第62話 課題
その日、セレーネ・ステップのメンバーは目的地へと移動した。公共の交通機関を乗り継ぎ、なんとか辿り着いたその場所は、サンヒートジェルマンの近くにある火山で、移動するだけでホレイシアは疲れてしまったようだ。
「はぁ、はぁ。フブキがいたらあっという間なんだけど、ここまで来ると疲れちゃうね」
息を整えながら、彼女は今回のクエスト不参加のヘルメス族少女の顔を思い浮かべ、両腕を青空に伸ばす。
「結構遠くに来たからな。ホレイシア、もうちょっと頑張れそうか?」
心配そうな表情のムーンが疲れ切ったホレイシアの顔を覗き込む。それに対して、ホレイシア・ダイソンは小さく頷いた。
「うん。ちょっと休憩したら動けそう」と答えたホレイシアの隣で、アストラルが周囲を見渡す。その視線の先には、大きな岩場がある。流れ出た溶岩が固まり出来上がった地面を指でなぞったハーデス族の少女の頬が緩む。
「どうやら、この近くに巣があるようですね。大体、この岩場を昇った辺りでしょうか?」
クエストの内容はフレアゴブリンの一団の討伐。最近、フレアゴブリンが山を下り周辺地域の女性たちを攫う被害が相次いでいるということで、火山に生息するフレアゴブリンを討伐することになったのだ。依頼内容を頭に思い浮かべたアストラル・ガスティールがお腹にチカラを入れる。
「はぁ。心配ですね。もしも襲われたらと考えたら……」とボソっと呟いたアストラルの声にホレイシアが同意を示す。
「うん。分かるよ。その気持ち。怖いよね。フレアゴブリン」
「おい、それってどういうことだ?」
ふたりの心配事を理解できなかったムーンが首を捻った。すると、ホレイシアがため息を吐き出す。
「一般的にゴブリンが女の人を攫う理由は、赤ちゃんを産ませるためで、特にフレアゴブリンは気勢が荒いことで有名なんだ。そんなのイヤだよ」
「どうやら、これは種族を問わない女性の悩みのようですね。ゴブリンの生殖活動に巻き込まれることは、ハーデス族の恥です」
「アストラル、そこまで言っちゃうの?」とホレイシアが驚き目を丸くする。その直後、女性特有の匂いを感じ取ったのか、数百メートルの高さの岩場から問題のモンスターが数匹飛び降りた。
子どものような小さな体のゴブリンの皮膚の色はオレンジ色で、鋭いツリ目の奥は燃えるように輝いている。
手足から小さな炎をチラつかせた二十匹のフレアゴブリンは、二組に分かれ、目の前に見えたふたりの少女に襲い掛かる。
「ムーン。そちらを任せました」
炎を包み込む棍棒を振り下ろす十匹のフレアゴブリンを視認しながら、右手の薬指で空気を叩き、二又に分かれた先端が特徴的な長槍を召喚する。
その持ち手を強く握ったアストラルの背後では、もう一組のフレアゴブリンの集団がホレイシアに襲い掛かろうとしていた。ハーフエルフの少女を目掛けて飛び掛かる三匹を銀色の片手剣を握ったムーンが迎え撃つ。
「ホレイシアは俺が守るんだ!」鋭い目つきでフレアゴブリンを睨みつけた獣人の少年の横顔を見つめたホレイシアの頬が赤く染まる。
炎の棍棒による打撃を刀身で受け流すムーンから数百メートル離れた岩場の上に飛び乗ったアストラルが息を整えた。その直後、ハーデス族の少女の周りを囲む三匹のフレアゴブリンが口を大きく開け、火の玉を吐き出す。長槍を振り下ろし、放たれた火球を岩場に叩き落としたアストラルは、中央に見えた一匹の獲物に槍の先端を向けた。
フレアゴブリンが一歩も動こうとしないアストラルに向け駆け出していく。その動きに合わせ、槍を前へ突き出すと、二又の先端がゴブリンの首に突き刺さる。素早く槍を引き抜き、左右から襲い掛かる二匹のゴブリンにも突き技をお見舞いする。
「無駄です。私には近接武器は通用しません」と勝ち誇った表情になったアストラル・ガスティールは深く息を吐き出した。首から真っ赤な血を垂らした三匹のフレアゴブリンにトドメの一撃を放つ。量産型パイデントの柄で岩場を砕く。その瞬間、ハーデス族の少女を襲う十匹の真下から鋭く尖った岩が飛び出し、真っ赤な体を突き刺した。一瞬で絶命した十匹の姿を視認したアストラルは、後方で残りの三匹と相対している獣人の少年に視線を向けた。
「ムーン。こちらは片付きました。加勢しましょうか?」
一匹のフレアゴブリンに斬りかかったムーンは、仲間の声を耳にした。それに対し、彼は首を横に振る。
「いや、大丈夫だ」と強気に答え、間合いに入ってきた二匹の胸に斜めの刀傷を刻む。残る敵はあと七匹だが、押され気味な状況だ。自分を守るように敵と相対する幼馴染の少年の背後で、ホレイシアは左手の薬指を立てる。
東西南北に火の紋章
中央に牡羊座の紋章
シンプルに燃焼させる効果の術式が刻まれた生成陣を指先に浮かべ、細長い黄緑の薬草をそれに近づける。
燃焼を引き起こした薬草の成分が煙へ変わり、獣人の少年の鼻穴に吸い込まれる。その瞬間、ムーン・ディライトの体にチカラが漲った。
「ホレイシア、ありがとな。もう少し頑張れそうだ」
一瞬だけ背後に隠れた幼馴染のハーフエルフ少女に視線を向けた彼は、剣を半円を描くように左右に動かし、五匹のフレアゴブリンの体を一刀両断した。
「あれ? あいつらどこ行った?」
残り二匹の姿を見失ったムーン・ディライトが首を左右に動かす。その間に、二匹のフレアゴブリンは背後から迫り来た。その標的はホレイシア・ダイソンだ。
「あっ」と声を漏らしたホレイシアは、背後を振り返り、目を見開いた。護身用に持っている短刀は通用しない相手だ。恐怖を感じた彼女は、近くにいる幼馴染の少年のTシャツの裾を引っ張る。
「ん? ホレイシア、どうかした……」と反応を示したムーンが背後を振り返る。その視界の端にフレアゴブリンの姿を捕えたムーンは、片手剣の束を強く握り、岩場を強く叩き飛び上がった。
そんな獣人の少年をアストラルが追いかける。
「危ないです」と呟き、量産型パイデントを振り下ろし、斬撃を一匹のフレアゴブリンに当てる。それと同時に、ムーンも右方に見えた最後の一匹に剣先を向けた。
「はぁ」と息を吐き出し、オレンジ色の炎を刀身に宿し、斜め下に振り下ろす。フレアゴブリンは炎の棍棒を真横に構え追撃を試みるが、その火力は一瞬で棍棒を黒炭に換えてしまう。やがて、斜めの切り傷を胸から腰にかけて刻まれたフレアゴブリンの体も燃え尽きた。
「アストラル。これで終わりか?」と剣を鞘に納めたムーンが近くにいるアストラルに問いかける。
「はい。一般的にフレアゴブリンは十匹程度の群れで動きます。巣から出てきた十匹のフレアゴブリンの討伐に成功したので、これでクエスト達成ですね」
「……もう終わったんだ」
ホレイシア・ダイソンは複雑そうな表情で答えた。その顔はとても嬉しそうに見えない。
「ホレイシア、どうかしたか?」
幼馴染の少女の顔をムーンが覗き込むが、彼女はローブのフードを目深に被り、誤魔化したように両手を振る。
「ううん。なんでもないよ」
「いや、違う。なんかあったんだ」
真剣な表情になった獣人の少年が、ハーフエルフの少女の両肩を掴む。
そんなふたりにアストラルが背を向ける。
「ムーン、クエストは終わりましたが、念のため巣の様子を見に行きます。あの方向から誰かの気配を感じ取りましたから」
「ああ、分かったぞ」と答えるよりも早く、アストラル・ガスティールは岩場を量産型パイデントの柄で叩く。その瞬間、ハーデス族の少女の真下に地面から石の円柱が数百メートルの高さまで伸びる。そこから目の前に岩壁の頂点に飛び乗り、フレアゴブリンの巣の中を覗き込む。
その一方で、ムーン・ディライトはホレイシア・ダイソンの顔をジッと見つめていた。
「ホレイシア、何があったんだ? ちゃんと話してくれないと分からないぞ」
「……今日のクエストで私の課題が分かっちゃったの。私は守られてばっかりなんだって」
「それってどういうことだ?」
ホレイシアの話を理解できなかったムーンはポカンとする。
「背後からフレアゴブリンが迫ってるのに気が付いたのに、私はムーンに助けを求めた」
「ああ、教えてくれてありがとう。おかげで残りのフレアゴブリンを倒せた」とムーンはホレイシアに頭を下げた。それに対して、ホレイシアは溜息を吐き出す。
「それくらいのことしかできない。これが私の課題だよ。ムーンやフブキ、アストラルはすごく強いのに、私だけが弱いの。弱い私を守りながら戦うのって、すごく大変だと思うから、私も強くならないと……」
「何言ってんだ? ホレイシアだって強いと思うぞ。お前はいつも錬金術で俺たちの戦いを楽にしようとしてくれるんだ。今日だって回復術式を使ってくれて、すごく助かった。だから、それくらいのことしかできないなんて言うな!」
真剣な表情になったムーン・ディライトがホレイシア・ダイソンの両肩を強く掴みながら、自らの気持ちを熱弁する。その言葉が胸に刺さったホレイシアは赤く染まりつつある顔を隠すように、視線を反らした。
「でも、気になっちゃうの。私はフブキやアストラルに見劣りしてるんじゃないかって」
「そんなことない。俺はホレイシアが……」
言葉の続きは轟音が打ち消してしまう。激しい音に驚いたふたりは、目を見開き、周囲を見渡した。その間に、アストラルが体を空中で縦回転させながら、岩場へと降り立つ。
「おい、アストラル。さっきのすげぇ音、なんだ?」とムーンが尋ねると、、アストラルは白煙が昇る岩壁の向こう側を見上げた。
「はい。巣の中に攫われた異種族の女性を確認できなかったので、小規模隕石でフレアゴブリンの巣を破壊しました」淡々とした口調で容赦ないことを口にするハーデス族の少女の顔を見て、ホレイシアは目を点にした。
「アストラル、怖い」と苦笑いを浮かべたホレイシアは、ローブのフードを剥がし、素顔を晒すと、すぐにムーンの元へ駆け寄った。
「ムーン、さっき、何言おうとしたの?」
「悪い。忘れた」
「ええっ」と驚きの声をハーフエルフ少女が漏らす。そんな彼女を見たムーンの顔に喜びが宿る。
「良かった。元のホレイシアに戻ったぞ!」
子どものように喜ぶ幼馴染の少年の姿を見るだけで、言葉の続きはどうでもいい。そう感じてしまうホレイシア・ダイソンだった。




