-07- 勇者業への業態転換
ギルド内に獣人の驚嘆が響き渡った。一度シン、と静まってから、再び騒がしくなる。先ほどまでの喧騒は各々が忙しくしているために起きていたものだったが、これは違う。明らかに奇怪な目をこちらに向けられており、騒動の対象が世界情勢の混乱から俺たちへと移った。
『資本金10億Gだって?』
『ランキングされている企業と比較しても一番の多い額じゃねーか』
『1億G行けば大企業なのになんて規模だよ』
『どうせ吹かしだろ。あんな子供が社長なわけがない』
資本金とは事業を行うための元手であり、その額によって会社の規模、体力、信頼性を推し量ることが出来る。多ければ多いほど良いのだ。
「我々は農業、炭鉱業、土木業、金融業、人材派遣業を取り扱っておりましたが、この度これら事業から撤退し、勇者業に専念したいと考えております」
リゼの言葉に嘘はない。食料は自給自足していたし、武器を作るための鉄も自分たちで調達していた。それに住まいも自分たちで用意し、金に困った者には利子付きで貸与していた。それにこれから俺をハメた魔物たちを討伐する。
しかし、1つ疑問に思った。㈱魔王は世界征服を目的とした会社だ。調べられれば俺が魔王ということがバレるのではないか。
リゼに目配せをすると、リゼは俺の耳に手を当て、耳打ちをした。
「ご安心ください。ルシフ様の考えているようなことはおきません」
「しかしだな。世界征服を目的とする会社だぞ。俺が魔王ということが……」
「その件ですが、それでは会社設立が出来ませんので一切記載しておりません。㈱魔王は世界征服の企業ではなく、ただの一般企業として申請をしております」
何勝手なことをしている。俺はそんなこと頼んで覚えはないぞ。
「本社情報も魔王城の住所ではないですし、事業内容も先述した通りです。労働基準監督署もルシフ様のことを魔王ではなくワンマンブラック社長として裁かれております」
確かに、魔王が起業したとか、魔王が弱体化したという情報はどこにも流れていない。
本来伝わるべき情報が伝わっていないということはリゼの言う通りなのだろう。
「しかし、この規模の会社で社員が2人?」
獣人は俺とリゼを見て、それがこの2人なのだと理解したようだ。
「はい、勇者業への業務転換において希望退職を募ったところ応募が殺到し、残ったのが我々となります。痛いほどに退職金は支払っておりますので、ご心配なさらぬよう」
退職金じゃない、退職スキルだ。金ならどれほど良かったことか。
「2人では御座いますが、他の追随を許さない潤沢な資金力が御座います。それは資本金を見て頂いてもお判りになると思いますが、それでもご納得いただけない場合は……」
リゼはすらりと伸びた人差し指で机をなぞった。そこに浮かぶいくつものゼロ。そして頭についた1の文字。
「ギルドにご支援をさせて頂きますがいかがなさいましょう?」
そこからは早かった。ギルドからすればドル箱だ。
何の障害もなく勇者ギルドに登録された㈱魔王の事業内容は勇者業に変わり、また、俺の職業も社長であり、魔王であり、勇者になった。
「しかし見ても分からんな」
正式に勇者ギルドに登録が終わった俺たちは掲示板を眺めていた。
しかし、そこには、依頼名、目的地、受注条件、魔物の推定レベル、依頼の詳細が記載されているだけでスキルの記述は1つもなかった。
「そうですねえ。一番レベルが高いもので50。ドラコのレベルが192でしたから、それ以下になるとルシフ様のスキルを持っていない可能性もありますね」
雑魚狩りをしても仕方がない。むしろその結果レベルが上がってしまえば成長してしまい、リゼに見限られてしまう。
それを防ぐためには、現在のレベルで【万古長青】を得る必要があった。
「しかし不思議ですね。ここに張り出されている依頼はどれも低級のものばかりで、ルシフ様の力が配られているというのに、それが反映されていそうな魔物は少ないですね」
俺は受付に座る獣人を呼ぶ。手を招くジェスチャーを下だけで、従者のような速度で飛んできた。
「何でしょうか」
俺たちのことをあしらっていた彼女も、俺たちが金持ちだということが分かった途端に態度を変えた。別に責めているわけでもなく、むしろ手足の様に使えて好都合だった。
「これ以外の依頼はあるか」
「あるにはあるのですが……」
獣人は口ごもった。俺たちには伝えられない何かしらの事情があるようだった。
「貴様、名前は」
「ミミ、と申します」
ミミは頭を下げた。俺との距離が近かったせいで、アンテナの様に聳え立つ狐耳が俺の顔を舐めた。毛並みは綺麗に整っており、その感触に不快感は覚えなかった。むしろ気持ち良いまである。
耳の感触で俺に当たって事に気付いたのだろう。その失礼に慌てて頭を上げたが、再度俺の顔を舐めた。
「ミミよ。このレベル以上の魔物を討伐する依頼を出せ」
「ギルドの規定で受注できる条件が決められておりまして、そこに貼られている依頼を一定数超えないとお渡しが出来ないのです」
勇者を殺させないための規定だろう。低級からスタートし、徐々にレベルを上げられるようにギルドが調整をしているわけか。
「いくらだ」
賄賂を匂わせると、ミミの耳がピクリと動いた。
ミミはきょろきょろと辺りを見渡しながら、指を1本ずつ上げていく。2本、3本と指が立つ。4本目で動きが止まったが、5本目を上げるかどうか迷っているのか、親指の上げ下げを何度も繰り返す。そして伺いを立てるように恐る恐る親指を上げた。
「リゼ」
「かしこまりました」
リゼは周りに見えぬよう体で隠すようにステータスを開くと、50万Gをミミに送金した。金を受け取ったミミの耳が意思とは反して左右に動く。大方喜んでいるのだろう。
「さて、見せて貰おうか」