38.無限の魔法使い
かつん。
かつん。
かつん。
人気の無い屋敷の中、一人の女が歩いていた。
目指すのは主のいる一室。
いつものように、その足取りはどこか重い。血縁関係を持っているはずなのに、どうしてかあの人が自分の父親とは思えなかった。
それもそのはずだろう。
ただの一度だって、ミアはオメガニアから父親らしいことをされたことがないのだから。
あるのは厳しい修行の毎日。
それが自分のために行われていたのならば、まだ情もあるというもの。しかし、一族のためなのだから、どこまでも救いがなかった。
「失礼します」
その心の重みを悟られぬように感情を平らにして、ミアは努めて普通の振る舞いをした。
自動的に開く扉の奥には相も変わらずの父親の姿が見える。
幾度となく越えた、境界線を今日も越えて。
ミアは頭を下げた。
「本日はどのような用向きでしょうか?」
「聞いたぞ、シルヴァ・ベルベッドの話を」
「……龍の心臓の量産に成功したという」
ミアも話は聞き及んでいた。
魔導帝が姿を見せたのは彼女が去った後だ。それでも何が起きたかを理解することなど、オメガニアの名を戴くものならば難しくはない。
龍の心臓というのは、リグが有している国宝であり。ミアもその効力を目の当たりにするのは今回が初めてだった。あれほどの魔力炉心ならば、国宝という扱いも頷ける。
「いつものように静観……ということでしょうか?」
近頃のミア……もといオメガニアはあらゆる事象に不干渉を貫いていた。自由気ままなSランクの中でも、さらに始末に負えない身勝手さ。
それが許されているのは一重にオメガニアという魔法使いの圧倒的実力が故。
実のところ、Sランクの実力は皆拮抗している。
三王と持て囃される三人の代表的な実力者。騎士王ロウェン、魔法王オメガニア、聖王ギネカ。この三人を始め、タイマン最強と言われるクラノス。そして、実績こそ劣るが実力ならばと噂されるリグ・ベルベッド。
市井の評価は酷く矛盾だらけで食い違っている。
故にあまりあてにはならない。
「今回は違う」
「……!」
オメガニアの言葉にミアは目を見開いた。
想像だにしていなかった返答だからだ。それは、つまり。オメガニアの代わりとしてミア自身が活動することを意味していた。
ミア自身は市井の評価など気にしてない。
故に彼女自身の憶測と目測でSランクの実力を測るならば……。
恐らく、オメガニアの圧勝だろう。これは贔屓目ではなかった。
オメガニアのすべてを知り得るからこそ他のSがオメガニアには勝てないと知っている。唯一肉薄するのは聖王ギネカか。彼女はオメガニアと同種の怪物だ。
彼女以外では、そも太刀打ちすらできない。
勝負の土俵にすら立っていない。
それくらい、オメガニアと他Sランクでは力量に差がある。ミア自身は、そう考えており。恐らく、その憶測は恐ろしく正確だった。
「ミアよ。試運転も兼ねリグ・ベルベッド及びシルヴァ・ベルベッドの目論見を明かして来い」
「……承知いたしました」
そして、ミアは次世代のオメガニア。
成人の儀を終えていないが故に、オメガニアの本領を発揮することはできない。
しかし、既にその魔力は当代のオメガニアを遙かに上回り、単純な魔法スペックは飛躍的に上昇した。
未だ父親には及ばぬが、Sランク最上位の実力を持つ彼女が今初めて実戦を許された。
◆
龍の川のほど近く。
長い長い龍の死骸の、最奥とも言える場所。もっとも人里から離れた場所に、それはあった。
周囲の景色とは似合わない岩造りの集落。
謎の魔力計器や道具たちが建ち並び、絶えず何らかの儀式やら調合やらが行われていた。見た目こそみすぼらしいが、取りそろえられたそれは最新の設備である。
多くの雇われ魔法使いたちが忙しなく何かの作業を行っているようだった。
故に誰も宙を駆ける流星のような瞬きには気がつかない。
「……おいおい、マジかよ」
たった一人、リグ・ベルベッドを除いては。
その勢いとは裏腹に流星は軽やかに着地してみせた。人が圧倒的魔力を推進力に変えて空を飛行していたのだ。
当然、そんなことはリグ・ベルベッドですら不可能である。
いや、一時的に似たようなことはできよう。しかし、長時間飛行ともなれば話は別だ。
魔力が底をつく。
だというのに、この女は涼しい顔をしてそこに立っていた。
ミア・フォン・アルファルド。
次世代のオメガニアにして、既に当代のオメガニアを越えたとされる傑物。
「問おう。リグ・ベルベッド。貴殿の目的は何だ?」
レイピアを引き抜いて、ゆっくりとその切っ先をリグへと向けた。
その動きに合わせてレイピアは月光を照らし返した。
まさか、単身で乗り込んで来るとは。流石のリグもこれは予想外だったらしい、驚きを隠せない様子である。
「おいおい、そりゃ無礼って話じゃ――」
爆破。
的確にリグの顔を狙った爆破だ。これが効かないのはミアとて知っている。しかし、効くか効かないかは彼女にとってはどうでもいいことらしい。
この一撃で示したのだ。
対話は不要と。
ミアが用意した道は黙って情報を出すか、争って勝敗を決するかの二つに一つ。
「はぁ……良いだろう。その挑発に乗ってやるよ」
背負った大剣を引き抜いて、リグは臨戦態勢に移行した。
ミアは改めてレイピアを構える。
リグは大剣を地に擦り、土煙を巻き上げる。荒々しい構え。
一方のミアは切っ先でリグを捉え、体勢はさほど崩さない気品のある構えだ。
雇われ魔法使いたちが慌てた様子で計器たちを保護していく。最も、Sランク同士の戦いに巻き込まれてはどんな重防御を施そうとも無意味なものだったが……。
張りつめた空気が二人の間に流れた。
試合とは違って、誰も開始を告げはしない。だからこその緊張感が二人の間に流れている。
先に動いたのはリグだった。
目一杯身体の重心を下げて、地面を踏む。その動作だけで、どっとリグの身体が地に沈んだように思えた。
そして次の瞬間、弾けるように飛ぶ。
初速が速い。
それもそのはず。ただでさえ圧倒的なフィジカルを持つリグが、自身の身体能力を魔力で強化したうえで、さらに魔力を後方にジェット噴射し火力を押し上げているのだ。
リグは大剣を縦に持ちかえて、接触面積を増やす。容易にミアを捉えてそのまま夜空へと打ち上げてみせた。
クリーンヒット。
もっとも――。
「まずは、周囲に気を遣う必要のないところに行こうじゃないか」
それでミアを倒せるなんて、リグ自身考えていなかった。その予感が正しいというように冷気が周囲に漂う。
ピキピキ。
そんな音が聞こえたかと思えば、リグの身体を氷が一瞬で包み込んだ。
「気遣い、痛み入る。お陰で最大火力を持って応戦できる」
凍てついたリグを蹴り上げて、ミアはレイピアで虚空をなぞった。
そうすれば己の数倍はある巨大な両手を模した氷像が出現。それは凄まじい勢いでリグを叩き潰した。
さらに、その倍の大きさはある手の氷像が再度姿を見せる。同じように巨大な氷像ごと奥にいるリグを叩き潰した。
普通であればこれだけで魔力を空にするほどの大技。
だが放った張本人であるミアは涼しい顔をしている。その理由は一重にミアが無限の魔力の持ち主であるからだ。
そう、彼女の持つ魔力は文字通り無限。
一度に扱える魔力にこそ限りはあるが、彼女は魔力切れを起こすことのない怪物。オメガニアの長い歴史の中で、ただ一人の選ばれたもの。
故に、メイムの持つ才能があれば完璧であった。
彼女はその代償としてあらゆる魔法体系を扱えない。
それはつまり……。
水、火、風、地、爆の五つの基本属性と、それを少し加工したものしか扱えない。
しかし、ミアはそのことが不利だと感じたことはなかった。
大抵は魔力のゴリ押しでどうにかなるからである。
とはいえ、今回の相手はSランク。これで終わるわけがない。レイピアを氷像に向けて、その時を待つ。
「これがオメガニアか……」
氷像に綺麗な縦線が入った。
砕ける氷。
余裕綽々とした態度のまま、リグはミアを見下す。
「先に言っておいてやるが、ミア・フォン・アルファルドがどれほどの力を持っていたとしても、僕を倒すことはできないだろう」
「確かに貴殿を傷つけることはできないだろう。だが、勝つことは容易い」
「言うなぁ。なら、やってみせてくれよ!」
砕けた氷を足場にリグは加速。そのまま蹴りをミアに入れ地面に叩き落とす。
地面に彼女を叩き落としたリグは、タイミングよく地面に着地。その勢いを殺さず、むしろ活かすような身のこなしで二太刀、三の太刀へと攻撃を繋げていく。
縦、横と勢いよく振り降ろされる攻撃を回避して、ミアはタイミングよくレイピアを差し込んだ。
甲高い金属音が星空の下、響いた。
「……へぇ、案外力があるみたいだな?」
大剣の根本を押さえ込まれたリグは目を丸めた。
一見すると両者の膂力は大きく離れているように見えるが、実際のところはミアには無限の魔力による魔力強化があった。
故に、意外にも両者の膂力は伯仲しており――結果として華奢なミアでも見事にリグの剣を押さえ込むという芸当が可能だった。
「だが、俺が力だけの脳筋だと思ったか!?」
剣を翻して、リグは吠えた。
巧みな剣の腕前でミアの剣から逃れようとするが――残念ながら、それを許してくれるほどミアも甘い相手ではなかった。
「私が魔力だけの女だと思ったのか?」
上品な笑みを浮かべて、ミアはリグの行動のすべてを封殺した。
あらゆる攻撃において、大切なのは初動だ。その起こりを潰してしまえば、どんな相手ですら理論上では勝てるようになる。
「ならば魔法で!」
リグが頭部に青筋を立て、魔力を練り上げるがそれさえ無駄なことだった。
なぜならばミアは魔法のスペシャリスト。故に、魔法の攻撃など今さら痛くも痒くもなかった。
無限の魔力を持つということは、対魔法装甲も実質無限であるということ。
単純な魔法では彼女を傷つけることは難しい。
「……!」
次にリグはミアから距離を取ろうとした。しかし、それもまた無駄なことだった。
ミアの足の速さもまた魔力により強化されており、リグに追いつく。
適切な間合いを維持したまま、ミアはリグを着実に追い詰めて行った。リーチの長い大剣はその長さ故に懐に潜られてしまえば、レイピアに劣った。
「さて、どんな気分だ? 見下して来た相手に良いように封じ込められるのは」
「ほざけっ!」
苛烈さを極めるが、ミアは危なげなくすべてを御していく。
この勝負、もう結果は決まっていた。
ミアの勝ちである。
表面上こそ千日手ではあるが、実際のところはあらゆる面でミアがリグを上回っており、そのことの証左を常にリグは受けている形となっていた。
リグの屈辱は考えられないものとなっており、それが許せないリグは怒りにより冷静さを欠き、結果として自分をさらに不利な状況に貶めていた。
熱くなればなるほど、リグの攻めは単調なものになる。
「ちっ、なら……」
リグがそう呟いた瞬間。ミアは彼の内部にある魔力反応が変化したことを察知した。
さっきまでの魔力とは明らかに違う。
いや、人間が持っている魔力とは全く違う異質なもの。それを感じ取った。
「後悔するなよ今からお前を――」
「リグ。やめなさい」
剣戟を演じながら、何かを行おうとしたリグに冷や水がかかった。
突然動きを止めたリグに合わせて、ミアも止まる。
「ミア・フォン・アルファルド。オメガニアの跡継ぎがどのような用向きで?」
「貴殿たちの目的を問いただしに来た。答えずとも良い。その場合は、私がすべてを蹂躙してやろう」
「どうせ、アルファルドは今回の件も不干渉でしょう」
くつくつと肩を震わせて、シルヴァは余裕綽々とした声色で話す。
それに関してはミアも同意だ。
だからこそ、情報を喋らない方がミアにとっては好都合。もし、ここで情報を聞き出せてしまえば、ミアの役目はそこで終了。
「ええ、ではご説明しましょう」
「……」
シルヴァという男はそれを見抜いていた。
「我々は量産された龍の心臓を用いて、災害龍の復活を目指しております」
「……ほう?」
「国を脅かした最大の脅威を復活させ、使役する。そうすれば、誰も私に逆らえなくなるでしょう?」
「浅はかな……」
なんとでも。
そういうように、シルヴァはミアから背を向けた。もう、ミアは脅威ではないからだ。
「……ええ、ですが。父に任された役目はこれで満たしました。好きにするといいでしょう。父は……この件には、不干渉だと仰っていますので」
「そうでしょうねぇ。あの男は忌々しいほどに他に興味がない。精々、ありもしない幻想を追い求めているといいでしょう。その間に、国の覇権は私が握らせて貰います」
「ご自由に」
レイピアをしまって、ミアは飛び上がる。
凄まじい速度で夜空を駆け、すぐにその姿は小さくなっていった。ミア自身、父親の考え方に賛同はしていない。
しかし、ここで逆らっても事態はよくならない。
ベルベッド親子の行おうとしていることは見過ごせないが――自分の出る幕ではなかった。
ミアは知っていた。
あの場に自分以外の誰かがいたということを。
ならば、この難事を彼に任せようと。
「末席を望むのならば、この程度退けて貰わなければ困りますよ。兄様?」
そんな期待を夜空に溶かして、ミアはアルファルドの本邸へと戻っていく。




