-27- 人事部部長ヤリエス・ユリエスキ
鼻孔を満たす濃厚な死臭。これまでは魔王城より染み出た一部分に過ぎなかったらしい。密閉された空間にて熟成された空気に吐き出す者も現れた。
「聖母の息吹」
勇者の1人が魔法を唱えた途端、城内を埋め尽くすほどの悪臭が消え去り、快晴の朝のような晴れやかで爽やかな香りに変わる。
魔王城の様相は変わっていなかった。
正面に伸びる大階段を蒼白い照明が照らし、陰鬱な雰囲気を高めている。両壁には、㈱魔王に所属していた魔族を模したステンドグラスが設置され、彼らは侵入者を拒むように見下ろしていた。1階は大広間になっており、部屋は存在しない。階段を上った先に各部署のオフィスが点在する造りだった。
「ここからは2人行動にしよう。何かあった者は声を上げること、いいね?」
皆、無言で首を縦に振る。正直単独行動の方が勝手がきくのだが、それを押し切るほどの理由がない。仕方なく頷いた。
「ルシフ。一緒に行こうか」
「何故俺になる?」
最も2人行動をしたくない人物がスズだった。少しでもぼろを出そうものなら一触即発になる上、㈱魔王元社員の生き残りがいた場合、俺のことを魔王だと口を滑らせる可能性もある。
「そう嫌がらないで。魔王がいた場合、単純に君が一番戦力になると思っただけさ」
まだ俺に疑いの目を向けていると思ったが、他意はないらしい。
俺はスズと共に大階段を上った。俺が行きたいのは最上階だった。どうにかしてスズをそこへ仕向けなければならない。
「聞いた話だが、魔王は最上階にいるらしいぞ」
「確かに私の自室も最上階にあるしね」
俺はわざと迷ったふりをしながら最適解のルートを辿って最上階に向かった。
道中、死体は見つからなかった。あれだけ臭いをまき散らしていたというのに無いということはあり得ない。どこかに隠されている筈だが、それが分からなかった。
「ここが最上階かな?」
階段を上り続け10階、つまり最上階に辿り着いた。このフロアは他とは異なり、赤色の絨毯が敷かれている。体重をかけると僅かに沈むほどには柔らかい。
「気配はないな」
どの階も魔物の気配は感じられなかった。それはこの階も同様だった。
「私の考えは当たっていたのかな?」
「どうだろうな」
最上階には7つの部屋がある。1つは社長室、他は取締役室だ。俺を陥れた首謀者たちがいた部屋。心の臓が熱くなっており、心の奥で復讐の焔が燃え上がっていた。
副社長室、と銀色の札で刻印された扉の前に立つ。㈱魔王のNo.2。俺の右腕だった男の部屋。どうせ俺をハメたのはコイツだ。目の上のたんこぶだった俺が憎くて仕方なかったのだろう。
シウバ・アンドルフ。種族はダークエルフ。
俺の決定に対して否定をしたことは一度としてなく、それどころか俺の要求を上回る実績を毎回残していた。㈱魔王を創業したての頃に敵対する組織を潰す指示を出したところ、潰すどころか味方に引き入れたという逸話は記憶に新しい。
方法は明かさなかったが、今思えば、反逆のための駒を集めていたのかもしれない。いつか魔王を貶めるという謳い文句を使用して仲間にしたと考えれば辻褄は合う。
リゼに思考を読み取るスキル【眼光炯炯】を与えなければ見抜けていたのにと後悔した。
「ゆくぞ」
スズの準備を促す。スズは親指と人差し指で丸を作り、「いつでもいけるよ」と微笑んだ。
俺は怒りに身を任せて扉を蹴破った。蝶番が壊れ、扉がバタンと音を立てて倒れた。地面に堆積していた埃が舞い、思わず咳きこむ。
窓際に置かれたデスクの奥に上半身が隠れるほど背もたれが高い椅子が置かれていたが、こちらを向いておらず、俺たちに背を向けていた。
生き物の気配はなかったが、背もたれが僅かに傾いていた。何かが置かれている。それだけは間違いなかった。
中に入り、椅子へと歩みを進める俺たち。背もたれに手を置き、椅子を回転させる。力を加えた右手に僅かに重量を感じた。
正面を向く椅子。そこには死体があった。褐色の肌が色素を失って薄く見える。喉を掻っ切られてパクリと開いた傷口。溢れ出た血液は水分を失って乾ききっている。指でそれをなぞると、膜のようにぺりぺりと剥がれ落ちた。
㈱魔王代表取締役副社長シウバ・アンドルフ。他でもない彼の死体だった。
「これは大物だね」
スズはシウバのことを知っているようで、目の前の死体を見て目を剥いた。そして、思案するように右手で口を覆う。状況の整理をしているようだった。
俺は副社長室を飛び出し、他の取締役室に向かった。
常務、専務、監査役。計5つの部屋には、副社長室同様、椅子に死体が置かれている。その死体は全員が全員本人であり、紛れもなく㈱魔王の取締役の面子だった。
この階で確認が出来ていないのは社長室のみ。
俺が社長室の扉に手をかけた時、スズが廊下へ出た。
「他はどうだった?」
「そこと同じだ」
「なら魔王の死体もあるということになるのかな?」
順当に考えればそういうことになる。反乱がおき、上層部の連中が全員殺害された。魔王である社長含め。しかし、俺は今も生きている。
そのことを知っているのは俺だけ。導き出される解は1つ。俺に謀反を起こした後、再度魔族間で謀反が起きたということだ。
「まあ開ければ分かる」
久しぶりに握る社長室のドアノブ。体躯が縮んで手が小さくなっていても、その感触に懐かしさを覚える。内装も以前のままだった。正面に置かれた社長椅子に長机。そして壁一面に描かれた『世界征服』という文字。唯一違うのは、そこがもう俺の席ではないということだけだった。
「魔王の死体は無し、か」
椅子は正面を向いており、誰も座っていなければ、何も置かれていない。
しかし机の上には1つの名札が置かれていた。ここが自分の席だと言わんばかりに主張したそれには1人の名前が記載されていた。
「ヤリエス・ユリエスキ……」
㈱魔王人事部部長を務めていた男の名前だった。
そして机上には血文字で書かれた『新たなる魔王の誕生』の文字。
指でそれを掬うと、指先に赤色が付着した。




