表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/71

第67話 暗号

 フブキがギルドハウスの応接室でシュラムと対面していた頃、ムーン・ディライトは額に汗を掻きながら、商店街を歩いていた。

「やっぱり暑いな」と呟く彼の首元はクマの体毛によって覆われているため、とても暑苦しく感じるようだ。そんなクマの耳や尻尾を生やした獣人の少年の隣には、黒衣の少女が並ぶ。

 頭に半円を描くように折れ曲がった山羊のツノを生やした彼女、アストラル・ガスティールは、汗でびっしょりと濡れた彼の首元をハンカチで優しく拭き取ってみせた。


「気持ちいいですか?」

「ああ、気持ち良かった。ありがとな」

 素直に首を縦に動かすムーンの隣で、アストラルはホッとしたような表情を浮かべる。

「それは良かったです」と優しく微笑んだ彼女の頬は、微かに赤いが、ムーン・ディライトは気にする素振りを見せない。


「それにしても、こんな偶然ってあるんだな。お互いに買い出しなんて」

 ムーン・ディライトが右隣に並び歩くハーデス族の少女に視線を向ける。それに対して、アストラルは小さく頷いた。

「はい。今日のクエスト攻略に必要な素材を買い忘れていたようなので、買いに行くんですよ」

「そうか。俺も同じだ。なんか、急な依頼が舞い込んできてさ。あの小刀を研ぐためには特別な石が必要とかで、買い出しを頼まれた」

「……そうなのですね」と呟いたアストラルは、こうなるよう仕向けた策士、フブキ・リベアートの姿を頭に思い浮かべた。


 

 1時間前、アストラルはギルドハウスの娯楽室内でその作戦を聞かされたのだ。



「……ということで、マスターの命が狙われています。そこであなたにマスターの警護を依頼します。目的は、私の計略が失敗した場合のアフターケアです」


「ちょっと待ってください。警護対象者は刀鍛冶工房に勤務しているんですよ。どうやって警護するんです? まさか、彼の職場に乗り込めと?」

 慌てて両手を左右に振ったハーデス族の少女の前で、フブキは首を横に振った。

「いいえ。その必要はありません。拠点に爆弾でも落とされたら、その時点で彼の命は奪われるでしょう」

「爆弾って……」

 苦笑いを浮かべたアストラル。その一方で、フブキは不思議そうな顔を見せた。

 

「最も簡単な襲撃方法を述べただけです。幸いなことに、襲撃者は私とは違い、モノだけを飛ばせません。この作戦を実行するためには、爆弾を抱えたまま拠点の上空に瞬間移動して、爆弾を投下するしかないのです」

 

「そんなことされたら、そこら辺に霊が彷徨うことになります。突然亡くなった者の未練はとても強いです。悪霊化したら手もつけられなくなるし……それだけは勘弁して!」

 頭を抱えたアストラルに対して、フブキは首を縦に動かした。


「そうならないためにも、マスターの働く刀鍛冶工房に急な依頼を出しておきました。あの小刀を研ぐためには、特別な鉱石が必要です」

「特別な鉱石?」

「とは言っても、一般的な商店で手に入る代物です。それをマスターに買いに行かせるよう仕向けます。そこにクエストの必要物資の買い出しを装ったアストラルが合流。あとは、私からの合図が来るまで、周囲を警戒しながら、警護するだけです」

「そんな簡単にうまく行きます?」

「こういう買い出しは、部下にやらせるのが一般的ですから。大丈夫でしょう。とにかく、こちら側の計略が上手く行ったら、連絡を入れます。暗号で……」



 アストラルは、フブキの指示を思い出しながら心の中で呟く。

(了解です)

 

 自分の知らないところで、そんなことが行われていたとは知らないムーン・ディライトの目に一枚のポスターが目に留まった。


「あっ、もうすぐ母の日か」

 アストラルは、呟いた獣人の少年と同じ方向へ視線を向けた。その商店の出入り口付近の壁に貼られたポスターを目にしたアストラルは、首を傾げる。

「母の日?」

「ん? アストラル。お前、母の日を知らねぇのか? 母ちゃんにありがとうって伝える日だ」

「いえ、それは知っていますが、私には関係ないことです。私には、母親に感謝を伝える術がありませんから」

 寂しそうな表情になったギルドの仲間の少女の横顔を見つめたムーンが、目を伏せる。

「アストラル、お前……いや、ダメだ。こういうのは、聞かない方がいいってホレイシア、言ってた」


 そんな彼の隣で、アストラルはクスっと笑う。

「いいえ。聞いてください。もしかして、私の母親が亡くなっているのではないかと想像されたかもしれませんが、それは間違いです。ハーデス族特有の決まりで、私は母と1年のある期間のみしか会えませんでした。今の季節は、私と母が離れて暮らす期間です。その期間は、実の母親と連絡を取ってはならないと決められていました。だから……」

「そうか。アストラルの母ちゃん、生きてたんだな。良かったぞ」

 少女の隣で、ムーンはホッと胸を撫で下ろした。

 思いがけない発言に困惑するハーデス族の少女の右隣で、獣人の少年は小さく頷いた。

「種族の決まりとか、どうしてそんな決まりがあるのかとか。俺、バカだからさ。全然分からないんだ。でもな。母ちゃん、生きてるんだったら、いつかありがとうって伝えられると思うぞ」


 純粋な彼の一言を耳にしたアストラルが表情を曇らせる。

「その気持ちを伝えられる自信がありません。あの日から私はお母さんとどう接すればいいのか分からなくなったんです。そのうち、お母さんの前では笑わなくなって……」

 悲しい顔で俯くアストラルは、右手の甲に紋章が浮かび上がっていることに気が付く。そこから聞き覚えのある少女の声が漏れる。


「アストラル、夕闇の盾は買わなくて大丈夫です」とフブキは落ち着いた言葉を聞かせた。それはふたりの間で決められた暗号で、警戒を解いて良いという意味だ。仲間からのメッセージを受け取ったアストラルは、ホッとしたような表情で、左手で右手の甲の紋章を塞ぎ、通信を切った。


 そんな彼女の表情の変化が気になったのか、ムーンがアストラルの隣で首を傾げる。


「アストラル。なんか嬉しそうだな!」

「……はい。買うモノが減ったので、少し楽になりました」

「おお、そうか。だったら、早く買うもん買って、帰ろうぜ」

 獣人の少年が明るい表情で、大きく頷く。そうして、一歩を踏み出そうとした瞬間、背後から少女が声をかけた。


「もしかして、白熊の騎士……フブキ・リベアートの知り合いです?」


 そう尋ねられた後、ふたりはその場に立ち止まり、背後を振り返った。その先にいたのは、見慣れぬ青い短髪の少女。細く長いもみあげが特徴的で、青を基調にしたメイド服を着ている。

 そのかわいらしい顔に、ムーン・ディライトは胸を高鳴らせた。


「そうだ。フブキは俺のギルドの仲間だ!」

「なるほどです」少女が納得の表情を見せる。

「姉ちゃん、すげぇかわいいな。フブキの友達か?」

 瞳にハートマークを浮かべた獣人の少年の問いかけに、少女は眉を潜めた。

「うーん。友達というよりは、仲間という表現の方が正しいです。それにしても、驚いたです。まさか、こんなところであの子の声が聴けるなんて……」


 

「ところで、姉ちゃんは観光で来たんだよな? どこかおススメのスポットがないか知りたくないか?」


 瞳にハートマークを浮かべたムーンがステラとの距離をグイグイと詰める。それに対して、ステラは苦笑いを浮かべた。

「間に合っているです。そろそろ大会の会場へ行かないといけないので……」

「大会?」とムーン・ディライトが首を傾げる。その一方で、アストラル・ガスティールは妙な胸騒ぎに襲われていた。目の前で少年と言葉を交わしている青髪の少女の顔を見るだけで、体が小刻みに震え出す。まるで、彼女は危険だと感じ取っているようだった。



 初めての感覚に戸惑っていると、ムーンがアストラルの顔を、心配そうな顔で覗き込んだ。


「おーい。アストラル。なんか、怖い顔してるぞ。大丈夫か?」

「……いえ、少し気分が悪くなったようです。だから、今日は帰り……ぐっ!」


 心臓がドクンと大きく脈打ち、鋭い痛みが押し寄せる。あの少女と出会ってからというもの、アストラルの体調は悪くなる一方だった。


「アストラル、帰って休んだ方がいいんじゃないか?」

 心配そうな獣人の少年が、ハーデス族の少女の震える右手を掴む。

「はい。そうですね」と彼の優しさを受け入れた時だった。思いがけない人物がアストラル・ガスティールの瞳に映ったのは。


「ステラ、お待たせ。美味しそうなアイスクリーム、買ってきたから一緒に……」

 青髪の少女に近づいてきたのは黒髪の女性。肩の長さまで伸ばされた後ろ髪をポニーテールに結ったその女性は、目の前にハーデス族の少女がいることに気がつくと、彼女から目を逸らした。


 その意図に気が付かないまま、メイド服姿の少女、ステラ・ミカエルは首を縦に動かす。

「そうですね。それでは失礼するです」


 ふたりに会釈したステラが女性と共に去っていく。


「あっ」


 その後ろ姿を見送ったアストラルの瞳に涙が浮かぶ。


「待って。お母さん」

 そう呼びかけるが、女性は振り返らない。それでもアストラルは遠ざかっていく女性に問いかけた。


「お母さんは私のこと、どう思ってるの?」

 彼女の疑問の声は届かない。その直後、急な目まいに襲われた彼女は、一瞬の内に意識を手放した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ