27.オメガニアの呪い
「では、分家の主張はこういうことですか。ロクに努力もせず、本家のネームバリューに頼って寄生したきた我々をないがしろにし、一族全体に影響を及ぼすような決定を本家の二人だけで取り決めるのは不公平ではないか……と?」
芯の通った声が、室内に響いた。
顎髭を蓄えた壮年の男性二人は、ただ目の前に座った少女一人に圧倒されるばかり。
雪を思わせるような、美しい銀の髪が舞う。
「口を慎みなさい。火急の件があると聞いて時間を見繕ってみれば……既得権益を守ることしか能のない無能の顔を見ただけではありませんか」
「ミア! 本家の家督だからと黙って聞いていれば! そもそも、オメガニアはどこにい――」
片方の男が円卓を叩き、声を荒げた刹那。
部屋が溶けた――ように、感じた。ミアから放たれたのは、この広く絢爛な部屋を余すことなく満たすミア自身の魔力。
とぷん。
まるで、深い海の底に放り出されるように。男共は息を飲んだ。
「分家が如きが、図に乗るな。思い上がりも甚だしい。そも、本家と分家の間には明確な上下関係があるだろう。無論、私とて悪魔ではない。まともな分家ならば、耳の一つも傾けてやるが――貴様らは、アルファルド家の恥だろう。あの兄同様、一族の縁を絶ってもいい。あるいは、ここで死ぬか?」
「……」
魔法使いが己の魔力を放出するということは、鞘から剣を引き抜く行為に等しい。そのうえ、その魔力が部屋のすべてを満たしたとなれば……。首元に刃を押し当てている状態となんら変わらない。
そもそも魔法使いとしての実力も、成人の義を前にして当代のオメガニアに迫ると評されるミアに分家が勝てるわけもなく。
結果として、分家の両名ができる唯一の逃げ道は。
「ぐっ……! 覚えていろよ!」
なんていう安っぽい言葉と共に部屋を後にすることだけだった。
バタバタという騒がしい靴の音が静かになれば、ミアは髪を掻き上げて、ふぅと一息吐いた。
「さて、次は父上との面会でしたか。私用で私を呼ぶとは、珍しい……」
テーブルから立ち上がって、ミアは自身のスケジュールを確認した。
分家との交渉、学習、他貴族との社交、父親に変わってSランク冒険者としての知見の提供。国王との謁見。アカデミアの特別講師としての講義。
ミアに与えられた責務は少なくない。
常人であれば1週間も持たないであろうハードなスケジュールを彼女は生まれてからずっと行ってきた。
特に面倒なのが今しがた追い返した分家たち。そして、先日も相対したベルトラゾール卿に代表される他貴族たちだった。
貴族には貴族特有の力学がある。それは、シンプルな実力で測れるものではなく冒険者のそれよりも酷く煩雑なものだ。ただ突出して強ければいいものではない。
調和が大事なのだ。
だから、面倒臭い。
「……私も叶うならば」
と、そこまで呟いてミアは口を慎んだ。
いつの間にか、己が立っていたのは父親の自室の前。この世には、言葉にせぬ方が賢明なものも多々ある。あるいは、他の言葉で偽ってしまった方が遙かにいいことも。
幼いころから、次世代のオメガニアとして育てられてきた彼女に、本心を吐き出す場所など少なかったからだ。
父親も、そう。
「失礼します」
心の内をまったく悟らせぬ声色と、身のこなしで父親の様子を伺ったミア。
扉は自動的に開き、ミアは努めて普段通りの己を演じきった。
「ミアか、よく来た」
「父上、お身体の様子はどうでしょうか」
「ああ、よくはない。しかし、お前の成人の義を見届けることは叶いそうだ」
「……そうですか」
オメガニアは謎の病に身体を蝕まれていた。
本家のオメガニアは、次世代のオメガニアの完成――つまり、成人の義を終えた場合死ぬ。それが、この家の呪いだった。
その呪いを、今までの一族たちが受け入れ、ただひたすらに己の一族の強化に勤しんでいたという事実がミアにはどうしようもなく恐ろしいことに思えた。
「ミアよ、メイムの件だが……」
「はい。どうされましたか?」
「ベルトラゾールの奴が怒り狂っていたな」
「ええ、出資していたクランが潰されたようですから」
薫風の刃の件だ。
あまり興味はなかったが、事の顛末には目を通していた。さて、この件でベルトラゾール卿が被った被害総額はいかほどだろうか。
「聞くところによれば、メイムはディダル・カリアを下し、クラノス・アスピダを倒し、4大クランを落とした」
「……まさか」
「ああ、そのまさかだ。奴がこれ以上のさばれば、いずれ奴がアルファルド家に連なっていたものだと知れ渡るだろう。故に、奴を消す」
「……!」
ミアとしては、予想外の方向に話が進んでいた。
この父親は、とことん子に対する情がないと改めて知る。
「ベルトラゾール卿にはワイルドハントを紹介しておいた」
「ワイルドハントを……!」
ワイルドハント。
この国の暗部に根ざす暗殺者ギルドの名だ。ミアですら噂でしか知り得ないが、その噂によれば、殺すことに関しては無類の天才たちが集っているらしい。
そんなギルドの力を借りるほどに、父親がメイムのことを疎んでいるようだった。
「……どうした、ミア。顔色が優れないようだが」
「いえ、ベルトラゾール卿を介さずとも私に言ってくだされば、と。せめて、元兄様には私の手で引導を渡して差し上げたかったのです」
「その手を汚さずともよい。ミアは……次世代のオメガニアなのだから」
「……そう、ですね」
話はそれだけだ、とオメガニアは告げた。
ミアは頭を深く下げて、部屋を後にする。
「……クラノス・アスピダが側にいるのなら、抜けている兄様でも殺されることはないはずだが」
自然と早足となってミアは広々とした通路を歩く。
「私が出るか……いや、それはマズい。手札を切るか? いや、時期尚早だ。確かに兄様は心配だが、あの人の実力を信じるしかないな」
ぶつぶつと、自身の思考を口から漏らしてミアは結論を導いた。
「すべては、終わらぬものに終わりを与えるために」
腰に差したレイピアを一撫でして、何かに誓うかの如く呟いた。
闇に蠢く亡者の群れが、メイムに牙を剥こうとしていた。
幕間:無形の悪意<了>
幕間終了です。次回からは第3章!