19.無価値な私。無価値な俺。
早朝、黒いローブを目深に被って俺とクラノスは薫風の刃に忍び込んでいた。
いつも鎧姿のクラノスも、流石に自重した。
自重させたとも言えるけど……。
「はぁ~~、コソコソと不便だなァ」
「留守番しててもよかったんだぞ?」
裏口の鍵を鍵開け魔法で無理矢理こじ開けて、愚痴るクラノスに返事をする。
「嫌に決まってんだろ。それによ、ソウジを舐めてるだろ。メイム」
「……クラノスにしては、気になる物言いだな?」
「あァ……」
いつでも自信満々なクラノスにしては、やけに冷静な評価だ。
もっと雑魚だ、なんだと罵るのかと思ったけど。
「アイツは雑魚だが、油断はしない。粛々と目的を達成しようとする。そういう奴だ。だからこそ、厄介だ」
「……」
クラノスがそこまで言うのか。
気をつけるとしよう。と、そこまで話して。
「こっちですよっー!」
エリートの案内を受けて、俺たちはEランクの冒険者たちが押し込められている地下室へとやって来た。
ここまでは、誰にも気がつかれてない。至って順調だ。
「酷い有様だなぁ、おい」
表と比べるまでもなく、地下は酷いものだった。
虫が床を這い。陰鬱とした雰囲気が漂っている。近寄りがたいし、近寄りたくなかった。
部屋の壁は金網で、中を見ることができる。
逃亡防止だろう。
誰も彼もが、サクラさんのようにやつれていた。
「生気がまるで感じられねぇなァ」
「ああ……サクラさんはどこだ?」
檻をのぞき込んで、巡っていく。
薄暗い、洞穴のような地下室をサクラさんの姿を探す。見当たらない……。
「マルゴさん、もうみんな限界です。お願いします、少し休みを……!」
「……ん?」
声が聞こえた。
サクラさんの声、俺たちは息を潜めて物陰から様子を窺う。
大男と、サクラさんが揉めている。
サクラさんの表情は疲れ切っており、今にも気絶してしまいそうだ。
ひとまず、様子を……。
「黙れ! 誰のお陰でお前たちのようなグズ共が飯を食えてると思ってるんだ」
「……でも、酷すぎます」
「口答えか!? お前のような恩知らずは……!」
そう言って、マルゴと呼ばれた大男は腕を振り上げた。
サクラさんが両目を瞑って衝撃に備えた時。
「あのなァ。でけぇ男が女に手ぇあげんなよ。どっちがグズなんだ?」
クラノスが声を荒げた。
いつものような怒声ではなく、底冷えしたように静かな声色なのは潜入という事情に配慮してのことだろう。
しかし、その落ち着いた様子から漏れ出す怒りが、よほどに彼女の恐ろしさを際立てているようだった。
いつものような大鎧ではなく、潜入のための華奢な身体だ。(どういうわけか、彼女は鎧を脱ぐと半分くらい小さくなる)
だからこそ、マルゴも怯まなかったのか。あるいは、不運にも彼女がクラノス・アスピダだと気がつけなかったのか、顔を真っ赤に染め上げる。
「あ? このAランクの冒険者、マルゴ様に大それたことを……誰だおま――」
「――クラノス・アスピダだよ。バカが」
さっきまで睨んでいたマルゴだが、その名を聞いて目を丸めた。
どんどんと距離を詰めてクラノスはマルゴを睨み付ける。瞬間、たじろぐマルゴ。だが、勢いよく手斧をクラノスの頭に叩き入れた。
マルゴは見たところ、タンクかアタッカー。それぞれ膂力が低いわけじゃない。むしろ、一撃は重い。Aランクの冒険者のマルゴ、彼が得物で放った一撃。
それを軽装で受けて、いくらクラノスでの無事であるはずが……。
「マッサージにもならねぇよ!」
無事だった。
カウンターでマルゴの顎をぶち上げる。クリティカルヒット。
あの巨体が打ち上がって、そのまま天井にぶつかって地面に墜ちた。ありゃノビたな……。
「え? え?」
「はぁ、うぜぇ。こんな雑魚がAランクだ? Bが適正だろうがよォ!」
狂犬が、吠えた。
状況を飲み込めていないサクラさんと、苛立っているクラノス。この状況はかなり混沌としているな。
これ以上サクラさんを混乱させないために、俺もクラノスに遅れて姿を見せた。
「メイムさん!? どうしてこんなところに!」
「あー、えーっと……」
しまった。
なんて言えばいいんだろう。サクラさんを助けるために来ました? 厚かましい。
たまたま通りがかったんですよ? 無理がある。
お手洗いは……。バカか。
「いや、アンタが大変そうだから助けたいってメイムがよ」
「……」
「え……?」
クラノスの奴……あけすけに言いやがった!
サクラさんの驚いた視線が俺の胸に突き刺さる。なんて取り繕えば……。
あぁ、もうまどろっこしいな!
そういうのはなしだ。
やっぱり俺、クラノスに影響受けてるな!
「ああ、このクランかなり酷いでしょう?」
周囲に視線をやって、俺はサクラさんに告げた。
ふと、視線を暗い地面に落として彼女は力なく首を縦に振る。それを見逃さないように、俺は続けた。
「こんなクラン、今すぐ抜けた方がいいです。ただ、一人で抜けるのは厳しそうなので……新人試験の時と同じく首を突っ込んじゃいました」
落ち着いて考えて見れば、善意の押し売りだな。これ。
母さんみたく、これが正しいことに繋がればいいんだけど……。そう思って、俺はサクラさんの顔色を伺った。
彼女の顔色は、やはり優れていない。
それが披露のせいなのか、はたまた俺の仕業なのかが分からなかった。
「その……嬉しいんですけど……私は……」
サクラさんが1つの言葉を紡ぐのに、嫌な重みがあった。
その重い言葉が重なって、1つの意味を示そうとしたその時。
「何の騒ぎだ?」
サクラさんの言葉が喧噪にかき消された。
バタバタと、忙しない雰囲気を伴ってフレデリクの声が聞こえてくる。これ以上ここにいては、大騒ぎになってしまいそうだ。
「おい、引き上げるぞ。あんたも来いよ!」
「へ……いや、私は……」
「いいから!」
そのまま、クラノスがサクラさんを引っ掴んで走って行く。
凄まじい健脚。早いなぁ……。
俺も置いて行かれないように、地面を蹴った。
そうして俺たちは強引にサクラさんを連れ出して屋敷へと帰っていく。
でも、俺は不幸にも……。
彼女のかき消された言葉が聞こえてしまったんだ。
「私は……助けられるほどの価値がないので……」
それが、彼女の伝えようとした言葉。
なおさらに、俺はサクラさんが心配になった。同時に、ある種のシンパシーまで感じてしまう。
やはり、この戦いは俺の戦いで。
俺が勝たなくちゃいけない戦いなんだ。