第56話 疑念
翌日のメルディア。ギルドハウスの娯楽室にホレイシア・ダイソンが顔を出した。そこには、獣人の少年、ムーン・ディライトとヘルメス族の少女、フブキ・リベアートがいた。
「おはよう。ムーン。フブキ。ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかな?」と一歩を踏み出すホレイシア。椅子に座り、ボーっとしていたムーンが、幼馴染の少女の顔をジッと見つめる。
「相談したいこと? なんだ?」と尋ねるムーンの近くで、フブキは新聞を畳み、机の上に置いた。
「さっき、応接室に入ったら、依頼が届いてたの。ちょっと気になるから、今日はアストラルとこの依頼やっていいかな?」
予定の変更を要求するホレイシアに対し、ムーンが首を傾げる。
「気になるって、何がだ?」
「これが届いた依頼だよ」と告げたホレイシアは、ムーンに依頼書を見せた。
【捜索クエスト】オレンジペンダントを探せ。
内容 サンヒートジェルマン第一地区地下道で失くしたオレンジペンダントの捜索。
報酬 二千ウロボロス
依頼人 エマ・ネアカッシー
「うーん。どこがおかしいのか全然分からないぞ!」
頭の上にハテナマークを浮かべたムーンの傍にフブキが寄り、依頼書の文字を追う。
「ひっかかるのは、依頼内容ですね? 昨日、アストラルとギルド受付センターで来週の依頼を探していたら、似たような依頼が多く掲載されていました」
「そうそう。私も昨日、依頼を探してたんだけど、同じ内容の依頼が多いなって思ってた。これって、サンヒートジェルマン第一地区の地下道で、窃盗被害が相次いでるってことだよね? 他の依頼にも目を通したら、オタブラに盗られたって記述も見つかったから、犯人はオタブラの可能性が高いよ」
「オタブラってなんだっけ?」とムーンが目をパチクリと動かすと、フブキは手元にあった新聞を開き、ムーンに見せた。
「注意喚起の記事が掲載されていました。オタブラ。特にキラキラ光るモノを奪う小動物です」とフブキが記事を示す。そこには、茶色いネズミのような見た目の小動物の写真が載っていた。
「ああ、コイツか」とムーンが納得の表情を浮かべると、ホレイシアが両手を合わせる。
「ムーン、フブキ。今日は、この依頼やっていいかな? 一刻も早く探してあげたいの! お願い!」
「ああ、俺はいいと思うぞ。フブキはどうだ?」
ムーンの問いかけに、フブキが一瞬考え込む。数秒の沈黙の後、フブキは首を縦に動かした。
「……了解しました。ただし、朝食が終わったら、私の部屋に来てください」
「おい、フブキ。仲間外れはダメだぞ。俺も混ぜろ!」
右手を握りしめ、抗議するムーンの隣で、フブキが目を伏せる。
「今回の依頼に関するアドバイスをするだけです。本日お休みで依頼には全く関わらないマスターには関係ない話です。ということで、私は自分の部屋に戻ります。十分ほどで食堂に顔を出しますので、呼びに来なくて構いません。それとマスターに頼みがあります」
ギルドマスターの少年、ムーンにフブキが視線を向ける。そんな彼女と顔を付き合わせたムーンは目を丸くした。
「頼みってなんだ?」
「朝食後の食器の洗い物をお願いします。その間に話を済ませますので」
「おお、任せとけ!」とムーンが明るく笑う。彼は除け者にされていることに気が付いていない。
そして、フブキは娯楽室から立ち去った。その横顔は何かを企んでいるようだとふたりは思った。
朝食が終わると、ホレイシアはフブキと部屋の中に入った。そこで互いの体を向き合わせると、ホレイシアが首を傾げる。
「それで、今回の依頼のアドバイスって何?」と尋ねると、フブキは机の上から一枚の紙を手に取った。それを目の前にいるハーフエルフの少女に渡す。
「敵に隙を見せないように振る舞ってください。そして、この紙に書いてあるとおりに行動してください」
「敵って誰のこと?」
「今回のクエストは不特定多数のギルドが挑戦すると予想されます。彼らが敵です」
「敵って……同じクエストに挑戦する仲間だよね?」
戸惑いの表情を浮かべるホレイシアに対し、フブキは真剣な表情で語り掛ける。
「悪徳ギルドも存在します。今回の場合、同じ場所に複数の遺失物が存在する可能性が高いです。それを大量にキープしておき、該当するクエストに挑戦するギルドと接触し、金品を要求するといった手口でお金を荒稼ぎするのです。そうすれば、通常よりも多くのお金を稼ぐことも可能です。彼らを見分けるのは困難でしょう。しかし、同じクエストに挑戦する仲間というホレイシアの言い分も理解できます。だから、現場で同じクエストに挑戦する者たちに出会ったら、積極的に声をかけてみてください」
「ちょっと待って。さっきまでと言ってることが……」
混乱するホレイシアの両肩をフブキが掴む。
「大丈夫です。特別なことをする必要はありません。いざという時は、アストラルが助けてくれます」
「それならいいけど……」とホレイシアは納得の表情を浮かべた。その直後、扉の向こうから気配を感じ取ったフブキがホレイシアから離れ、ドアノブに手を伸ばす。
「全く、盗み聞きですか? マスター」
ドアを開けると、慌てた表情のムーンがいる。
「やっぱり、ふたりの話が気になったんだ。一体、何の話をしてたんだ? 俺にも教えてくれ」
「マスター、頼んでおいた洗い物は?」
「もう済ませた! だからいいだろ?」
「はぁ。別に大した話はしていません。ところで、マスター。来週行うクエストは決めましたか? 今晩はクエスト会議です」
「ああっ、すっかり忘れてたぞ」
頭を抱えるムーンを他所に、フブキはジッとホレイシアの顔を見つめた。
「あとは術式の確認だけです。ホレイシア」
「うん。それなら、これでいいよね?」
右手の薬指で空気を叩いたホレイシアが、指先から一枚の錬金術書を召喚する。それをフブキに見せると、彼女は小さく頷いた。
「はい。これでいいと思います。それと、もう一つだけ。アストラルが来たら、この手紙を渡してください」とフブキはホレイシアに茶色の封筒を渡した。
「うん。分かった!」とホレイシアが明るく答える。
それから一時間が経過した頃、朝日を浴びながら、アストラル・ガスティールはギルドハウスの呼び鈴に手を伸ばした。そのボタンを押すと、すぐに玄関の扉が開き、黄緑のローブのフードを目深に被った少女が現れた。
「おはよう。アストラル。待ってたよ」
「おはようございます。よろしくお願いします」とアストラルがマジメに挨拶すると、ホレイシアはクスっと笑った。
「そんなに緊張しなくて、大丈夫だよ。さあ、入って。ムーンもフブキもお仕事で出かけてるから、今、私しかいないの」事情を明かすホレイシアの前で、アストラルは首を縦に動かした。
「失礼します」とホレイシアに声をかけ、ハーデス族の少女がギルドハウスの中へ足を踏み入れる。
そうして、ふたりは一階にある娯楽室へ入った。そこで椅子に腰かけたホレイシアがアストラルに尋ねる。
「そういえば、アストラルって、ウチのギルドハウスに住まないの? 私はフブキとムーンと一緒に、ここに住んでるんだけど……」
「はい。錬金術研究機関、深緑の夜明けの寮からここへ引っ越すつもりはありません。時々、一緒にご飯を食べることはあるかもしれませんが……」とアストラルが微笑む。
「そうなんだ。じゃあ、寮でひとり暮らししてるんだね。寂しくない?」
「同じ錬金術研究者と一緒なので、寂しくありません。特に夜は霊が活発になるので、にぎやかなんですよ」
「そっ、そうなんだ」とホレイシアは体を小刻みに揺らした。
この世に存在する未練を抱えた霊を助けることができるハーデス族の少女。アストラル・ガスティール。彼女の一言にホレイシアは思わず怯えてしまった。すると、アストラルがジッとホレイシアの頭を優しく撫でた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。この場に悪霊はいませんから!」
「それならいいけど、ホントに大丈夫? 夜道とか危なくない?」
「大丈夫です。何度か悪霊に襲われたことはありましたが、私は負けませんから」とアストラルが元気よく答える。
「そうだね。アストラルって強いよね。でも、悪霊を倒すのに疲れたら、私を頼ってほしいな。薬草、準備して待ってるからさ」
「薬草?」
「そう。私、アストラルが正式な仲間になるって聞いてから調べたんだ。霊による攻撃で負った傷を癒す効果のある薬草があるって。それは、ウチの薬屋でも取り扱ってるし、このギルドハウスにも置いてあるんだ。体に取りつかれた悪霊を追い出す術式も覚えた。だから、困ったことがあったら頼ってほしいなぁ」
フードの下でホレイシアが優しく微笑む。その直後、アストラルの瞳から涙がこぼれた。
「ホレイシアは優しいですね。ところで、今日はどうしますか? 私は午後から研究職のお仕事があるので、あまり時間はありませんが……」
指先で涙を拭ったアストラルがホレイシアに問いかける。それに対して、ホレイシアは思い出したように両手を叩いた。
「そういえば、フブキから聞いたけど、アストラルって、午後から本職だっけ?」
「はい。そうです」とアストラルが頷く。
「私、一週間の内、二日は午後からお仕事なんだ。一緒にクエストできる機会、少ないけど、よろしくね。早速だけど、一応、近場かつ短期間でできそうなクエスト依頼書があるんだけど……」
右手の薬指を立てたホレイシアが空気を叩く。その瞬間、指先から一枚の紙が飛び出した。それを近くにある机の上に置く。
「今回な遺失物の捜索ですか?」
「そうそう。今朝、応接室覗いたら、こんな依頼が届いてた。フブキやムーンと相談したら、予定を変更してもいいから、この依頼を受けていいって。ギルド受付センター経由で連絡がいってるみたいだから、これから詳しい話を聞きに行く予定」
ホレイシアの簡単な説明を耳にしたアストラルは首を縦に動かした。
「分かりました」と答えると、彼女は席から立ち上がった。そして、ふたりは応接室から立ち去り、依頼人が待つ家へと向かった。




