31.殺すに足らぬ所以
「ワイルドハントねぇ……都市伝説みたいなもんだよ。俺も実際に見たことはないなぁ。客にそれっぽい奴が来たこともないねぇ」
「そうですか……ありがとうございます」
呪いが俺を殺すまで後3日。
今日も今日とてワイルドハントの情報をかき集めていたが、状況は芳しくはない。
荒れたカウンターにジョッキをおいて、俺は礼を告げた。
酒場という酒場に足を運んでいるが有力な情報は何ひとつない。
ワイルドハントの情報隠蔽能力が余程に高いらしかった。
「次の酒場に行こうか、クシフォス」
カウンターに代金を並べて俺はクシフォスの姿を探した。
今日の彼女はクラノスと一緒ではなく、俺と過すことを選んだ。そこにどういう意図があるのかは分からない。
でも、何かしらの意味はありそうだった。
そんなクシフォスだが、彼女の姿はどこにもない。
「あぁ、兄ちゃんと一緒にいた上品な女の子ならついさっき店を出て行ったぞ」
「……え!」
あの子を一人にするのは不味い――!
俺は急いで立ち上がって外へと向かった。可能性は低いが、また刺客を送り込まれたなら……俺は今クシフォスを守ることができない。
「クシ――」
そう叫びかけた俺だが、すぐに声を潜めた。
彼女はそう離れた場所には行ってなかったし、穏やかな雰囲気でお婆さんと話している。俺は少し身を隠して様子を伺った。
「じゃあ、ウチに遊びにおいで」
「……うん」
盗み聞きをしているようで気が引けるが……。
クシフォスがお婆さんの家に招かれたみたいだった。丁度、別れるようだ。俺も挨拶をしておくか……。
「あ、お兄ちゃんが来たみたいだね。そちらの可愛い妹さんをお借りしていましたよ」
「どうも。ご迷惑をおかけしてすみません」
「ふふ。そんなことはありませんよ。では」
会釈するお婆さんに応じて俺も頭を下げた。
どうやら俺たちを兄弟と勘違いしたらしい。まぁ、無理もないか。
お婆さんは最後にクシフォスに握手を求めた。それに応じようとして手を出すクシフォスだが、そこで止まる。
そのまま、お婆さんはニコニコと去って行く。
「……」
自分の手を見て、クシフォスは黙りこくった。
「どうしたんだ?」
「……分からない」
「分からない?」
「そう。自分がどうするべきだったか」
手から目線を外してクシフォスは俺を真っ直ぐ見た。
「メイム。貴方はどうすればいいと思う?」
「クシフォスのしたいように……って、それが難しいか」
こくりとクシフォスは頷く。
「あのお婆さんはいい人。きっと、私たちと関わっちゃいけない人。何かを殺すために育てられた私たちとは……」
「だから握手しなかったのか?」
「……多分、しちゃいけないと思った」
「なら、それでもいいんじゃないか?」
「これでもいいの?」
俺は頷いた。
「なら……明日もあの人に会いたい」
「そうか、ならそうしよう」
クシフォスが淡々とそう言った。それが、俺は嬉しかった。
◆
「……来た」
クシフォスはお婆さんの家を訪ねていた。
近くでメイムは聞き込みをしているらしい、その間だけ家にお邪魔する。
廃れた食道という看板が、見るものに侘しさを感じさせるが……。クシフォスはそんなこと関係ないというようにコンコンと、背伸びしてドアを叩く。
そうすれば、すぐにお婆さんが姿を見せた。
「よく来てくれたねぇ。さぁ、中にどうぞ」
「うん」
とことこと中に入っていくクシフォス。彼女の鼻を香ばしい匂いがくすぐっていった。
「ミートパイを用意しましたよ」
「ありがとう」
年季の入った机が並んだ食堂に通されたクシフォス。
中央の一際大きいテーブルのうえに置かれたパイから、湯気がもくもくと天井へ向けて揺らいでいた。
ちょこんと、イスに座ったクシフォス。真ん前にミートパイが切り出された。
それをパクリと頬張って、クシフォスは静かに咀嚼する。
「おいしい」
「それはよかった」
黙々と食事を続けるクシフォスをお婆さんはニコニコと見守っていた。
「……あれは?」
ふと、クシフォスが室内に視線を巡らせれば、そこに立てかけられていた写真に目がいった。
写真というのは、魔導具を用いて作れるもので今を切り取ったような絵を生み出すことができる。非常に高価なもので、そういった魔導具に縁がない一般市民ともなればおいそれと手を出すことのできないものだ。
そんな写真があったのだから、クシフォスの目を引いた。
「これは何年も前に親切な魔法使いさんが作ってくれたものでねぇ……。息子と、その家族。孫娘もいてねぇ」
食事を取りながらクシフォスはお婆さんの話に耳を傾けた。
「でも、災害龍の襲来で帰らぬ人にね……」
「帰らぬ人……」
クシフォスはその言葉を反すうした。
彼女の心に今まで感じたことのない何かが芽生えた気がした。
「おい、ババア! いるんだろ!」
その何かにクシフォスが戸惑う間もなく。玄関から怒号が飛び込んだ。
「……! クシフォスちゃん、カウンターに隠れててくれる?」
「分かった」
ミートパイを乗せた皿を持ってクシフォスはカウンターの裏側に身を隠した。
気配を殺すことには慣れている。そうする術を叩き込まれてきたのだから。
丁度、クシフォスが身を隠したのと同時にドタドタとした忙しない足音が響く。
気配を殺しつつ、室内の様子をクシフォスは伺った。
大柄で態度も悪い男が2人。その中央にギラついた服装の男が佇んでいる。
中央の男に見覚えがあるような気がする。
気のせいかもしれないけど。
「いつになったらここを我々に渡してくれるんですかねぇ? 正直言って貴方もそうするのが一番いいって分かっているでしょう?」
ギラついた男が伸びた髪をイジってそう語った。
「この店は思い出が詰まっているんです。貴方たちのような人に渡すわけにはいきません。何度もお断りしているでしょう」
「ババア! ふざけんのも大概にしろよ! サルベさんがわざわざ出向いてんだぞ!」
スキンヘッドが怒鳴った。
「煩いぞ。これからの時代はもっとスマートに、穏やかに、紳士的に……だ」
サルベと呼ばれた中央の男は吠えるスキンヘッドの男を窘める。
目に悪い毒々しいスーツの裾元を正して、サルベは嫌らしい笑みを浮かべた。
「美味そうなミートパイだな。切り分けられているじゃないか。その癖、食器がない。誰かいるだろう。この場に」
「……!」
お婆さんの視線がカウンターに向けられたのを、サルベは逃がさなかった。
「カウンターの裏側か。出てこい。さもなくば、この老婆がどうなっても知らんぞ?」
「……分かった」
サルベの脅しを聞いて、クシフォスはカウンターから身を出した。懐に、果物ナイフを片手に。
「ガキか……。なるほどな、亡くなった孫娘とこのガキを重ね合わせていたか。災害龍の襲来、あれは地獄だった。そりゃ不運だったよ」
サルベが懐から煙草を取り出して、火をつけた。
「だが、それはどこも同じこった。嬢ちゃんの口からも言ってやってくれよ。郊外に素敵な一軒家を建ててやるから、ここからは退いてくれってな?」
「……お婆さんは嫌がってる。貴方たちこそ、やめた方がいい」
静かにそう告げて、クシフォスは一歩前へと踏み出した。
10秒。
それだけの時間があれば、クシフォスはこの3人を肉塊にすることができる。殺しに特化したクシフォスの脳が、今まさに殺すための試算を始めていた。
「まず接近。前に出た大男一人の首を一突き。その後、大男を盾に攻撃を受けて、背後に回って二人目を始末。最後にナイフを投げて……」
ぶつぶつと、クシフォスは小声で自身の試算を呟いた。
負ける確率など、どこにもない。
目を瞑っていても殺せる相手。お婆さんのためにも、クシフォスは一歩、二歩と歩を進めた。
「あ! テメェそれ以上近づくんじゃねぇぞ!」
「クシフォスちゃん!? 下がりなさい!」
「大丈夫」
そう言ってさらに近づけば、クシフォスの想像通りにスキンヘッドが前に出た。
大ぶりの攻撃に合わせて、懐に入れば――あとは首に忍ばせていたナイフを突き刺せば。
瞬間。
クシフォスの脳裏に今まで感じたことのない戸惑いが過る。
「……!」
停止。
クシフォスの腹に大男の蹴りが突き刺さった。
衝撃と同時に背後に飛ぶことで、威力を逃がす。同時に、受け身を取ってダメージはない。
でも、クシフォスは解せなかった。
どうしてか、ナイフを突き刺せなかった。
なぜ?
その疑問に答えを出そうと頭のリソースを割けば。
「クシフォスちゃん!」
「っ!」
自分の前に接近していたそれに気がつかなかった。
大男の振り降ろした棍棒が頭にクリーンヒット。地面に叩きつけられる。が、その反動を利用して、飛び上がって目を突けば――。
できない。
どうしてか、できなかった。
「トドメだぁ!」
反応が何秒も遅れたクシフォスに、最後の追撃が放たれようとした瞬間。
「宝石魔法」
大男の脇腹に宝石が。
◆
「宝石魔法」
クシフォスを迎えに来た俺が出会したのは穏やかじゃない場面。
取り敢えず隠蔽魔法で俺の気配を遮断して、宝石をぶち込んでおいた。
サファイアが破裂して、大男を凍てつかせる。
あと2人か……。
「まだいやがったのか……」
サルベと呼ばれていた男が鬱陶しそうに舌を打つ。
隠蔽魔法を解いて、俺は姿を現した。まぁ、ヘイトを稼ぐのが目的だ。
「あぁ、保護者だ」
「お兄さん……すいません。私のせいでクシフォスちゃんが!」
「お気になさらず。俺がなんとかしますんで」
見たところ、クシフォスの怪我は重傷じゃない。あの程度なら俺の魔法でどうとでもなる。
なら……。
「今はこの人たちをどうにかすることに集中しますね」
床を踏み、ブーツにしまい込んだ仕込み刃を露出させる。呪符と宝石を取り出して、宝石に呪符を貼り付け投擲。
「……その宝石がメインウェポンか? 簡単に回避できるぞ?」
「だろうな」
呪符を起動。
サルベに回避された宝石は、丁度サルベの背後に陣取っている。その宝石と自分を置換。
そのまま、足を振り上げてサルベの首に刃を押し当てた。
「動くな。この言葉の意味は分かるよな?」
「なるほど、そーいう……」
両手を挙げて、サルベはため息を吐いた。
こうして、まぁ一件落着となったわけだが……。
◆
「はい。これで大丈夫だろ?」
「うん、ありがとう」
クシフォスの治療をして、俺は伸びた。
回復魔法は気を遣うからなぁ。ただでさえ、呪いで体調が優れないんだ、ちょっと疲れた。
「……私、戦えなかった」
クシフォスがぽつりと呟く。
確かに、あの程度の相手なら簡単に倒せただろう。でも、クシフォスはそうしなかった。
「私は、殺すことしかできない。だから、あの3人も殺そうとした。でも、そうすると……きっとお婆さんも、メイムも、クラノスも、あの顔をすると思った」
「あの顔?」
「そう。あの顔。自分が痛いわけじゃないのに、痛そうな」
「悲しい顔ってことか」
「そう思うと、殺せなかった。殺すことしかできないのに、私はもう誰も殺せないかもしれない。多分、私は壊れた。そうなるのが分かってたから、あの人は壊れる前に私自身を殺すように命令したんだと思う」
思い詰めたように、クシフォスは自分の手を見た。
「でも、不思議と……。殺さなくてよかった。そう思う自分がいる。私は、おかしくなってしまったの?」
「異常か正常かなんて、簡単には決められないけど、少なくとも俺やクラノス……お婆さんだって今のクシフォスの方が好きだと思うよ」
「……なら。これもいいかもしれない」
少しだけ微笑んだクシフォスの表情は、年相応の顔だった。
「なんだ、そのガキ。ワイルドハントなのか?」
縛りつけたサルベが俺とクシフォスのやり取りを眺めて、そう述べた。
それを俺は聞き逃さない。
「ワイルドハントを知っているのか?」
「ああ、まぁな」
「アジトの場所は?」
「……俺たちを解放するなら教えるぞ」
そりゃタダじゃ教えてくれないか。
瀬に腹は代えられない……。ある条件をつけて、俺はサルベたちを解放することにした。
「ここのお婆さんに迷惑をかけないこと。それに、悪いことは極力するな。もし、またそういう場面に出会った時は容赦なく捕まえるからな」
「……はいはい。わーったよ。ワイルドハントは龍の川を根城にしてるらしい」
「龍の川……」
まさか、ここでその名を聞くことになろうとは。
信用できるかは怪しいけど、それでも残された時間は少ない。試して見る価値は十分にありそうだった。
「ワイルドハントに何の用があるかは知らないが、気をつけろよ。こんなガキが山ほどいるからな」
解放されたサルベたちは、そんな言葉を残して町並みに消えていった。
さてと、予期せぬ収穫だ。
クラノスとサクラを呼んで、早速龍の川を調べに行くとしよう。
「お婆さんに挨拶、してくる」
とことこと、クシフォスが家に戻っていった。
その背中を見送って待つこと数分。
クシフォスが戻ってきた。
「どうだった?」
「また来ていい? って聞いたら、いいって……嬉しい」
「そっか、よかったな」
「……うん、それとこれ。ミートパイ」
包みに入ったミートパイをクシフォスが俺に見せる。
「クラノスとメイムと、サクラと……あの人の分。貰ってきた」
「ありがとう、嬉しいよ」
「……よかった」
クシフォスが貰ってきたミートパイを受け取って、俺は食べる。
冷え切ったミートパイだが、不思議と俺の心は温かくなった。