33.その身に宿し呪い
後方から聞こえてくる轟音。
いつも通り、クラノスが暴れ回っているんだろう。やり過ぎてしまわないか、心配に思いつつ、彼女なら大丈夫だろうと結論付けて俺は奥を目指していった。
目的はただひとつ。
クシフォスが言う、あの人と会うこと。
「こっち」
彼女の道案内に従って、洞窟を走る。
渇いた靴の音が、幾重にも重なって響く。が、それも数刻の出来事で……。
「ここ」
クシフォスが立ち止まって前方の扉を指さした。
彼女の小さな手が指し示す前方に視線を向け、俺はローブの内に手を突っ込む。
両開きの扉がそこにはあった。
大きな赤色のドクロが刻まれ、重々しい雰囲気を醸し出している。
ごつごつとした岩の表面に手を添えて、クシフォスはその手に力を込める。だが、扉はビクともしない。
「……施錠されてる」
なるほど、これも防衛機構のひとつらしい。
だとすれば、こじ開けるのは一筋縄ではいかないだろう。まずは、どんな防衛魔法が仕込まれているかを判断して――。
「――万物破壊の理」
その手に持った果物ナイフでクシフォスは扉を一撫で。
そうすれば、轟音と共に扉が真っ二つ。どうやら俺はこの手の扉とは縁がないらしい。
バタン、と倒れた扉の先に人影が見えた。
ひとりは鎧を着込んだ大男。
もうひとりはクシフォスの呪いを活性化させた魔法使い。
いずれも、身にまとっている装飾品にワイルドハントのトレードマークと思わしきものが刻印されていた。恐らく、鎧の方がクシフォスの言う、あの人なのだろう。
「……どの面を下げて帰って来たかと思えば、391番。何故まだのうのうと生き存えているのだ?」
鎧の男が、その重い口を開いた。
恐らく壮年らしい、その声色には殺意や敵意といった苛烈さよりも、静けさが込められている。クシフォスに対して、何とも思っていないような、嫌な静けさが。
厳しい言葉にあてられたクシフォスは、ふっと視線を落とす。
「アンタがこの腐った組織の親玉か?」
そんな彼女を庇うように俺が一歩前に出て、必要な情報を問いただす。
「ああ、ワイルドハントが頭領――ドレイクだ。貴様はメイムだな? ワイルドハント創設以来の天才、391番を退けた挙げ句まさか殴り込んで来るとは――想像以上に手強い相手だったらしい」
「クシフォスだ」
「ん?」
「391番じゃない。この子はクシフォスだ」
俺はドレイクの言葉を訂正した。
物のように、クシフォスのことを扱っているのが気に食わない。とはいえ、ドレイクに俺の言葉が響くわけもなく。
「ははは! 使い捨ての武器に、貴様はわざわざ名前をつけて可愛がるのか? 随分と不思議な趣向らしい」
「……っ!」
悪びれることもなく、ドレイクは淡々とそう告げた。
こんな返事が発せられることは分かっていた。でも、実際にそうなってしまうと心が痛む。
クシフォスはあんなにも、ドレイクのことを慕っているというのに。
「で、何が望みなんだ?」
「クシフォスや、ここにいる子供たちを殺しの道具として扱うことをやめろ」
「それはできない相談だな。ワイルドハントとなったガキたちは、親から捨てられ、国からも見放された子供たちだ。死ぬことしかできなかったガキに、生を与えてやった。その見返りとして、すべてを貰い受けるのは正当な報酬だと思うが?」
つらつらと詭弁を立て並べて、ドレイクはこれっぽっちも興味がないように吐き捨てた。
何も、正当ではない。
ただ殺すために生かされ、用が済んだら死ねと命じられる。そんなもの生ではない。
「さて、説教は済んだか? 標的の方からわざわざ姿を見せるとは、刺客を向かわせる手間が省けた。来い」
「話はまだ何も……!」
ドレイクの手拍子に合わせて、天井から何かが落ちる。
クシフォスと同じくらいの子供。
真っ黒なローブには確認するまでもなくワイルドハントの刻印が刻まれていた。この子も恐らく、殺し屋のひとり。
鋭く光るナイフが俺に向けられた。
「391番と互角の才能を持つもうひとりの天才。413番だ。理は万物破壊しか扱えないが、腕は確かだぞ?」
一言も発さず。413番と呼ばれた少女は俺に向かって飛翔。
ナイフをひるがえして、俺の喉元を狙う。
俺が応戦しようとした瞬間。クシフォスが立ちはだかり、少女のナイフを受け止めた。
「万物破壊の理」
「……!」
少女が感情のない声でそう呟けば、クシフォスの握る果物ナイフはバラバラに砕け散った。
「どうして邪魔をするの391番。標的に感情移入でもした?」
「違う」
幾度もナイフを振るわれる斬撃を回避して、クシフォスは言葉を紡ぐ。
「殺して欲しくないから。アナタに」
「殺すために育てられてきたっていうのに?」
「そう。殺してしまったら、後戻りできない。私たちはまだ間に合う、はず」
「391番はそうかもしれないね。でも、私たちは違う。不必要になったら呪いで殺されるから。救えないんだよ」
「そんなことは」
「ある! 391番は恵まれてるから違うかもしれないけど。私たちは逃げられない。その標的だって、私たちみんなの面倒を見るっていうの!? そんなの、ありえないでしょ! 391番と違って、世間知らずじゃないから私は知ってたよ。ここがおかしいって。でも、ここを出ても私みたいな子供に何ができるっていうの? ただ、野垂れ死ぬだけじゃない」
言い負かされてしまったクシフォスは、その勢いのまま腹に蹴りを入れられ吹き飛ばされてしまう。
目に涙を浮かべつつ、クシフォスを負かした少女は俺を見据えた。
「確かに俺が面倒を見切れるわけはないが、こんなところよりもずっといい場所を紹介することはできるぞ。ついでに、呪いもどうにかできる。だから、そんなクズに付き従うのはやめてくれないか?」
俺は何も持っていない両手の掌を見せて、努めて穏やかに告げた。
この言葉が、彼女の耳に届くことを信じて。
「……命惜しさに何を語るかと思えば。標的の言葉に耳を傾けるとでも?」
「本当だ。冒険者ギルドにつてがある。君たちほどの実力の持ち主なら、きっと悪いようにはならない」
フィリアさんに相談を持ちかけたわけではない。でも、商売魂逞しい彼女のことだ。これだけのマンパワーを見逃すわけがない。
希望的観測だが、暗殺者ではなく冒険者としての仕事が待っているはず。
「……」
少女の目に迷いが生まれた。が、その迷いを打ち払うかの如く、ドレイクが声を発する。
「何をしている。413番、お前も呪い殺されたいのか?」
「っ!」
ドレイクの言葉で、少女はナイフを握る手に力を込めて駆け出した。
相手はクシフォスと同じく、触れるものすべてを瞬く間に壊すことができる。寝込みを襲われた時は何もできなかったが――今は違う。
サクラから教わった対処法というものがある。
それを使えば……多分なんとかなるはずだ。確か……彼女の教えは……。
◆
「ワイルドハントたちは、どういうわけか触れるだけで何かを破壊できるみたいですね。でも、安心してください! 対処法がないわけではありません。相手に攻撃をさせなければいいんです――って、んな器用なマネできるかァ!」
赤雷を迸らせて、クラノスが叫んだ。
そっくりそのまま、今なお隣でカタナを振るうサクラに対する怒号。彼女の教えに対する文句だった。
「えぇ~? クラノスさんってば散々デカい口叩いておきながら、そんな弱音を吐くんですか? らしくないですね。ま、これでどちらがメイムさんの相棒に相応しいか……決まりましたね!」
ひょい、ひょいと襲い来る子供たちの刃を回避するサクラ。
攻撃が来る前に回避。攻撃をしようとする手を止める。足払い。数々の技巧をもって、サクラは子供たちをあしらっていた。
刃が触れれば壊される。鍔迫り合いを演じようものなら、いとも容易く自慢のカタナはへし折れるだろう。
肉体に当たれば、絶命は必至。
なら、刃に当たらなければいい話。
つまるところ、サクラが提示した対処法とはそんなシンプルなものだった。
とはいえ、この対処法が成立するのはサクラが屈指の技巧派だからであり――。
「オレは受けて殴るタイプだっつってんだろ! 得意不得意があんだよ! ガキ相手だから加減もしなきゃならねぇしよぉ……」
タンクであるクラノスにとっては、最も苦手とする戦い方であったのは言うまでもない。
容赦なく一撃必殺の刃がクラノスの命を脅かすが、赤雷で牽制。魔力を放出して高速移動。
自身に近寄らせないことで対処しているが、タンクとしての役割は果たせていない。
それどころか、本気を出せないこともあって熟々クラノスにとっては面倒な戦いとなっている。
「あァ! イライラするぜッ!」
故に苛立ちばかりが募る。
これがいつもの戦闘であったならば、とうの昔に戦いは終わっていただろうに――。嫌でもそんなことを考えてしまう。
「でも、いい感じに注意を集めてくれてますね! お陰でこちらは楽に戦えてます」
「そうかいッ! あークソ! しかたねぇ!」
愛用の鎧を脱ぎ捨てて、クラノスは軽装へ。
脱ぎ捨てた鎧の肘当てから手甲に当たる部分までが変形合体。二振りの剣にたちまち姿を変えた。
「え、なんですかその機構……」
「オレはSランクのクラノス・アスピダ様だぞ? これくらいの仕込みは当然なんだよ」
双剣をくるりくるりと巧みに回転させて、サクラがやっていたようにワイルドハントたちの刃を翻弄していく。
鎧を含めれば巨漢とも言えるような体格だが、その中身は華奢な女性。鎧を脱いだ彼女は持ち前の頑強さと素早さを併せ持っている。
元々ソロで活動していたクラノスにとっては、一人で何でもできることが求められていた。
だからこそ、鈍重な鎧では太刀打ちできない場合のことも考慮している。このバトルスタイルも対策のひとつだが……。
「どうして最初からそれで戦わなかったんですか?」
「人前で鎧脱ぎたくねぇんだよッ!」
「えぇ……」
クラノス本人は積極的には使いたがらない。
どうして人前で鎧を脱ぎたくないのかは定かではないが、サクラは密かに恥ずかしいんじゃないか……なんていう勘ぐりをしていた。
邪推をするサクラを叱りつけるように、クラノスが吠える。
「ともかくだ、メイムから貰った呪符をさっさと全員に貼り付けていくぞッ!」
「はいっ!」
背中を合わせたクラノスとサクラ。
自分たちを取り囲むワイルドハントたちを相手取り、メイムから頼まれた役目を果たすために奮闘する。
◆
迫る少女に対して、ブーツに仕込んだ刃で牽制をする。
サクラからの教えを守り、彼女の持つ刃に当たらないことを念頭に立ち回った。
思うように戦えず、窮屈ではあるがクシフォスに襲われた時のようになんでもかんでも破壊されるよりは随分とマシだろう。
とはいえ、俺は技量に自信があるわけではない。
この膠着が長く続くとは思えなかった。取り敢えず二人に渡した呪符と同じものをあの子にも貼り付けることはできたが……。
まだ、仕込みを見せびらかすには準備が足りない。
なんとか時間を稼ぎたいところだけど――。
それに、相手は彼女一人ではない。
ワイルドハントの頭領であるドレイクに、魔法使いだっている。見物を決め込んでいる二人がやる気になればかなり苦しい。
さてどうしたものか――。
クラノスとサクラの二人が準備を終えてくれたなら、すぐにでも逆転できるんだけど……。
丁度、そう思った時だった。
「クラノスさんから伝言です! こっちは大丈夫だと!」
エリートが姿を見せて、情報を伝達してくれる。
どうやら準備は整ったらしい。
なら……。
俺はこの場にあるすべての呪符を操り、起動する。
そうすれば、呪符はワイルドハントの構成員たちに仕込まれた呪術を強制的に発動。当然、死をもたらす呪いとなって彼女たちを苦しめるだろう。
「うっ!」
目の前に立つ少女も、ナイフを落としてその場に倒れ込む。
恐らく、これと同じ現象がこのアジトのあちこちで起きている。
「……まさか、術式に介入を? しかし、遠隔で術式を強制的に起動するなんて高度なマネ、一介の魔法使い如きには――まさか」
「ああ、クシフォスから貰った呪いを解析した。俺を蝕むクシフォスの呪いは、俺の呪いともいえる。そして、他のワイルドハントに仕込まれた呪いが俺の呪いなら、俺の意志でスイッチを入れることは当然できるだろう?」
あとは呪符で遠隔でスイッチを入れるように配置すれば問題ない。そのために二人には手伝って貰った。俺が真っ先にドレイクの方へ出向いたのは注意をこちらに向ける意図があった。
とはいえ……。
「で、どうする? このまま全員を呪い殺すのか? 融和を宣っておきながら?」
「いいや?」
俺がキツいのはここからだ。
もうひとつ、スイッチを入れる以外にも呪符には役割がある。それは……。
「来いっ!」
クシフォスにやったみたく、撒かれた呪いを俺の身に集める。何十と存在する、命を脅かす呪いをだ。
俺がすべての呪符にそう命じた瞬間。
一気に視界が濁った。
紫、赤、黒、毒々しい万華鏡が俺の視界をめちゃくちゃに侵していく。平衡感覚はなくなり、耳も遠くなる。口だってもうまともに動かない。
これは、ちょっと……想像以上だ。
遠くなる意識をなんとか繋ぎ止めて、俺はすべての仕上げに取りかかる。