第70話 大会
「ただいま」
必要な物資を購入し、刀鍛冶工房に戻ったムーン・ディライトは、暑い工房内で剣を研いでいるダイソンの元へ歩み寄った。声に反応したダイソンが作業の手を止め、視線を後方へと向ける。
「おかえり。遅かったな。まさかと思うが、街で出会ったかわいい女の子に声をかけまくっていたんじゃないだろうな?」
そう指摘を受けたムーンはギクっと背筋を伸ばした。
「そっ、そんなわけないだろう。えっと、買ってきたヤツは、その机の上に置けばいいんだっけ?」と適当に誤魔化すムーン・ディライトが、机の上に黒色の石を置く。ゴツゴツとした見た目で、光沢感のある黒色が特徴的なその研ぎ石を手に取ったダイソンは、満足そうな表情になった。
「よし。これがあればあの小刀を研げそうだ。ムーン。ありがとう」
上司の感謝の言葉を素直に受け取ったムーンが、むき出しになった額を恥ずかしそうに掻く。
「ああ、ところで、ダイソンさん。今日、サンヒートジェルマンで格闘技の大会があるって聞いたことあるか?」
突然の問いかけに、工房主は首を傾げる。
「格闘技の大会? そういえば、新聞で読んだ気がするな。第八地区の闘技場で五年ぶりに武道会を開催するって。そのことかい?」
「第八地区かぁ」と呟く獣人の少年の顔を、ダイソンがジッと見つめる。
「まさかと思うが、その大会観戦にホレイシアを誘うつもりかい? 悪いことは言わないからやめなさい。ホレイシアがそういうの興味ないことくらい、知っているだろう」
「ちっ、違うからな。アストラルに午後から格闘技の大会観戦しないかって誘われててさ」
慌ててウソを吐く彼のことをスル―したダイソンが小さく頷く。
「まあ、いい。そんなことより、早く仕事しなさい」
「分かった」と短く答えた彼は工房奥の作業場へと移動し、依頼のあった剣の研磨作業を黙々と行った。
そうして、時間はあっという間に過ぎていき、帰りの時間がやってくる。乾いた喉を癒すため水を飲み込み、上司に挨拶したムーンは、大きく青空に向かって両腕を伸ばした。
丁度その時、右手の甲に紋章が浮かび上がり、青白く発光していることに気が付く。それを左手で覆い隠し、通信を行うと、そこからホレイシアの声が聞こえてくる。
「もしもし、ムーン。私なりに調べたんだけど、今日、サンヒートジェルマンで行われる格闘技の大会は……」
「第八地区の武道会だろう。ダイソンさんから聞いた」
ホレイシアの発言を遮るようにムーンが事実を明かす。それに対して、ホレイシアは小さく溜息を吐き出す。
「知ってたんだ。もしかして、ムーン、第八地区に向かってるの?」
「当たり前だ。あそこにアストラルの母ちゃんがいるんだからな!」
「だったら、まだ会場にいると思うよ。試合結果も調べてみたら、ステラさん、準決勝に進出したみたいだから」
「準決勝。マジかよ!」と歩道上で獣人の少年が驚きの声を出す。
「うん。因みに準決勝は午後からだから、会場に行けば会えると思う。当日券も販売してるから、それを買って、応援席に入ってね」
「そうか。教えてくれてありがとうな。ところで、ホレイシアはどうするつもりなんだ? 闘技場で俺と合流して、一緒にアストラルの母ちゃん探すか?」
「ごめんなさい。やっぱり、私はイヤです。あんまりプライベートな問題に踏み込むのもどうかと思うから。午後はソロで薬草採取系のクエストやるつもり」
キッパリと断られても、ムーン・ディライトは眉一つ動かさなかった。
「そうか。分かった。じゃあ、俺もソロで人探しクエストだ。アストラルは、ギルドハウスで休んでるんだっけ?」
「うん。そうだよ。錬金術研究機関でのお仕事も体調不良を理由に休むって、フブキが連絡入れたみたい」
「分かった。ホレイシア、頑張れよ」
「うん」と幼馴染の彼女が答えた直後、通信は切断された。
「よし、アストラル。待ってろ!」
気合を入れるため、両頬を軽く叩いたクマ耳の獣人の少年は、大きく一歩を踏み出した。
ホレイシアの助言通り、武道会の当日券を購入し、闘技場の中へと足を踏み入れたムーン・ディライトは、その熱気の高さに息を呑んだ。
円を囲むように設置された観覧席を数十万人の人々が埋め尽くし、中央の舞台で相対するメイド服姿の少女と大柄な男の攻防を見守っていた。準決勝第一試合を戦うのは、あの時出会ったステラ・ミカエルと名乗る少女だ。
大柄な男、ジェイソンが大きく右腕を突き出す。その動きを察知したステラは、体を後方に飛ばし、石畳を右足で叩き、飛び上がった。そのまま勢いをつけ、男の首筋に回し蹴りを叩き込む。
そのまま対戦相手の両肩に飛び乗り、両足を交差させ、男の首筋を締めあげる。男の苦痛に歪む顔は、ステラのスカートで覆われ、観客からは見えなかった。
ジェイソンはステラのスカートの中に手を突っ込み、ステラの両足を解こうとする。その動きを察知したステラは「はぁ」と息を吐き出すと、勢いをつけ、自身の背中を反らした。大男の体も弧を描くように曲がった直後、男の両足を力強く掴み、そのまま石畳の上に男の体を倒す。
その衝撃を全身に受けたジェイソンは、一瞬の内に気を失った。
「はぁ」と深く息を吐き出し、微妙な空気の流れから勝利を確信したステラは、うつ伏せに倒れる対戦相手の体から飛び降り、観客たちに対し、一礼した。
「あの姉ちゃん、強いな」
立ったままの状態でムーンは唖然とした。一瞬で大男を倒した体術は凄まじい。フブキも強いと認めるほどの実力者だとムーンは改めて実感した。
「いや、こんなことしてる場合じゃねぇ。早くここからアストラルに母ちゃんを見つけねぇと……」
大きく首を横に振り、この客席のどこかにいるアストラルの母親を探す。だが、数十万人から一人を探すことは、とてつもなく困難なことだった。どうすればいいのだろうかと悩んだその時、ムーンの背後から女性が声をかけてきた。
「あなた、アストラルと一緒にいた……」
聞き覚えのある声に反応し、背後を振り替えると、そこに探していた女性、アズレインが佇んでいた。
「俺はムーン・ディライトだ。まさか、そっちから話しかけてくるとは思わなかった。探す手間が省けたぞ!」
運よくアストラルの母を見つけることができ、ムーンは安堵の表情を浮かべた。その一方で、アストラルの母親は周囲を見渡すように首を動かし、誰かを探し始めた。
「もしかして、アストラルも近くにいるのですか?」
「いや、俺だけだ」あっさりと否定した獣人の少年の瞳をジッと見つめたアズレインが、首を縦に動かす。
「うん。その目はウソじゃないみたい。ところで、どうして私を探していたのでしょう?」
「もちろん、アストラルに会わせるためだ。大会終わってからでいいからさ。ギルドハウスに来てほしい。頼む!」
その要求を耳にしたアストラルの母は、首を縦に振らない。
「悪いけれど、私はあの子に会うわけにはいかないです」
「なんでだ! アストラルのこと嫌いなのかよ!」と声を荒げる獣人の少年の唇に、女性が右手の人差し指を押し当てる。
「そこまでです。続きは外で話しましょう。騒ぎになると周りに迷惑をかけてしまいます」
そう告げたアストラルの母親は、ムーンの右腕を強引に掴んだ。既にふたりの周りには、多くの人々が集まっており、ザワザワとした空気が流れている。こちらの方を見ている人々を掻き分けながら、アズレインとムーンは闘技場の出口に向かって歩き出した。




