30.生きるに足る所以
「なんだァテメェ?」
男にガンをつけて、クラノスが凄む。
緊迫した空気が俺たちと男の間に流れた。男は両手を振り上げて、ひらひらと手を振る。
「標的はメイムではない。メイムは確かに我々の標的ではあるが……今回は別だ」
「テメェがオレらに用はなくても、オレはテメェに用があんだよ」
「話が通じないバカはこれだから困る。お前に付き合うつもりはない。391番、お前は用済みだ」
クラノスをあしらって、男は己の身体に嫌な魔力を纏わせた。
瞬間、同時にクシフォスの身体にもそれは現れた。嫌な魔力が鎖のように彼女を縛り付ける。
「うっ……!」
苦しそうな呻き声をあげて、クシフォスが地面に倒れ込む。これは……呪術か。
人を呪い、貶める魔術の一分野。当然ながら俺も扱える……が、正直言って苦手な部類だ。
「さて、これで私の仕事は終わった。さらばだ」
「テメェ待ちやがれ!」
クラノスが盾を投げるが、当たった瞬間男の身体は霧のように胡散。そのまま周囲の景色へと溶けて行った。
空間魔法と呪術の使い手か……しかもかなりの練度。いや、今は冷静に分析している暇じゃない。
「クソ逃げやがった! クシフォスに何しやがったんだアイツ」
「呪術だ」
俺はクシフォスに駆け寄り、彼女にかけられた呪いを分析。効果は非常に強力だが、その内容は単純。
予めクシフォスに仕込んでいた術式を、術者である男が作動させ対象を死へと至らしめるもの。魔法や呪術でもそうだが、対象に及ぼす効果が大きくなればなるほど、やはり手間や必要な魔力も増えるのが道理。
その点で言えば、作動させるだけで相手を殺すものとなれば超一級品。それこそ、ミアや親父でさえもなし得ない領域と言える――。が、ひとつだけ例外がある。
それが、対象の同意を得ること。
外部作用の術式では効果を発揮しないものでも、内部から壊せば問題ないというわけだ。
この呪いも、クシフォスを言い含めて受け入れさせたものなのだろう。
効きも早い。
呪いを払うにもあの男と同等の技術を持った呪術使いでなければ難しいだろう。そんな術士を探している間に……。
なら、クシフォスを助けるために俺ができることはひとつ。
俺は懐から針を取り出して、自分の指に突き刺した。ちくりと鋭い痛みが指先に走るが、怯んでいるヒマはない。
そのまま、苦しむクシフォスの指にも針を刺し、魔力の回路を疑似的に接続。そこから、俺は彼女の呪いを引き受ける。
「何を……?」
「この呪いの対象を俺にすげ替える」
「え……!?」
と、驚くサクラ。
完全にクシフォスの呪いを受け取って、自分の呪術で対抗。多少進行を押しとどめる。
そのうえ、クシフォスの同意こそ得られこそ俺の同意は得られていないので、威力自体も落ちていった。
とはいえ……。
「流石に、キツいな」
「何してるんですか!」
サクラが駆け寄って倒れそうになる俺に肩を貸してくれた。
「命を奪おうとした人の命を助けるって……メイムさんちょっと無茶しすぎですってば」
「でも、見捨てるわけにもいかないだろ?」
と、サクラに怒られてしまった俺は、あははと返事をするしかできなかった。
さてと、俺が行ったのはクシフォスを殺す重い呪いを俺に移しただけで、何の解決にもなっていない。
このまま呪いを放置していれば、毒牙は俺を蝕みやがて命を奪う。
「おいメイム、タイムリミットは?」
意識を失ったクシフォスを抱きかかえて、クラノスがそう問いかけてきた。
「そうだな……体感だと5日……いや、4日だな」
「それまでにあの野郎を打っ叩かねぇといけねぇってわけか」
「え? どういうことですか?」
俺とクラノスの会話についていけていない様子のサクラは、きょろきょろと視線を右往左往させた。
そんな彼女のために、俺は呪術について説明を加える。
「1度発動した呪術を止めるためには、解呪するか、術そのものを破壊するか、術者が解除するかのいずれかじゃないと止めることはできない」
「で、メイムが今取った方法は自分に移し替えるだけ。つまり、解呪もできてなけりゃ術そのものを破壊したわけでもねぇ」
「じゃあ、4日の間に解呪か術を破壊する方法を……!」
「残念ながら、そういうわけにもいかない」
「え?」
取り敢えず屋敷を目指しながら、俺はかいつまんで説明を続けた。
「喰らって分かったけど、この呪いかなり強い……。解呪をしようにもアテがないのが現状だ」
「……心当たりがないわけじゃねぇんだが……今いねぇんだよな」
「じゃあ、術そのものを破壊するのはどうなんでしょう!」
俺は首を横に振る。
「術そのものを破壊することは一段と難しくなる。術自体が術式によって形成されているものや、儀式なんかだと簡単なんだけどな……。形がない呪術となれば……」
「難しい……ってことですか」
「そーいうこったな。そうなると、オレたちができるのはサクッと術者をぶっ殺すことだな」
「殺しはなしだぞ」
「ホント、メイムは甘いなァ……。で、動けるのかよ?」
「ああ……なんとか問題なさそうだ」
一人立ちして、俺は肩を回した。
気怠さや身体の重さは感じているが、動けない程じゃない。日を追う事に症状は悪化していくだろうから、そういう意味でも早いところワイルドハントの正体を掴まないとな。
これからどうしようかと頭を悩ませつつ、俺たちは屋敷に戻った。
◆
夜。窓から星空が見えて月明かりが室内に差し込んだ。
やっぱり体調が優れない。
人を殺すほどの呪いを受けたのだから当然といえば当然なんだけどな……。
クラノスとサクラの2人は聞き込みに出て行ってしまった。俺もついていくと話したのだが、病人は無理をするなということで大人しく寝かせられている。
なんなくもどかしい。
そんな時、がちゃりと扉が開いて誰かが入ってきた。
視線を向けた先にいたのはクシフォス。とことこと歩いて、不思議そうに俺を見る。
クラノスについて行かなかったのか……。
ナイフはクラノスが持っているし、てっきりそっちに着いていったと思っていた。
「クラノスと一緒じゃなかったんだな」
「……気になることが、あったから」
「気になること?」
「そう」
そのままクシフォスは俺の前に立つ。
小さな身体と、濁りのない赤い瞳が俺を見据えた。蒼の髪が夜風に揺られてふわりと舞う。
「どうして私を助けたのか」
単純な疑問。
どうしてクシフォスを助けたのか。その訳を問われた。
「貴方を殺そうとした。貴方の役に立たない私を、どうして貴方は助けたの? それも、自分を身代わりにしてまで」
「……」
そう言われれば、どうしてだろうか。
俺はそうするのが当然だと思っていた。見殺しにするなんて人のすることじゃないと。
でも、クシフォスやサクラが言ったように俺は殺されかけている。それに彼女を助けたところで何の得もないわけだ。(少なくとも、今は)
なのに俺は助けた。
どうしてなんだろう。
そりゃあ、助けたいから助けた。理由としてこれ以上のものは必要ない。
でも、そこで足を止めるのは勿体ない気がしたんだ。
俺は腕を組んで考えた。
そうすれば、脳内を過るのはやっぱり……。
「クシフォスと俺は似てるなぁって思ったんだ」
「……? どこが?」
「うーん。見捨てられたところ?」
俺も、彼女も見捨てられた。
家族に、親に。ただの一度の失敗で。
だから俺はそれが酷く不憫に思えたんだ。どうにも、俺と似たようなシチュエーションの相手に弱いらしい。
「……でも、それが普通。あの人に取って死ぬことが私の必要性なら、私は迷わずそうする」
「……」
「……? どうして貴方がそんな顔をするの?」
俺は何も言えなかった。
彼女の持つ価値観を軽々しく否定することも、無責任に肯定することもできない。ただ、クシフォスをそんな風に歪ませた原因に嫌悪感を抱くだけ。
「あの人は言っていた。私たちは、あの人の言うことを聞くだけでいいって」
「クシフォスがそうしたいのか?」
「……私が? そんなこと、考えたこともない」
こくりと首を傾げて、堅い表情のままのクシフォス。
「なら、考えてみたらどうだ? クシフォス自身がどうしたいのかを、さ」
「……それは、必要なの?」
「ああ、必要だ。これから、生きていくならな」
「……生きていく」
自分の手を見て、クシフォスは不思議そうに呟く。
「よく、わからない」
何気なく零れたそれが、嫌に俺の脳内に響き渡った。