26.桜、咲く
「そのいい案がこれか、ふざけんなよ!?」
「えー? でも、資料に目を通すと冒険者を狙っているって書かれてますし、D、E、C、B、Aという風に日を追う事にランクが駆け上がっていってます! 今日はSですよ!」
「だからってんなもんやってられっかっての!」
冷静にロジックを説明するサクラだが、クラノスが納得するわけもない。クラノスの鎧には大きな看板がくくりつけられており、デカデカとSランク冒険者クラノス・アスピダはここです。
なんていう文字がポップな書体で刻まれていた。
こんな姿で夜の町を歩き回って相手からのコンタクトを待つというのがサクラのいい案らしい。こんな茶番に数十分ほど付き合った自分を褒めてやりたいと、クラノスは心底感じていた。
現に指さして笑われたことも少なくなければ、勘違いの酔っ払いも絡んでくる。そういう意味では、誘蛾灯としての役割を果たしているとも言えなくはない。
「クラノスさん、ここはもう少しの辛抱です。私の国の言葉にはこんなものがありました……果報は寝て待て。何事も、焦ってはいけないんですよ」
「なら寝てりゃいいだろーが。オレの姿見てみろ、積極的に果報取りに行ってるじゃねぇかよ!」
「そりゃ少しは果報を掴む努力をしないといけませんよ。ワビサビを分かってませんね……クラノスさんは」
ふぅ、やれやれ。
そんなジェスチャーと共にため息を吐くサクラ。
「ならオレはテメェに上下関係ってのを教えてやろーか?」
「暴力反対です! それに、その姿も傾いてていいじゃないですか」
「っるせー! これで成果がなかったら覚えてろよテメェ!」
なんて軽口の応酬が続いた。
どうやら、クラノスとサクラの相性はそう悪くないらしい。クラノスが看板をへし折って投げ捨てようと、真面目に検討した刹那。
鋭い音が、数度鳴った。
何かが灯りを消し飛ばし、周囲を暗転させる。
気がつけば、2人が歩いていた道は人気がない。闇と静寂が辺りを包み込んだかと思えば――。
「……!」
次いで聞こえるのは甲高い金属音。
1度、2度、3度。
クラノスの耳を突くのは、恐らく剣と剣が打ち合う音だ。
「おい、サクラ! 大丈夫か?」
恐らく、サクラが何者かに襲われている。
クラノスは自分の判断の甘さを悔いた。結論はどうあれ、サクラの推測自体は正しいとクラノス自身も感じていた。日ごとに襲う冒険者のランクを格上げし、毎日規則正しく襲う殺人者。
そこには執着にも似た強いこだわりが見て取れた。
ともなれば、次に狙うのはSというのが道理。だからこそ、まず狙うのは自分だと。
Aランクの冒険者を下す相手。Eランクのサクラが立ち会えるはずもない。
すぐに行動しなければ、最悪彼女の命すら――。
「大丈夫です!」
最悪の事態を想定したが、どうやらそうではなかったらしい。
サクラから返事があった。さっきまでとは違い、締まりのある凜とした声色。それだけで、彼女に多少の頼もしさを感じることができた。
ならば、とクラノスは自らの身体に魔力を帯電させる。
この魔力は彼女の特別製だ。
あの忌々しい災害龍と戦った際に刻み込まれた罪。龍の持つ雷雲の性質と、彼女本来の魔力が混ざり合った異物。
それを、遺憾なくクラノスは解き放った。
眩い光が周囲に発せられれば、消えた灯りに赤黒い輝きが宿る。
あまりにも荒々しく周囲に光を取り戻して、クラノスは盾を地面に叩きつけた。
「無茶苦茶だこの人……」
巨大なカタナを振り上げて、クラノスを見上げたサクラはそう言葉を漏らした。
クラノスはサクラの言葉を聞き入れつつ、真正面を眺める。そこに立っていたのは黒としか形容できないヒトガタ。
「こうも明るくなったら、オレのオシャレコーデも意味がないなぁ。もしかして、今夜のドレスコードはサーカスコーデで?」
黒い外套を纏ったそれは、コミカルかつ大仰なしぐさでクラノスをはやし立てた。
ぶらぶらと動かす片手にはナイフが1本。嫌に光った。
「そちらが冒険者の人たちを襲った方ですね?」
「そーそ、そっちは? あーちょっと待って! 今から読むわ! えーっと、そのデカイのがダピスア・スノラクか……へぇ、者険冒クンラSってどういう意味?」
「逆から読むな、バカ」
「あぁー! Sランクの冒険者、クラノス・アスピダって意味ね!」
わざとらしく納得したようにそれは手を合わせた。
「ふざけんのも大概にしろよ? テメェ、捻り潰すぞ」
「おーこわ。でもまぁ潰されるのも悪くはないか。ぐっちゃぐちゃになったミートパイとか、ワタシは好きだよ。うんうん。って好きなわけあるかっ!」
「……なんなんだよコイツ」
「意味が分からないですね……」
「そーそれだよ!」
2人の反応を見て、それは大きく頷いた。
「意味なんてない! この命にも、世界にも。どうせいつか破綻するものだ。壊れるものだ。消え去るものだ。なのに、どうしてそこに意味を持たせようとする? そんな試みは、そう! 言わば――あー……あれだよ。あれ、えーっとな」
腕を組み、それはその場で足踏みをする。
「そう! クリームもイチゴもないショートケーキだ」
「……は?」
「だから! クリームもイチゴもないケーキはただのスポンジだろ? スポンジだけ喰って旨いか? そうスポンジだけでもケーキは旨い! だから人生は意味がなくても楽しいんだよ!」
「はぁ……よし。黙らせる」
静かに頷くと、問答無用でクラノスは盾を投擲。
凄まじい風圧と共に盾が真っ直ぐとヒトガタに向かって飛ぶ。彼女の放った盾が、それを捉える。
しかし、盾はピタリと動きを止めた。
「……」
ピタリと止まった盾の奥には、盾を掴んだヒトガタの姿が。
その最奥にある左眼が、赤く蠢いた。
クラノスは黙って、その様子を眺めている。
「おいおい、人の話は最後まで聞くもんだ。ヨは結論を最後に述べるタイプなんだよな。つまり、クラノス・アスピダ。お前は死ぬ」
「んなわきゃ……っ!」
ヒトガタが距離を詰める。
刹那、クラノスの身体が硬直した。
そのまま真っ直ぐ、クラノスへ目指して疾走――かに思えたが寸前で進路変更。
「と、思わせてこっちだよ~~ん!!」
サクラの方へとサイドステップ。
ナイフを巧みに扱って彼女の脇腹を狙うが。
「隙があるように見えましたか?」
サクラのカタナがそれを阻み、受け流す。
そのままサクラは懐に忍び込む。それに合わせてヒトガタの左眼が輝く。
同時に、サクラはカタナをヒトガタの目線に合わせた。
瞬間、停止するカタナ。
分かっていたようにサクラはカタナから手を離して、肘打ち。彼女の鋭い攻撃がヒトガタの鳩尾に突き刺さる。
「おぐっ!?」
そのまま、肘を開き裏拳を顔に叩き込み。動き始めたカタナを蹴り上げ位置を調整。
空いた片手で再びカタナを握り、薙ぐ。
ヒトガタには紙一重で回避されてしまうが、薄皮1枚を裂いた。
「おい、おいおいおいおい……。強いなコイツ!?」
刃先に伝った血を振り払い、切っ先をヒトガタに向けるサクラ。
その姿を見て、ヒトガタはそう叫んだ。
「魔眼ですね。それ」
カタナの切っ先でヒトガタの眼を指し示す。
「……あぁ、ハイハイ。そりゃバレるかぁ。そー、魔眼だ、魔眼。見たものを停止させる、停止の――」
その言葉が終わるよりも早くサクラが動く。
「おい、まだ話終わってねぇだろ!?」
バックステップを挟み、ヒトガタは眼を光らせるが。
既にその視線の先にサクラの姿はない。追って、視線を合わせようと試みる。しかし、サクラの動きを追従することしかできなかった。
接近したサクラにナイフで応戦。
しかし、すべてをいなされ打撃を喰らう。
そして……。
「これで王手、ですね」
「……マジかよ」
ヒトガタの首に刃を押し当てて、サクラは呟いた。
圧倒的だった。
魔眼による干渉から脱したクラノスも、観戦に回るほどにサクラは強かった。
「あーダメだダメ。降参だよ、こーさん」
「……何が目的でこんなことを?」
両手をひらひらと掲げるヒトガタに、サクラは問いかけた。
「言ったろ? 意味なんてねぇってな。そうしたいからそうする。シンプルだろ?」
悪びれる様子もなく、それは語った。
「こっちは人生エンジョイ勢なんだよ。無意味でつまらない人生を精一杯面白く喜劇にしたてあげる努力家にして、演出家だ」
「そのために、人を襲うと?」
「そうとも」
カタナを握る手に、力がこもる。
「観客も、演者も、舞台も、何もかもをぶっ壊す最高の喜劇が見たいだけなんだよ。我々は」
「……我々?」
「そうとも。私たちは『無形の悪意』また会おうじゃないか」
そうヒトガタが告げた瞬間。
ヒトガタは力なく地面に伏した。
「……」
クラノスが黙ってヒトガタの様子を確かめれば。
「死んでやがる」
黒い外套の中には死体があった。
悪趣味な仮面を身につけた死体は、既に人のぬくもりを失って久しい。
「無形の悪意……」
サクラがカタナに鞘を戻してヒトガタの言葉を反すうした。
その言葉に、妙な胸騒ぎを覚えたから。
◆
「報告ありがとうございます。無形の悪意……冒険者ギルドでも調査を行ってみますね」
「あァ、頼んだぜ。薄気味悪い野郎だったからなァ」
報告を済ませて、クラノスはサクラが待つテーブルに戻った。
「どうでしたか?」
「依頼完了だとよ。なんとも釈然としねぇ終わりだが……現状これ以上はどうすることもできないってのも分かる」
兜を押し上げて、クラノスは肉を頬張った。
「……そうですね」
「にしても、テメェあんなに強いのにどうしてソウジたちにいいように扱われてたんだよ?」
無形の悪意との戦闘を思い出して、クラノスはサクラに質問をぶつけた。
彼女の見立てなら、ソウジともいい勝負をする実力を最低でもサクラは持っている。そんな彼女が、どうしてあんな扱いを受けていたのか?
その理由がクラノスにはまったく分からなかった。
「あぁ……はい。私はこのカタナがないと本領を発揮できないんです」
そう言ってサクラは母親の形見であるカタナを撫でた。
確かに彼女の持つカタナは特殊な形状をしており、扱うのに慣れがいる。逆を言えば、汎用性が欠片もない形状なので、これで慣れてしまうと他の武器は満足に扱えないようになるらしい。
愛用の盾があるクラノスにも、なんとなく想像がつく話だった。
「なるほどなぁ」
「それで、私決めました」
「……何をだ?」
「無形の悪意を、倒します。それと、メイムさんのパーティーに私も入ります! 恩を返したいんです!」
あー、とクラノスは頭を掻いた。
「まぁ、前半はいいが……後半はなしだな」
「なんでですか!」
と、きっぱりとサクラの申し出を断るクラノス。
このやり取りが、メイムが起きるまであと数日続くことになるとは誰も思わなかっただろう。