとゾッとする。

ハルユキはヤルと言ったらヤル男なのだ。


ハルユキ:「……くっそー」


ハルユキはリフト券を購入するまで、ブツブツと文句を言っていた。正直、そこまでやりたかったのこれえ⁉︎ と、横目で宝探しで子どもたちに踏みつけられた雪山の残骸をちらりと見る。イベント終了の立て看板と、立ち入り禁止のコーンの赤色と、コーンバーの黄色と黒のトラ模様。

真っ白な雪原の中、インスタ映えしている。いと虚し。


(たまに、あんたのこと、わからなくなるわあ。見失うわあ)


ハルユキを見る。背は180あってスラリの、スタイル。運動神経は抜群に良いわけじゃないけど、悪いわけでもなく、そこそこで。顔は、ジャニーズにギリ入れるかってくらいのイケメンとも言えるし、まあ確かにイケメンと言えなくはない、そこそこって感じだし。


生まれた時から幼馴染だから、総合的に見てカッコいいのかどうなのかは、判断できず。ハルユキの周りに群がる女子の量とぽわわーんってなってるその顔で、その都度、モテバロメーターを判断しているという。


そんなハルユキからハッキリと付き合おうって言われた時、「え⁉︎ あ⁉︎ ほ⁉︎ うほ⁉︎(……エネゴリ?)……えーーっと、えっと……はい?」っていう反応しかできなかったことは、いまだトラウマ。告白現場にしては、女子として最悪な姿を晒してしまった。だって、私的にはすでに付き合ってるような感覚だったから、それを一からやり直すみたいに、付き合ってくれ、とは。


それだけ、ハルユキは私にとって、近しい存在だったのだ。『隣にいるのが自然』『すでに空気エアー』というくらいに。


ハルユキ:「さあ、リフト乗るぞ」


リフト券を手に入れ、リフト乗り場へと移動する。ボードのビンディングにブーツを滑り込ませ装着。自由な方の足で、雪を蹴る。

少しだけヨロけて、腕をぐいっと引っ張られた。


ナツナ:「あ、ごめん。ありがと」


リフトに乗る時、一歩出遅れた私を乗場へと誘導してくれた。背後を回ってくるリフトを横目で確認しながら膝を曲げると、ドスンとお尻がリフトのイスに着地。

厚地のウェアでも触れた右側の腕に、ハルユキの体温を感じて、少し照れた。心なしか、右の太ももも触れている、気がする。


ハルユキ:「なあ、もうそろそろ俺、下まで滑ってっちゃっていいのか?」

ナツナ:「あー、うん。多分もう大丈夫。一気に滑れると思う」

ハルユキ:「何回目だっけ?」

ナツナ:「三回め」

ハルユキ:「まあ、おまえは元々スキーやってたからな。飲み込みも早えし」

ナツナ:「ふふん、まあね」

リフトが風を切って、真っ白な雪一面の山肌を、グウングウンと登っていく。

ハルユキ:「ナツナ、降りる時……」

ナツナ:「んー?」

ハルユキ:「背中押してやる」

ナツナ:「よろー」


リフトが頂上に到着し、腰を上げる。リフトのイスに膝裏を押されながら前へ進むと、ぐらっと身体が揺れたと同時に、背中にハルユキの手が回った。


ハルユキ:「足で蹴れ」


言われるままに、足を動かす。

背中を押してやると言っていたのに、ハルユキの腕は私の肩に回され、いつのまにかハルユキの身体に引き寄せられている。そして私なんかはあろうことか、ハルユキの腰に右腕を回し、倒れまいと掴まっている、ではないか。


ヒューと誰かが囃した声。


けれど、気恥ずかしさなんかは全然、感じない。付き合いが長すぎて、こういうのが当たり前になっている証拠なのだろう。


リフトを難なく降りると、私たちは雪山の頂上に着いた。リフトに乗っている時は感じなかった山の斜面が、こうして頂上に立ってみると、とても急に思える。


ナツナ:「うわ久しぶり過ぎて怖い。急斜面」

ハルユキ:「大丈夫か? 俺が後ろからついていこうか?」


最初からボード派だったハルユキのボードテクは素晴らし過ぎるので、私は、先に行って、と断った。まだ三回目のノロノロな私に付き合っていたら、それこそハルユキが楽しめないからだ。


ハルユキ:「じゃあ下のリフト乗り場で待ってるから、ゆっくり降りてこい」


そう言って斜面を滑り出すその後ろ姿。ちょっと見惚れてしまうくらいには、まあカッコいいのかな。

そして、私もボードを少しずつずらしながら、斜面へと乗り出す。その斜面の容赦のなさに、おうっとなるけれど、ここまで来たんだからこれはもう滑って降りていくしかない。


ナツナ:「よし、行くぞ」


勇気を振り絞って、私は身を乗り出した。


✳︎✳︎✳︎


宝探しのイベントに間に合わず、少し不機嫌だったハルユキの機嫌が、お昼ごはんの頃にはもう回復してきて、私はふうっと息をついた。


それにしても一体、何がどうなってるのか。陰気な私よりは断然気は長いし、不機嫌より笑っていることの方が多い、普段から明るいハルユキなのに、今日はなんともチグハグだ。


私が少し気を許していると、その隙にぼけっと何かを考えているようだし、そんな時は男らしい太い眉毛も真ん中がくっつきそうな勢いで、ぎゅっと中央に寄せてられている。


(そんなに宝探しやりたかったのかなあ)


何が原因って、それしか思いつかないもんだから、私も混乱してしまうってわけで。


ナツナ:「はい、オニギリ」

私は早起きして作ったオニギリと玉子焼きを差し出した。

食堂の隣、休憩室で二人、陣取って座る。


ハルユキ:「ああ、ありがとな」

受け取った包みを開き、そのままかぶりつく。


ハルユキ:「中身、なに?」

私もひとくち。

ナツナ:「んー? そりゃあ梅こんぶさ」

ハルユキ:「俺、梅こんぶが一番好き」

ナツナ:「知ってるー」

ハルユキ:「玉子焼きもうめえ」

ナツナ:「良かった良かった」


私が、箸にぶっ刺した玉子焼きを口に放り込んで口をもごもごさせていると、ハルユキがじいっと私の顔を見てくるもんだから。


ナツナ:「あ、ごめん。最後の玉子焼き、食べちった」

ハルユキ:「あ、や、そういうわけじゃ……」

ナツナ:「食いたかった?」

ハルユキ:「うん。また今度、作ってよ」

ナツナ:「おうよ。いつでも作ったるよ」

ハルユキ:「え⁉︎」


私が言うと、ハルユキは驚いたような表情を浮かべてから、え⁉︎ え⁉︎ と呟きながら、視線をあちこちに飛ばす。その顔はまるで挙動不審。


(こっちが、え⁉︎ なんだけど、なにその顔)


私なんか変なこと言ったっけ、とこっちこそ不審に思いながら、私はタッパーの蓋を閉めた。


ハルユキは慌てて残りのおにぎりを口に詰め込んでいる。

そして。


ハルユキ:「ありがとな、朝早くから弁当作ってくれて。……それなのに俺、寝坊しちまって」

俺しまんねーな、などと頭を掻きながら、まだ視線をあちこち泳がせている。


(ああ、そんなこと気にしてたんだ)


だからか、と納得し、私はにかっと笑って言った。


ナツナ:「なに言ってんの。まだ気にしてたんだ。いいっていいって、そんなこと。ってか、いつも私が遅刻気味だし、私もこれからは気をつける」

ハルユキ:「お、おう」


コーヒーでも飲むか? とポケットからサイフを出しながら、立ち上がる。


私がラテと言うと、手を上げて自販機へと向かう。スタスタと、少し頭を振りながら、歩いていく姿。その背中では程よい筋肉がしなやかに動いている。顔面はギリジャニーズだけど、サイフの中身はひじょーにショボイ。だから誕プレなんかはいつも手作りのものだ。例えば、手作りミサンガとか肩タタキ券とか。貧乏だけど優しいんだよ、モテないはずがない。


ナツナ:(こんな私でいいんかなあ)


心で呟くこと、100万回。


はああっと溜め息と頬づえをつきながら、自販機でカップコーヒーを買うハルユキの、その後ろ姿を見ていた。


✳︎✳︎✳︎


昼ごはんを食べた後、二時間ほど滑ってから、リフト乗り場でハルユキが声を掛けてきた。

ハルユキ:「ナツナ、もう帰るぞ」


まだたくさんのスキー客はいるし、日は高い。

ナツナ:「え、まだいいじゃん?」


私がリフトへと行こうとすると、ハルユキが腕を引っ張った。


ハルユキ:「今日はもう帰る」


いつもなら夕方まで滑り倒すのに、と不服を口にしても、ハルユキは頑として譲らない。帰るの一点張りだ。

モヤモヤが一気に膨れ上がった。


(なんか様子がおかしいなあ)


思いを胸に押し込める。


仕方なく、駐車場へと急ぐハルユキの後を、カルガモのようにヒョコヒョコついていき、車の後ろに回って抱えていたボードを置こうとした時。


ハルユキ:「ボード俺がしまうから」


運転席に身体の半身を突っ込んで、車のエンジンをかけていたハルユキが、叫ぶように言ってくる。


ナツナ:「トランクに入れりゃいいんでしょー」


私は答えながら、トランクのカギに手を伸ばした。

そこで。


ハルユキ:「ナツナっ、俺がしまうって言ってるだろっ」


伸ばした手が、ビクッと止まった。その拍子に顔を上げると、運転席から血相を変えてハルユキが走って回ってくるもんだから、私はその迫力に負けて思わず後ずさりをしてしまい、地面に置いたボードに足を取られてしまった。


ナツナ:「わっ」


ぐらっと身体が後ろへと倒れる。


ハルユキ:「ナツナっ」


ハルユキが手を伸ばしてくる姿がスローモーションのように見えて。

ぐいっと抱きしめられた。


ナツナ:「あっ……ぶねえ……」


ハルユキの運動神経の良さで、私は後ろへとひっくり返ることもなく、Go to Heaven でもなく。


ナツナ:「ご、ごめん、助かった」


私が抱きついていたハルユキの背中から手を離すと、ハルユキが慌てたように私から手を離した。


ハルユキ:「気をつけろよな。そんで、ボードは俺がしまうから。取り敢えずブーツを脱げ」

ナツナ:「え、あ、うん」


言われた通りブーツを脱ぐと、すでに私の靴がそこに準備してある。そして、そのまま車内へと連行され、ウェアを脱ぐように指示された。後ろの座席で着替えている間に、ハルユキが荷物の全部をトランクに押し込んでいる。


着替えが終わり助手席に乗り込んで座ると、今度はハルユキが後部座席に移り、無言で着替え始めた。


なんなんだ、この違和感は。

今日のハルユキはどこかおかしい。


いつもなら、あんな風に怒鳴ったりしないし(いや実際怒鳴ってはいないかもしれないが普段は温厚なのでちょっとそう見える)、そう、いつもなら今回みたく後片付けは全て任せろ、みたいな強引さも奇妙さもないのだから、こんな風に違和感を覚えるのも、仕方がないだろう。


ナツナ:(なんだろう)


けれど、その原因はすぐにわかった。


ハルユキが後ろでなかなか脱げないスパッツと格闘している間、運転席にうっちゃってあったスマホが、何度も何度も、ム、ム、ム、と着歴を表示しているからだ。


ナツナ:(あ、ユリ、……からだ)


スマホの画面に浮かぶ、『ユリ』の文字。着信音は消してあるのに、通知はバナー表示って。


ナツナ:(詰めが甘いなあ)


私の胸が途端に、ぐううんっと雪が降り出す前のスキー場の空のように曇っていく。


私はスマホの画面から目を離して、フロントガラス越しに外を見た。車内の空気が完全に暖かくなったのか、フロントガラスの縁から白いもわもわが、真ん中へと向かって、じわりじわりと侵食を始めた。それは少しずつ白く白く曇っていって、とうとう私の視界を遮った。



『ユリ』

苦い思い出しかない。


それは、高校二年生の時。面と向かって私に、「ハルユキと別れて欲しい」と言ってきた、ただ一人の人物だ。


ユリ:「みんな、困ってるんだよね。ハルユキはあんただけのハルユキじゃないってこと、わかんない?」

ナツナ:「私、そんなつもりじゃ……私とハルユキは隣の家だし、」

ユリ:「ただの幼馴染なんでしょ? だったら、毎日一緒に帰るとか、やめてくれない?」


そして、捨て台詞のように、「ハルユキと絡む時間が全然ないのって、あんたのせいだから。女子全員、そう言ってるんだからね」


女子全員なわけないでしょ、クラスの半数が彼氏持ちなんだから、とツッコミたかったけど、不毛なのでやめた。


それ以来、この子ハルユキのこと好きなんだオーラ全開で、私を事あるごとに睨みつけてくる。それが苦痛に過ぎて、私の胃腸が最初に悲鳴をあげた。診断は急性胃腸炎。とまあ、とんだ目にあったことがある。


その頃からもちろん、ユリは私の苦手な人物となった。


そして、当の本人は。最近では周りにも引かれているというのにそんなことどこ吹く風でケロリとして、今もハルユキにアタックし続けている。


友人:「あんたから奪ってやるって息巻いてたの、私、聞いちゃったよ」


十年来の私の友人、サッちゃんからそう聞いたこともあった。サッちゃんとは大学が違ってしまったので、最近はあまり会えていないけど、久しぶりに会えば会ったで、ユリに邪魔されていない? アイツほんと粘着だな、と心配を寄越してくれる。


そんなこともあり、スマホの着歴を見てさあ、心の中ではあーあってなったんだよ。


ナツナ:(まだ、諦めてくれていないんだ)


私はそんなことを考えながら、車のフロントガラスがそのまま負のオーラに侵食され、真っ白けっけになるのを、ぼうっと見ていた。

ハルユキが着替え終わるまで、ずっと。


ハルユキ:「ナツナ、フロント、エアコン回して」


悪戦苦闘がようやく終わり、後ろから声が掛かる。

はっとして、意識を戻す。


ナツナ:「あ、う、……うん」


エアコンのツマミを回す。ボオォォっと音を立てて、ぬるい空気が流れていくる。

そして、今度は白く曇っていたフロントガラスが、クリアになっていくのを見ていた。


(もしかして……早く帰って、ユリに会うのかな)


ユリが時々、ハルユキの家に押しかけてきていることを知っている。


そして、お昼ごはんの時、コーヒーを買う自販機の前で、ハルユキがスマホを見ていたことも、悲しいけれど知っていた。


✳︎✳︎✳︎


ハルユキ:「なあ、なんか怒ってる?」


ハルユキがハンドルを回しながら、顔を覗き込んでくる、気配。私が頑なに真正面を見つめているもんだから、ハルユキがどんな表情を浮かべているかは、実際のところわからないのだけれど。


きっと、眉毛がくっつきそうなくらい、眉間に皺を寄せているのだと思う。


ナツナ:「別に」

ハルユキ:「そう? なんか機嫌悪そうだから」

ナツナ:「そんなことない」


帰りの雪道。やっぱりハルユキはいつもより、急いでいる。ハンドルを操る手が、全然丁寧じゃない。雑の極み。


ハルユキ:「晩メシ、一緒食うだろ?」

ナツナ:「え?」

ハルユキ:「え、って。なに? なんか、用事あんの?」


ナツナ:(用事あんのは、あんたでしょーよ)


ひねた心は歪な形。私は今朝握ったおにぎりを握るように、歪な形を直そうと試みる。けれど、今朝は良かったんだよ。楽しみでわくわくしてたから。玉子焼きだって、ハルユキが好きな調味料の配合、ちゃんとメモ通りに作ったし。


ナツナ:(やっぱり急いでる。……夜、ユリと会うのかな)


さっきから右に左にと身体にGがかかってる。アクセルを踏む足に力が入っていて、そうなっていることに、私はとっくに気づいてしまっている。


ナツナ:「ねえ、雪道だからもうちょっとゆっくり……」

ハルユキ:「なあ晩めし、食わねえの?」

ナツナ:「スピード速すぎるよ」


そして、一旦はアクセルを緩める。


ハルユキ:「俺、今日さ……」


ハルユキが言いかけて、私は慌てて遮った。


ナツナ:「わかったわかった、用事があるってんでしょ。早く帰りたいんだったら、スピードでもなんでも出せばいいよ」


言い方。失敗。溢れ出る感情に蓋ができなかった。公園の飲み水の水道のように、ぶしゃあっと水がほとばしるようにでも。


ハルユキ:「なんだよ、それ」


少し不満な口ぶり。

そんなハルユキの返しに、やはり私の感情は焼き切れた。


ナツナ:「スピード出すってことはさ、どうせ事故して死んだって、別にそれでいいってことでしょ」


ハルユキが、急にブレーキの方へと足を踏みかえた。

ぐうんっと前のめり。


路肩にスペースを見つけて、車を停車させたのだ。それからは、ゆっくりと停まる。


沈黙が、空間を埋めた。

ハザードの、カッカッカッという音が、このまま永遠に響いていくような気がして、背中にゾッと寒気が走る。


ハルユキ:「……今日のナツナ、おかしい」


その言葉に、私は心底、笑ってしまった。


ナツナ:「はっ、おかしいのはハルユキの方だよ」

ハルユキ:「俺は、別に……」


ユリの名前なんて、この口からもあの口からも出したくない。もう一度言うけれど、高校の時、散々振り回されて、胃腸炎にもなったんだから。しかも急性だぞ、急性て‼︎


ナツナ:「私だって別にだよ。もう早く帰ろ」

ハルユキ:「死んでもいいだなんて、」

ナツナ:「もういいからっっ、帰ろっっ‼︎」


そして、ハルユキはハザードを切ると、そろりと運転を始めた。車がのろっと本道へと出る。


ハルユキ:「ごめん、ゆっくり行くから」


暗い声。

私がスピードのことで怒っているんだと思ってる。

違うし、いや違わないけど、やっぱり違う。


けれど、私は窓の外を睨みつけているから。喉の奥にねっとりとした言葉が詰まったようになっている。


その場を取り繕うような言葉は、ひとつでさえ言えなかった。


✳︎✳︎✳︎


ハルユキ:「もうスピード出さないから。機嫌直せよ」

ナツナ:「……ん」


霞んだ道の向こう。行きに通った、あのハラハラした橋が見えてきた。


私が怒ってから、ハルユキはゆっくりの運転に戻してくれている。

その様子を見て、ほっと胸を撫で下ろすと同時に、ハルユキのしぼんでいった態度に、私の中は徐々に申し訳ない気持ちで占められていった。


ハルユキ:「な、晩メシ、俺が奢るから」

ナツナ:「……お金あんの?」

ハルユキ:「うっ、あんま高いのは奢れんけど」

ナツナ:「わかったから。もういいよ」


まだ、声に尖った部分がある。自分でもわかる。よくわかるのは、自分の言葉だからだ。


ハルユキ:「ナツナ、今日さ、晩メシ食ったらさ……」


橋に差し掛かる。ぶおっとエンジンが吹いて、上りの坂道をあがっていく、カチンコチンに凍った細かい雪を、ガガガッと潰しながら、スタッドレスが悲鳴のような音を立てている。


橋は凍る。


それを証明しているような音が、車内にも遠慮なく響いてくる。


もちろん、車のタイヤが氷を食んでいく細かな振動が、お尻にも腰にも、そして身体全体にも伝わってくる。


ハルユキ:「ば、晩メシ食ったらさ、ちょ、ちょっと時間、……」


ハルユキが言いかけた、その時。距離で言うと橋の真ん中、高さでいうと橋の頂上を通り過ぎた時だ。

西日がキラッと光り、一瞬、目の前が光で包み込まれた。


ハルユキ:「わ」

ナツナ:「わ」


ガリガリガリガリ。

そして、ザザザー‼︎


ナツナ&ハルユキ:「「え、え、うわ、うわああ」」


目の前の景色が横へと流れていく。横?


ナツナ:「ハルユキっ」


私は両手を伸ばし、左手はドアの手すりに、そして右手は宙を掴んで、そして。


ハルユキ:「わわわわあああ」


ハルユキの絶叫。

もちろん、横にスライドしていく目の前の景色で、車が滑っていることはわかっている。


ハルユキがギュッと握ったハンドルを、左右に細かく切っている。

一瞬、ブオンって音がしたのは、ブレーキを踏もうとしてアクセル踏んだ音なんだと思う。けれど、ブレーキなんて、踏んじゃだめっっ。


そう言いたかったのに、「やだっやだっ、うそっっ」としか声に出なかった。


今通ったばかりで、本来なら見えないはずの橋の欄干が視界に入ると、さあっと顔だけじゃなく、身体も青く、色と熱を失っていく。


ぞっと、背中に悪寒が走った。「やだやだっ」

全身が総毛立つ瞬間。


そして更に、ザリザリザリザリとかき氷機で氷をかくような音。

ふわっと宙に投げ出されたかのような浮遊感。


視界は、道、橋、欄干、川、そして道、横断歩道、信号と、スローモーションで流れていった。車が滑るようにして、一回転していくのが、視界に入ってくる景色でわかる。


私は、ああ死ぬかも、とかなんとか思っていたんだと思う。けれど。


ハルユキ:「ナツナっ、掴まれっっ」


宙を彷徨っていた私の右手は、ハルユキの左手にぐっと力強く掴まれて。


そして、視界に真っ白な壁。

迫ってくる。

白い壁が‼︎


思った瞬間、ドンっと衝撃があった。


その衝撃で、前へとつんのめる。身体を斜めに走っているシートベルトに圧。


次の瞬間には、顔を殴られたような、第二の衝撃。

ボスンと顔を覆われて、とっさに目を瞑る。


ハルユキ&ナツナ「「ぶっっ」」


そして、私は意識を失った。


✳︎✳︎✳︎


と、思っていたら、これがまた全然失ってなかったわ、意識っ‼︎


エアバックに突っ込んでいた顔を上げて隣を見る。と、隣から同じようにエアバックに突っ込んでいた顔を上げて、ハルユキが「ナツナっ」と私の名を呼んだ。


その顔。見たこともないような、必死な顔。


ハルユキ:「な、ナツナっ、大丈夫か? ケガは? ケガはないかっっ?」


私は、私の全髪の毛がばさあっと前方向に垂れているのを感じながら、なんとか声を出して言った。


ナツナ:「……ハルユキは? 大丈夫? わ、私は大丈夫だよ。どこもケガして、な、い、と思う……」


そして、顔を元に戻す。首に少しの痛み。そして、目の前のフロントガラスには大量の雪が積もっていて、視界が遮られている。


はああっと目一杯に、息を吐いたハルユキ。

その安堵の息に促されるように、再度ハルユキの方を見た。すると、ハルユキは膨らんだエアバックに、ボスっと顔を埋めた。


ハルユキ:「よ、……良かったあ。良かったよう、良かったぁぁぁ、う、う、」

え。

え。

え。

まさか、ハルユキ、泣いてる?


ナツナ:「ハルユキ、」

ハルユキ:「ごめん、ごめん、ナツナ。お前が何度も、スピードっ、て注意してくれてた、のに、俺。……ひっく、ひっく、」

ナツナ:「うそ、ここで泣くかあ? イヤだ、泣かないでよぉ」


そして私も涙腺崩壊。安心した途端、私の目からも、ぼろぼろと涙が溢れて落ちた。


けれど、そこではっとした。


ナツナ:「ハルユキ、ここ、ほ、歩道みたい。だ、誰か巻き込んでない、かな」


そして、二人。顔を見合わせてから、車から慌てて降りた。周りを一周し、誰も巻き込んでないことを確認すると、


「ナツナ、ナツナ、」と、ハルユキが抱きついてきた。ハルユキの鼻が真っ赤に染まっている。


それはもちろん、この車の惨状を見たら、こうなることはわかった。


橋を渡り切った場所。歩道横。ちょっとした空き地のようなスペースに、大量の雪が捨てられていた。これは多分、除雪車かブルドーザーかで、道に降り積もった雪をかいて、一箇所に集めて捨ててあったような、そんな雪の山に、車は見事に頭から突っ込んでいる。


ある程度は固まっていた雪であったのだろう、車のフロントはグシャと潰れている。車高よりも高く積み上がった雪が、その衝撃で落ちてきて、フロントガラスを覆っている。


これは結構な事故にあわない限り、こんな風にはならないだろう、という車の有様だった。


ハルユキ:「ごめんな、ナツナ。こ、こんな危ない目にあわせ、て。ご、ごめ」


抱きついたまま、鼻声で謝ってくる。

私もハルユキの背中に手を回すと、ぎゅっと抱きしめて目を瞑った。


ナツナ:「ごめん、私もごめん、私もごめんう、うえ、うわあん」


助かったという安堵と、怖かったという恐怖から、私とハルユキは抱き合ったまま、その場に座り込んだ。


ナツナ:「ハルユキぃ、良かったよう、生きてて良かったよう」

ハルユキ:「うんうん、良かった、ケガなくてほんと良かったな」

ナツナ:「奇跡だよ、これ。だって、横にとは言え一回転したんだよ?」

ハルユキ:「九死に一生を得るっていうの、まさにこのことだろぉ」


お互いに涙を拭きながら、顔を見る。


ハルユキの腫れ上がった瞼を見ても、私は心底、良かったと思った。


こんな時になんだけど、好きなんだ、ハルユキが。

物心ついた頃からもうずっとずっと。


ハルユキの顔が近づいてくる。どちらからともなく、ちゅっと音を立てて、唇にキスをした。


ハルユキ:「ナツナ、ナツナ」


私の名前を呟きながら、ハルユキは両手で私の頬を包み込む。


そして。


ハルユキ:「ナツナ、今から大事なことを言うから聞いて欲しい」


んえ? 私は鼻水をすすりながら、ハルユキの次の言葉を待った。

ハルユキの手は温かいなあと、その体温を頬で感じていると。


ハルユキ:「ナツナ、いいか。よく聞いて。俺と…… 俺と、結婚してください」


え。

え。

え?

ナツナ:「え、なに言って、」


頭真っ白でなに言ってんのこんな時に、と言おうとする唇に、ちゅっとキスをしてくる。


ナツナ:「ちょ、え、え? ちょ、と、ま、って、」


そして、私の顔を解放すると、すぐにごそごそと上着のポケットから、なにかを取り出した。


これは……まさか。

それはブランドのロゴが入った、小さな小箱。

それをパカッと開けて。


ハルユキ:「はい、これ。サイズはいいと思うんだけど、ほら、左手っ‼︎ 出してみ」


私が、唖然としながら左手をそろっと持ち上げると、がっと掴んで。

左の薬指にはめた。

はめた。

はめた?

なにを?

ゆびわーーーーー‼︎


ナツナ:「なになになになにこれなにこれなに、」

ハルユキ:「結婚してください‼︎」


なんで今ーーーー⁇


ハルユキ:「吊り橋効果の神さま、オラに力を‼︎ ……って、そうじゃねえ。ナツナ、早くっ、うんって言え‼︎」

ナツナ:「え、え、え、」

ハルユキ:「ナツナ‼︎」

ナツナ:「あーはいはいはいはい」

ハルユキ:「よっっしゃああぁ‼︎」


小さくガッツポーズ。うわ、かっこい。


すると、ハルユキはがばっと立ち上がり、雪山に頭から突っ込んだ車の後ろへと回り、トランクをがっと盛大に開けた。


そして。


ハルユキ:「ナツナ、これ」


抱えているのは、真っ赤なバラの花束。それを座り込んだ私の目の前に差し出しながら、ハルユキもしゃがみ込んだ。


ハルユキ:「ナツナ、俺のためにこれからもオニギリと玉子焼きを作ってください」


手をそろっと伸ばす。バラの花束に指先が届く。それを素直に受け取ると。


自然と笑みが溢れた。


涙が乾いてカビカビになった頬。にかっと笑うと、バリバリバリっと音を立てそうなくらいにきしんでいるけれど。

なーんだ。だから、トランクを触らせてくれなかったんだね。


ハルユキ:「ほんとはさ、宝探し」

ナツナ:「え、」

ハルユキ:「参加して、宝の山からこの指輪を探し出すって、俺設定だったんだけど」

ナツナ:「マジか」

ハルユキ:「うん、その時にプロポーズしようと思ってた」

ナツナ:「……そ、そうだったんだ」


ようやく、合点がいった。もしかして、それで昨日の夜、眠れんかった⁇


ナツナ:「あ、じゃあ、早く帰ろうとしてたのは?」

ハルユキ:「目論見が崩れたから、早く帰って晩メシ食ってから、おまえの家でプロポーズ仕切り直しのつもりだった。だけど……」


ハルユキが、事故った車を見る。


ハルユキ:「命、助かったから。今しかないって思って」

ナツナ:「……ハルユキ」

ハルユキ:「一生、おまえと一緒に生きていこう、って」


ぶはっと笑いそうになったけれど、これでも一生懸命、我慢したんだぞ。だって、九死に一生のちプロポーズだなんて、聞いたことも見たこともないし、どうせこれからも一生ないだろうから、笑い出したりしてこの雰囲気をぶち壊したくなくて。


ナツナ:「ありがと」

色々画策してくれて、ありがとう。サプラーイズ。


ハルユキ:「それにしても良かったああぁ」

ナツナ:「うん。だね。ちょっと、ホッとした」

ハルユキ:「OKもらえて、これで安心だわ。おまえ、大学の先輩にちょっかいかけられてただろ。あれ、俺すげえ、ヒヤヒヤしてたんだからな」

ナツナ:「え、滝先輩? あの残念なチャラ男? あー。ない。それはないそれだけはない」

ハルユキ:「そうなんか? はああ良かったあ」

ナツナ:「ってか、それはあんたでしょ。ユリに言い寄られてるくせに」

ハルユキ:「ユリー‼︎」


ハルユキが両手で頭を抱えて、オーマイガというジェスチャーをした。


ハルユキ:「おまえと結婚すれば、さすがにユリも諦めんだろ。あいつ、怖ええ。俺がどんだけ、ナツナに惚れてるって言っても、全然きかねえから。怖ええ。ストーカーっつーか何度でもよみがえるゾンビだなありゃ」

「……そ、そう……だったんだ」


なんだ心配して損した。再度、ホッと胸を撫で下ろした。

その途端。


座り込んでいた場所、これはまあ歩道ということになるんだけど、もちろん雪道だし、だから滑ったんだし、ずっとお尻ついていたから、履いていたクロップドパンツがじんわりと濡れてきて、「やだっおもらしみたいになってるっ」と気づいた頃には時すでに遅しで。


ハルユキがハルユキの父君に電話して、事故ったことを報告して電話口でひととおり怒鳴られてから、車をバックさせるとなんとかまだ運転できるもんだから、グチャグチャになったフロントを晒しながら家まで帰ってきたのだ。


ただし超低速で。


ハルユキの父君が菓子折りを持って、うちに謝りに来たのは、その日の夕方。

そして、そのまま結婚の報告会という、なんともわちゃわちゃな日だった。


こんなドラマティックな出来事は、もちろんその時だけ。


けれど、ユリにも滝先輩(?)にも、もちろん誰一人として邪魔されることなく、その事故から一ヶ月後。


滞りなく、私はハルユキと結納とキスとを交わしたんだ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 思わずにやついてしまう、素敵なお話でした。
[良い点] 爽やかで温かな青春ストーリー! [一言] 良かったです! 会話文の形式が新鮮でかつ文に馴染んでました。 プロポーズのところ、私もドキドキしました。 生死を分つ場所って本音がでますよね。 2…
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