第61話 雷狼
その日、フブキ・リベアートは溜息を吐き出しながら、あるダンジョンの通路を歩いていた。そこは大都市サンヒートジェルマンの近くにあり、彼女はその第六層にいる。ここまで潜るのにかかった時間は一時間ほど。この層に獲物が潜んでいるという情報を元に、白いローブ姿の彼女は歩みを進める。
「おい、フブキ、さっきから溜息ばっかついてるけど、大丈夫か?」
同行者の獣人の少年、ムーン・ディライトが背後から声をかけると、立ち止まったフブキが少年に視線を送る。
「大丈夫です。マスター……いいえ、今日はムーンとお呼びしましょうか?」
「ホントに大丈夫か? 今日のクエストは、ホレイシアとアストラルがやるはずだったヤツだ。いくらフブキが強くても……」
心配そうな表情の少年に対し、ヘルメス族の少女は小さく頷く。
「心配ご無用です。そんなことより、今日は公休日のはずですよ? 私のソロクエストに付き合う必要はありません」
「おいおい、そんなこと言うなよ。休みの日は何をしてもいいんだ。それなら、フブキのソロクエストを見学してもいいはずだ!」
慌てて両手を振るムーンに対し、フブキがため息を吐き出す。その間に、ふたりは目的地であるフロアの前に辿り着いた。
「ここです」と視線を前に向けたフブキは、赤色の扉に向かって歩き出す。その後ろをムーンも着いていった。
扉を開け、中に進むとすぐに正方形の開けた空間に辿り着く。その中心には一匹の狼が鎮座していた。
雷のエネルギーを流しているように見える青白い毛並み。
鋭く光る目と鋭利な爪や牙を持つそのモンスターの名はサンダー・ウルフ。それは今回のフブキの獲物で、爪を採取できればクエスト達成となる。
「はぁ。この相手は油断できませんね」と呟いた瞬間、フブキの視界の端で何かが光った。「くっ」と奥歯を噛み締め、右手の薬指を立て、空気を叩きながら、体を後ろに飛ばす。一瞬で召喚した小槌を叩き、その身に白の鎧を纏ったフブキ。
「ムーン。見学席はこちらです」
右隣に並ぶムーン・ディライトの右肩をフブキ・リベアートが触れる。その瞬間、彼の体がフロアの壁際に飛ばされた。そのまま透明な剣を召喚し、剣先を地面に突き刺す。
「なんだ、これ?」
ムーンとフブキの間を透明な壁が阻む。
「ムーン、そこにいれば、安全です」
獲物から目を反らすことなく、腰の鞘から剣を引き抜く。それと同時に、サンダー・ウルフは光速でフブキとの距離を詰めた。体毛に蓄電した電気が放出した状態で突進してくる狼。その動きを察知したフブキが瞬間移動で体を獲物の背後に飛ばす。そのまま片手剣を振り下ろし、凍り付かせた周囲の空気を浴びせるが、獲物の毛並みから放たれた雷撃が全てを打ち砕く。
「やはり、上手くいきませんね。それなら……」とフブキは片手剣を鞘に納め、右手の人差し指を立てた。そんな少女の目にサンダー・ウルフの顔が飛び込んでくる。一瞬で間合いを詰められてしまうも、再び瞬間移動で後退し、素早く宙に生成陣を記す。
東に土の紋章
西に凝華を意味する蛇使い座の紋章
南に水の紋章
北に凝固を意味する牡牛座の紋章
中央に固定を意味する双子座の紋章
それらで構成された紋章が青白く耀くと、すかさず地面に右手薬指を向ける。指先に浮かんだ生成陣と地面が重なった瞬間、茶色い地面が凍り付く。数秒ほどで数百メートルの一本道が氷結。氷の床を四つ足の狼が滑る様を後方から視認したフブキが白い息を吐き出す。
「その床の上では、思うように動けないでしょう?」と頬を緩め、すぐに次の生成陣を宙に記す。
東に土の紋章
西に牡牛座の紋章
南に水の紋章
北に蛇使い座の紋章
中央に牡牛座の紋章
床を滑る狼の眼前に姿を現したフブキが、生成陣を真下に落とし、またもや瞬間移動で姿を消す。その瞬間、氷の壁が生成された。床を滑るサンダー・ウルフが壁に激突するのと同時に、獲物の背後に姿を見せたフブキが片手剣を振り下ろす。
「これで終わりです」
剣の周囲に冷たい空気が集まるのと同時に、獲物の懐に入り込み一閃。だが、彼女の一撃は獲物に傷を与えない。サンダー・ウルフが前足の爪で地面を抉った瞬間、流れる電気のバリアが獲物の周囲に展開される。
(この間合いは……)と心の中で呟いたフブキは、体を後ろに飛ばし、サンダー・ウルフから距離を取る。
一方で、フブキが放った斬撃は、サンダー・ウルフのバリアによって防がれてしまう。それでも壁に激突した狼はダメージを受けているようで、その頭には大きなタンコブが膨れ上がっていた。雷の盾とよばれる防御能力に攻撃を阻まれたフブキが息を整える。
東に土の紋章
西に水瓶座の紋章
南に水紋章
北に牡牛座の紋章
中央に水の紋章
それらの紋章で構成された生成陣を右手の五本の指に一つずつ浮かべ、鋭いツララを生成する。周囲に展開されたバリアが持続する限り、どのような攻撃も通用しない。
その間に次なる一手に備えるフブキは、ムーンの前に体を飛ばした。透明な壁に背中を預けた彼女に、獣人の少年が声をかける。
「おい、フブキ。どうしたんだ? いつもならこんなヤツすぐにやっつけてるはずだぞ!」
その表情は様子がおかしい仲間を心配しているようだった。
「それだけ厄介な相手ということです。見ての通り、私の技は通用しません」
「だったら、俺も戦う!」
決意を口にしたムーンが目の前の壁に拳を突き出す。だが、フブキは首を縦に振らなかった。
「心配ご無用です。ここから反撃に転じます」
心の中で一分間を数え、周囲の床にいくつもの生成陣を刻み続ける。そうして、サンダー・ウルフの防御能力が解除したタイミングで攻撃を仕掛ける。
銀色の太刀を真横に傾け、体ごと横に一回転させ、「ホワイトアウト」と唱えた瞬間、円形の斬撃が波紋のように飛ぶ。それと合図に、生成陣から猛吹雪が発生し、獲物の視界を白く染め上げた。
狼の体は急激に冷やされ、強みである俊敏性を失ったサンダー・ウルフの背中に鋭い氷の柱を打ち込む。だが、電気が流れる体毛に氷が触れた瞬間、柱が細かな氷の結晶になり砕かれてしまう。フブキの攻撃は全く通用していない。それが分かっていながらも、彼女は攻撃の手を止めなかった。
猛吹雪の環境下で、サンダー・ウルフが咆哮すると、真っ白な世界の中で雷撃が走る。遠吠えにより引き寄せられた黒雲が、二百メートル周囲にいくつも浮かび、雷鳴を放つ。当然のようにフブキの頭上にも黒雲は浮かび上がっていた。雷が直撃するよりも先に、瞬間移動で姿を消す。
全体攻撃で床の生成陣を黒く焦がす。猛威を振るう吹雪が弱くなり、雷を毛並みに秘めた狼の姿が露わになる。それでも、フブキの顔に焦りは宿らない。サンダー・ウルフの後方百メートルの座標に体を飛ばした彼女は、左手の人差し指をピンを真っすぐ伸ばす。
「これで準備は整いました」と呟き、左手人差し指で空気を叩く。その瞬間、彼女の指先から白の小槌が飛び出す。持ち手に雪の結晶をあしらったそれが床に落ちると、サンダー・ウルフの動きが前足から氷の浸食が始まった。獲物の毛並みに溜まった電気が氷を打ち砕くが、何度も氷の結晶が再構成されるため、意味がない。
「アイスブレイク」と唱えたフブキが氷漬けになったサンダー・ウルフの前に姿を現し、鉄製の太刀を振り下ろす。斜め下に斬りつけられた衝撃で、獲物の体は一瞬で崩れ行く。そんな獲物に背を向けたフブキが瞳を閉じる。同時に結界が解除され、ムーンがフブキの元へ駆け寄った。
「フブキ、勝ったみたいだな!」
「はい。ムーン、なんとか勝てました。まったく、この程度の相手なら本気を出すまでもありませんね」と呟き、一歩を踏み出した瞬間、彼女の背後でサンダー・ウルフの体が生命活動が停止した。冷静な瞳を開け、凍ったサンダー・ウルフの爪を拾い上げる。
「フブキ、それ大丈夫か?」
「はい。すぐに解凍すれば、品質的に問題ありません」と答えたフブキ・リベアートは右手の人差し指を立てた。そうして素早く生成陣を記し、指先に炎を宿す。左手で持ったサンダー・ウルフの爪を炎に近づけると、一瞬で氷が溶けていく。それを左手の薬指で触れ、異空間に消し去ると、フブキはムーンの前に右手を差し出す。
「脱出しますよ」
「ああ」と口にした獣人の少年がヘルメス族の少女の手を取ち、ふたりは瞬間移動でダンジョンから脱出した。
それからフブキは残りのクエストを淡々とクリアしていった。その様子を近くで見ていたムーンが感心を示す。
「フブキ、すげぇな。たった九十分で三件のクエストをクリアするなんて」
「私の特殊能力、瞬間移動があれば移動時間の概念を無視できますからね。最初のサンダー・ウルフの爪採取クエストに苦戦しましたが、次のクエストは比較的早くクリアできたようです」とフブキが冷静に分析する。ふたりが今いるのは、クエスト受付センターで採取した素材提出の順番を待っている最中だ。
「次の人どうぞ!」
数分で順番が回ってくると、フブキは受付嬢と対面を果たし、手続きを行った。それが三分ほどで終わり、席から立ち上がったフブキが、背後で待つムーンに声をかける。
「ムーン、お待たせしました。それでは次に行きます」とフブキが一歩を踏み出す。
「フブキ、まさか、今から別のクエストに挑戦するつもりか?」
「はい。そうです。まだまだ時間は余っていますし、このペースなら今日中に十五件のクエストを達成できそうです」
「フブキ、頑張りすぎだ。さっきのサンダー・ウルフとの戦闘で疲れてるんだろ? バカな俺でもそれくらい分かる」
ヘルメス族の少女の右隣に並んだ獣人の少年が彼女の右肩を優しく叩く。
「お言葉ですが、私たちのギルドは活動時間が短いのです」
「そんなの関係ねぇ。無理と努力は違うって、父ちゃん言ってたぞ」
「しかし……」と反論しようとしたフブキは隣のムーンの顔を見た。彼の表情は本気で自分のことを心配してるように見える。そんな彼と対面したフブキは溜息を吐き出した。
「はぁ。そんな顔されたら、今日は帰るしかありませんね」
その言葉を聞いたムーンはホッと胸を撫で下ろす。
「良かった。俺の声が届いたみたいだ」とムーンがフブキに笑顔を向ける。その顔を見たフブキの頬が自然と緩む。
(まさか、私が無理しようとしてたら止めるつもりで同行したのでしょうか?)
フブキはムーンの横顔を見て、こんなことを考えてしまった。しかし、浮かんだ疑念はすぐに消えてしまう。
(考えすぎです)と心の中で彼の優しさを否定したフブキは、ムーンと共に温暖な道を横並びで歩いた。




